本日もまた、苗字の周りで騒動が引き起ころうとしていた。
他隊の隊士らが目じりをつり上げ、四番隊隊士らによって必死に押さえつけられている苗字を睨んでいる。
事の発端は、苗字が不用品となった鉄屑を大量に運んでいた頃まで遡る。勿論他隊から頼まれた雑用だ。何事も無く終わる筈だった雑務のはずが、苗字のした盛大なくしゃみによって騒動の発端と化した。くしゃみによって苗字の手元がぶれ、中身を下へぶちまけてしまったのだ。床なら問題は無かった。だが鉄屑は外へ放り出され木の下で休憩していた隊士らの上へ落ちたのだ。不幸は此れだけでは済まず、花に群ていた蜂を刺激したらしく寝ていた男の顔は一部腫れ上がる結果となった。
そして今に至り、こうして睨み合いが続いている。とはいっても、激怒しているのは片方だけだが。
「苗字さん!お願いですから喧嘩はやめましょう、喧嘩はぁ!」
半べそをかいて苗字に縋りついている隊士の一人、山田の制止にも耳を貸さず前を見据える苗字。
「何を言っているの第七席。男は拳と拳の喧嘩でしょう」
「それ絶対違いますから!!」
四番隊必死の食い止めも功を奏さず、他隊の男共が拳を振り上げ殴り合いの喧嘩になる寸前………
苗字の身体は突然宙に持ち上げられ、視野がぐんと高くなった。
他の者は、現れた第三者へ呆然と視線を送る。
「こいつ、借りてくぞ」
ひょいと頭の高さまで苗字を無造作に持ち上げた第三者は、阿近であった。
阿近はそれだけ言い残すと、苗字の首根っこを掴み直し引き摺って行ってしまった。
◇
苗字は足を投げ出したまま阿近に引きずられるがままになっていたが、その手を払いのけ阿近の背中にへばり付いた。其の儘よじ登り肩まで上がっていく。阿近はちらりと後ろを振り返ったが、煩わしくは思わず何も言葉を発しない。
「………何か変った事でも?」
苗字にとって阿近が会いに来る理由は其れ以外存在せず、協定を結ぶ二人はそれ以外を聞く必要は無かった。
阿近は少し首を回し後ろを向くと、懐から刀を出しそれを苗字に差し出した。それは阿近に預かってもらっていた自身の刀だった。
「返しに来ただけだ。それと、」
苗字が受取ろうと刀を掴むと、阿近は逆に力を込めて刀を握り妨げられた。苗字は眉を顰める。
「………お前、誰からこの刀を奪った?」
「貴方はいちいち死んだ人の顔に興味持つ?」
何やらはぐらかす様な言い回しに阿近は険悪な顔になるものの、理由を説明する。
「柄の部分を見てみろ」
苗字は言われた通りその部分に視線を向けた。
その間、苗字をへばり付かせたまま歩く阿近の姿は余りにも目を引き噂になっていった。あの誰も寄せ付けぬ阿近が他隊の死神といるだけでも珍しいのに、肩まで貸しているのだから尚更だ。だが当の二人は周りなど意に返さず、只聞かれる範囲内に人がいるかだけに意識を向けていた。
「うん、錆だらけ」
「阿保か、家紋だ」
声を荒げられ見ると、錆に隠れ見えずらいものの確かに家紋らしき模様がうっすらとある。
「持ち主は貴族、か。………どこの家紋か心当たりは」
「いや、其れは知らん。調べてみたが、何処にも記載されてねぇようだな。御家断絶か、曰くつきの何方かだろうよ」
「そう、案外手っ取り早くて良かった。それならその年死亡した死神の名簿を見ればわかりそう」
これで誰か突き止められれば、斬魄刀の能力も自ずとわかるだろう。だが引っかかる事もあり俄に眉を寄せた。
「………死神も軽率ね。貴族と言えば一部とはいえ、中枢を担う位置でしょう。行方不明になっても何の手も打たないなんて杜撰ね」
「貴族の失踪何ぞ別に変わった事でもねぇんだよ。現に今も貴族の失踪が相次いでいるしな」
「………失踪?」
興味なさそうに煙草をふかす阿近に聞き返すと、ちょっと視線を後ろに向けてきた。
「お前の事があった時と同じ頃だったからな。其れにこの件は二番隊に捜査権を一任している、俺らも蚊帳の外ってわけさ」
その件に関しては全く重要視していないのか、阿近は無関心そのもので、苗字も遅れ早其れにならった。
「それと、お前にとっちゃどうでもいいかもしれねぇが、つい先日十番隊隊長がお前の件で訪ねて来たぞ」
隊長と聞いて、苗字も少なからず反応を見せる。十番隊と聞いても誰だったか思い出せない頭を、小さく傾けた。
「何の御用向き?」
「お前に関する記録公表の要求だ。動機は分りかねるが、重ねて霊圧の皆無と霊絡云々を聞いてきた。心当たりはあるか」
苗字は霊絡と聞き、ある可能性に思い当たった。
その隊長は、苗字が相手の霊圧をよめるのではと少なからず疑念を持ったに違いない。断定とまではいっていないだろうが、その可能性に、気づきつつあるようだ。
だが疑惑を持たれようが苗字は構わなかった。疑惑とて所詮は主観でしかない。
内心とは裏腹に、苗字は「いいえ、無い」と即答する。
「………それで、副局長は公表したの」
「話す義理もねぇから上手くはぐらかしたが」
ふぅん、と適当に相槌を打つと、二人の会話は淡々と続く。
「だが下手に動けば、墓穴を掘るのはお前だぞ。前もって言っておくが、俺はお前の件で口出しする気は無い」
他人にそこまで期待する輩が、はたしているだろうか。態々確認を入れるその前振りが、滑稽な響きを持って苗字の耳には入った。
「結構。だからこそ副局長と手を組んだのだから」
落ち着き払った苗字の声に、ふんと鼻を鳴らす阿近。
阿近が先程言った言葉には、もう一つの意味を持つのだが、其れを阿近自身認めたくは無かった。日番谷に情報を求められたとき、無関心よりも危惧が先に出た。そこから生まれた僅かな感情に、阿近は苛立ちを隠せないでいた。今日とて、態々騒動になり兼ねなかった現場に割り込む必要など無かったのに。
その感情を否定し、拒絶するため、そして苗字に気づかれまいと思わず口から洩れたのだった。言ってすぐ阿近は後悔の念に襲われ、眉間の皺を深め口に咥えた煙草を吸った。
その後苗字は阿近へ局長の待ち伏せ行為や尾行行為を訴えたが、「うちの局長は変態なんだ。許してやれ」の一言で片づけられてしまった。まだ諦めていない彼の執着心には、当事者である苗字から見ても純粋に感心してしまう。
暫くそうして話していると、前から人が歩いてきた。
一人は女性で、もう片方は男性。二人とも穏やかな顔で話しながら歩いて来る。
隊首羽織を羽織った男の方が此方に先に気づくと、近づいてきた。
その男を顔を見るなり阿近は立ち止り、何処か苦い顔になる。苗字も阿近の肩越しから男をじっと見つめた。
「やぁ、阿近君。それに………」苗字へ、にっこりと微笑んだ。
「苗字君も。顔を合わせるのは初めてかな」
苗字はちらりと一瞥すると、小さく頭を下げた。
「こんにちは、五番隊隊長」
そう言うと、藍染 惣右介は何処か困ったような笑みを浮かべた。
「そんな堅苦しくならなくてもいいよ」
「私は雛森 桃。宜しくね、名前ちゃん」
雛森は可愛らしく小首を傾げると、無邪気な笑みを浮かべた。その笑みに、一瞬14番の顔と被り、少しぎこちなく挨拶を返す。矢張り苦手だなと、改めて実感しつつ。
藍染は興味深そうに二人を見比べると、目尻を下げ笑った。
「阿近君は苗字君の世話と仕事の両立で大変そうだね」
「いいえ、そうでもありませんよ」
日頃から彼は不愛想だが、更にその顔は険悪である。ぼそりと呟かれた言葉に、苗字も口を挟む。
「託児所でも開いてみれば?」
すかさず阿近の鉄拳が苗字の顔面に食い込む。顔面を両手で覆い固まる苗字に対し、阿近は全く表情を変えず涼しい顔だ。
「………口答えもご覧のとおりしないお利口さんでしてね。楽しくやっていますよ」
二人のやり取りに、藍染等は乾いた笑みで応えることしか出来なかった。
「そ、そうだ。君たちはもう昼食を済ませてしまったかい?」
何か思い当ったのか少し身を乗り出して問いかけてくる藍染に対し、阿近は無表情のまま「いいえ」と返した。その冷然たる態度に、苗字もその僅かな異変を感じ取った。だが相手は気づいていないのか変わらぬ笑顔だ。
「立ち話もなんだから、どうだろう。一緒にご飯でも」
「いえ、俺は遠慮しておきます。用があるんで」
苗字が答えるよりも先に口を挟んだのは、意外にも阿近であった。仏頂面のまま視線を反らす態度は隊長に対するそれとはかけ離れ、雛森もまた阿近に困った顔を向ける。
「………そうか、其れは残念だな」
すると今度は苗字に視線を戻す。
「苗字君はどうかい?」
「是非」
「?!」
「そうか、其れは良かった」
苗字の返答に阿近は目を見張って此方を振り返り、藍染は満面の笑みを返してきた。阿近が険悪な顔になるので、苗字は小声で「だってタダ食いでしょう」と呟いた。そのまま阿近の背から降り、阿近はというと頭を下げ脇目も振らずに踵を返し行ってしまった。そこまでして苗字の相手をする義理など無いとでもいうように。
阿近は藍染に対しお世辞にも好意的とは言えない感情を持っているようだ。彼の感覚が、関わるべきでないと警報を鳴らしているのかもしれない。
だが結果として、其れは正しい判断なのかもしれない。
何故なら、穏やかな風貌と対比して、彼の回りには亡霊の気配が満ち満ちとしているのだから。霊圧を抑えていても尚この濃密な憎悪と気配。
この不釣合いともよべるズレが、会った時から苗字に歪な印象を与えていた。
彼のこの温厚な性格が処世術でしかないまやかしであるとしたら、この憎悪とも何らかの関係性があるのだろう。
確かに、苗字は見返りを期待しない優しさを与えられることに対し強い拒絶反応を起こす。だが、彼から滲み出るそれは、苗字にとっては拒絶の対象ではなかった。苗字には、隠そうとしても隠しきれない、彼ラの怨念が判るのだから。
彼もまた、何かを成し得るために此処にいるのだろうか。
それとも只単に、暗い過去を持っているだけか。
憎悪が紡ぐ旋律の中心で、藍染は温和な笑みを浮かべた。
◇
連れられたのは典型的な和食店で、昼時だったこともあり多くの死神で酷く混雑していた。その中でやっと座れ暫くした今、藍染と雛森は三人前のうどん定食を食べ終えた苗字の事を呆気にとられ見つめていた。
「そんなにお腹減っていたの?」
驚いて聞く雛森に対し、苗字は口を膨らませたまま肩を竦める。
「最近運動頻度が多いもので」
用は乱闘騒動なのだが、二人も其れが分かってか苦笑いを浮かべる。
全く気を使う事をしない苗字に金銭的に不安になった雛森は、おずおずと口を開いた。
「………藍染隊長。やっぱり私悪いですから、自分の分は、自分で……」
突然気恥ずかしげにもじもじと告げる雛森に、藍染はキョトンとした後にっこりと笑った。
「君には日頃お世話になっているからね。そのお礼と思って受け取ってくれないか」
ポンポンと優しく頭を撫でられると、雛森は薄らと頬を染め控えめな笑みを返した。
そんな微笑ましげな風景の反対にいる苗字は、まだ懲りずに大声で注文を繰り返していた。
「………それで、もう此処の生活には慣れたかい?」
「はい、皆さん人柄が良いですから」
「其れを聞いて安心したよ。捕縛という形は僕は反対だったんだが、あれ以上君が傷つかなくてよかった。ひどい扱いを受けただろう。申し訳ないね」
彼がそうさせたわけでもないのに、顔を曇らせ俯く藍染。
「私は異端分子でしょう。彼が私に施した所以も当然だと思います」
すると今度は雛森が苗字の言葉に目を見張る。
「何か、名前ちゃんって………子供っぽくないよね。………っあ、悪い意味じゃなくてね、名前ちゃんと同じくらいの子が十一番隊にも居るんだけど、全然違うなって」
「ははは、よく言われます」
「そ、そうなの?」
飄逸的な物言いに、雛森は思わず拍子抜ける。
なんて無機質な笑い方。
フードをしているから余計になのか、どういう子供で、何を考えているのか全く分からない。思っていた以上に剽軽な部分もあるのだろうか。
なんか、変わった子だな………と思う雛森であった。
苗字の目の前に今度はそばが運ばれ、たどたどしくも箸を使って食べ始める苗字に藍染は話しかけた。
「何か困ったことがあったら、何時でも五番隊においで。歓迎するよ」
それに、お菓子もあるから、と茶目っ気のある笑みを浮かべる。
そんな彼をじっと見つめていた苗字だったが、頭に重りが圧し掛かってきたかと思ったのもつかの間押しつぶされ、そばの上に顔が直撃した。
「あらこの子、うちの隊長と抱き心地が同じじゃな〜い!気持ちぃ〜」
抑え込まれたまま、何やら頭上から伝わる柔らかいものが押し付けられている感触と共に、女性の声が聞こえた。くぐもって雛森のおしぼりを捜す声も遠くから聞こえた。
「………松本君。それでは苗字君が潰れてしまうよ」
藍染がやんわりと指摘すると、その、松本と呼ばれた死神はあっと声を上げその柔らかい物をどかしてくれた。やっと顔を上げられると、雛森がおしぼりを手渡してくれる。
「乱菊さん!名前ちゃんを遊び道具みたいにしないでください!抱き枕じゃないんだから」
「えぇ〜、いいじゃない」
あっけらかんとした口調に、何処か頼れる姉御肌気質を持つ女性は、松本 乱菊と言った。長身で、形もよく豊かな胸が印象的だ。………いろいろな意味で。
その豊乳は退かしてくれたものの、何故か苗字は後ろから抱き付かれたままであった。ちらりと後ろを振り返ると、太陽の様に輝く髪に一瞬苗字の目元がピクリと反応する。
ようやく体が離れると、松本は苗字に顔を向けた。
「乱菊よ、よろしくね。何なら乱菊お姉さんって呼んでも構わないわよ?」
らん……ぎく…………?
苗字の脳裏に、過去の記憶が過っていく。ノイズが混じった映像の中、小さな少女が笑いかけ頭に鈍痛がはしる。苗字は一瞬の動揺を拭い取ると、何事も無かったかのようにぺこりと礼をした。
「初めまして、十番隊副隊長」
「固ったいわね〜、子供は気なんて利かせないで素直に乱菊って呼べばいいのよ!」
弱い力で小突かれ、苗字はそっとその部分に手を添えて彼女を仰ぎ見た。
男性もこの笑顔には逆らえまいと思えるほど、端麗な笑みが此方に向けられている。その顔が、黙ったままの苗字を不思議に思ったのか、優美な眉間に皺を寄せた。其の儘、観察するように此方をまじまじと見つめてくる。
その瞳に回顧の念が過り、其れを見つけた苗字もまた戸惑う。
そんな松本へ、藍染が宥める様に声をかける。
「そんなに見つめていても、この子は名前では呼ばないよ」
「え、そーなんですか?」
「名前ちゃんは役職名でしか呼ばないから」
ね、というように雛森に見られるが、苗字は再び食事に意識を集中していた。
「それよりも、シロちゃんが乱菊さんのこと呼んでたみたいだけど、大丈夫ですか?なんかまた怒ってたみたいだから………」
「ああ、いいのよ気にしないで。うちの隊長が怒りっぽいのは何時もの事なんだから」
それは松本のサボり癖に比例しての事なのだが、本人はいたってマイペースで気にしていない。
お勘定を済ませそのまま去って行ってしまう後ろ姿を、藍染と雛森はつくづく十番隊隊長を同情しつつ見つめた。それでも彼女を恨めないのは、あの愛嬌と他の者には持てない存在感所以であろう。
苗字もそっと、松本を流し見る。その顔は頭痛と衝撃で茫然としていた。
◇
私たちが出会ったのは、泥に塗れていた幼少時。自身の肌の色も、青空も知らなかった。
互いの体温を求めあうように身を寄せ合って暮らし始めた子供たちは、其々の想いを抱え野良犬同然に生きた。一人は取り残され、一人は大切な者を殺された。境遇の似た少女達、一人から二人になり、孤独には変わりなかったけれど、今よりも断然ましだった幸せな時。
長い年月が経ち、記憶は感覚となり鮮明さは失った。幸福論の定義すら忘れ、苗字も思い出すことも減っていった。過去に固執するほどゆとりもなかった。
またあの頃に、囚われる日がくるなんて思いもしなかった。
影がかった顔が、苗字に笑いかける。
私は、その笑顔に答えられていたのだろうか。
貴女は だれ?
私は貴女を 探しに此処へ来たのだから____……
………。
「え、松本副隊長さんの出生地ですか?」
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