四番隊での仕事を午前中早々に仕上げた苗字は、一人隊舎から離れ双極の丘にいた。断崖絶壁に腰かけ、死覇装を弄ぶ風の中に身を置いている。背にしている双極からは、小さな苗字を飲み込んでしまうほどの莫大な怨憎の気が、何時爆発するか危惧するほど充溢していた。人であらざる姿が、影の様にじわじわと動き口が裂けるほど開いて衆憎を囁いている。その全てを、苗字の小さな背は背負っていた。
 此処は、幾多の命が消滅した死刑場。
 これだけ離れていても、頻闇の中にいる影の濃さが心中を覆う。だが故意に苗字はその空間に身を投じる。四番隊の影響下から久々に離れると、此の頻闇が居場所だと痛感させられる。
 この凄絶とする積怨を、苗字は忘れるべきではないのだ。忘却することを妨碍するかのように、それは精神までも抉り、悪夢となり、眼界へと現れる。
 今日は快晴日なはずが、苗字の目には影の方が異常に際立って見える。そんな他人とのズレを、苗字は湮滅させていた。最初こそ抱かれていた懐疑心を侮蔑や白眼視に変え、今では無用の長物呼ばわりだ。そうなればあの稀少な復元能力も、無能の産物と印象づけることは容易いことだった。
 
 拡がる影。
 貫盈する眼界。
 
 対照の物を欲してしまうのは、人間共通の咎なのだろうか。
 苗字にとって、決して手にできない物。
 苗字の脳裏を微かに掠めていったものに、小さく顔を顰めた。悶々と考えるものの、糸口は手からすり抜けていき思い出せない。其れが物寂しさを増し、隔たりを感じさせた。

 虚ろな瞳を一旦閉じ、徐に再び開ける。

 「…黒い目の娘は、我が儘で、壊しては玩具をねだり。…青い眼の娘は、食いしん坊で、世界をすっかり食べ尽す」
 口から紡がれたのは、幼い頃から詠っている里謡。この場にいると、無性に詠いたくなるのだ。
 だが亡霊ラの首の動きで、唄は途端に止んだ。誰かが近づいてきている。

 苗字は首を竦めくうを見つめていると、自分の名を叫ぶ声が聞こえたかと思うや否や背中に何かが重く圧し掛かってきた。じんわりと伝わってくるぬくもりに、今自分が抱きしめられている事に気づく。
 「名前ちゅあ〜っん!お久しぶりぃ〜」
 余りにも対照的な剽軽声に、苗字は聞き覚えを感じて微かに後ろを振り返った。
 「これはこれは、七番隊隊長さん」
 「いやぁ八番隊なんだよねぇ、僕の隊は」
 記憶を修正しつつ、まだ不服そうな京楽を不思議に思う。特に用事も無さそうなのに執拗に構われるのは心外だ。
 「遊んでほしいのですか」
 「えー、反応薄いねぇ。なんかさぁもうちょっとこう………キャー隊長止めて下さいよぉとか、抱き付かないで下さいーとか、嫌がられた方が燃えるもんでしょ。わからないかなぁ〜」
 何故か急に熱く語りだす京楽。されるがまま、に慣れている苗字にとってこの場面でどう反応すればいいのか参考になる事例がなかった。
 「お客様としてであれば、そう致しますよ」
 其れしか浮かばず言った言葉に、京楽は一瞬憐情を浮かばせ顔をこわばらせたが、優しく苗字の頭を撫でた。
 「もう君は芸妓じゃない、立派な死神なんだから、僕は名前ちゃんにそんなこと言ってほしくないな」
 諭す声色に、遊女であった頃を忘れさせようとする危惧と、其処での苗字にもたらした影響を気の毒に思われていることを感じた。苗字の今まで歩んできた過去の拒絶かもしれない。其れを喜んで受け取るべきなのかと違和感を覚えてしまうのは、情交というものから今まで程遠いかった苗字にとっては常な事で、今だに自分には不釣合いなものとして心が拒絶を働く。頭でそのメカニズムが分かっているとしても、見返りを求めない“思いやり”という名の感情は矢張り苗字の存在を不安定にさせた。
 「………なら今度は、逃げ回ってみることにします」
 「ほんと?!捕まえ甲斐があるねぇ」
 そういうと気の抜けた顔で更にでれっと笑う京楽。その行動はなんだかんだと頼りなくも映るが、矢張り隊長格という事もあり底知れ無さを感じる苗字。口にこそ出さないが、この人物もやる気が掛れば厄介になりそうだと、苗字は京楽の膝に座らされつつ黙識した。
 「さっき謳っていたのは、何て歌だい?」
 どうやら大分離れた処から見られていたらしい。
 「昔聴いた、童歌です」
 興味深げに相槌を打たれるが、苗字は詳細を語る事を拒んだ。
 「………ところで、名前ちゃんもサボりかい?卯ノ花隊長を掻い潜るとは度胸があるねぇ」
 「私は休憩、八番隊隊長さんは穀潰し。其れを同意というなら八番隊隊長さんも相当な度胸持ちですね」
 「いやぁ………、名前ちゃん意外と辛口だね………。痛い痛い」
 どこか軽薄な振る舞いで後頭部を掻く京楽。その後膝に乗っている苗字をあやしながら、自隊の副官の自慢話をつらつらと話し出した。其処から感じられる彼の溺愛さと、二人の間にある絆。80地区にそんなものが果たしてあっただろうかと考えてみたが、存在していたのは戒めという名の楔だけだ。
 ふと苗字の脳裏に、今まで気になっていた疑問が浮かび尋ねてみることにした。
 「礼儀正しい今の世というものは、常なことなのですか」
 ぽつりと漏らした苗字の言葉に、京楽はキョトンとした後考え込むように唸った。
 「う〜ん、そんなに此処は礼儀正しいものかねぇ?気楽なものだよ?」
 「只の皮肉です」
 「ん、皮肉?」

 「暴力を回避する本質を。暴力や脅し以外の解決方法を、私は知りません。其れに耐えられない人間を、此処に来て初めて知った」
 「だから毎回乱闘騒動を?………僕は争い事は嫌いだなぁ」
 「其れが最も効率的且つ穏便に済む方法なのに」

 京楽は苗字を抱えながら、久々に苦心していた。
 この少女の動作や知識は、80地区と遊郭で蓄積させた知見と無情によってのみ成り立っている。それ故に、少女の視野にはこの世界が異質に映っているに違いない。その原理を少女自身理解していたとしても、共感ができないのだ。つまり、自分のものにできていないということ。
 だが、此れは感覚的な差異だけによるものなのだろうか。
 少女の心に寄り添おうとすればするほど、するりとすり抜けてしまう今の現状は。あまりにも、自然に。故意にとは思えないが、人と話していて、こんなにも他人の本質を見失ってしまう事は、死神になって二度目の事だ。そう、過去にも一度だけ、同様の思いを胸に抱いた。
 京楽は、大人しく股の間に挟まれつつも金目の物は無いかと物色する苗字を見つめる。
 のらりくらりとしているだけで、己と同じようにも見える。
 だが、矢張り性質的に異なっているように見える。
 
 思考するのも疲れ、悪乗りをし返してくる苗字とじゃれ合うのを楽しんでいると、「京楽隊長」と自分を呼ぶ声に振り返った。
 「おやぁ?卯ノ花隊長じゃないの」
 そこに立つ卯ノ花は、振り返る京楽に対し小さく会釈した。
 「その様な処で、然も御一人で何をなさっているのですか?」
 「ん?一人じゃないよ、僕は名前ちゃんと親睦を………」と言いつつ顔を戻すと、先程までいた苗字の姿が消えていた。
 「どうやら、まんまと逃げられてしまったようですね」
 目を点にして固まる京楽に対し、苦笑を浮かべる卯ノ花。完全に見失ってしまった京楽はつられて苦笑いを浮かべると、肩を竦めた。
 「残念、飲み会に誘おうと思ってたんだけどねぇ」
 「其れは私が反対致します。名前には悪影響ですから」
 「おやおや、ヤキモチ?珍しいねー」
 「ふふ、貴方が気に入られたとしても、あげませんよ」

  顔を見合わせ、声を上げて笑い合う二人。

 「………それにしても、名前ちゃんが瞬歩できるとは知らなかったな〜」
 「御存じありませんでしたか?あの子は、霊術院での白打及び瞬歩の成績が抜きん出ていたのですよ」
 「へぇ、結構真面目なのね」
 「見えないところで努力しているのでしょう。………それで、あの子を詮索なさるほど、構われる理由は何です?」
 京楽は大きく伸びをするとごろんと横になり、卯ノ花はその横に静かに立った。
 「う〜ん………。どんな子か、気になって、ね」
 穏やかな顔で、更に目を細めた。初めて会った時の事が脳裏をかすめる。
 「な〜んか見ていてほっとけないというか、知りたくなるというか………。わかる?」
 「いいえ、分かりません。其れはどこぞのストーカーさんの心理ですか?」
 即答にバッサリと切り捨てられた京楽は、胸を抉られる。そんな京楽に、卯ノ花は嫣然とほほ笑む。
 「………ですが、其処が名前を妖人にたらしめた所以であるのではないでしょうか」
 
 「………っていうか、何時から呼捨てで呼ぶ仲に?」
 「ふふふ、何時からでしょう」
 「ええ?抜駆けなんてずるいよぉ!」
 悲痛な叫び声を上げる京楽であった。





 本日の仕事………もとい涅からの非現実的な要求をこなしていかなければならない労働からやっとのことで解放された阿近は、深い溜息を吐いて自室へ入った。今の給料では明らかに元が取れていない。こき使われる社畜とは当にこのことだ。
 苗字から手を引くようにと上から命令を下された頃は手が付けられないほど機嫌を害し、過激な実験に手を染めていたが、今は大分ましになっている。其れでも盗聴器やらを壊された時は激怒し再び手を付けられなくなる。日々その繰り返しだ。
 そう言えば、最近苗字を見かけない。
 あの餓鬼が死神になってからだ。
 ふと苗字の事を思い出すものの、思い出したことが無性に腹立たしくなり、即刻頭から消し去るため思考が吹っ飛ぶほど熱い湯船につかった。
 今日の実験で使用した虚の体液が付着した辺りを、念入りに擦る。こんな時でさえ煙草を咥えているのは、流石ヘビースモーカーと言うべきか。
 
 ゆっくりと湯に浸かること暫し………。
 突然、何の予測も無しにガラリと戸が開け放たれた。
 「おいおい酒がないぞ、色男」
 其処には無遠慮に、硬直した阿近に視線を向けている苗字が立っていた。

 長い沈黙がおりる。
 拍子抜けした顔のまま、体を固めらせている阿近。
 「…………。風呂出たら相手してやる、それまで部屋で大人しくしてろ」
 「此処も実質的には部屋」
 「………個人空間領域侵犯として卯ノ花隊長に……」
 「うん、早くしてね」
 みなまで言わせずそう言うと、素直に出て行こうとする苗字に、用心のためと付け加えた。
 「窃取はするなよ」
 「恐喝はいいの」
 「悪辣だな」
 無遠慮に浴室に、そもそも不法侵入する苗字は変人を通り越し悪質だが、その行動に対し然程反応を示さず調子を合わせられる阿近もまた、常識外れとは言えないだろうか。傍から見れば、何とも突っ込み甲斐のある二人の対話である。

 数分後、部屋に入って来た阿近の目に飛び込んできたのは、部屋のど真ん中にどっかりと腰を下ろし徳利ごとあおっている苗字の姿だった。眦をつり上げている阿近にお構いなしにとって付けたように苗字は笑った。
 「ははは、羞恥心の欠片も無い男ですなぁ」
 「餓鬼に見られたくらいで動揺するか」
 他人の部屋というのに気を使うそぶりすら無い苗字に、阿近は呆れるしかない。
 「………で、部屋にまで侵入してきた理由は。来るなら技局の方に来い」
 「余り頻繁に会えば不自然でしょう。其れに、………」
 厄介な者に目を付けられたかもしれないという仮説もまた、油断ならない事実だ。苗字は内心で考えた事ではなく、別の事を阿近に告げた。
 「技局よりも他隊の方が可愛い子が多いから」
 再び声を荒げようとする阿近だが、此れでは埒が明かんと相手にしないことにする。苗字もまた無視を予想してか、全く意に返さない。
 「入隊早々、やらかしたそうだな。四番隊じゃ歓迎されたか」
 阿近の問いに、酒を飲んでいた苗字は少々間を空け含みをおびた笑みを浮かべた。
 「………化物を見る目で見られたよ」
 薄らと笑ったことに阿近が気づくよりも先に、苗字の笑みは一瞬にして拭われてしまう。
 「其れよりも、あの件は上手く処理してくれた?」
 苗字が不意に口にしたあの件というのは、あの力を作動させた現世での映像を一つ残らず抹消するよう以前内密に頼んでおいた事だ。念には念をという程度の措置だったが、今になって思えば正しい処置だ。
 「お前は簡単に言うが骨の折る作業だという事を忘れんなよ。内密にやれとか、俺を殺す気か」
 「でも、出来たのでしょう。有り難う御座いました」
 「………お前な、頼むんならもっと普通にできねーのか」
 その頼み方というのは、菓子の包みを阿近に持っていくようにと山田に嘯き、持っていかせたのだ。然も饅頭の中に紙が忍ばせてあり、何も知らずに口に放り込んだ阿近は咽喉を危うく詰まらせかけた。おまけに饅頭は糞不味かった。
 「いや、男の口説き方なんぞ知らん」
 「そのたまに爺くさくなるのやめろ」
 阿近は煙草の煙を燻らせつつ、無関心な素振りで言った。お互い、視線を交えることもしない。
 「用が済んだら酒を置いてさっさと帰れ」
 やっと徳利を置き話す気になったのか、阿近に向き直った。
 「此処からが、本題」
 苗字は腰にぶら下げていた刀を、阿近の方に投げて寄こす。
 「斬魄刀の能力、憶測だけど霊圧の使役・支配かもしれない」
 「霊圧?何を根拠に………」
 眉を顰め怪訝を隠しきれない阿近に対し、苗字は更に告げる。

 「私には、相手の霊圧を視覚化できるという事」

 ◇

 薄々気づいていたものの、確信を持った瞬間は、初めて隊首会へと連れ出された時の事を卯ノ花が聞いてきた時だ。あの一言で、己の斬魄刀の本質に気づいた。

 『______お前たち、一体いくつの霊子抹消してきたんだ』

 あの場で、朦朧とした意識で言った言葉。あの時もう既に、大部分を把握していたのだ。
 苗字には、衆恨に彩られた狂歌を囁く彼ラが見える。その規模は霊圧の皆無に比例し、膨大な霊圧は抑えていたとしても本人の意思に関係なく滲み出ている。従って、苗字は死神の出現や、虚の存在を感知出来ていたのだ。

 一通りの事を阿近に話すと、理解を求める様に彼を仰ぎ見る。
 だが阿近の顔は険悪さを増すばかりだ。
 「………そういう事はさっさと言え。んなのが見えてたなんざ聞いてないんだが」
 「だって言ってない。それに亡霊かと思ってたから」
 「はぁ?阿保か、ある意味亡霊の俺らの他にあるわけないだろう」
 「霊圧は、私の目を介して彼ラを形作る。恐らく彼ラは、その人物が抹消した霊子体の憎悪」
 「………相当な自信だな」
 「私には聞こえるから。彼ラが、その人物を憎悪し、嘆き、殺したがっている声を。そして何時しかそれら全てが、私への憎悪になっていく」
 眉間に皺を深め黙りこくる阿近は、思案顔のまま口を開く。
 「霊圧であるならば、己のもまた見えるのか」
 
 「………見えるよ」

 事も無げな顔で。
 其れは言い換えれば、過去殺した事があると明かしたようなものだ。
 だが、阿近もまた、白けた対応だった。其れでも内心では、苗字の過去に疑念を募らせる。
 「成程な、それなら信憑性もある。だがその場合支配の領域も異なってくるな」
 「そう。感情操作か、只単に霊圧支配か、将又その両方か」
 どちらにせよ、本質が分かったところで刀と意思疎通しない限り意味無いのだが。刀を握る事を頑なに拒絶する苗字の事をよく解っている阿近は、其処の事に関しての追及は無かった。
 「まぁ、これで一つ明らかになったことがあるな。80地区で虚が一時期大量出現したのはお前が原因だっつーことか」
 吸い殻を吐き出すと、苗字の持つ徳利に手を伸ばした。
 「原因とは心外な。只生きてるだけで虚がうようよ湧くのは私だって喜ばしくない」
 阿近の手を足で蹴飛ばす苗字。横目で睨まれるが、苗字はどこ吹く風だ。
 「…………。その、見えている奴らとは、意思疎通は出来るのか」
 「私が言いたいことは分かっていた。もしかしたら都合のいいように利用できるかもしれない」
 言い終わるや否や、苗字は話は済んだとばかりに俄に立ち上がり踵を返した。だが、何やら言いたげな阿近に腕を掴まれ引き留められる。
 「待て。………ついでに言っておこうと思ってな。お前のその鎖に関してだが」
 視線を一瞬ずらし言うべきか否かを迷った後、間をあけてから先を続ける。
 「お前、浦原喜助を知っているか?」
 苗字はふいと後ろを振り返り、変わらぬ表情のまま阿近を静かに見返す。
 「霊圧を感じさせない媒体の第一製作者のこと?………余り表沙汰にはなっていないようだね。記載されてる書物も極めて少ないし」
 途端に阿近は、顔を引き攣らせ小さく呻いた。
 「………お前まさか、開発局の閲覧禁止書庫に……」
 「そうだったの?手薄だったから、自由出入りかと思ってた」
 「なわけあるかっ!」
 鋭く怒鳴るものの、普段通りの冷静沈着な顔に戻った。
 「兎に角そいつは、異端物質を造って追放された。霊圧を感じさせない媒体なんざ、在ってはならないのさ。もし同等な力となれば、お前も気を付けた方がいい」

 ………これは 警告だ。

 眼力のある目で再度睥睨される。彼の目は、有無を言わさぬ抑力がある。と言っても、当の苗字は未だ飄逸的だ。
 「危険かどうかは媒体ではなく、扱う者で変わるものでしょう」
 ____然も会話が見事に噛合わない。本当に分かっているのかどうかは、フード越しからは読み取れなかった。苗字の意図を汲み取れず疑念視する阿近だが、不意に明後日の方向へ向けると、間髪入れずに苗字の身体は窓の外へと身を躍らせ闇夜の中へ溶け込んでしまった。
 阿近が制止させる声すらあげる間も無かった。
 だが事態は此れで終わらず、今度は部屋の障子が乱暴に開け放たれた。阿近の咥えていた二本目の煙草の先端から灰が零れ落ちる。
 「此処に私の被験体がいなかったかネ?!」
 凄まじい形相で現れたのは己の隊長であり、局長でもある涅であった。その不気味な顔が阿近の間近まで迫る。
 「あぁ、居ましたよ」
 「何処だ?!」
 「___先程まで、ですけど」
 冷静な阿近に対し、一瞬にして憤怒する涅。今にも腕を振り上げそうだ。
 「今すぐにでも連れ戻せっ!」
 「流石に無謀ですよ。俺に影を掴めって言うんですか」
 やれやれと肩を竦めると、御立腹の涅は胸ぐらを掴みくどくどと喚き散らしてきた。何故手足をもぎ取ってでも拘束しなかったんだだの、今度からは自分に報告しろだの、この滅茶苦茶な要求は何時もの事だ。
 「次はしくじるんじゃあないヨッ!!」
 阿近の返答も待たずに涅は来た時と同様に去って行った。
 何故俺の周りはこうも騒がしいんだと、内心自問する阿近であった。