時は、少し遡る。
 
 妖花こと苗字は、お茶屋の座敷に上がっていた。下に敷かれた布団の上では、一人の男が仰向けに横になり規則正しい寝息を立てている。その情けない姿を、少し離れた畳に座っている苗字は無表情に見下ろしていた。彼岸花の描かれた布は、今は少女の頭を覆ってはいなかった。綺麗に手入れさせた銀色の髪が、小柄な体にそって垂れている。
 今宵の客は思いの外引きが悪い男で、花代を倍にするのを対価として素顔を見せた。
 再び、隠蔽するため労力を使わないといけない。この哀れな犠牲者のために。
 顔を隠すため頭に被っていると、生地が擦れる音で男が目を覚ましてしまった。苗字が髪を後ろへはらう動作を、男は放心したように見入っている。これから自分がどんな運命をたどるかも知らぬ顔に、苗字は薄らとほほ笑んだ。
 「………どうかなさいましたか?」
 凝視されることに耐えかねて声をかけると、男は強面を歪ませて笑い毛深い腕で苗字を引き寄せた。
 「いや?また随分と気色の悪い髪だと思ってな」
 「不快な思いをなされたのでしたら、お詫び申し上げます」
 頭を下げる苗字に対し、男は愉快げに笑った。
 「いいや、そんな事はどうでもいい。女がどんな髪かなど関心もないしな、要は抱ければそれで良い。……それよりも、顔を今一度見せろ」
 布に伸ばされた腕を、苗字は制止するようにそっと触れた。
 「いけません。もう夜が明けました、お戯れの時間は終了致しましょう」
 やんわりと諭すように説き伏せようとしたが、何が癪だったのか男の眉がピクリと動いたかと思うと、思い切り殴打された。殴られた頬が、ヒリヒリと熱を帯びていく。
 「何だ?俺の言う事が聞けねぇってのか?俺はお前のお客だぞ?!こっちは金払ってんだ、満足させんのは女の仕事だろうがっ!」
 恐らく酒が抜け切れていないのだろう、面倒くさい客だ。下手に出て落ち着くのを待つほかない。
 「ぞんざいな女だな、お前。其れともなんだ、金か?だったら更に倍払ってやるよ!」
 男はそう叫ぶと懐に手を突っ込みそれを苗字に向かってぶちまけた。その内の幾つかが顔に当たり小さな擦り傷を作る。
 「言う事の聞けぬ女には仕置きしないとな。主人の俺が教えてやる、礼儀ってやつをなぁ!」 
 男は苗字の襟刳りを掴むと無理やり立たせた。その拍子に着物がたわみ、首元に近い胸上に巻かれた包帯が露わとなる。それに男は気づくと、眉間に皺を寄せた。
 「………何だ、これは?先程は気づかなかったようだが、お前、傷物のようだな?」
 見下した笑みに、苗字の目は恐ろしいほど肝の据わったものになった。少女にとって最も卑しいものは、横暴の限りを尽くす低能の輩だ。
 男が動くよりも先に、苗字は襟刳りを掴んだ腕を掴み返し、足を掬い上げると同時に腕を回して男の体を下に叩きつけた。ひっくり返った男は驚きの声を上げ、無様に立ち上がると怒りに煮えたぎった目で苗字がいる方を睨もうとしたが、全てが遅すぎた。
 男が立ち上がったときにはもう既に苗字の足が男の顔面に食い込み、壁を突き破って二人は二階から飛び出した。
 男は頭から落ち、苗字はその動かない体の近くに着地した。その地面にめり込んだ頭を力を籠め踏みつける。下から骨の砕ける音が鈍く聞こえた。
 「金の心配をしてくれるとは気の利く男だ。だが生憎この方法が最も効率的だと思うがね」
 苗字は足を離すと男の体を引っ繰り返し襟刳りを掴んだ。血だらけの顔は白目を剥いたまま反応をしない。がくがくと振ってみたり「おーい」と間の抜けた声で呼びかけつつ両面平手打ちをしてみたが、気絶したままだった。
 一頻り罵声を浴びせるとふとその屈んだ姿勢のまま、苗字は先程から感じていた気配の方を向いた。突き出した崖の上に、複数の死神が立ち何故かこちらを見つめている。その中には、ちらほらと白い羽織を着ている者もいるようだ。
 先頭に立った老人を目が捉えた瞬間苗字は、突然襲ってきた断末魔に耳を覆った。
 「…………っっ!」
 その声なのか、只の奇怪な叫喚なのかに脳が切り刻まれるような激痛を感じ、鼓膜が引き千切られるのではと思うほどの大音響が視力まで奪った。一瞬、視界が真っ暗になる。
 どこからその断末魔が聞こえてくるのかと顔を上げてみると、向こうの角を曲がって現れた女性の姿を狭い視界の中捉えた。

 「………一伏っ!?」
 雛月が駆け寄ってくると、狼狽した様子で苗字の背に腕を回した。意識が雛月に向いたことであの断末魔も鳴りを潜めたらしく、じわじわ落ち着きを取り戻していく。いったい何だったのかと思いつつも苗字はケロッとしていた。
 「何だそんなに取り乱して。誰か死んだか」
 「あんたの様子がおかしかったからだよ!それより体をこわしたのかい?」
 「男に言い寄られて照れていただけだが何か」
 「ぇ……。男って?」
 苗字が失神している男の方へと顎でしゃくった。
「俺の客」
 「お客様ー!!?」
 「お茶目な事を言うもんだからついつい。全く女を困らす男は罪だよな」
 呑気な苗字の言葉にも耳を貸さず素っ頓狂な声を上げると男の方へすっ飛んで行き、また苗字の方へ戻ってくると襟刳りを掴んで激しく揺さぶってきた。
 「お客がちょっと横暴だって聞いて心配して来てみたら思った通りじゃないかっ!どうしてくれるんだい!もうあんたのこと庇いだて出来なくなっちまうだろう?!自分の首をしめるようなことするんじゃあないよ!」
 「はっはっは、やらかしましたなー」
 「阿呆!間抜けなこと言ってるんじゃっ………」
 おろおろと喚いていた雛月だったが、やっと苗字の背後に死神の姿を捉えたのか口を噤んだ。
 「………あいつ等、何をやっているんだい?」
 不安げに雛月が見上げているなか、老人が徐に刀を抜いた。刹那、またあの絶叫が波紋の如く破壊的な威力を持って響きわたり鼓膜がキーンとなった。顔を顰めながら、苗字も流し見る。
 「………ねぇ、あれ、やばいんじゃ……」
 「大夫、逃げた方がいい」
 苗字にも、流石に嫌な予感が感じられた。雛月が戸惑っている間にも、老人は何やら呟いている。その影や刀、背後から膨大の亡霊の気配が飛び散った。
 すると老人の周囲と刀に炎が生まれ、刀が振り下ろされると灼熱の炎が此方に目掛けて襲ってきた。
 「………っ、一!」
 「な」
 炎が迫る直前、雛月に抱き寄せられたと思うや其の儘地面に二人そろって転がっていた。
 何が起こっているのか分からない中最後に見たのは、自分を庇って抱きすくめる雛月の顔と、村を呑みこんだ業火だった。

 刹那
 チリ_____ィン………、と
 鈴の音が聞こえたような気がした。


 ◇


 ………どういう事だろうか、全く  熱くない。

 きつく瞑っていた目を薄く開けると、視界は何故か影がかったように黒々としていた。影に隔離された向こう側で、村が燃え、人々が灰と成っていた。その炎といったら威力が凄まじく、その破戒波はもろ此方にぶち当たり衣類も髪ももみくちゃにされていた。
 このまま息すら真面に出来なくなると危惧していると、頭上を覆っていた炎の海がはれてきた。其れと共に吹き飛ばされるほどの圧迫する暴風も止みつつある。
 一瞬気を失っていたのか、今になってもぞもぞと反応をしだした雛月を体から離そうと、苗字はその体を起き上がらせるのを手伝ってやった。すると、視界の影が滲む様に消えていき世界が鮮明になっていく。その影の一部が髪から垂らしていた鈴へと細く消えていくのを、苗字のみが気づいていた。
 二人とも、地べたにお尻をつけたまま辺りに目をやった。二人を囲む空間を覗き辺りは荒野の如く死以外其処には存在していなかった。建物だったものが煤ぶり、残った物は火に今尚炙られている。人の気配は全くなく、代わりに一面亡霊で覆われ一斉に此方を見つめていた。
 不気味で、異常な光景だった。
 肉の燃えた異臭に、胃液が出るまで吐いてしまった雛月は愕然とした目を恐怖で見開き、見下ろしたままの彼等を見上げた。
 「………これ、どういう事?なんで、こんな、惨い……」
 その呟きに、応える者はいなかった。
 苗字もまた、辺りの様子を覗う余裕はなかった。彼等の此方を見る目つきが先程のものと変わっているからだ。死神なんぞに関わりたくない気持ちは、今も昔も変わってなどいない。
 「大夫、走るぞ」
 「………え?」
 放心したままの彼女を説得する時間など無かった。苗字は立ち上がると震えている雛月の体を肩に担ぎ、そのまま全力疾走。
 兎に角逃げなければという思いで走り出したが、彼らの異常な速さは嫌でも知っていた。すぐに追いつかれるだろう。
 だが、彼女だけでも逃がす必要がある。そう思うのは、一種の義務からなのか、はた又あの時身を挺して自分を護ろうとした顔が脳裏にこびり付いているからなのか。
 焼野原とそうでない境界線へと突っ走っていた苗字は急に体を曲げると灰を巻き上げて方向転換させた。其の儘前屈みに構えた大男の方へ走っていく。大男の腕には、二と掘られた腕章が括りつけられていた。
 男は不敵な笑みを浮かべると刀に手をかけた。
 「俺様の方に向かってくるたぁいい度胸……っ!」
 言い終わるや否や、苗字の体は宙を舞い男の頭上で回転すると同時に後頭部につま先をめり込ませた。
 「ごふぅ?!」
 まだ男は不意を突かれ刀を抜けていない。刀を向けられない限り、勝算は、ある。
 男が大勢を立て直すよりも先に懐に飛び込むと、顎の先端に拳をめり込ませた。平衡感覚の麻痺している間に狙いをつけて胸を蹴り飛ばす。雛月を抱えているためあまり威力は無いものの臓器へのダメージは免れないだろう。巨体は衝撃で地面を滑り、呻き声を上げ止まった。それでも意識がある様子からして余程タフのようだ。
 視界を広げ再び走ろうとするが、もう遅かった。
 苗字らは刹那現れた死神達に囲まれてしまった。其れをじっと無言で見つめる苗字。

 「縛道の六十三、鎖条鎖縛!」
 何かの詠唱がなされると、太い鎖が銅に巻き付き苗字の動きを封じこめた。体から力が抜け崩れ落ちる苗字。背負われていた雛月は小さく悲鳴を上げ地面に落ちてしまった。その目は恐怖に塗潰されている。苗字は鎖を外そうと身を捩るものの、ビクともしない。
 「動かない方が賢明だぞ」
 突然ふってきた言葉にそちらの方に視線を寄こすと、射抜くような視線で女性が見下ろしていた。どうやら彼女が苗字の動きを封じたらしい。
 「………壊れたくなければな」
 
 「これはお見事。だが俺らに構うのは解せんな。悪いがあんたら死神の戯事に付き合うつもりはねぇぞ、偽善者共」
 「………何だと?」
 女性の目つきが更に鋭くなった。早くも、苗字の妖言に思考が乱されている。
 「果たしてその仕事ぶりがその横暴な態度に値しているかな。俺から言わせれば、否、姿さえも白々しい」
 その女性がブチ切れるよりも先に、先程の大男に溝内を蹴られた。嫌な音と共に、空気と血が吐き出される。
 「てめぇ俺の隊長にずけずけとぉ…っ!殺すぞごらぁ!!」
 体をよろよろとはさせているものの、体重を支えられていることには素直に苗字も感心だった。痛みでそれどころではなかったが。
 「貴様こそ耳元で騒がしい。引っ込んでいろ」
 「でぇ?!隊長、そらぁねえですぜ……」
 「そもそも何だ先程の醜態は。餓鬼だと思って油断でもしていたか、情けない」
 「………ぐ。そ、それは……」
 彼女に一蹴されてしまった副官。そんないざこざの中何故か死神達は動けないでいる雛月を捕獲し撤収しようとしていた。
 「何故俺を連れて行かねぇんだ」
 どすの利いた声で低く唸ると、近くを通り過ぎようとしていた白髪の少年が横目で苗字を捉えた。
 「…霊圧皆無のてめぇには用はねぇ。何処へなりとも行け」
 声をかけるものの、少年はもう苗字を見てはいなかった。
 少年が通り過ぎて行くのと入れ替わるように、顔をあの大男に踏みつけられた。地味に痛い。
 「さっきはよくもやってくれたじゃねぇか、あ゛ぁ?!お蔭でこっちは隊長の前で恥かいちまったじゃねえかよ。この女装餓鬼が」
 ぐりぐりと地面に擦り付けられるのを、成すすべもなく只耐えるしかない苗字。その目には何の感情もなかった。
 「どうせ顔も、そんな布きれで巻いてるぐらいじゃ不細工ずらなんだろ?最後に俺様が拝見してやろうじゃねえか」
 何を思ったのかぞんざいな態度で頭に巻かれた布に手をかける大男。

 「____これ以上触ってみろ」
 凄みの利いた声に、男は驚いて手を止めた。殺気の研ぎ澄まされた、低く轟く声に、男が怯臆したことが分かった。
 「これで見納めにされたいか?」
 睨まれたわけではない。刃物を突き付けられたわけではない。だが男は凄まじい悪寒を感じ皮膚がぞわっと粟立った。隊長格の霊圧に当てられているかのように冷や汗が毛穴という毛穴から吹き出し、威圧されてしまった。
 男は悪態と共に苗字を蹴ると、そそくさと死神と共に消えていった。

 後に残された苗字は、無情なまでに青い空を地面に投げ出されたまま見上げていた。
 雛月は、連れていかれてしまった。
 何故?理由なら大凡考えが付いた。あの老人の攻撃を防御したからだろう。
 そして、再び耳にした霊圧という言葉。それを雛月が持っているから連れていかれたということか。だが、実際に行ったのは苗字自身だ。幸運な事にそのことに気づいている者は誰もいなかったようだ。
 自分自身何故身を守れたのか定かでないが、今はそんな事に頭を捻っている場合ではない。崩れてきた鎖の残骸を払いのけると、苗字は唯一の居場所である80地区の方へと疾走しようとした。
 が、何故か躊躇う自分がいる。
 立ち止ってしまった苗字は、近くに佇む首のない少年の方を振り返った。
 「………ねぇ、私は、どうしたらいい?」
 死神と接触する度沸々と形づくっていった思いに、苗字自身も途方に暮れていた。
 探したいと、何処かで思っているのかもしれない。遥か昔に出会った、もう面影すら失った少女を。
 また、会いたい、と。
 
 少年は、人差し指をある方角へと指した。


 ◇


 「………隊長?どうかしました?」
 塞込んだ日番谷の異変にいち早く気づいたのは、その隊の副官だった。隣を共に瞬歩している日番谷の横顔を覗く松本。
 「あいつの行動、おかしくなかったか?」
 「隊長の言うあいつっていうのは、先程から気にしてる子供の方ですか?……さあ、あの身体能力には驚きましたけど、これといって目立つものはなかったと思いますよ?それよりも、総隊長の攻撃を防いだ方がはるかに驚きですよぉ」
 「あの餓鬼、逃げ出そうとした時急に前振れなく方向を変えただろ。其の儘、大前田の方に突っ込んでいった」
 松本の意見にも耳を貸さない日番谷。無視され不服そうなものの、仕方がなく松本も話を合わせた。
 「………そうですねぇ、でもそれがどうかしましたか?」
 「あいつが方向転換したと同時に、その場に瞬歩で移動した砕蜂が現れていた。もしあいつが方向を変えずにいたら、砕蜂に突っ込んでいったはずだ。だがあいつは、それを避けた」
 日番谷の言葉に息をのむ松本。そこまで考えていなかったようだ。
 「まさか隊長、あの子が霊圧を読んで故意にしたとでも?しかも砕蜂隊長は霊圧を封じていたんですよ?それにあの子から霊圧だって全く感じなかったじゃないですか」
 「だから引っかかってるんだろうが。それに俺にはただ霊圧を感じなかっただけのようには思えねぇ」
 日番谷の眉間の皺が、更に深まった。
 「霊子体であるはずの霊子の気配さえも、あいつからは感じなかった………」
 「もしそうなら……、かなり異常ですよ、それ」
 松本も乾いた笑みで応えるものの、何故か胸のざわめきが収まることは無かった。