死神への配属も、真央霊術院同様歓迎されているというには烏滸がましいほど、冷ややかなものだった。その場へ足を踏み入れた途端警戒心剥き出しの目で苗字を凝視する。中にはまだ友好的な部類もいるが、快く思われていない事は漂う空気で分かった。唾棄すべき相手だと言っているようなものだ。侮蔑のこもった眼差しと冷遇に、80地区の頃と重なる。
進むにつれ、彼ラの密度が増していた。
憎悪と仇怨の悲鳴が苗字の耳を侵蝕する。
この時ばかりは、この羅列の聞こえない彼らがお気楽に見えてならなかった。それ程、それらは世界を侵蝕している。
四番隊の隊舎に入るなり、空気が一変した。
彼ラの気配が急速に萎み、隊員らの威圧的な姿勢も皆無。目には、恐怖感や不安、拒絶の色の方が著しく表れている。明らかに、戦う前から負けを悟った敗者の目だ。真央霊術院で生徒達が、声色合わせて四番隊には断固入隊したくないと言っていた理由がこれではっきりした。
副隊長に連れられある一室に通されると、奥に此方に背を向けている人物が立っていた。苗字らが入ってくるとその人物は振り返り、穏やかにほほ笑んだ。
「ご苦労でした、勇音」
卯ノ花隊長は部下を労うと、暫くの間二人きりにするように告げると、他数人と共に部屋から下がらせた。
苗字は一定の距離を保って、卯の花隊長と向かい合った。
「久しぶりですね、苗字」
「その節はどうも」
卯ノ花はあら?と首を傾げて目を見張る。
「以前よりも大分口調が良くなったようですね。霊術院で多くを学んだようで何よりです」
「まぁ、そういう事にしてくれていい」
「………掴みどころの無いのは相変わらずですね」
「博徒の専売特許だよ。褒めてくれるとは嬉しいね」
飄逸的な物言いに、再び温和な笑みを向けられる。
苗字の目には、胸中の内をその笑みで覆い隠しているように映る。表向き通り優しい人なのだろう。だが、その暗い淵が確実に存在することを苗字は初対面のうちで感ずいていた。なぜそれをひた隠しているのかまでは不明だが一見害のなさそうなものに見えなくもない。だがその頻闇の昏さには、刀の冷ややかさを彷彿させた。
其れでなくとも、彼女から滲みだす霊圧の気だけで、見かけに騙されてはいけないことを物語っている。完璧に隠しているつもりのようだが、苗字の目は誤魔化し切れない。
「………入隊の前に、一つ試させて頂いても宜しいですか?」
「試す……筆記試験?」
突然の申し出に白々しく答えるものの、怪訝がる苗字。
一瞬卯ノ花の霊圧が水を打ったように静謐となり、苗字は目を見開く。
「___いいえ」
言うが早いか、今まで抑圧し押し止められていた霊圧が堰を切ってなだれ込み、彼ラの気配もまた煩雑と飛び散り、叫びが狂気となって苗字に襲いかかった。
「………っっ!」
吐き気をもよおさせるほどの絶叫と万感に、深怨が苗字の辺りを這いずる回る。充溢した咎と憎悪。貫盈した空間に、喧聒な囁きが禍々しく空気を歪めている。
「………何故、固まったままなのです?」
その穏やかな声色は、明らかにこの場には不釣合いだった。その優しさは更に場の空気に異物を差し、殺伐とした空間に彩った。
「殺気が無いから」
口を開き言葉を発するのさえ億劫で、只一言のみしか発せられない。だが彼女を満足させるには、事足りたらしい。
彼女からの霊圧は相手を気圧させるほど膨大で強力だが、80地区では空気と同じだった殺気は無かった。
他にも根拠は上げられたが、黙秘することを賢明と苗字は判断し口を閉ざしてしまった。
苗字が黙ってしまうと、じわじわと霊圧が引いていくのを感じた。同時に耳も正常に戻っていく。前に視線を向けると、当の本人は相変わらずの笑顔だった。あれを見せられた後では、好意的には見ることが出来ない。
「私の霊圧を受けても顔色一つ変えないのですね。魄睡さえ判別できていないはずなのですが」
「副局長にも同じことを言われたよ」
平然と答えるものの、体にはまだ余波が残っている。歓迎の印としてか手を握られるも、苗字の笑顔は見分けが出来ないものの幾ばくか引き攣っていた。
「ようこそ四番隊へ。貴女を隊員として歓迎します」
◇
「………彼女、どうでしたか?」
先程までいた苗字は、入隊に伴う説明を幾つか受けると用意された自室へ案内されていった。虎徹は其れを見計らうと、畳に座り共に茶を啜っている隊長へ最も聞きたかったことを尋ねた。
「貴女は、どう見ましたか?」 「へ?!わ、私ですか?」
逆に問い返されるとは思っていなかった虎徹はあたふたとしたが、苗字と初めて会った時の悪寒を感じ、顔を引き攣らせて体を縮こませた。
「………上手くは言えませんが、余りにも漂わせる気配が普通過ぎて、逆に玄虚なものを見ているようで、竦然としました……」
アレは、言葉でどうこう言えるものではない。
表現するとすれば、それは静影。
水面下に映る月を捉えられないように、苗字という少女は捉えどころがない。まるで正面に人などいないのではないかと思われるほど稀薄であり、自我を感じない。その少女の飄逸的な笑みが更に少女の存在に歪みを与え、虎徹は流れる汗を冷たく感じた。
「何も言いませんでしたが、私があの子に恐怖を感じた事、視認していたと思います。………只の憶測ですが、あの一時で、心中まで見透かされたような気分です」
「恐らく、気づいていたでしょうね」
卯ノ花隊長はそっと湯呑を置くと、小さく溜息を洩らした。
「勇音が外から霊圧が漏れぬよう結界を張った直後に、彼女は微かに笑っていました。何をする気かと、私に無言で問いかけた。彼女は瞬時に相手を洞察する事に長けているのでしょう」
そうだったとも知らなかった虎徹は、静かに語る隊長の言葉に息を呑む。
「………。彼女には不本意に関わらない方がいいかもしれないですね。勇音のためにも、彼女のためにも」
「え?」
茫然とする虎徹をよそに、縁側へと視線をずらす卯ノ花隊長。
「彼女が怖いのでしょう。関わらない方がいいと、拒絶は別物です。しかし、深入りや詮索はお止めなさい。……此方が彼女の淵へと堕ちるかもしれません」
心底怖がりな虎徹は、ただでさえ少女とこれからどうやっていけばいけばいいのか分からず途方にくれているというのに、かたや隊長は嬉しそうに、「良い子が入ってきてくれて嬉しいですね」とお気楽そうに笑っている。
虎徹は、どうしたって笑う気分にはなれなかった。
◇
「は、初めまして。四番隊第七席の山田 花太郎ですぅ………」
間延びした声に、へなりとした緊張感のない顔。苗字の目には金ずるにするのには格好の鴨に映った。
苗字が造り出す贋物ではなく、本物のヘタレ少年が此処にいる。
話は少々遡り………。
四番隊への入隊が決まった苗字は、その中の十四班に身を置くこととなった。卯ノ花には其処の救護班班長に世話を任せたそうで、何でも聞くようにと言われた。
ということでその直属の上官にあたる人物に挨拶がてら対面したのだが、拍子抜けするほど気が抜けている少年だった。
そして現在に至り、珍人間を見る目つきで山田を観察している。気の弱さを象徴するかのような眉を描きヘラヘラと笑っている少年からは、霊圧が感じられてはいるものの、彼ラの気配は皆無。怨み事とは縁ほど遠い位置に見るからにいるからか。
私とは、180度正反対な人間。
お初に見る事実に、苗字はフードの奥で目を細め黙識した。
「此方こそ。無骨者ですが、どうぞ宜しく。第七席さん」
「えぇ?!七席なんて、気恥ずかしいですからやめてくださいよぉ。皆みたいに、山田とか花太郎って呼んで下さい」
「じゃあ十四班上級救護班班長、で」
「………そんなこと、呼ばれたことも無いのに……」
そんな山田もお構いなしに、苗字は持っていた包みを山田の前に差し出した。
「お近づきの印に、どうぞ」
「いいんですか?!」
可愛らしくデコレーションのされたクッキーに喜んで腕を伸ばす山田へ、苗字は真顔で言った。
「毒入りですけれど、どの効果がいいですか」
何味がいい?…と問うように毒と口にする苗字に、山田は破顔した顔のまま硬直した。
◇
「…酷いです……。心臓に悪すぎですよもう………」
「悲鳴を上げるなんて辛辣な。何処でもやるものだと思ってた」
「………それ、何処でやってたんですか?」
「80地区」
「…………」
再び蒼白になる山田。この反応は新鮮だなと流し見る苗字。
「本当は十一番隊にやると面白いぞって言われていたのだけれど」
「そんな命知らずな事、一体誰に言われたんですか?」
「技術開発局の副局長」
そんな雑談を苗字の放縦さに合わせて途切れ途切れしつつ、山田によって苗字は案内を受けていた。いつもこなしている雑務に業務の仕方、又何処に何があるかなど細部にわたり山田は話してくれていた。
今は光条の中で塵が煌めく、少し黴臭い空気が鼻に付く貯蔵庫に入っている。
「僕からの忠告なんて煩わしいとは思いますが…。十一番隊とは極力関わらない方がいいですよ。僕ら四番隊を毛嫌いしていますから……」
「戦闘能力皆無の救護・補給専門だと?」
「うっ……、ま、まぁそんなところです」
苗字は苦笑いを浮かべる山田に背を向けたまま、貯蔵庫の古い書物に目を通しながら徐に呟いた。
「斬魄刀で己の力をひけらかす輩は、其処どまりという事。貴方が尊敬する、四番隊隊長の様に堂々としていればいい」
苗字の言葉に、ぽかんと口を開けていた山田は満面の笑みを浮かべ「はいっ!」と元気よく頷いた。
確かに苗字曰く『四番隊の男は虫より警戒心がない』が、無くてはならない役職を担っている。自信が消失していたとしても、馬鹿にされ阻害されるいわれはない。それぞれ異なった任があってこそ、組織は正常に機能するものだ。その言葉に、山田が励まされたとは露にも思っていなかったが。
その言葉を機会に、今まで苗字に対し緊張していたようだった山田からぎくしゃくとした雰囲気が消えていた。苗字の事は会う以前から噂で聞いていて、何処か別次元の者の様に思っていたのだろう。
四番隊の隊舎は思いの外広く、見終わるのには随分な時間を要した。其れが終わった今、何故か苗字は山田と共に十一番隊隊舎付近の害虫駆除に付き合わされていた。
何でも四番隊は普段することは殆どなく、そのこともあってかよく他隊に雑用を押し付けられるらしい。根っからのお人好しな山田などは断れないから、いいように使われてしまうのだろう。そんなわけで、本日は食堂に出入りするネズミとゴキブリ駆除が主な雑用らしい。死神を気嫌いする苗字にとっては、虚を相手にするよりもましだと早くも仕事が板に付いていた。
「僕、実を言うと、苗字さんの事を聞いたときから親近感を抱いていたんです」
苗字が梯子を上り天井にぶら下がったまま作業をしていると、突然の山田の言葉に作業の手を止め下にいる山田に視線だけ向けた。
「何で」
「確か苗字さんの能力って、傷の事象を無かったものにする治療能力とか、相手の攻撃を同等な威力をもって弾くものですよね?僕の斬魄刀の瓠丸も、同じような能力なんです。他の隊の人たちには使い物にならないって言われるんですけど、同じ人がいると思うと嬉しくって」
自嘲気味に笑って首の後ろをおずおずとかく山田。ふぅんと気の無い相槌を打つと苗字は作業に戻り、殺虫剤を仕上げに適当にぶちまけると色々と手抜きされた部分があるものの終りとばかりに器用に伸びをした。
「有難うございますー、僕の作業を手伝わせちゃって………」
「それよりネズミの死骸どうする?」
「えっとぉ〜………、捨ててください」
「残念、美味しいのに」
「ええぇ、駄目ですよ食べちゃ!」
「食べたのは賭博仲間。猪の肉だって嘘ついてやったら美味そうに食べていたから。猪と同じくらいには美味しいんじゃない?」
「………なんだか、凄絶とした生活ですね」
「此処の方が、異常」
苗字の低く呟かれた声をよく聞き取れなかったのか聞き返そうとする山田だったが、第三者らの登場で阻まれた。苗字の視線は既に、その方へと向けられていた。
「お、四番隊の腰抜け共がやっと来やがった。さっさと綺麗にしてくれよぉ?」
ぎゃはははと下品に笑う十一番隊の隊士らが入って来た。鍛錬を今までしていたのか、額にはぎとぎとの汗と共に前髪が情けなく張り付いている。
「………いや、あの。今丁度終わったところで」
「はぁ?聞こえねぇなぁ。何々、掃除もするだぁ?こりゃあいい!!役立たずは役立たずなりに気が利くじゃねぇか」
再び下劣な笑い声が起こる。その中の一人が劣化した箒を山田に叩きつけ、さっさとやりやがれと怒鳴った。
その様子を横目で瞰視していた苗字だったが、慄きつつも従おうとする山田を虐めることに飽きたのか次の標的と定められたらしい。
「おい、其処の餓鬼もさっさとやりやがれ!ピーピー泣くほど痛めつけられてぇのか、あ゛ぁ?!」
「見ろよ、フードの餓鬼だ。ありゃあ例の四番隊に入隊したっつー奴だぜ。あんな餓鬼のお守を任せるには使えねぇ四番隊が打って付だな。流石の俺も同情するぜ」
苗字は身を起こし、座っていたつっかえ棒から身を躍らせた。冷や冷やしながら此方を見つめる山田の心配もよそに、苗字は殺虫剤を振りながら彼等に近づくとその醜悪な顔に一瞬の躊躇もなく殺虫剤をぶっ掛けた。
目にダイレクトに襲う激痛に、男は悲鳴を上げのた打ち回った。
「て、てめえ何しやがったぁぁ!!」
「成程、ゴキブリの駆除は無理そうだな」
悶え苦しむ男をよそに、冷静に殺虫剤の威力を試して批評しているその無反応に辺りの空気は沸々と怒りで煮えたぎっていった。
「………勝手に訳の分からねぇ話をごたごた言ってんじゃねぇよ、餓鬼……」
唖然と突っ立っていた別の男に殺気をやどす目で凄みを利かされるものの、苗字は逆に煽り立てる様に小首を傾げた。
「己が一番と自負する虫によく利くらしいが、あんたらに利かない処を見ると効果は期待できそうにないようだ」
「苗字さんんんんん?!!」
明らかに挑発的な言い方と突然の豹変っぷりに奇声にも似た悲鳴を上げる山田。
「いってくれるじゃねぇかこの餓鬼がぁあ!!」
案の定ぶち切れた十一番隊の隊士達は額の青筋を浮きだたせながら苗字に総出で襲いかかって来た。
一人瞬歩の出来る奴がいたらしくそいつは苗字との距離を一瞬で縮めてきたが、もう見慣れた動きに苗字の体はそれ以上に早く反応を見せた。ごつい鉄拳を難なく避け膝を男の溝内に食い込ませると、俊敏にまた新たな男の方へと身を躍らせ死角に回り込み長机の角にその顔面を打ち付けた。
誰も苗字の行動を予想できず、傍から見れば理不尽にやられていき、遂には苗字よりもはるかに体格の良い大人を計七人床に接吻させる結果となった。
「後始末はてめぇらでやっとけよ、先輩方」
其れだけ冷ややかに、また底冷えするほど威圧的に吐き捨てると、苗字は欠伸を洩らして出て行ってしまった。後からわたわたと山田も追う。
『こ、こいつマジで四番隊ですか_______っっっ!!!』
其れがこの場にいる苗字ら以外の、満場一致の心の叫びであった。
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