突如としてフィールドを支配した、不気味な静寂。『ゴーストロック』——そう称された尾刈斗中の不可解な戦術によって、雷門イレブンの足はまるで見えない鎖で地面に縫い付けられたかのように、ぴたりと止まった。
それはGKである円堂も例外ではない。必死に抗おうと歯を食いしばる彼を嘲笑うかのように、ボールは無慈悲にネットを揺らした。
「……っ、ふざけんな!」
苛立ちを爆発させたのは、エースとしての意地を燃やす染岡だった。制止しようとする豪炎寺の声は意に介さず、一人で相手陣内へと切り込んでいく。強引に放たれた『ドラゴンクラッシュ』。だが、その一撃は先程の鋭さを欠いたものだった。染岡のシュートは相手キーパーが構える鉈の真正面へと吸い込まれた。
「なるほどね。」
名前の隣で、鬼道が僅かに目を見開く。名前の視線の先には、闇雲に動く染岡ではなく、フィールドの中央で微動だにせず、鋭い眼光を特定のポイントに走らせる豪炎寺の姿があった。
豪炎寺の視線の先は、相手ゴールキーパーである鉈の手元だ。名前はその目線の意図を読み取り、ふっと口元を緩めた。
「着眼点はさすがといったところか。攻略にそう時間はかからなさそうかな」
勢いづく尾刈斗中の猛攻。雷門イレブンが「呪い」の恐怖に翻弄される中、スコアは二対三へとひっくり返り、前半終了のホイッスルが鳴り響いた。
ハーフタイム。重苦しい空気の雷門ベンチを遠目に、帝国側の三人が静かに口を開く。
「……不可解な現象だな。物理的に足を縛っているようには見えなかったが」
佐久間が腕を組み、不気味な余韻が残るピッチを睨む。それに対し、鬼道はベンチへ引き上げる雷門の選手たちを冷静に観察していた。
「何らかの手法を用いた集団催眠、といったところか。強制的に『静止』を刷り込まれている以上、精神論だけで打破するのは難しいだろう」
「そうね。…豪炎寺はあのチームでまだ誰も気付いていないGKの攻略に忙しそうだけど、ボールが回ってこなければ意味はない。ゴーストロックは誰が破るんだろうね。」
名前がどこか楽しげに状況を整理してみせると、鬼道の視線が僅かに厳しさを増した。その硬い反応に気づいているのかいないのか、名前はフィールドへ戻っていく豪炎寺の背中を、信頼の籠もった眼差しで見守っている。
「……フン、仮に仕掛けを見抜いたとしても、それを共有し、実行に移す組織力が今の雷門にあるかどうかだな。あの十一番の焦燥が周囲に波及すれば、チームとして自滅するぞ」
鬼道のその言葉は、予言のように的中することとなった。
後半開始。キックオフのボールを、豪炎寺は前線へ運ぶことなく後ろの少林寺へと下げた。
相手キーパーの不可解な動きを警戒しての慎重な判断。だが、今の雷門にはその意図を汲み取る余裕などなかった。
焦燥に駆られた半田が、強引にマークの付いた染岡へパスを出す。当然のようにボールはカットされ、一年生組からは不満の声が漏れ出した。
「呆れた。見てられない」
「……ひどいものだな。完全に自分たちを見失っている」
「熱くなりすぎるのも考えものだよな。」
名前が吐き捨てるように呟く。チームがバラバラに崩れていく様は、帝国という「組織」の頂点に立つ彼女たちからすれば、滑稽ですらあった。
再び発動するゴーストロック。絶体絶命の瞬間、円堂が何かに気づいたように、相手監督の呟きをなぞり始めた。
「ゴロゴロ、ドッカーン!!」
円堂が叫んだ瞬間、見えない鎖が霧散するように消え去る。放たれたシュートを、円堂は新たに習得した『熱血パンチ』で力強く弾き飛ばした。
名前は思わず上がりそうになる口角に唇をきゅっと引き締めた。
「……どういうことだ!? 今、何が起きた?」
呆気にとられる佐久間に、名前と鬼道が冷静に種明かしをする。
「ようするに集団催眠術。監督の呪文とそれを撹乱する動きで、脳に『止まれ』という暗示をかけていたってところ。……あのキャプテン、それを叫び声で打ち消してしまうなんてね。」
「フッ、理屈ではなく本能で打ち破ったか。面白い男だ」
円堂の「チームの一点は、みんなで取る一点だ!」という熱い叫びがグラウンドに響き渡る。その真っ直ぐな言葉に、名前はそっと微笑んだ。
「……いい言葉だね。あの一言で、バラバラだったチームがようやく纏まり始めた」
流石はあの頑固な幼馴染をサッカーに引き戻した男だと思った。その彼からボールが再び前線の2トップへ渡る。その時、これまで沈黙を貫いていた豪炎寺が、鋭い声を張り上げた。
「奴の手を見るな! あれも催眠術だ! 平衡感覚を失い、シュートが弱くなるぞ!!」
その警告に、染岡の瞳が大きく見開かれる。
「……お前、ずっとそれを探っていたのか!」
豪炎寺がなぜあえて攻めなかったのか。その真意をようやく理解した染岡は、立ちはだかる三人のディフェンスをよそに、最高の笑顔で叫んだ。
「豪炎寺!!」
放たれたドラゴンクラッシュ。それはゴールを狙うものではなく、豪炎寺へと繋ぐ最高の「パス」だった。
どよめきが広がる中、豪炎寺はその意図を完璧に捉えて跳躍する。
「……ファイアトルネード!!」
赤き炎を纏った龍が、相手キーパーの鉈ごとゴールネットを貫いた。
信頼に応え、勝利を引き寄せるそのプレイスタイル。あの頃と変わらないその姿に、名前は胸の中に広がる温かな高鳴りを感じていた。
同点に追いついたのを見届け、鬼道が静かに踵を返した。
「帰るぞ」
「いいのか? 最後まで見なくても」
「フッ……結果は見えた。雷門中か……楽しませてくれる」
鬼道の言葉に、名前も同意するように頷く。
「FF地区予選、面白いことになりそう」
名前は一瞬だけ、グラウンドで染岡たちと喜び合う幼馴染の姿を名残惜しそうに見つめたが、すぐにいつもの冷静な表情に戻ると、二人の後を追って歩き出した。
帝国の誇りと、雷門の熱。次に相まみえるとき、自分たちはどのような景色を見ることになるのか。その期待を胸に、彼女は稲妻町を後にした。