日常の定義が、日に日に歪み出していた。疑念が生まれるよりも早く、その定義は定着してあった。
だからだろうか。

絶望することが、煩雑になるようになっていた。





「そこの角の奥と、後方500離れた位置、潜伏してる。ホールには計15。位置は……」

モニターに目を走らせ、苗字は淡々と無線に向かい指示を出す。遠方のビルに潜伏している仲間が、映像内で親指を立て合図する。
 笑声と、ライフルの音が交互に聴こえた。以前は心をえぐり、その一つ一つが自身の良心を追い込んできていたのに、今では脆くなった内面に影響するものが何もない。
 私が今こうして誰かを殺すことに手を貸しているけれど、私がやらなくても、きっと誰かが代わりになるのだろう。
 そんな、薄っぺらい自己肯定感なんかが芽生えていたりもして。一つの仕事として殺戮を傍観している自分がいる。利益や打算的に捉えている理性が、鈍痛のする頭にある、唯一の機能している感情になっていた。
 自分が変われば、世界は平和になる。
 私が悪になれば、世界が少し、優しくなる。
 結局のところ、自分が可愛いから。モヤがかかる頭で考えられることなんて、たかがしれている。尊重できるものにも、線引きしなければ守れない。

 きっと悪魔って、こういう人間を言うんだ、って、本気で思った。

 「…任務、終わったよ。さっさと撤収するよぉコルン」
 声が不機嫌だ。きっと今回の任務は肩慣らしにもならなかったのだろう。呼ばれた傍は、無言でその場を片しているようだ。
 補佐に回る苗字には何の声かけもない。きっと人工音声と思われているのだろう。殆どの組織の人間とはコンタクトを取ったことがないし。
 ぶつぶつと文句を言うキャンティが画面から見えなくなるのと入れ替わりに、牧野の姿が映りこみ、先程と同じようにこちらへ手を振って彼女も後を追って出て行った。
 思わず応えるように笑いかけたが、ハッキングした監視カメラから見ているだけだから、直接顔は合わせられない。
 私はあくまで補佐。
 彼女が楽しんで任務に当たっていたとしても、責める権利はない。

 間接的に彼女と仕事をするようになって思ったことは、この世界に馴染んでいてすごいなってこと。
 任務もそつなくこなし、無慈悲に銃弾を人間に打ち込む。そこに躊躇いはなく、キャンティ同様生き生きとしてた。
 きっと彼女も、この世界に馴染むために仕方なくやっているだけ。じゃないと、自分が悪になるから。
 必死に言い聞かせる。
 世界が、彼女をそうさせたんだ。
 監視カメラに潜り込ませていたプログラムを終了させ、痕跡を消す。回線を傷付けず痕跡を残さない技術は難しい。それを自分が作り出しているなんて、今でも信じられない。

 コーヒーを3口飲み、椅子へ深々と体を沈める。
 別の画面に映る男を、薄く開いた瞼から流し見る。
 スコッチ。
 牧野が、守ると言った男。
 カッコイイね。高校生だったあの頃なら、そう言って笑って談笑できたのに。

 穴が開くほど見つめたが、答えは初めから変わらない。思考が、正常に機能しているとは言えない、イカれた結論を淡々と復唱する。

 私が、彼を死に追い込めばいいんだ。

 牧野には勘ぐられないように、救済策を見つけられる前に。彼女には、関わらせない。現実を生きるあの人の命と、何の関わりのない漫画の住人の命、比べるまでもなく前者が重い。そんなの誰もが思うでしょ?
 必死に言い聞かせる。それが正しいことだと。慣れているはずだ。ここへ来て、何度もそう擦り込んできたんだから。
 ただ問題は、その術を知らないことだ。
 そもそも彼は何故死亡するのだろうか。任務で失敗?裏切り?ただ単に事故?それによって、こちらも動きを変えねばならない。牧野よりも、先に行動することができない。
 そのためにも、まずは情報を集めることが先決だ。

 今までは、外部のハッキングを主に行っていた。その包囲を、内部に貼る。
 体が薬で軋むのに、顔を震わせながら画面の前姿勢を正す。

 組織のメンバーのシステムツールへウイルスを侵入させ、ハッキングする。

 ◇
 「…最近どういうわけか仕事が遅いようだが?言い訳を聞いてやろうじゃねえか」
 あれから数日たった日、彼が来て唐突に銃口を突きつけられた。苗字は無抵抗のまま、虚な目に彼を映す。
 「返答によっては、殺すの…?」
 「自覚のあることはいいことだ。さっさと吐け」
 「私は、……組織を、一番に考えてるよ」
 一つのパソコン画面へ、顔を向けジンの目線を誘導する。そこには、一人の研究員の女がうつっていた。
 「…一部研究データを、個別のUSBメモリーに移した形跡が、あった。……裏を調べるの、…時間がかかるから」
 「報告をあげろ。殺せば済むことだ」
 「水面下に警察、FBIがいたら?……組織を壊滅させたい人間に、わたるかも……」
 グイッと、乱暴に襟ぐりを掴まれ否応なく視線が絡まる。力ずくで立たされた身体は、爪先立ちして支えるには苦しかった。
 「お前が心配することじゃねぇ。反吐がでるその正義感で、組織内の人間をちょろちょろと調べてやがるのか?」
 …バレている。
 苗字は顔を顰めたまま、ジンを見やる。震えるのは、恐怖からではなかった。
 バレるようにやっていたのは、事実だし。
 「……でも、あの方から、止めるよう言われてない…。きっと…、nocを見つける有効な手段と思っておられるから。だから……、ジンも、私を責めれないでしょ…?」
 ギロッと睨まれる。そのうち手を離し、苗字はよろけて椅子に倒れ込む。
 「少しでも変な真似をしてみろ。命はないと思え」
 それを捨て台詞に、ジンは外へ出て行った。入れ替わり、シェリーが姿を現し、驚いた顔で出て行ったジンを見ている。
 「どうしたの?何か、あった?」
 去っていった方から視線を逸らし、シェリーが中に入りながらそう尋ねてくる。
 「……何も」
 苦しそうにしているのを、察したのだろう。
 「何か飲んで、落ち着いた方がいいわ」
 「コーヒーとか?」
 途端、シェリーは端が悪い顔をして顔を背ける。そんなシェリーへ、苗字は重い頭を上げぼぉと見つめる。
 「…シェリーは優しいね」
 「嫌な皮肉ね」
 眉間にシワを寄せあからさまに嫌がるシェリー。苗字は画面に映る女をもう一度見た。
 「…ごめんね。優秀な研究員を、一人殺しちゃった」
 唐突なことに、怪訝な目を向けるシェリー。
「何の話?」
「…ううん。それより、どうかしたの」
 「あぁ…ちょっと、貴女に聞いておこうかと思っていたの」
 言いづらいのか、勿体ぶるシェリーに、苗字も疑問符を頭に浮かべる。
 「貴女、ロゼと面識があるの?」
 口に含んでいたコーヒーが、あとちょっとで詰まりそうになった。目を僅かに見開いていた。
 ロゼ。
 最近牧野に与えられたコードネームだったはず。
 「面識が少しあるくらいだよ。偽造パスポートを作る仕事の時に…。その人が、どうしたの」
 「気がかりに思っただけよ。やたらと薬について聞いてきたり、馴れ馴れしかったり。薬のことも、ある程度知っている風だったわ」
 牧ちゃん。早速怪しませてない?
 「貴女の名前がその時出たから、知り合いかと思って聞いたのよ」
 あれ、私も勝手に巻き込まれてる?
 「ロゼのこと、知らないよ。そもそも記憶ないから、分かりようないし」
 「…そうね。愚問だったわ。ただ、ジンはそうは思っていないようよ。知人かと思ったから、彼もここへ来たんじゃない?」
 「………」
 「彼にとっては、貴女が孤立していないと都合が悪いから」

 牧野の動きが分かっただけでも、巻き込まれただけの価値はある。牧野がどうやってスコッチを助けようとしているのかが分かったのだから。
 殺害は論外、原作を知る彼女が薬に関心をしめすのは、薬で幼児化をさせようとしているということ。相手を逃し、隠したい心理が働いているのは、彼が裏切り者である確率は非常に高い。
 彼女は、スコッチを組織から逃がそうとしているんだ。
 苗字は、悟られぬよう、いつもと変わらない気怠げな口調で話す。
 「シェリー。薬は機密事項だよね。ちゃんと管理できるよう、お手伝いさせてね」
 牧野に、薬を奪わせないようにすれば良い。牧野が組織にたてついたとも露天しない。そうすれば、まきちゃん…

君は、スコッチを諦めてくれるよね…