砂ぼこりを上げ、一人の子供が走っている。時々後ろを振り返り、また全速力で駆けていく。追われているのは明白だ。小さく開かれた口からは息が漏れ、腕に付いた鎖が腕を動かすたびに豪快な音を立てている。小さな体に鞭打ち、廃家を避けつつ走る。その足は切り傷を負い、一番大きな傷口からは血が止めどなく溢れていた。服装も殆ど泥ぼこりで汚れ擦り切れている。
その背後にぴったりとついて追っているのは、三人の死神だった。
真ん中を走る女性の死神は、走りながら破道を使い子供の足元を吹き飛ばした。子供は痛みに呻き地面に倒れたが、また再び走り出す。先程から、同じことを繰り返している。じわじわと標的を痛めつけていき、力尽きたところを捕獲するという寸法なのだろう。でなければ瞬歩であっという間に捕まえている。そうしないのは、その手法を気に入っているか得意としているからか。
兎にも角にも、彼等は確実にこの子供を追い詰めていた。
荒くなっていく子供の息遣いが、此処まで届きそうだ。
司令塔である女性が左右を走る二人に目配せすると、二人は無言に頷き女性の元から瞬歩し離れて行ってしまう。女性は其の儘、子供を追って走っていく。
子供を痛めつけつつ追跡すること暫し、子供は足を止め立ち竦んだ。
目の前は崖、四方に逃げ場は無かった。更に崖の下はごつごつとした岩が突き出た激流の川で、飛び込む覚悟など子供には無いだろう。
副官は無表情のまま、走る速度を落とし子供と多少の距離を保って立ち止った。子供は左へと逃げようとするが、突然左右に先程の二人の死神が現れ子供は完全に動きを封じられた。じわじわと、後ろへ下がる子供。
「観念なさって下さい。これ以上痛めつけられるのは、こりごりでしょう?」
抑揚のない声で無情ともよべるほど冷めきった声色で子供に声をかける副官。子供は蹲ったまま反応を示さずじっとしたままだ。
これを観念したと受け取った副官は子供に向け腕を翳す。
「縛道の四、這な_____……」
縛道をかける正にその瞬間に、子供は懐から薄汚れた白い何かを投げつけてきた。誰がこの瞬間に、反撃を予想できただろう。当然予想だにしていなかった事態に意識が其方にそれる。
しまったと思ったものの時すでに遅し、一度詠唱した鬼道は止められない。
「___這縄」
縛道は子供から逸れ投げられた物体に縄状の霊子が巻き付いた。
子供がその隙を付き立ち上がるのを目にすると、副官は白い物体を手で叩き落とし咄嗟に早口で捲し立てた。
「縛道の六十二、百歩欄干!」
複数の光の棒が出現すると、子供へ向かい突き刺さった。その内の一本が子供の身体を串刺しにする。だが咄嗟に発動させたためか力の加減を間違え、その他複数の光の棒が地面に刺さったことで亀裂を生み足場が崩れた。子供の身体は大きく傾き、其の儘崖の一部と共に落下していった。
「しまっ……!」
小さく舌打ちをし副官はすぐさま崖に近寄るが、子供が生きているかは定かでない。流れが速く、瓦礫すらもう呑みこんでしまった。
「いかがいたします、副隊長」
いつの間にやら、部下の一人が近づいていた。
「………軽率でした。あの子供にまんまと煽られてしまったようですわ。崖から飛び降りることを最初から推定していたとしたら、生きている確率が高いでしょう。下へ降りて川沿いを探します」
「了解です」
頷く彼等をよそに副官は後ろを振り返りまじまじと子供が投げてよこした物体を見つめた。
其れは、薄汚れた兎の死骸であった。
身を屈めていたのは、これを隠していたためのようだ。
矢張りどこか狡猾な子供の手口に、副官は眉間の皺を更に深めるのであった。
◇
濁流沿いを、一人の少年が草を咥え棒切れを振り回しながら歩いていた。
特にやる事も無く、此処に来たのもふと何の気なしに沸き起こった気まぐれでしかなかった。だからこの付近で何が起こっていたかも知る由も無かったし、これから起きることにも全く注意を向けてはいなかった。
よって、少年にとっては不幸にも巻き込まれたと表現するのが妥当であろう。
其れは不運にも、唐突に起こった。
何事も起こるはずないと思っている少年の足を、突然濁流から伸びてきた小さな手が掴んだのだ。当然少年は絶叫を上げ腰を抜かすほど吃驚仰天した。
「な……何だ?!何なんだよおめぇはっ!」
声を上ずらせて半ば半べそをかきつつ喚く少年に対し、子供は地面に身体を投げ出し激しく咽ている。
子供のフードから僅かに覗く口元が、震わせながらも薄ら笑みの形に動いた。
「少し、……派手にやられ過ぎたかな」
その声は苦しげに咽る音と重なり合い少年には聞き取れなかったが、荒い息を吐く子供の方に注意が向くとその体を見て更にギョッとした。
子供の身体は、至るところから出血し投げ出された腕や足には打撲傷があちこちについていて深く負傷を負っていたのだ。そして、背中には光る棒が深々と突き刺さっている。其処から出血はしていないようだが、苦しげである。
何やら訳ありの子供に、少年は顔を顰めた。
「………おめぇ、何者?」
恐る恐る少年は子供に問いかける。一頻り水を出し切ったのか、子供の顔が僅かに動いた。
「………おい、そこの餓鬼」
「は、はいいっ!」
今までの染み付いた癖で、つい畏まってしまった事を返事をした後に悔いる少年。
「これ、抜いて。地味に痺れて敵わん」
これと言って指示しているのは、光の棒。僅かな波動が、少年にも感じられていた。未だに何が何なのか頭がついていっていない少年だったが、縮みあがりつつも子供の身体を引き寄せ抜き取ろうと試みる。
朧げに光る棒に少年が触れようとしたその時、突然少年の視界にふいと影がさす。
少年が顔をあげると同時に上から声が降ってきた。
糸の様に細い目で笑う顔。少年を見下ろす男と目が合い、少年の瞳孔が散瞳する。
「_____キミ、この子返してくれへん?」
少年の顔に影を落とすその男の顔に、何故か少年は恐怖を感じ体を硬直させた。冷や汗がどっと吹き出し、目を反らすことができない。
少年が訳も分からずに固まっていると、男の背後から女性が現れた。微かに翁草の香りがその空間に漂った。
「………市丸隊長?もう帰られたのではなかったのですか?」
「戻るとは一言も言うてへんよ。…それに、お土産何がええって聞いたやないの」
さらりと、こともなげなく言う男は、危険に笑う。
女性はむすっと顔を一瞬顰めたようだが、何も言い返すことは無く今度は少年に冷たい眼差しを向けてきた。少年の膝に横になっている子供は、気を失ったのか微動だにしない。
「速やかにその子供をお引渡し願います。此れはあなたの関わるべきものではないわ」
冷ややかなその声色に、少年の棒に伸ばされていた腕がゆっくりと下げられた。
やっぱり、その場の気分でこんなとこ来るんじゃなかったと内心後悔しながら。
こうして苗字は、死神の手の内に落ちたのだった。
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