豪炎寺との蟠りが消えた翌朝、帝国学園の重厚な校舎に足を踏み入れる名前の足取りは、昨日までとは明らかに違っていた。
磨き上げられた廊下を叩くローファーの音には、どこか軽やかなリズムが混じっている。すれ違う生徒たちが思わず振り返るほど、彼女が纏う空気は瑞々しく、春の陽光を孕んだような温かさがあった。
名前はいつものようにデータの共有のため、真っ先にキャプテンである鬼道を見つけて彼の前に立った。
「各校の動向、特に変化なし。それから雷門だけど、例の豪炎寺修也が正式にチームに加入したそう」
淡々と、しかしどこか弾むような声で報告を終え、名前は手元の端末を閉じた。その口元には、抑えようとしても零れてしまうような微かな笑みが浮かんでいる。
報告を受けていた鬼道は、組んでいた腕を解くことなく、ゴーグルの奥の鋭い視線を名前に向けた。
「……随分楽しそうだな、名字」
短く投げかけられたその声は、いつもより僅かに低く、どこか探るような響きを帯びていた。
名前はそんな鬼道の様子に気づくと、首を少し傾けて見せた。
「わかる? 自分の立てた予測がこうも綺麗に当たると、気分がいいもので」
悪戯っぽく微笑みながら、彼女は鬼道の顔を覗き込んだ。彼の声に含まれた僅かな硬さ。それに気づかない名前ではないが、彼女はそれを追求する代わりに、どこか労わるような、優しい眼差しを彼に返した。鬼道が背負っているものの重さを、彼女は誰よりも近くで見守ってきたからだ。
そんな二人の静かな空気の中に、廊下から勢いのある声が飛び込んできた。
「鬼道さーん、名前ちゃーん! ニュースです!」
扉を勢いよく開けて現れたのは、雷門へ潜入する任務を請け負って間もない土門だった。帝国の静謐を破るその騒々しさに、鬼道は小さく眉を寄せる。
「なんだ、騒々しい」
「豪炎寺が雷門中サッカー部に入部したようですよ!」
期待に満ちた土門の報告だったが、鬼道は微動だにせずに応じた。
「そのようだな」
「……え、さすが鬼道さん! もう知ってましたか〜。もしかして、名前ちゃんも?」
「その名前ちゃんが今しがた共有したところだから。残念だったね、土門」
名前がちょっぴり悪戯じみた笑みで補足すると、土門はガックリと肩を落として後頭部を掻いた。
「あちゃ〜、情報収集の速度はやっぱ敵わないな〜。俺なりに特ダネだと思って走ってきたんですけどね」
「感心だな、土門。……だが丁度いい、次の雷門中の練習試合だが、お前も偵察について来い」
「やった! オレもこの目で見たいなーって思ってたんですよ〜!」
鬼道の誘いに、土門の表情がパッと明るくなる。
と、開いたままの扉の向こうから、聞き慣れた落ち着いた佐久間の声がした。
「なんだ、雷門の偵察の話か?」
「そう。佐久間もよかったらどう? 彼らがどんな風に変わったのか、見てみない?」
「いいのか? オレも気になっていたんだ。豪炎寺が加わったあのチームが、次にどんなサッカーを見せるのか」
名前の問いかけに、佐久間は頷いてみせた。
無敗の誇りを背負う帝国学園。その中心にいる彼らが、一様に「雷門」という未知の火種に惹きつけられ始めている。
「決まりね。それじゃあ、また後で集合で。」
名前は軽やかに翻ると、偵察チームを先導するように歩き出した。その背中には、昨日までの迷いは微塵も感じられなかった。
帝国学園の威容を背に、一行は稲妻町へと向かう電車に揺られていた。
車内、窓から差し込む陽光が、4人を照らしている。隣り合って座る鬼道と名前の様子を、名前の隣で土門に並んで座る佐久間は、どこか遠い目で横目に見ていた。
「……それにしても、まさかあの豪炎寺が本当に雷門に入るとはな。お前の読み通りだ、名字」
「まあね。…彼をあそこまで動かしたのは、やっぱりあのキャプテン、円堂守のしぶとさってところみたいだけど」
名前が少しだけ誇らしげに目を細める。その表情を鬼道は無言で、しかし一瞬たりとも逃さぬように見つめていた。
佐久間はそんな二人の間に流れる空気——鬼道の隠しきれない独占欲と、妙に敵チームに肩入れする様子の名前の構図——を察して、心の中でそっと溜息をつく。隣の土門は何も知らずかお気楽そうだったのがまたため息が零れそうになっていた。
そんな佐久間の苦労も露知らず、電車は稲妻町へと滑り込んだ。
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駅から少し歩き、辿り着いた雷門中の校舎。
その光景に、一行は足を止めた。校舎の至る所に配された象徴的なイナズママーク、そして少し古びた門扉にまで刻まれたその紋章は、帝国学園の洗練された威圧感とは対極にある、泥臭くも力強い意志を感じさせた。
「へえ、これが雷門か。っと、それじゃあ俺はこれから転校の手続きとかあるんで、鬼道さん達とは別行動しますね」
土門が感心したように校舎を見上げて身を翻す。
「ああ、それがいい。周囲に悟られないよう、自然に振る舞え」
「了解です。じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい。……彼らのこと、よろしく頼むね」
名前の言葉に、土門はにっと笑って駆け出していった。
残された三人は、練習試合が行われるグラウンドの端へと移動し、身を潜めるようにして戦況を伺う。
鬼道が腕を組み、冷徹な分析を口にする。
「豪炎寺はまだ入ったばかりでチームプレイは望めないだろう。雷門中のヤツらがこの試合で上がってくるのか、それとも燻って終わるのか見物だな。」
「対戦相手の尾刈斗中は、データによれば心理的な揺さぶりをかける戦術を得意とする学校。……でも、案外雷門イレブンはあっさりと突破口を見出す気がするのよね。不思議と。」
それはどういう意味だと問おうとする鬼道だったが、名前の言葉が終わるのとほぼ同時に、ホイッスルが鳴り響いたことでその場の3人は視線をフィールドへ向けた。
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試合は開始早々に動きがあった。
尾刈斗中のキックオフから、FWの幽谷へ。放たれたファントムシュートが雷門ゴールを強襲する。だが——。
「ゴッドハンド……ッ!!」
円堂の巨大な光の掌が、その不気味な軌道を真っ向から受け止めた。
「なっ……!?」
驚愕に目を見開く幽谷。隣で観戦していた佐久間も、思わず身を乗り出した。
「あの時の必殺技を、完全にものにしているのか……!」
「面白い。」
鬼道と名前は、当然の結果だと言わんばかりに口角を上げて、静かに戦況を見つめ続ける。
円堂からのパスが風丸、少林寺へと繋がり、雷門の反撃が始まる。尾刈斗中はエースストライカーである豪炎寺を徹底的にマークし、三人がかりでその動きを封じようとしていた。
「徹底した見事なマーク…。ただ、雷門を舐めすぎのようね」
名前が呟いた直後、フリーになった染岡へとパスが渡る。
「行くぜぇ! ドラゴンクラッシュ!!」
青い龍を纏った豪快なシュートがネットを揺らした。キックオフで仕切り直した後も、続けざまに放たれた2発目が尾刈斗のゴールを抉る。
「……なるほどな。豪炎寺は囮か」
「彼のあのポジショニング、自分がマークを引き寄せることで、染岡が自由に動けるスペースを完璧に作り出している。……戦況を読み取る力は衰えてないようね」
名前の分析は冷静だったが、その瞳には幼馴染の活躍を喜ぶ、温かな色が混じっていた。
2対0。雷門の圧倒的優勢。このまま順調に勝ち越すかと思われたその時、フィールドの空気が一変した。
「……いつまでも雑魚が!! 調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」
穏やかな表情をたたえていた尾刈斗中の監督が、何かに取り憑かれたような形相で絶叫する。
それを合図に、雷門イレブンの足が、まるで見えない鎖で繋がれたかのように、ぴたりと止まった。
「……何!? 動けない……!」
「これが、尾刈斗中の……」
ついにきたか、と名前が眉をひそめ、その鋭い視線をフィールドへと走らせる。不気味に蠢く影の正体をどう雷門中が暴くのか、じっくり見させてもらうおうと顔にかかる髪を耳にかけた。