視界が真っ白になったのは、飛び込んできた制服の背で視界が埋め尽くされた事が原因であった。
目の前で 紅い華が咲き乱れた。
苗字の血ではない。
「…………14番……?」
瞳孔に、刀で攻撃を食い止めた14番の背が映る。
殆ど譫言のような声が苗字の口から漏れた。己の声すら、何処か遠くの方から聞こえるかのようだ。
立塞がった14番の背が真赤に染まっていき、その中心には体を貫いた虚の爪の先端が瘤のように突き出ている。其れが一気に引き抜かれ、彼女の血が一面に飛び散った。
糸の切れた人形のように、スローモーションに崩れ落ちる14番の体。後ろへ傾いた体を抱きとめる苗字は、まだ現実を前にして頭が働かない。
お腹に空いた穴からは血が止めどなく溢れ出てくる。その傷を覆う手があっという間に血に染まる。迅速に行動しなければならないのに、苗字は茫然としたまま14番を見下ろすだけ。
思考が、完全に止まってしまった。
何がどうなっているのか 分からない。
「______どうして」
どうして。
何で。
其れだけが、苗字の思考を雁字搦めにし行動を硬直させていた。
逃げろと怒鳴る六回生の声も、上から威圧する虚の咆哮も、遠い世界のものかの様に現実味がない。
「_____何 で……」
何で 助けるの。
最早虫の息である14番に、意識があるとは思えない。……が、微かに唇を持ち上げ笑顔を形作った。ヒュー、ヒューッと漏れる弱弱しい息。体中が痙攣に震えている。
ゆっくりと14番を床に横たえさせ、苗字は立ち上がる。フードに隠れ影の落ちている顔からは、何の感情も読み取れない。
丁度、虚が再攻撃を仕掛ける時だった。二人目の獲物にありつこうと、歓喜に裏返った咆哮を上げ襲いかかってくる。
直後 苗字の中で何かが弾けた。
苗字の影が突如無秩序に形を変え、混沌と苗字の四面に吹き上がった。力の波動で衣類も影に揉みくちゃにされる。
虚の攻撃が、目の前に迫っていた。それさえ、苗字は落ち着き払い前を見据えている。
言うべき言葉は、自然ともう解っていた。
空に 刹那 鈴の音が反響した。
「秩序均境、滅」
「____意趣返せ」
低く呟くと同時に鈴が作動し、波紋を呼ぶ。其れが合図だったかのように下から吹き上げていた影が頭上にドームを形作り、間一髪で攻撃を弾いた。
だがそれだけではなった。
苗字らに向けた攻撃と同様の威力が、攻撃をしてきた虚に跳ね返ったのだ。自身の牙に仮面が深々と抉られ、虚は絶叫を上げ消滅した。
更に近づいてくる虚達の気配を察知しているにも関わらず、苗字は力が抜けたかのようにゆらりと両膝をついて14番の近くに項垂れた。
虚の殺戮はまだ終わって無い。だのに、苗字は微動だにせず、放心し虚ろな顔で俯いていた。
だから、六回生の驚倒した叫び声も、苗字の耳には届かなかった。
◇
六回生は先程から、全くの無傷のままである巨大虚を相手に対峙していた。頭からの出血が激しく、目に垂れてくるため視界も何度も赤に染まる。体中に傷を負い、最早立っているだけで精一杯の有様だ。その様子を、狡猾な目付きで観察している虚。じわじわと傷を負わせていき、時間をかけていたぶり殺そうという魂胆なのだろう。それが分かっているのに、何もできない自分が腹立たしくてならない。
先程命令無視をした二回生はどうしただろうか。恐らく、二人とも死んだのだろう。虚は一体だけではないのだから。
再び視界が血で彩られ、何も見えなくなった。拭い取ろうと腕を上げた瞬間、機会を待っていた虚は素早い動きで襲ってきた。
「っ!しまっ……!!」
殺される。
本気でそう思った。
冷や汗がぶわっと溢れ、顔が蒼白となる。
恐怖と絶望の入り混じった悲鳴が口から溢れだし頭が真っ白になった。
………が、よく見ると虚の動きが止まっていた。咆哮を上げたまま固まっている口から、刀が突き出している。
茫然と六回生が見つめる中、虚が粉々になって消滅した。
その煙から現れたシルエットに、目を見開く。
「あ……、あなたは……っ!」
残骸が完全に消え、闇が晴れるようにその全貌が六回生の視界に映った。
「十番隊、日番谷隊長!!」
安堵と、未だ残る恐怖で思わず叫んでしまった。情けない顔をしているんだろうなと思いながらも、構ってなどいられない。安堵が勝り、足の力が抜け座り込んでしまった。
「おい。平気か」
駆け寄って来る日番谷に、六回生は再び真っ青になる。
「ま、まだあそこに二年が……っ!」
その切迫した訴えに日番谷は目を見開くと、険しい目つきで其方を向いた。
暗闇の中、小柄な背が見えた。その小さな個体に新たに群がろうとする虚達の姿も。見えているであろうに微動だにしないその背に向かって日番谷は舌打ちをした。
「後は俺達に任せて、そこで休んでいろ」
「し、しかしっ」
六回生の反論を遮り、日番谷は大量の虚の方へと顎をしゃくった。つられるようにしてその方向を見ると、夜の中虚らに斬りかかっていく死神らの姿を捉えた。その中で一際実力のある鮮やかな桃色の布を肩にかけた死神がいた。恐らく副隊長の松本 乱菊だ。彼女は確かな存在感を持って虚を次々に倒していった。
「………そういうわけだ。お前はそこで大人しくしてろ」
そうか、救援隊が到着したのか……。
目まぐるしく変わる現状に頭がついていかず未だ拍子抜けしたままであったが、その片隅で小さな疑問が生まれた。
………あれ、でもなんで 救援隊がこんなにも早くに来たんだ?
自分は 呼んでいないのに。
そもそもいったい、誰が?
◇
日番谷が座り込んでいる二年に視線を戻した時、副官らの包囲を抜き出た二体の虚が二年に襲いかかろうとしていた。
瞬歩で距離を一瞬にして縮めると、一回の踏み切りで諸共消滅させた。絶叫を上げ消えていった虚らを背に、日番谷は振り返る。
虚の存在に気づいているはずだが、未だ微動だにしない二回生。
フードと袖からのびる鎖が視界に入り、あの子供だと日番谷は分かった。同時に、沸々と怒りがこみ上げてくる。こいつは虚が向かってきても反撃しようともしなかった。足掻こうと思えばいくらでもできたはずだ。だがそれさえしなかった。
こいつは、抵抗もしないで死のうとした……?
だとしたらその行為を、日番谷は許すことができない。
たとえ仲間を守れなかった己を許せなかったとしても。
二回生の抱える少女は、まだ息をしているもののあと数分の命だろう。救護班が向かってはいるが、間に合うかどうか絶望的だ。
日番谷は己の拳を握りしめ、その二回生を睨み付けた。
「てめぇ……、何犬死にしようとしてんだ」
声が怒りで震える。
日番谷は、簡単に諦めて死を逃げ道にする輩が虫酸が走るほど嫌いであった。
一言もしゃべらずに俯いたままの様子を考慮し近づくと、二回生は徐に少女の腹部の傷に片手を翳した。
その動作に眉間の皺を更に深くする日番谷。
「…………」
何かを呟いたようだが、日番谷の耳には届かなかった。更に訝しんでいると半透明の黒い膜が傷口を覆い、朧げに光を放った。
予想だにしていなかった事態に体が麻痺したように動かない。目だけがその光景に釘付けになって逸らせなくなった。
そして、傷が無かったものとされていくように、徐々に復元されていったのだ。
「なん……だと」
眼前の出来事が信じられず、目を見開く。
ありえない。こんな鬼道は無いのだから。
だが心で幾ら否定しても、現実では傷は完全になくなってしまった。膜が消え、衣服は破れたままだが、傷はどこにも見当たらない。
これが、涅の言っていた魂の力とやらか。最初は実しやかな話だと相手にもしていなかったが、目の前で見せられた今認めざるを得ない。
混乱した心を宥め冷静さを取り戻していく日番谷。
これはまた瀞霊廷が騒がしくなると、一人深い溜息を洩らしながら。
「隊長」
そういって地面に降り立ったのは副官の松本。虚の殲滅が終了したのであろう。
此方に近づいてくる副官を振り返る。
「ああ、ご苦労だったな。松本」
だが松本は何かを口にする前に、はっと息を呑んで茫然と立ち竦んでしまった。
少し青ざめた松本の目線の先には、あの二回生の姿があった。横にしていた少女を抱きかかえ此方に背を向けている。
「………松本?」
副官の異変に眉間に皺を寄せる日番谷。松本は呼びかけられると、今覚醒したかのように素っ頓狂な声を上げると引きつった笑みを浮かべた。
「え?!ぁ…別に、大したことじゃないんです。気にしないで下さい」
手をぶんぶんと振り否定しているが、様子がおかしい事は隠しようも無い。その様子に更に疑念を募らせる日番谷だったが、「そうか」と短く答え敢えて追求はしなかった。必要な事であれば、その内彼女自身から伝えてくれるだろう。
この場所にも、そろそろ四番隊の救護班が到着する頃だ。其れまでは、此方で措置を取らなければならない。
命令を飛ばす前に、一度だけ例の子供へと視線を向けた。
この子供は、今何を考えくうを見つめているのであろう。
何か声をかけるべきか迷ったが、結局何を言えばよいのか浮かばず、日番谷は後味の悪いまま部下に命を飛ばすべく隙の無い動作で踵を返した。
◇
____………
「別に大怪我はしていない、このぐらい自然に治るから」
苗字はまだめげずに治療をしようとする女性の死神を一瞥した。
「触らないで」
その声に一瞬で青ざめた死神は、短く悲鳴をあげると同時逃げる様に苗字から離れた。睨み付けたわけでも、脅したわけでもない。だがその一言はそんなものよりも強い重圧で相手を委縮させていた。
あれから一夜が明けた今、苗字は真央霊術院へ戻されずに何処だか分からないが、見知らぬ部屋へと収容されていた。
今は部屋の隅に座っているのだが、周りがやたらと世話好きで居心地悪くて仕方がない。
苗字自身もあの夜己が何をやったのか理解できていなかった。何かに導かれるように、自分一人でやったとは到底思えなかった。ただ脳裏に何を唱えればいいのかが浮かんで、無心で其れを唱えただけ。特別な事をした自覚なんてなかった。だが其れをしたことで己の周りに変化が起きたことは明白で、なるべく早く副局長と会う必要がある。だが今は動きようがないというのが現状だった。
あの力、もしかしたら回復・治療用の鬼道である回道と酷似した力なのかもしれない。だが、それだけで済む単純な代物ではない予感もまたしていた。
14番は今何処にいるのだろうとふと考えていると、全く別の気配、霊圧が近づいてきた。一人のようだが、此処の者達よりも亡霊らの気配が強い。
その人物が入って来ても、苗字は顔を上げようとはしなかった。
「名前君………だよね」
聞こえてきたのは、女性の声。
確かに彼ラの存在は感知できるのに、鼓膜を劈く程の叫喚は然程しない。抑圧している、苗字は瞬間的にそう感じた。
苗字は微かに頭を持ち上げると、真っ先に腕に巻かれた腕章が目に飛び込んできた。書かれた数字は四。身長差はかなりありそうだが、苗字に合わせ膝を折っている行為に彼女の人の好さが窺える。
「副官の御身分が何の御用向き?」
苗字が機嫌を損ねていると思ったのであろう。途端に彼女は申し訳なさそうに眉を寄せた。
「………御免ね。できれば君を振り回すようなことはしたくないんだけど、隊首会で決定された事だから」
苗字は目の前の彼女の顔を垣間見る。如何やら本心からの言葉らしい。そういう者ほど、苗字にとっては扱いづらかった。
沈黙を重苦しく感じたのか、彼女は持ってきた風呂敷包みを開けながらぶつぶつと小言を洩らしていた。
「あれ、おかしいなぁ………。以前着ていた衣類からちゃんと採寸したはずなんだけど」
広げられたのは、死覇装。
如何やら苗字用らしいが、明らかにサイズが違うことに戸惑っているようだ。
「これで結構。前々から大きいサイズしか着ていないし」
其れを受け取りながら、隊首会での決定に同意するかたちとなった苗字。こんな形で、然もこんなに早くに就けるとは思ってもみなかった。
死覇装を着終ると、其れを見計らって何故か背を向けていた副官の彼女も此方を振り返った。
「う〜………ん、大分肩の辺りが危なそうだけど、フードで隠れるから問題はなさそうね。じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「………配属されたのは四番隊?」
「うん、そう。君は四番隊の補佐として正式に……ってわけではないんだけど、配属が決定されたの。私は四番隊副隊長の、虎徹勇音。宜しく」
差し出された手を見つめたまま固まる苗字の様子は、まるで戸惑っているかのようにも映る。暫く躊躇していた苗字だったが、手の甲を袴に激しく擦りつけ拭うと、不器用な握手をかえした。
その動作を不思議そうに眺めていた虎徹に、今まで頭の隅に引っかかっていた事を苗字は口にした。
「行く前に、寄りたいところが」
◇
両脇を固められ、真面に動けない状態で苗字は歩かされていた。前は副隊長が歩き、苗字は警備された体制に辟易とする。表向きはそうは思わせないようにしているようだが、またその小賢しさや半端な気遣いを苗字は察していた。彼女たちは苗字に対し不快な思いをさせたくないのだろう。其れだけ幼く、まだ未熟と考えているから。
其れを苗字は語らずとも洞察し、理想に近い人間像の知識へ参考要素として盛り込んだ。
苗字の脳内で何が成型されているかも知らぬまま、彼等はある場所へと行き着いた。苗字が中に入ろうとすると両脇の奴らもまたついていこうとしたので、気を利かしてか虎徹が其れを制す。
中に入るなり、軟膏や薬品の匂いが鼻をかすめる。技術開発局へいた頃の見知ったあの匂いとは別で、不快感は無い。
此処は、真央霊術院の生徒が講義中で起きた体調不良や怪我を治療する医療室である。幾つものベッドと、仕切りをぬって進むと、少女が一人ベッドに寝かされていた。
14番だ。
気だるげに背を預けてはいるものの、外傷は全くないようだ。
苗字がベッドの横へ歩み寄ると、相手もその姿を捉えるなり目を見開いた。
「………名前君?」
「こんにちは、14番」
あの惨劇などまるでなかったかのような飄々とした挨拶に、思わず絶句してしまっている14番。苗字に対し片や14番は、あれからずっと先のことが頭から離れていなかったのだろう。拍子抜けしていたかと思いきや、今度は顔を歪ませて子犬の様に震えだした。
「………私、分からない。あの時確かに、虚に串刺しにされて、だって、名前君が、名前君がぁっ……」
「14番、落ち着いて」
苗字は14番を落ち着かせようと震える肩に手を伸ばすと、14番は其れを縋りつくように握りしめた。
「わ、私………もう何が何だか……怖くなって、でも、でも、それでも、私っ………!」
「………。14番」
「____御免なさい!」
むせび泣き、消え入りそうな声を絞り出し、様々な感情の入り混じった声でそう言った。
「………あの時は、御免なさい……」
もう一度、心からの謝罪。
苗字は直ぐに、初めて14番が怒鳴った時のことだと分かった。だからこそ、相槌を挟む必要は無かった。
「………あんなこと、言うつもりじゃなかったのに、勢いに任せて私、酷い事言った。………名前君は何も悪くないのに。ただ、悲しくて……」
あの時と同様に、涙を流す14番。
しかし、何かを伝えようと必死になっている。
14番もまた、苗字と同じことを気にかけていたのだ。
14番は謝ることを。
苗字は14番の本心を。
この世界で、時間ほど貴重なものは無いのかもしれない。死んでしまえば、その思いすら聞くことが出来ないのだから。
知らぬ事は、恐ろしい事だ。いつ死ぬかも分からぬ者にとっては、尚更。
「あの時、何を言おうとしていたの」
え?、と顔を上げる14番。
苗字は、ただ其れを聞くためだけに此処へ来た。
己に近づく理由、殺傷か利用以外の理由を、まだ知らないから。
今まで出会わなかった部類を異常と思わず、初めて興味を持ったから。
どうして話しかけたの。
どうして涙を見せたの。
幸せを、幸せだと感じられる貴女が眩しかった。
だから………________
何を、言おうとしていたの
「………友達」
消え入りそうな14番の声が、沈黙を破った。
「友達に、なろうって………」
只誰かのために監視するのではなく、仲良くなるために、友達に。
単純で、しかし明白なその答えが、昔どこかで聞いた言葉と被った。
その問いに、記憶の中の幼子は、「もう、なっているじゃない」
そう言っていた。
そう言えば、14番もまたその子供のように笑ってくれるのであろうか。
だが、同じように言えるほど今の苗字には自信も、強さも無い。
「早く死神になって。待っているから」
其れが、今14番に向けて言える精一杯の言葉。
14番は今初めて死覇装に気が付いたのか息を呑むと同時に、苗字は踵を返して出て行ってしまった。
苗字を待っている、あの死神達の元へと。
戻|進