巳の刻のこと。

 総合救護詰所でシーツの取り換えを命じられていた苗字は、シーツに埋もれて爆睡していたところを引っ張り出された。むんずと上へ引き抜かれると上から声が降ってくる。
 「やれやれ、一分も経ってないうちに寝るとはね………」
 此方に腰を屈め、仕事に集中するようにと念を押す人物は、最近顔を合わせていなかった吉良であった。
 引き抜かれた苗字は、欠伸を隠すこともせずすると、真新しいシーツで涎を拭う。
 「何だ、もう三番隊の方に移隊したのかと思っていました」
 「………悪かったね、まだ居て」
 肩をガックリと落とす吉良だが、気持ちを切り替える様に気弱な笑みを浮かべて此方を見やる。
 「苗字君、今から僕の助手としてついて来てもらえないかな」
 「良いですけど、私の回道は一般の破道以上に危険ですよ」
 吉良は一瞬考え込むと、爽やかすぎる満面の笑みを浮かべた。
 「まぁいいんじゃないかな。練習も兼ねてなんだし」
 ………要するに怪我人を練習台に使ってもいいと。
 内心そう思いつつも、苗字は其れを承諾した。

 吉良は通路を渡りつつ、苗字に三番隊隊舎付近にある西修練場にてこれから行われる隊内試合のことを告げた。
 「________という訳で、僕ら四番隊はその試合で出た怪我人の救護を行うんだよ。卯ノ花隊長が、君にとってもいい訓練になるだろうからと命じられたんだ。しっかり頼んだよ」
 声のトーンからも窺えるように、吉良は何かを期待しているかのようにどこか嬉々としていた。恐らくこれから入る隊の下見も兼ねているのだろう。其れか、憧憬する人物でもいるのか。だが其れを苗字は聞こうとも思わないし、干渉する気もない。吉良に確認を求められても、口を開こうともしない。
 吉良は苗字との会話を断念せざるを得なくなり、歩くことだけに集中することにしたらしい。しばらくして三番隊の集まる修練場へと到着した。吉良に医療用品を手渡されていた苗字はこじんまりとした救護所へ其れを運んで行く。中には二、三人の四番隊隊士が既におり、入って来た苗字を露骨に無視をする。そんな彼らの事さえ視界に入れていない苗字はその場で必要な生薬を調剤し終わると、さっさとその場から出て行った。其の儘ふらりと何処かへ行こうとした矢先、吉良に呼び止められてしまう。
 「苗字君!また失踪しようとしてなかった?」
 近づいて来るなり吉良に半信半疑と言った様子で聞かれるものの、喋らない苗字に痺れを切らして吉良は話を続ける。
 「まぁいいや。………今から少し離れるけど、此処を任せてもいいかな。いつも通りの手当てで大丈夫だと思うから」
 何処か後ろめたげに、視線を反らして言う吉良。意図を察した苗字は頷くと、吉良は顔を輝かせ御礼を言うと一目散に駆けて行ってしまった。


 ◇


 吉良が胸を弾ませ向かって行った先は、勿論現在試合の行われている修練場だ。観戦している隊士に紛れ今誰が対戦しているのかを確認してみる。お目当ての人物の試合ではなかったが、矢張四番隊とは異なって見応えがある。
 来月からこの隊の副隊長となる吉良は、今の内から隊の現状を確認し、なるべく早く隊風に馴染むよう努力を惜しまなかった。其れは自分のような者が足を引っ張る訳にはいかないという意地と、彼の下で働く名誉のため。彼はこの日を、待ちわびていた。
 そして、ようやく叶ったのだ。
 やっと、尊敬して止まない人の下で働ける。
 吉良は首を伸ばして三番隊隊長である市丸 ギンの姿を目で追った。
 彼は今当に隊員らに一言二言声をかけると、用は済んだとばかりに退散しようとしていた。それを此処の副官である女性が市丸の足を踏んづけ引き止めているところであった。
 涙声で訴える市丸を唖然と吉良は見つめ、副官に目を向ける。以前から部下に対し手荒な事で有名な副官だと聞いていたが、隊長に対してもだったとは。冷徹で性格が悪いだのと囁かれるのも頷けるかもしれない。
 其れはそうと、早く彼の試合を見たいと願う吉良であった。
  

その頃 苗字はというと………、

 ______数人の男達に絡まれていた。
 喧嘩を売ったのではない。売られたのだ。
 事の経緯は、救護するのに人手は足りているからと露骨な理由で追い出された苗字はお言葉に甘えて隊舎内をウロウロとしていたところ、三番隊隊士らに鉢合わせてしまったところから始まる。勿論苗字の存在は誰もが知るところで、通り過ぎようとしていた苗字の肩を掴んで引き止めた。
 苗字は無言で顔を上げる。
 「………お前、確かあの四番隊隊士だろ?例の劣等生」
 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ貶す言葉を吐く。
 「所構わず乱闘騒動で、抑え込む彼等が哀れだなぁ」
 薄ら笑いを浮かべ顔を見合わせる男達。暴力を咥えようとはしないものの、下劣な手だ。
 「ってか、こいつそもそも女なのか?なあ、確かめさせろよ」
 男の第一声に同調し騒ぎ立てる彼等の一人が、苗字の死覇装に手を伸ばした。
 その手を、苗字は軽く叩き返す。
 途端眉間に皺を寄せる彼等に、苗字は妖艶に微笑んだ。

 「____いいよ」

 予想だにしていなかった返答に呆気にとられる男。意気込んでいたはずが固まる彼等に更に続ける。
 「博打で勝てたら、言うとおりにしてあげる」
 挑発するように、嘲る花のように。

 「………賭けるものは自尊心、という事で」


 其れからおよそ四半時。
 市丸の試合が一向に始まらないので救護隊の方へ様子を見に行くと、吉良を見てばつが悪い顔をした隊士達がいた。彼等の他に数人の怪我人がいるだけで苗字の姿がないことが分かると、吉良はまたかと溜息を洩らし探索に向かった。
 何度となく隊士らと馬が合わず追い出されたことがあったから、また今回もだろう。苗字もそれを受け入れてか将又気にしていないからなのか詮索も無く離れて行ってしまう。明らかに四番隊からは浮いているので、上手く付き合えない隊員らを咎めるのも酷というものだ。だからといって苗字を押さえつけるのも其れこそ無謀極まりない話であった。
 キョロキョロと修練場付近を捜すものの、矢張り苗字の姿は無かった。吉良はどっと沸き起こった歓声の方に一瞬顔を向け、また苗字を捜しに踵を返した。
 そして修練場から離れて隊舎の方へ来てみると、吉良はとんでもないものを目の当たりにする。
 左手にこじんまりとした庭がある突き出た廊下を吉良が歩いていた時、その奥の角から人が飛び出してきたのだ。
 何やら泣き叫び全力で走るその男はほぼ裸で、絶句したまま硬直した吉良の横を走り去って行った。
 何だったんだ、今のは。激しく動揺し顔色の悪くなった吉良は、三番隊に疑問を沸かせつつもその男が現れた角に差掛かる。その手前、開かれた襖の向こう側からすすり泣きと呻き声が聞こえ、吉良はここかと開け放った。


 「…………」


 再びの絶句。
 奥に悠々と座っている苗字は吉良の存在に気づくと、その場に似つかわしくない飄々とした声を上げた。
 「もう試合終わったんですか?」
 目を白黒させ現状を把握しきれていない吉良の耳には、当然その声は入ってこなかった。
 畳の上に、苗字と複数の男が手本引を興じている図………とは到底言えまい。何故なら苗字以外男は全裸寸前で、この世の終わりと言わんばかりの絶望しきった人間の顔をしている。然も苗字の横には手本引で巻き上げた金まで積み上げられていた。
 吉良は大きく息を吸い込むと、
 「卑猥だっ!」と叫んだ。吉良の大声に、苗字は他人事の時と同じように小首を傾げてみせる。
 「急に何ですか。極度の興奮は体によくありませんよ」
 「何をやっているんだ君は!!」
 「………脱衣博打?」
 「不道徳すぎる!どうして君はいつもいつもっ………」
 怒鳴り声に三番隊隊士らは彼の存在に気づくと藁にも縋る勢いで吉良に縋りついてきた。
 「頼む!こいつを止めてくれ!」
 「この様な羞恥もう耐えきれんっっ!」
 全裸寸前である男共に抱き付かれた吉良はひとたまりもなく悲鳴を上げる。
 「と、兎に角ここから出るよ!」
 吉良は苗字を引きずるようにして一目散に出て行った。




 道場へと戻る最中、苗字は口酸っぱく説教を食らっていた。
 いくら彼方にも非があると言っても吉良は聞く耳を持ってはくれない。
 「幾らそうであったとしても、どうして君は事を大きくしてしまうんだ。毎度の事ながら呆れてしまうよ。………隊長には僕が報告しておくからね」
 「おおごと?あんなの可愛いものだよ。流魂街では賭博だけで諦めてはくれないから。刀で斬りかかってこないだけ紳士的だわ?」
 「二言は許さないよ」
 きっぱりと断言された吉良のその言葉で、この件は苗字にとって喜ばしくない形で終わった。苗字にとって穏便にという方法が見当たらないのと同じように、吉良にも大事にしてしまう苗字の行動が理解できないのだ。考えの相違に再び苗字の意識は80地区へと否応なく向けられる。

 暫くぼんやりと吉良の背をついて行っていた頃。上官に謝りに行くらしい。上を見上げ、その人物を確認しようとしたが余りにも身長差が生じているためか顔まで映すことができなかった。律儀なことだと、謝る理由もないまま苗字は他人事として彼を見る。
 
 「────ええてええて、うちにも落ち度があったようやし。君は気にせぇへんでええよ」
 ひらひらと手を振る男に対し、吉良は仕切りに申し訳なさそうに謝っている。
 「ほら、君も」
 頭に手を置かれるや否や無理矢理下げさせられる。
 「お騒がせして申し訳ありませんでした」
 「こら、もっと誠意をもって礼をする!」
 そんな二人のやり取りを、笑みを張り付けた顔で見つめていた男は身を屈め、苗字の顔に顔を近づけた。苗字は相手の顔を確認するよりも先に顔を俯かせていた。
 「………怪我、治ったん?」
 男の言葉に、苗字の目元が微かに動いた。
 「堪忍なぁ。………あの子もあないまでする気はなかってん」
 苗字を捕えたのは三番隊だったはずだ。その時の副官の事を言っているようだ。脳裏に、自分に向かって伸ばされる腕が浮かぶ。
 「いえ、お気になさらず。慣れていますので」
 そうは言ったものの、頭では別の事で思考がかき回されていた。
 この声を聞いて、思い出した。
 捕えられる前、あの墓地に立っていた男のものだ。自分以外の他の者があの場の意味を知るはずがないから、偶然に居合わせたのだろう。
 其れだけの理由ならまだいいが、彼のこの呑気な声色に、苗字は不快感を感じていた。理由のない生理的嫌悪感に、苗字は顔を顰める。
 そう、この感覚は、言葉で例えるなら“胸糞悪い”、だ。
 苗字が無言で市丸を凝視したままでいると、吉良が気を利かせてか声をかけてきた。
 「この方は、三番隊の市丸 ギン隊長だよ」
 「………三番隊隊長」
 苗字が呟くと、「ギンでええよ」と飄逸的に言われる。そして市丸は体を戻すと今度は吉良をこねくり回し始めた。堅苦しいだのと茶化されながら髪を揉みくちゃにされている吉良は、もう何が何だかといった顔のままされるがままになっている。その様子を苗字は無言で一瞥すると、興味が失せたのかその場から離れようとした。
 そんな苗字と入れ違うように、一人の女性が市丸の元に近づいて行く。その時ふと香った花の香りに、苗字はその女性を流し見た。
 身長は然程高いわけではないが、癖のない黒髪に縁どられた整った顔に、目をひく金色の目をしている。そしてそんな美人には似つかわしくないほどの彼ラの濃密な気配。

 感染区に死体隠蔽に来ていた女のシルエットと、視界に映っている女性とが重なる。
 あの場にいた苗字は、瞬時にそう判断できた。その時微かに嗅ぎ分けられた翁草の香りも、同一のものだ。まさか三番隊の副官だとは思いもよらなかったが。
 だが相手の女性は苗字に気づくことなく其の儘通り過ぎて行く。
 「………市丸隊長」
 副官の呼び声に、市丸はやっと吉良の髪から腕を下した。
 「ん?どないしたん」
 「そろそろ私のお相手を御願いできませんか。副官として貴方に挑める、最後の機会ですから」
 「えー、それやらなあかんの?」
 「当然です」
 逃がすものかと冷静な眼差しに闘志を宿らす副官とは対照的に、市丸は全くやる気を見せていない。勿論隊長の試合が見たかった吉良は目を輝かせその副官に迎合を打った。
 「そうですよ!自分も是非見たいです」
 意気込んでそう告げると、何故か同意を求める様に苗字の方を向いた。
 苗字が首を傾げると、女性も此方に視線を寄こしてくる。
 「…………」
 無言のまま、副官は此方に近づいてくる。苗字の前に立つと、優雅にお辞儀をした。
 「私、名無シ 乃と申します。………貴女を捕えた事は不憫には思いますが後悔の念も懺悔も御座いません。では私は試合がありますのでこれで」
 きっぱりそれだけ告げると、未だ嫌がる市丸を半ば引きずるようにして去って行った。
 「ほら、僕らも行くよ。隊長の試合何てそうそう見れるものじゃないんだから」
 吉良は苗字の首根っこを掴むと急いで二人の後を追った。

 隊長と副隊長の試合と聞いて、周りは隊士で溢れかえっていた。身長の低い苗字は隊士の間から辛うじて見えている有様だが、中心に近いところから観戦できる位置にいる。
 木刀をまともに構えもせず飄々としている市丸に対し、射抜くような鋭い目で睨む名無シは優雅な動作で木刀を構えた。
 緊張で張りつめた空気の中、「始め!」という掛け声が空気を震わす。
 最初に飛び出したのは名無シの方であった。気合のこもった声を張り上げ市丸に攻撃を仕掛ける。素早い動き、と思ったが、市丸は名無シの攻撃をすんなりと避けてしまい隙の出来た脇に仕掛けようとする。だが相手も予想してか躱し、再び対峙する二人。上から、「全く二人の動きを捉えられなかった………」と呆然と会話する声が聞こえる。
 互角に戦っているようにも見えるが、市丸は本気など微塵も見せていないように苗字の目には映った。あの飄々とした笑みも、全く崩れていない。
 距離を保った後、再び目にも止まらぬ速さで木刀がぶつかり合う。
 その試合に皆が固唾を呑んでいる中、苗字はある一点を見つめ固まっていた。
 
 私と、同じ髪の色。

 道場に差し込む光に照らされ光る色素の薄い銀髪に、苗字の目は釘付けになっていた。異質な色で、人からも不気味がられていた髪。同じ色の髪をした者を、苗字は初めて目にした。それだけのことなのに、異様に胸がざわめく。
 胸に広がる重圧感が身体を蝕む前に、苗字は直ぐに髪から視線を反らした。その顔は、市丸の声を聞いた時と同じであった。周りが熱のこもった声援を上げる中、苗字は静かに背を向けた。

 苗字が背を向けると同時、市丸の小手に木刀が振り下ろされ、市丸の木刀が床へ落ちた。
 静まり返った空間の中、市丸の「あらら」という間の抜けた声のみが響く。その内ざわざわと辺りは騒然となり、後から慌てた声が道場にいる皆に勝者を知らせた。皆隊長が副官に負けたことに衝撃を隠せずにいた。
 市丸は打たれた手をしばらく見つめていた後、それをひらひらと振って見せた。
 「ひゃー、負けてもうた。………何時の間に強うなったん?」
 全く表情を変えず感心気に告げる市丸に対し、名無シは無表情のまま見つめ返す。その目に一瞬憎悪が過り、それは誰にも気づかれることなく消え元に戻った。
 「………有難う御座いました」
 礼をしそれだけつぶやくと、脇目も振らず道場から去って行った。

 その頃吉良はというと、放心している間に見失ってしまった苗字の姿を血眼になって捜していた。
 
 ◇

 市丸は群れて寄って来くなり口々に喚く隊士らを適当にあしらうと、道場から出ていき一人廊下を横切っていた。その時、一人の声が市丸の歩みを止めた。
 「__部下の対面を保ってあげるとは、優しいのですね」
 その問いかけに市丸は足を止めると、口元を歪ませ笑った。
 「………不気味な子やなぁ。ほんまに霊圧を感じないんやね」
 少々感心した声色で言うと、市丸は左へ首を傾けた。
 縁側の下で、何やら土を弄る苗字の姿があった。子供の様に遊んでいるようにも見えるが、どう見てもその声と台詞とは不釣合いであった。苗字は市丸の声に振り返らず背を向けたまま先を続ける。
 「まぁ、そんな良人にはみえませんけれど」
 「………はて、何の事やら」
 苗字は顔を上げ振り返ると、細められている目を見上げた。だが苗字にも彼の表情を読むことは出来なかった。
 人のいい、だが暗い無色透明な笑み。
 真意を確かめることも出来ないまま、市丸は背を向けたまま手を振ってその場から立ち去って行った。