芸稽古の帰り道。
 太陽は真上に昇り、苗字の体を温めていた。規律に縛られた部屋はどうにも居心地が悪い。実を言うと今日もまたサボる予定だったのだが、今日こそはと雛月太夫も頑として引かず、結局こちらが折れて出る羽目になったのだ。寝ぼけて半眼になったまま足元も覚束無い姿は、酔っぱらいのそれである。
 『鏡花屋』付近に差掛かった頃、ふと気配を感じた。今まで何度か接触をしてきた死神の気配と同じものだ。しかし今まで接触した者達の中で一番圧迫力がある。
 苗字は存在を強調せんばかりに圧し掛かる威圧に顔を上げ、建物の屋根の一点を見つめた。すると其処に、鮮やかな女性ものの羽織を羽織った中年男性が現れた。同時に男の背後や、男のつくる影からあの亡霊の存在を感じ取った。男を中心に亡霊達の密度が充盈していく。

 何、これ。
 今までに感じた事の無い感覚。
 仮面の付いた化け物や、他の死神からも感じていたが、此処まで濃密ではなかった。
 そんな男の容姿はというと、のろけ顔に、大きな体格。羽織の下には着崩しているが、黒い着物を着ているのが見て取れる。
 最近死神によく会うなと空虚な態度で考えていると、その死神がこちらを向いた。すると死神はにっこりと笑うと苗字の目の前に降り立ち、目線を合わせるように屈んだ。
 「やあ、初めまして小さなお嬢さん。方向から察するに、鏡花屋の禿かい?」
 一歩無意識に下がっていた苗字は、妖艶に笑い返し頭を下げた。
 「そうでございます、旦那様」
 「可愛らしい女の子に旦那様だなんて言われちゃおじさん嬉しいなー」
 へにゃりと笑い何が嬉しいのか舞い上がっている死神を、苗字は半眼のまましれっと見ていた。一頻り余韻に浸っていたようだったが、何か思い出したのか再び覗き込んでくる。
 「ああそうそう。君、一伏って芸妓知らないかな?居るようだったら会わせて欲しいんだけど……」
 「でしたら、もう会われておりますよ」
 「ん?」
 ぽかんとした間抜けな顔をするので、苗字は殊更優雅な動作で礼をした。
 「私が、一伏で御座います」
 「え、ぇええぇ?!き、君が?!いや、御免ね、ただ意外で」
 「滅相もない。中には嵌められたと激怒して帰っていかれるお客様もいるくらいですからお気持ちはお察しします」
 狼狽していた死神は自嘲気味に後頭部を掻くと再びへらへらと笑った。
 「そっかそっか、君がねぇ〜。うん、妖花の渾名も頷けるなぁ」
 
 そんな死神へ、苗字の笑みは更に深まる。
 「…………ではここは一つ、妖人の言葉に酔われていってはどうです?」
 急に苗字の雰囲気が一変したことに気づいたのだろう。死神の笑顔が固まり冷や汗が額に浮かんだ。
 「う、ん?ど、どしたの?」
 苗字は少し着物を肌蹴させ、死神に体を密着させて妖美に笑った。
 「今は大門が閉じられている時刻だと御存知でしょう?それだのに何故こちらにきたのかは窺いませんが、旦那様でしたら許して差し上げます。……さあどうぞ此方に。座敷へ御案内致しましょう」
 手を死神の腕へと伸ばし、更に背伸びして男に顔を近づけた時、女性の冷徹な声が苗字の動きを制止させた。

 「穢らわしい手で隊長に触らないで下さい」

 「あ、七緒ちゃーん!」

 どこか安堵した男の声に、苗字もまたその第三者の方へと顔を向けた。
 其処にいたのは、同じく死神であり神経質そうな顔をした女性だった。凛とした顔がほんのりと高揚し、眉間には深々と皺が寄っている。七緒と呼ばれた死神は苗字を一瞥すると、何事もなかったかのように視線を反らし男の方へづかづかと近づいて行った。
 「全く隊長、貴方という人は……。元々調査には私だけで十分と言っていたのに隊長も御同行したいと仰ったから連れてきたというのに、隊長は女と遊びたかっただけだったんですか?!それに勝手に居なくなられるとこうして探さないといけないんですからね!お願いですからこれ以上私の仕事を増やさないで下さい」
 棘のある叱咤にも終始曖昧に笑って誤魔化す男。女性は男の部下のようだが、これでは何方が上か疑問だ。
 「だってー、あれが実行される前に傾城の妖花ちゃん、見ておきたかったからさぁ」
 「下らない言い訳は結構。それよりも早く戻って再開しましょう。隊長が勝手に消えてしまって仕事が打ち切りになっているんですから」
 事務的な物言いでぶつぶつと文句を並び立てつつ速足で離れていく女性を追おうとした男だったが、黙って二人の掛合いを聞いていた苗字の方を振り返った。
 「ほんじゃまたね、一伏ちゃん。会えてよかったよ」
 「私は接待出来なかったことが残念でなりませんが……。またの機会に是非、お越しください」 
 「うん、又の機会に」
 そう言うと、頭に被っていた笠を目元まで引き下げた。するとその瞬間には二人の姿は消えており、小さく砂ぼこりが後を残していた。

 
 最後に見せた男の目。其処に一瞬だけ微かに過った感情を、苗字は知っていた。
 同情、憂いだ。
 女性もまた、そんな目で自分を見ていた。苗字に対してだけではない。この一帯をその様な目で見つめ、後ろめたげに目を反らしていた。あまり此処に長居したげではなかったことも、見間違いではないだろう。
 彼等は一体、何を隠していたのか。
 苗字の鋭利もそう長く続く訳もないわけで、またいつものように気だるげに、一つ欠伸をするのであった。


 ◇


 「………いやぁ〜七緒ちゃん、ほんと丁度いいところに来てくれて助かったよ」
 「嫌味ですか?隊長の趣味があんな小さな女の子だったなんて……。犯罪の域です。いっそ捕まるべきです」
 「いや、そうじゃなくてね」
 突然真面目な声色になった隊長に、女性もまた眉を顰めて黙った。
 「………あと少し遅かったら、堕ちてそうだったんだよ」
 「あんなに小さな女の子にですか?御冗談を」
 あくまで信じない様子だったが、隊長は神妙に話を続ける。
 「いやいや本当。妖花に見合う女性ってのも頷けるねぇ。思わず流されるところだった」
 含み笑いを浮かべると、笠を深々と被った。
 「あの子、どんな子なのかついつい気になってね」
 「その様な浅はかな好奇は、即刻捨てるべきです」
 女性はきっぱりと言い放ち、前を見続ける隊長の横顔を無表情に見つめた。  「彼女を含めあの近辺の者達は近々死にます。隊長だって、御存知の上で会われたのでしょう。ならば無用な感情です」

 「________」

 「う〜ん、困ったねー……」
 隊長の間延びした声は、行き場を無くし空へと細く消えていった。


 ◇


 此処瀞霊廷内では、この日朝から誰しもが慌ただしく右往左往としていた。何も言いはしない者であっても、傍からみて分かるほど落ち着きが無かった。皆ソワソワとし、不安に浮足立っていた。
 その理由は、あの突如起こった原因不明の感染病関連の事柄にあった。以前にその報告がなされた後、急速の原因究明のため死神らが派遣された。
 そうして浮き彫りとなったのは、ある虚であった。その虚には何やら特殊な能力が備わっているようで、それが原因となり疫病のような症状が流魂街の一部で流行りだした、というらしかった。
 原因が分かれば後はこちらのもの。
 すぐさま虚を倒したのだが、肝心の虚の能力は止まるどころか更に拡大していき死者を増やしていったのだ。対処しようと四番隊の何班かも現地に行かせ食い止めようと試みたものの、感染速度に到底治療が追い付つはずもなくお手上げだった。
 死体に残った虚の疫病の菌は燃やしただけでは消えるわけもなく、腐敗していくなかで更に菌を周囲に撒き散らしていた。やはり虚を倒すように、霊力によって根本から断ち切るしか方法は見つからなかった。
 その後八番隊、然も隊長も同行しての最終調査が行われ、その報告を元に隊首会が開かれた。
 そして最終的に下された決定は、その一帯の抹消。
 これ以上の回復が望めないためと、更なる被害拡大を防ぐための苦肉の策であった。だが瀞霊廷がこれ程までにあたふたしている理由はこれだけではない。
 その抹消の実行に、一番隊隊長兼護廷十三番隊総隊長である山本 元柳斎重國が名乗りを上げたのだ。それだけ早急に事を一掃したいことは分かるが、皆ここで総隊長が出てくるとは夢にも思っていなかった。それだけ今回の事件が重大であることが窺える。
 そんな異例の事態に、皆冷静になどいられないのだ。

 そうこうしているうちに、遂に執行日の朝を迎えていた。
 それが、今日という事だ。
 その場に同行するのは殆ど隊長・副隊長格の者達。勿論十一番隊と十二番隊は立合っていない。他に何人か抜けているようだが、残りの面々は同行する予定だ。
 素っ気無い者、同情する者、肯定する者、批判的な者、其々思うところが違っていた。
 確かに彼の斬魄刀から発せられる巨大な炎は、圧倒的な力で全てを灰に化す尤も効率良い方法だろう。だがやりすぎではなかろうかという意見も消えることは無く今尚囁かれ続けている。
 その意見を持つ者の中には、十番隊隊長である日番谷冬獅郎もいた。
 彼はその日を迎えた朝になっても、浮かぬまま眉間に皺を深く刻んでいた。そんな険悪な様子の手前誰もが話しかけるのを憚る中、此処の副隊長だけはいつも通りであった。
 「隊長まだ塞込んでるんですかぁ〜?あんまり皺ばっかりつけると、老け顔になりますよ?」
 「黙ってろ」
 低い声で一蹴されても、全く怯むことのない副隊長、松本乱菊は誰もが二度見してしまうほど立派な豊乳を揺らしつつ、座っている隊長に顔を近づけた。
 「それに、隊長がそんなんですから、皆怖がっちゃってるんですからね?」
 他の隊士を出したことで少しは省みる気になったのか、溜息を吐き力を抜く日番谷。やはり少年特有の捻くれた部分もあるものの、こういったところは真面目で律儀なのが窺える。松本もまた苦笑を浮かべたが、改めて顔を引き締めた。
 「………隊首会での決定が、腑に落ちないんですね」
 再び考え込んでいた日番谷だったが、松本の問いかけに頷いた。
 「ああ、まぁな……。どう考えても他にやりようがあっ……」
 「ああぁー!!」
 日番谷の深刻な言葉は突然の松本の悲鳴によって阻まれた。
 「今日現世で発売のお洋服予約するの忘れてたっ!」

 「………松本。てめー、話聞いてんのか」
 「はい?何か言いました?」
 けろっとしている松本の態度に、毎度のことながら怒りを抑え呑気な副官を睥睨する。
 「………もういい。さっさと支度しろ」
 一々叱責する気力も失せたのか、日番谷は荒々しく執務室から出て行ってしまった。その背を、松本も後を追ってついていく。その顔は、今までのふざけた様子は微塵も無く引き締められていた。

 「____はい」


 ◇


 彼ら死神が向かった先は、北流魂街69地区の南端にある突き出た崖の上であった。この地点は、下に広がる村を一望できる正に俯瞰するのにうってつけの場所であった。実際感染区域は更に東側にあるのだが、感染の被害は此処まで広がっているらしく69地区の一部も燃やすこととなったのだ。
 その場には、十一番隊、一二番隊の他に、三番隊隊長の姿も見当たらなかった。恐らくまた何処かに消えたのだろうと、頭の片隅でその副隊長に同情する。
 日番谷は仏頂面のまま、苦々しく眼下の村を見下ろしていた。流魂街出身である日番谷にとってこれは意に沿わない命令である。付き合ってられん、気に食わねぇと何度も反芻しては沸々と湧き上がる怒りを鎮めなければならなかった。
 彼等は何も知らされることなく無残に殺される。
 只菌があるというだけで、今から切り捨てられる。
 これでは、見殺しにすることと大差ない。
 彼の倫理観が、すべきでないと警鐘を鳴らし、只見ていることしか出来ない無力な自分を罵った。

 その時だった。
 総隊長が前に進み出たと同時に、村の方から壁をぶち壊したような破壊音が轟いた。
 破壊音に釣られて其方を向くと、壁を突き破って外に投げ出された男の体と、その男に跳び蹴りを喰らわせた姿勢のまま壁の残骸と共に出てきた小柄な少女が視界に映った。
 皆が唖然としている中、隣に立っていた八番隊隊長である享楽が呟く声を、日番谷だけは聞こえていた。
 「一伏ちゃん………?」