稲妻町駅からの帰りの電車。夕刻の車内は、帰宅途中の学生や勤め人で程よく埋まっていた。
並んで座る佐久間と鬼道の隣で、名前は携帯電話を指先で弄んでいる。その口元には、先程の試合の余韻を噛みしめるような柔らかな笑みが浮かんでいた。

名前はメーラーを開き、一瞬だけ迷ってから短い文面を打ち込んだ。

『FF出場決定、おめでとう。地区予選決勝で会おう。』

送信ボタンを押し、画面を閉じる。窓の外を流れる夕焼け空を眺めていた名前の指先で、すぐに短い振動が走った。

『知ってたのか。いや、来てたのか?
 ありがとう。決勝で会おう。』

画面に表示された豪炎寺らしい、飾り気のない返信。それを見た瞬間、名前は自然と緩む口角を自覚しながら、画面を胸元に抱えるようにして目を細めた。

その様子を、鬼道は窓の外を眺める振りをしながら、ゴーグルの奥の鋭い視線で捉えていた。隣に座る佐久間は、二人の間に漂う"いつもの"もどかしい空気に当てられ、大きく一つ溜息をついてから、わざとらしく背もたれに深く体を預けた。

「……何か、良い知らせでもあったか?」

鬼道が、極めて平坦な、それでいてどこか硬い声で問いかける。名前は視線だけを彼に向け、悪戯っぽく唇を尖らせた。

「そんなとこ。…地区予選が楽しみね。」

その言葉が嘘ではないことを知りつつも、鬼道は再び窓の外へ視線を戻した。彼の組んだ腕の指先が、微かに制服の袖を叩く。一方、佐久間はやれやれと首を振ると、名前に向かって小さく肩をすくめてみせた。
佐久間の行動はいつも真意を測りかねるが、どうにも呆れられている気がする。名前は小首を傾げた。


帝国学園の威容を誇るサッカーフィールドに、スパイクが芝を噛む鋭い音が響く。
夕闇が迫る中、偵察から戻った鬼道、佐久間、そして名前の三人を迎えたのは、既に練習を開始していた帝国イレブンたちの視線だった。

「試合結果、どうだったんだ?」

ゴールマウスの前にいた源田が、グローブを外しながら歩み寄ってくる。その問いに、鬼道が短く、しかし重みのある声で答えた。

「雷門が勝った」
「なっ、雷門がですか!?」

驚きを露わにしたのは辺見だ。あの「弱小」と揶揄され、実際それを前回の練習試合で目の当たりにしていた雷門の勝利は、帝国の面々にとって信じがたいニュースだった。

「豪炎寺は正式に雷門中のサッカー部に入部したようだ」

佐久間の補足に、辺見が「ああ、なるほど」と得心したように頷く。

「じゃあ、豪炎寺のおかげで勝てたんですね。やっぱりあいつ一人で戦況は変わるのか……」
「そうとも限らないよ」

そこで名前が口を挟んだ。彼女は手元の端末を閉じ、イレブンを見渡す。

「確かに彼、…豪炎寺の戦術眼と決定力は凄まじかった。ただ、それ以上に興味深かったのは彼を受け入れたチームの方。特に尾刈斗中の『呪い』を力技でねじ伏せたのは、紛れもなくあのキャプテン、円堂の力だったからね」

鬼道も名前の言葉を肯定するように、静かに腕を組んだ。

「その通りだ。雷門は俺たち帝国と戦った時よりも、体力、技術力、それに…チームの結束力が上がっていた。今の彼らは、単なる個の集まりではない」
「豪炎寺だけの力とも言い切れないってわけか……。厄介なことになりそうだな」

源田はそう呟き、考え込むような仕草を見せる。
それぞれが持ち場へ戻ろうとしたその時、源田は足を止め、隣を通り過ぎようとした名前の顔をじっと見つめた。

「……名前。なんだかお前、楽しそうだな」

その声には、チームの危機感とはまた別の、僅かな棘が混じっていた。
名前は足を止め、自分より頭一つ分以上高い位置にある源田を、下から覗き込むようにして見上げた。そして、少しだけ誇らしげな、悪戯っぽいドヤ顔を浮かべてみせる。

「そう見える?」
「……ああ。隠せてないぞ」

源田は溜息をつき、大きな手で無造作に名前の頭を撫でた。目を細めてその温かさを享受する名前の様子は、まるで懐いた猫のようだったが、源田の口調はどこかぶっきらぼうだ。

電車のなかで豪炎寺と交わした、短いメッセージ。それが名前の心に灯した火は、まだ熱を帯びてパチパチと爆ぜている。そんな浮ついた自分を、名前自身も自覚していた。

だが、源田の掌が頭上に置かれた瞬間、熱い掌がその熱とじわり混ざり合って溶けていくのを感じた。

無骨で、分厚い、ゴールキーパーの掌だ。幼馴染のアイツのそれとはまた違う、視界を埋める彼の大きな体が、騒がしい世界を一時的に遮断してくれる。名前は無意識に目を細め、その心地よい重みに身を委ねた。

修也との再会で跳ね上がった心拍数が、源田の一定な髪を梳くリズムに合わせて、ゆっくりと平熱へと戻されていく。それは幼馴染への情愛とはまた別の、帝国学園サッカー部というチームで育まれた、絶対的な安心感だった。

しかし、その掌の持ち主は、決して穏やかな心境ではないようで。

「少し妬けるな。他校の成長にうつつを抜かされてるみたいだ」

それはサッカー選手としてのプライドを盾にした、彼なりの精一杯の独占欲だったのかもしれない。
名前はそんな源田の拗ねた様子を軽くいなすようにくすりと笑う。

「安心して。私がどこよりも強いと信じてやまないのは帝国イレブンだけ」

形の良い唇に綺麗な孤を描かせながら言う名前の軽口に、源田は「ならいい」とだけ返し、苦笑を浮かべて手を離した。手入れの行き届いた名前の髪は絡まることを知らず、源田の指先からつれない野良猫のようにするりと逃げていった。

そんな二人のいつもの光景を、少し離れた場所から見ていた佐久間は「また始まったか」と言わんばかりに呆れた顔で肩をすくめる。一方でその隣の鬼道は何も言わず、ゴーグルの奥の視線を二人へと向けたまま佇んでいた。その沈黙には、言葉にできない複雑な色が混じっている。

そんな四人の空気を、洞面が遠くから声を張り上げて遮った。

「鬼道さーん、名字さーん! 総帥が呼んでますよー!」

その呼び出しに、フィールドの空気が一瞬で引き締まる。影山総帥の名前が出た瞬間、名前の瞳から先程までの柔らかい色は消え、冷徹な参謀としての顔が戻った。

「……行こう、鬼道。総帥をお待たせするわけにはいかないからね」

名前は鬼道と短く視線を合わせると、迷いのない足取りで総帥室へと向かった。
背後に残る源田の、重い視線を感じながら。