決定が下されるまでという事で、仮の処置として身柄は蛆虫の巣へ移されることとなった。死神でも無い流魂街の魂魄を収容することなど異例中の異例事項だが、そもそも例の子供に至っては事例のない事だ。死神側の対応も今まで通りとはいくまい。
◇
苗字はごつごつとした岩肌の床に寝そべり足を壁に乗っけた体制のまま、辺りを照らす光も無い空間を微動だにせず見つめていた。
最早時間の感覚も失われ、闇の中に居続けたせいか存在ごと闇に同化し消滅したかのような錯覚さえ覚える。この空間にいるせいかどうかは定かでないが、悪夢による激痛が増し最近一睡も出来ていなかった。
最初死神達に押し込まれた空間には数十人と悪品共がいたのだが、苗字の何が気に食わなかったのか、其れとも彼らなりの歓迎の儀式だったのか一斉に苗字に喧嘩を吹っ掛けてきたのだ。始めのうちは傷が癒えず蹲って大人しくしていたのだが、治ってしまえば勿論断る理由もなく殆どを身一つで失神させた。残る巨体の男の首根っこに跨り暴れ馬に乗っているが如く遊んでいると、騒ぎに気づいた死神に取り押さえられこの個室へと連行されたのだ。一人になれた事は結構だが、鉄格子がはめられた此処は部屋というよりも牢獄だ。それでも雨風から守られているだけで苗字にとっては居心地が良かった。
この体制のまま、もう何時間過ぎたのだろうか。すぐにでも呼ばれるかと思いきや、まだ一人として訪問してくる輩がいない。来るとしても食事を置きにくる死神だけだ。
そんな中、やっと訪問者が現れたのは捕えられて7日目の日であった。
いつものようにうつらうつらと過ごしていた苗字の前に、ぼんやりと辺りを照らす光が向けられた。丁度背を向けていたため顔だけ後ろに向けると目を細めた。長い時間光とは御無沙汰していたせいもあり全く見えない。それでも二、三人が其処にいることは気配で分かった。
「開けろ」
その中の一人がそう命じると、付き添っていた死神が錠を開けた。苗字は乱暴に立たされると早速手の動きを封じられた。余程あの事もあり警戒しているようだ。其の儘外へと連れ出され、此方には何の情報も与えぬままひたすらに歩かされた。然も未だに視界がちかちかと眩しく、また頭痛を催すほどの目の眩みにまともに目も開けない有様だ。其れにも関わらず苗字の足取りは全くブレが無かった。
やっと目的の場所に着いたのか、ある扉の前で苗字を連れる死神達が立ち止った。如何やら室内らしく、また少し薄暗いせいもあって苗字の目も少しずつだが回復していった。中の者に何事かを呟いてた死神は話がついたらしく不気味な絶叫のような音と共に開かれた扉の中へと入って行った。その後ろを死神が急かすまま内心悪趣味だなと思った苗字も後に続く。
つかつかと前を行く男の有様をまじまじと観察する苗字。死神のようだが、何処か異なった出で立ちをしている。黒い着物を着ているようだが、その上には何やら変わった白い衣を着ている。然も先程ちらりと額に見えたのは、小さな角…、であろうか。
気が付けば周りの皆同じような服装をしている。死神にも色々と役職があるという事だろうか。彼等と通り過ぎるたびにまじまじと観察されるので、苗字もまたまじまじと見返した。
何やら見たことも無い機械類が立ち並ぶ部屋を通り抜けていくこと暫し、診査台が真ん中に置かれた部屋で立ち止った。だが此処に置かれているところを見ると、解剖台に見えて仕方がない。
ちらりと暗がりに苗字が視線を向けると、角のある男が苗字が感じだ気配へと声をかけた。
「局長、例の餓鬼を連れてきました」
すると男の真横の暗闇からぬっと人影が現れた。男は、顔色一つ変えなかった。
「ご苦労、もう君に用はないから下がりたまえ」
そう言い捨て苗字に顔を向けた瞬間、その歪な顔に一瞬唖然となった。自分の髪も異常なため人の事は言えないものの、それは明らかに人工物と呼ばざる負えない。
その例の顔が、急に距離を縮め目と鼻の先まで近づいた。
「………うむ、その胡散臭いフードを別にしても見る分にはつまらん被験体なのだがネぇ」
診査台を見た時から予想はしていたが、やはり何かのサンプルにされるらしい。爛々と探求心に目を輝かせるその顔は、純粋な好奇心というよりも歪んだ感情に突き動かされているように見えた。
更にじろじろと観察されると、疼く探求心に導かれるがままに苗字の鎖を掴み乱暴にその体を台の上に叩きつけた。
「全くあの錠剤は使うのだのあの機具は使うのだのと喚く奴らのお蔭で、この私の実験を遅らせるとは迷惑なことだヨ。脳がドロドロになったところで、記録が取れるだけで十分じゃあないか」
誰に話しかけている訳でもなく、ぶつぶつと悪態を吐く涅。様々な薬品を使えないことに相当ご立腹のようだが、苗字はその一言で今までに起こっていたことを理解した。
「………太夫の頭を、ドロドロにしたのか?」
涅は何を今更とでも言いたげに鼻で笑った。
「其れがどうかしたかね?全く、今までの中最も最悪につまらん実験だった。あの女は一つの薬品にさえ耐えきれんですぐに発狂して、騒がしいったら無かったヨ。まぁ只の霊体だったのだから仕方ないがね」
黙ったままの苗字の方を振り返ると、意味深に笑った。
「何だね?もしや、怒っているのかね?此処に来れば会えるのではとでも?其れで願わくば助けようと思っていたか。実に下らない人間愛だヨ」
苗字が泣いているとでも思っていたのだろう。だが涅が耳にしたのは、予想だにしていなかった言葉だった。
「いや、太夫の死は悔やまれるが理解の範疇だ。其れよりも、どうやって脳味噌をドロドロにしたか興味がある」
ギョッと目を見開く涅は、今度は探るように目を細めた。明らかに、苗字に対し少なからず関心を持ったようだ。
「………それはご機嫌取りのつもりかね?」
「知的好奇心だ。あんたが俺を解体したいその感情と同義と捉えてもらっていい。実のところ俺をどう解体するのかも興味深い」
恐怖も、また阿諛している態度もない苗字をまじまじと観察する涅だったが、急に彼のつぼにはまったのか噴き出すと、けたたましい声で笑い出した。ヒーヒー笑う彼に、今度は苗字が唖然と見つめる。
やっと笑い終わった後も、涅の顔には残忍な笑みを張り付けていた。苗字が内心気持ち悪いと思ったのは言うまでもない。
「仲間の死に対する憤りの一つはあると思っていたのだがね、とんだ取越し苦労だったようだ。………それでいて私の実験に興味を持つ?感情を司る部分が損傷しているのかネ?そもそも今まであれ程存在を隠蔽していたはずだが、ひょっこり現れた事も都合が良すぎる気がしてならんのだがネ」
ずいっと薬品を持った手ごとあの顔を近づけてきたので、反射的に体を仰け反らせる苗字。
「………相当研究に酔っているな。そのさっきから忙しく動く眼球と指先は禁断症状というところか。お前も死神ではあるがその中でも異質なようだな」
「………おまけに他人の分析とは無礼極まりないね」
「此処まで来る間の隊士どもの態度と他の死神を寄せ付けていない様態に全て合点がいっただけだ。無礼というなら、今から俺を実験体にする行為もまた然り。お互い様だと思うが?」
台の上で動じた様子の無い苗字に、再度くっくと不気味に笑う涅。興奮しているためか、先程敢えて苗字が質問の意図をすり替えて話を反らしたことに全く気づいていない。
「言ってくれるじゃあないかね。私も貴様も同等だと?………いいね、悪くない。では茶番も終わりとしてそろそろ始めるとしよう。発狂しない保証などないがネ」
無言の苗字の態度を肯定と捉えたか、そもそもそんな事気にもしていないのか涅は機具類を近くまで引き寄せると、そこから垂れるチューブを苗字の腕や胴体にと繋いでいった。
◇
岩肌の地面に苗字の体は叩きつけられた。その感覚に、朧げになっていた思考がゆっくりとだが動き出す。
ああ、いつの間にか実験とやらは終わったのか。
最初に思ったことは、今置かれている己の状況の事であった。倒れた姿勢のまま、咽喉が乾いた、そう思った。
実験の最中、最早自分に何が起こっているのかさえ考えられなかった。僅かに認知できていたのは、体を引裂くような熱と、激痛と、自分が絶叫を上げていた事くらいだ。何度も何度も実験道具とされた体は、ガタがきたかのように自分の力では起き上がれないほどにまで脆弱化していた。口元と襟刳りは何度も吐いた血で真っ赤に染まり、投げ出された腕にはチューブに繋がれた跡や、注射の跡が幾つも痛々しく刻まれている。
実験という名の拷問は、この日で五日を向かえていた。何か結果が出たかも、いつ終わりの目途が立つかも分からない。只実験の最中、体の拒絶反応に痙攣を繰り返す苗字を見まわしながら、「ふむふむ」だのと言い興奮しているだけだった。
おまけに、悪夢の頻度が増していき迂闊に寝るに寝れなくなってしまい、最近では一睡もしていない。
実験と、憎悪との板挟み。
耳を澄まさずとも嫌でも聞こえてくる、憎悪らの呪いの羅列。
その囁きを聞きながら、現や幻覚かも分からぬ狭間を苗字は今日もうつらうつらと漂う。
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