苗字が目を覚ます、更にその以前。

 瀞霊廷内には、瞬歩で消えてしまった苗字を探し回っている松本の姿があった。
 霊圧のない彼女を捜すことなど至難の業だが、じっとしてなどいられなかった。いつもは目の色を変えてすっ飛んで行く甘味屋さえも、この時ばかりは気づきさえしないで脇を駆け抜けていく。
 血相を変え、辺りを見回しては再び走り出す松本の姿に、見る者は怪訝に眉を寄せた。

 …………一だった。
 走りつつ、顔が歪む。身体が苦しいわけではない。別に生じた感情が、今の松本を苦しめる。
 あの子が、一────。
 死んでしまったと思っていたあの子が、生きていた。
 其れだけでも、十分ショックを受けた。自分が見捨てたせいで見殺しにしてしまったと、今までずっと思っていたのだから。そう思って、この数十年間ずっと自責の念に苛まれ、己の罪として心の中に根付いた。決して忘れぬ咎となって。
 だがあの子は、一であることを否定した。
 その否定は、自分の事さえも拒絶されたようで愕然とした。
 今まで誰にも打ち明けず表にも出さず、心の奥底に隠してきた悔悟を一瞬で眼下に晒され抉られた。

 それでも、松本は走る。
 走らなければならなかった。彼女と再び話さなければならない、その思いだけに突き動かされて。

 ◇

 一頻り探し回った後、丁度自隊の部下の姿を捉えた。仕事の休憩を兼ねてか、二人の少女が団子を片手に談笑をしている。
 その内の一人が自身の副官に気が付くと、満面の笑みでぺこりと頭を下げた。
 「あ!乱菊さん。お仕事お疲れ様です!乱菊さんもお団子一つどうですか?」
 「いいえ、今はいいわ」
 いつになく真剣な副官に、二人はどうしたのだろうかと落ち着かな気に顔を見合わせた。そんな二人に構っていられず、松本は用件だけを切り出した。
 「貴方たち、四番隊のはじ…名前のこと見なかった?」
 怪訝に顔を曇らせていた二人だったが、その松本の言葉には思い当たる事があったらしく顔を見合わせると逆に驚いた声色で言った。
 「乱菊さん、御存知ないんですか?」
 その反応に、今度は松本が不思議に思う。彼女がそんな、噂がたつほど目立つような言動をするとは思えなかった。
 「それ、どういう事?」
 「四番隊のその人なら、多分総合治療詰所にいると思います」
 治療、詰所………?
 どういうことなのか、全く頭がついていかない。そんな松本の困惑に気づいたのだろう。部下が慌てて説明を入れる。
 「わ、私たちも現場にいたわけではないので詳しい状況は分からないんですけど………、その人、落ちたらしいんです」
 「お、落ちて………、それで?!」
 詰め寄らんばかりの松本に、その勢いに気圧され部下は身を縮ませた。
 「は、はい。高い場所から、突然落ちてきたみたいで。でも偶然的にその真下に五番隊の藍染隊長がいらっしゃったおかげで、そこまで酷い怪我は無かったそうです。………ですけど、ほんとに御存じないんですか?凄い騒ぎだったんですから」

 「………そう。助かったわ」

 呟きにも似た声が消えるや否や、松本の姿は部下の前からいなくなっていた。
 一瞬覗かせた松本の顔には、固い決心が浮かんでいた。

 ◇

 『………名前でしたらもう、自室へ移されていますよ』
 松本が慌てて総合治療詰所へ現れた時には、もう既に苗字の姿は無かった。
 必死な形相で何やら人を探す松本に気づいた卯ノ花隊長が、そう告げたのだ。
 思いつめた顔のまま固まる松本を不憫に思い、卯ノ花自身も眉を落とす。
 『どういったご関係なのかはお聞きしませんが、ですが、今は彼女を休ませてあげたいので』
 穏便に、彼女なりに気を使いつつ面会を断られてしまった。
 其れを受けて、何処かほっとした自分もいるわけで。
 ____何も、言い返す事は出来なかった。
 
 『………そう、ですか……。あの、一つお願いしたいことが___………』

 そして今、もやもやと気持ちが整理しきれないまま、松本は自隊の隊舎へ戻っていた。
 扉の前で、中で青筋を浮きだたせ今か今かと自分の帰りを待っているであろう隊長の事を思い、思わず笑ってしまう。今は何だか、そんな説教さえも快く受け入れられるような気がした。

 「たいちょ〜………?只今戻りましたぁ〜」
 そろ〜っと扉の隙間から顔を覗かせると、書類整理を黙々とこなす日番谷隊長の姿が。  
 「遅い」
 即答で返されるものの、怒鳴るわけでも、説教しだすわけでもない隊長に、松本は拍子抜けしてしまう。 
 「え、それだけですか?」
 「何だ、怒鳴られてぇのか」
 ちらりと顔を上げたかと思えば、またすぐ書類へ視線を戻す。きょとんとしたまま日番谷の近くへとにじり寄っていくと、午後やる筈だった自分の仕事分が置かれていた。
 「………全部終わらせてある」
 驚いて見つめていると、日番谷が何時ものぶっきらぼうな声でそう言った。見返すと、照れを隠す様に明後日の方角へと顔を背けてしまう。其の儘じっと見つめていると、痺れをきらした日番谷がちらりと松本に視線を戻す。
 「………話、出来たのか」
 え、と固まるが、隊長が部下のことをお見通しなのも当然かと納得してしまう。
 なんだかんだと言いつつ、彼なりに気を使ってくれたのだろう。そんな日番谷の不器用な優しさに、松本の口元は自然と綻んでいった。そのせいで、笑っているのか、悲しんでいるのか分からない微妙な顔になってしまった。
 「いえ、できませんでした」
 「………そうか」
 どこかしおらしくなってしまう空気が無性に嫌で、松本はけらけらと笑いつつ大きく伸びをした。
 「あ〜あ。時の流れって、ほんと怖いですよねぇ」
 只の空元気だと分かっている日番谷は、そんな彼女に険しい視線を向ける。
 松本が話し出すことを待っている、そう感じた。だが、いくら日番谷の事を信頼しているからといって、矢張り“彼女”の話をすることは憚られた。
 信頼しているからこそ、話しづらいことだってある。
 「あの子も、私も、取り巻く世界も、変わってしまったので…」
 口から出たのは、何とも自嘲気味な、弱弱しい声。そんな事しか言えない自分が情けなく、打開策すら浮かばない自分に自責の念をつのらせる。
 
 「友人なんだろ」

 唐突にそう聞かれ、松本はゆっくりと振り返った。日番谷は、目を伏せたまま書類を束ねている。素っ気無いものの、彼は松本の気持ちに寄り添っていた。
 「………時がなんだ。友人なら、また時間をかけて分かり合えばいいだろうが」

 本当に、分かりあえるだろうか。
 日番谷の言葉に促されるように、気持ちが徐々に肯定的になっていく。
 怖い気持ちがないと言えば、嘘になる。その恐怖は、“彼女”の存在が大きくなるにつれて肥大化していった。
 ────それでも。
 薄らと、松本は笑って頷く。

 「そう………ですよね」

 隊長の、日番谷の、言葉を信じたかった。





 瀞霊廷内では、年に最低でも一人や二人院生時代からの秀才や天才が現れる。そういった者達は死神になる以前から、上下関係なく様々な死神から注目される。
 例を上げるとすれば、史上最年少で隊長になった天才児の日番谷冬獅郎や、真央霊術院を1年で卒業、入隊後即席官の座を用意されるほどの逸材と評された市丸ギンなどがそうだ。
 そしてこの年の渦中の人は、確実に苗字で決まりであろう。あの転落事故がそれを決定的にさせた。注目されるにしても、決していい意味での注目ではないが。
 柵を飛び越えたにしても何故転落したのか、遂に発狂したのか等々様々な憶測が飛び交った。日頃がああだったためか、こんな普通であったら有り得ない理由でさえも皆まぁ彼奴なら有り得る………といった具合で信じる者もいたことは驚きだ。また女性死神の間では藍染を慕う者が多く、苗字に対し憎悪とも呼べる嫉妬心を燃やす女性も大多数いた。
 だからと言って、苗字に直接嫌がらせを加えるような度胸のある者が現れることは無かった。そういった陰湿なことは無いものの、視線が以前より威圧的になったのは言うまでもない。
 今現在、廊下を歩く苗字はその視線を身をもって実感していた。
 

 あの転落騒動から、早4日が経過していた。苗字はその翌日から出勤する気だったのだが卯ノ花隊長により強制的に休暇扱いにされ、今日やっと出てこられるようになったのだ。
 出たら出たらで何処へ行っても監視されているような現状だったのだが、当の本人は全く気に留めてはいなかった。人の敵意をかう事に慣れていたということもあるが、重要度の低い事だと苗字が結論付けたことが主だった。
 向かう先は、四番隊ではなく、五番隊隊舎。
 あの夕暮れ時、部屋に戻る際に阿近から聞かされたのだ。体調が回復したら直ぐにでも御礼を言いに行けと。
 だが、苗字は何処か腑に落ちない。助けられたこと自体はどうでもいい。“助けた相手”が問題なのだ。瀞霊廷内へ入り、何かと耳へ入る藍染という名。それが自然の道理であるならいい。だが苗字には、出来過ぎた話にしか思えない。落ちた場所が、余りにも都合がよすぎるではないか。
 何より、五番隊隊長とは如何なる人物かまだ苗字には分かっていない。といっても人為的に結ばれた人の縁であるなら、彼にとっても此方側が盲目的であることは同様のはずだ。
 
 興味があるなら近づけばいい。探りたければ罠を張ればいい。
 
 他の者とは異なり、苗字は簡単に墓穴を掘る馬鹿にはなり得ない。本人はあくまで放任主義だったとしても。

 「こんにちは、五番隊副隊長さん」

 隊舎につくなり運よく雛森の姿を見つけられた。苗字が声をかけ頭を下げると、雛森は大きな瞳を更に見開いて此方に駆け寄ってきた。その姿に、野良犬を誘き寄せる為に餌を仕掛けた懐かしい記憶を思い出す。
 「名前ちゃん!もう大丈夫なの?聞いた時、凄く心配したんだよ?」
 矢張り他人の事なのに、自分の事のように心配する雛森。
 「臓器が潰れたわけではありませんから。その件で五番隊隊長と面会したいのですが、今はいらっしゃいますか」
 「藍染隊長?今執務室にいるから、案内してあげるね」
 にっこりと微笑み、快く承諾してくれる雛森。その背を苗字は素直についていった。
 歩きつつ、気づかれない程度に辺りに視線を向ける。
 人気な隊だけあって、仲間内の信頼感や、団結力の高さが見るだけでありありと分かる。鬼道も同等に扱うこの隊が四番隊のように貶されない所以は、此処にあるのかもしれない。それだけまとまりのある隊に仕上げたのだ、隊長のカリスマ性は噂以上ということか。
 「名前ちゃん、ちょっと待っててね」
 ドアの前で二人は立ち止ると、雛森はノックの後入っていった。
 それから特に待たされることなく中から「入りなさい」と言う声がくぐもって聞こえた。 
 背伸びをしつつドアを開け入ると、穏やかな空気に一点不釣合いな気配が苗字を出迎える。その中で、温和な笑みを浮かべる矢張り不相応な彼。
 優しすぎる笑顔は、致死量になり兼ねない。
 「よく来てくれたね、苗字君」
 そんな言葉さえも、その利発的な唇から紡がれれば人を惹きつける媚薬となる。
 「それで、もう具合のほうは平気なのかな」
 「はい、お蔭様で。その節は助けて頂いて有難う御座いました」
 深々と頭を下げると、藍染はひらひらと気さくな感じで手をふった。
 「いや、当然のことをしたまでだよ。それよりも、何も無かったようで良かった」
 にこりと微笑みかけられ、照れてもいないのにそう見えるよう頭の後ろを大袈裟にかいてみせる苗字。わざわざお礼を言いに?という藍染の問いかけに、再度頷く。
 「気を使わせてしまってすまないね。ここでは話にくいだろう、少し散歩がてら歩こうか」 
 藍染はそう言うと、颯爽と席から立ち上がった。
 「いえ、用も済みましたのでそろそろお暇します」
 「まぁそう言わずに付き合ってはくれないだろうか。それに、僕も四番隊に用があってね」
 有無を言わせぬ態度で其の儘ドアの前まで進み、副官の方を振り返った。
 「雛森君。少し席を外すから、後は任せるよ」
 「え?わ、私もお供しましょうか?」
 「いや、只の野暮用だよ。すぐに済む」
 「はい、わかりました!」
 ぺこりと元気よく頭を下げ、苗字へ手を振る雛森に苗字は軽く礼をすると藍染についていった。


 苗字と藍染、只並んで歩いているだけで視線が自然と集まってくる。
 藍染は話しつつ此方に視線を送ってくるが、この身長差では見上げる体勢になって首が痛いので、苗字は前を向いて歩いていた。二人一緒に並ぶと親子にも見えなくもないが、相手が苗字だと周りはそうは見たくないらしい。
 他愛無い話をしていた藍染は、ふと苗字の腰元に視線を止める。そこには、苗字の動きに合わせ滑稽に揺れる刀が垂れていた。
 「その刀は………」
 言葉を詰まらせる藍染の顔を、ちらりと苗字は見上げた。
 「私の浅刀です」
 何の抵抗も無く嘘が口から出ていく。
 刀を持ち歩くようになったのは、阿近と言葉を交わした事が原因で、括りつけたのが今日だった。軽いし鞘は抜けないので害はないと思ったのだ。
 「何故、錆びた刀を?もっと良い刀もあっただろうに。これでは支障をきたしかねないよ」
 「ははは、よく言われます」
 真顔で笑うと、首を傾け思案顔の藍染を見上げた。
 「私にとって刀はこれで充分なので。69地区にいた頃も、そう思っていました。ですからお尋ねします。ならば五番隊隊長は、どのような意志をもって刀を握るのですか」
 意志?と聞き返すなり、一人考え込む藍染。暫く思案を繰り返していた藍染は、やがて結論が出たのか、矢張り穏やかな顔で応えた。
 「………そうだね。意志とはまた別かもしれないが、僕も刀は其れを握る者自身によって善にも悪にもなり得ると思うよ。部下や仲間を護るという志が君のいう意志であるのなら、きっと僕が刀を帯びる理由もそれだろう。………これで応えになっているだろうか」
 「はい。………厚かましい質問でした、忘れてください」
 ─────嘘。
 「いいや、とんでもない。お蔭で気持ちを改められたよ」
 ─────本当、お上手な偽言。
 苗字の態度を諭す事も無く、律儀に答えた藍染の顔を見上げる。
 彼の言葉に毒が注されたのは、二人の間に隔たる空気を伝っていき感受していた。
 ああ、彼は嘘を吐いた、と。
 一瞬黒い染みが浮き上がった声色も、今は澄み切った色へ変わっていた。何事も無かったように、再び会話は他愛ない話へと戻っていく。

 嘘は空気を吸うように、とはよく言ったものだ。
 何故とか、どうしてなどの理由を追及したい疑問詞は苗字の中には浮かばない。
 彼がそう言うのなら、それで構わない。他人へ興味を示さない苗字の意識は、矢張り此処ではない何処かへと浮遊していた。





 その後も流魂街での生活やら技術開発局での事やらをさり気無く話題へ出しては尋ねてきたが、苗字は当り障りのないことを言うのみでペースに呑まれる手前でスルリと藍染の手からすり抜けた。それに藍染が気づいているかは定かではないが、終始表向きはなんとも和やかな雰囲気であった。特に彼に対して隠す理由もないが、彼がその態度であるなら、此方も素直に言う理由もまた無い。
 少々寄り道をしつつも、三十分後には四番隊に着いていた。
 もういいだろうと判断し其の儘藍染から離れようとした苗字だったが、だらしのない袖を掴まれると、笑顔の藍染に引きずられる形で再び一緒に歩かされた。藍染が向かう方面から推測するに、如何やら卯ノ花隊長に用があるらしい。その足は、卯ノ花隊長が休憩するときや生け花を行うのに使用するお座敷へと向けられていた。

 「卯ノ花隊長、いらっしゃいますか」
 霊圧から藍染と分かったのか、中から直ぐに応答が帰ってきた。
 「ええ、どうぞお上がりになって下さい」
 藍染に続き障子をあけ入ると、副官と和菓子を食べつつお茶を啜っていた卯ノ花は目を見張って藍染と苗字を交互に見やった。
 「あら?………副官ではなく名前を連れて来るとは、どういった事情でしょうか?」
 小首を傾げ手を頬に添えると、途端に少女のような幼さが覗く。そんな卯ノ花に、藍染は畳に腰を下ろすと事の経緯を話し始めた。


 ◇


 「………成程、そうだったのですか。では名前が迷惑を掛けたわけではないのですね?」
 聞き終わるや否や、卯ノ花は安堵したのかホッと息を吐いた。そう毎回迷惑をかけていると思われるのも心外だが、苗字の日頃の行いを考えれば当然の反応だ。
 「いいえ、ただ楽しく話していただけですよ」
 「そうですか。………ですが毎度毎度急にいなくなられては困りますね……。今度からは首輪とリードを付けてもらわないとダメかしら?」
 「………卯ノ花隊長。それは冗談だけに止めてあげて下さい」
 本人はいたって本気で考えていたようで、何故止められたのか分からず眉を寄せている。年上である彼女をどう説き伏せようかと、これには藍染も流石に諦観を漂わせていた。
 身の危険を感じつつも押し黙っているしか出来ない苗字は、指先で鈴を転がしつつ事の様子を傍観する。霊圧の高い隊長格が二人もいる空間に居続けるのも具合が悪い。
 虎徹は最初こそ苗字を化物を見る目で見ていたが、今ではそれすら嘘だったかのように蟠りなく接してくる。彼女の態度が変わったのは、苗字の昼行灯ぶりを見たその直後だ。苗字には危険要素は無い、寧ろ何をしでかすか分からない不安や呆れが苗字の人物像を塗り替えていった。今では何故苗字と関わりたくないと思ったのかも忘却されているはずだ。

 「………そう言えば、どういった御用で此方にいらしたのかまだ窺っていませんでしたね」
 先程の件は彼女の中でどのように結論付いたのか今では知る由も無いが、お茶を啜り一拍おくと藍染との和やかな会話を打ち切った。
 ああ、そうでした。そうクスリと笑うと、顔色を変えずに話を切り出す藍染。だがその目は、眼鏡の奥で一瞬妖しく光る。

 「_____苗字君を僕の五番隊へ移隊させたいと言ったら、卯ノ花隊長は御反対なされますか」

 その一言で、場の空気に緊張感が張りつめる。
 コトッと、静まった部屋に湯呑を置く音がやけに大きく響いた。
 卯ノ花の顔もうって変わり、瞳に鋭さをおび藍染を見据える。
 「その話でしたら、以前もお断りしました。………彼女は、この先も四番隊で面倒をみます」 
 「それでは彼女の才能を伸ばす妨げにしかなりません。五番隊では、苗字君の才能を開花させられる。………いや、させてみせますよ。これは苗字君のためになることだとは思いませんか」
 「彼女の才能とはいったいどういうことです?名前の力は確かに訓練すれば伸びるでしょう。然しそれは、所詮四番隊の内に限定されたものでしかありません。それ以上でも、それ以下でもないのです」
 「決めつけてばかりでは、仮にも死神となった苗字君の自己侵害にしかならない。………この話は総隊長にも既に相談済みです。総隊長も、貴女の承諾を得られさえすれば良いと」
 藍染の真剣に考えた上での申し出を無碍にあしらう訳にもいかない卯ノ花は、静かに目を閉じ溜息を洩らす。
 暫く押し黙っていた卯ノ花だったが、開けられた瞳は藍染を見据えず苗字の方を捉えた。
 「名前。貴女は仕事に戻りなさい。………この話は、貴女が居ずとも進められますから」
 多くは語らないが要は、卯ノ花隊長曰く聞くんじゃないということらしい。卯ノ花もまた胸の内を語らないが、苗字を四番隊に置き続けることに固着するのにも何か理由があっての事なのだろう。一度藍染を見上げ、苗字は素直に卯ノ花に従った。
 すっくと立ち上がり障子に手をかけるが、後ろから再び声を掛けられる。
 「………そうでした。総合治療詰所の第三号室のシーツの取り換えがまだだったので、先に其方へ寄ってはくれませんか」
 後ろを振り返り頷くと、苗字はその部屋から出ていった。


 ◇


 一体何の話がされているのか、追い出された苗字には知る由も無い。只霊圧の気配から、ご立派な事に冷静沈着に話を進めている事が解る程度だ。
 と言っても、然程この話が何方に傾こうが苗字にとっては問題としていない。彼の思惑が何なのか、それ以外関心と呼べる感情は生まれなかった。自分の事であっても、矢張り関心は薄い。
 その事さえも、何時しか思考からかき消されていった。

 向かった先の第三号室の前、苗字はドアに手を掛けたままそれを横に開けずに、意志に反してその足は止まった。微かに、苗字の顔が強張る。
 此処には誰も治療を受けてはいないはずが、中から微量ながらも彼ラの気配がする。それは、中に誰かが居ることを示していた。

 ___ああ、四番隊隊長に謀られた。

 握りしめた掌にじんわりと汗が滲んでいくのを感じつつ、内心鼻で笑う。
 回れ右をしてしまえばいい。まだ扉は閉ざされたままなのだから。
 何もかもさらけ出される手前。此の儘知らぬ振りで、目を背けることは容易い事だ。
 だが、それをすれば苗字が霊圧を読める事を悟らせることに繋がりかねない。
 しかしそれさえも、只の都合の良い自己弁護に過ぎないのだ。それ以外に理由がある事は、本人の苗字がよく解っている。

 そうだ、何時かはこうなると分かっていた事だ。何時か訪れる時が、今に早まっただけのこと。此処で遅らせたところで、必然は繰り返される。
 逃げるわけにはいかない。
 苗字は、グッとドアに添えた手に力を込めた。
 僅かな感情の陰りに敏感に反応する彼ラに、殺されぬように。

 話さなければならない、彼女と。

 取り返しのつかなくなる、その前に。