目頭が熱くなった。妹が病院のベッドの上で静かに眠り続けるようになってから、サッカーはもうやめると言っていた幼馴染のプレイは何ひとつ変わっていなかった。
仲間を信じ、信じた者に行動で答えを示す、誇り高きエースストライカーとしての矜持を感じさせる、そんなサッカー。昨年の活躍だけでも中学サッカー界において抜群の知名度を誇る彼のファイアトルネードの威力は、彼の妹と一緒に応援していたあの時に勝るとも劣らない代物だった。
豪炎寺のデータをとる、という名目でベンチからデータをとっていた名前は喧嘩別れして以来久々に目にした彼の姿を、試合が帝国学園の棄権により終わった後も追い続けていた。
「名字…おい、名字…?」
「…っごめんなさい、今行く」
思考の全てをそちらに持っていかれていたせいで試合が終わり、帝国へ戻るというのに呆然とベンチに座っていた名前は普段より幾分か低い鬼道の声で我に返りその後を追った。
____鬼道は何度声をかけても反応しなかった名前に胸騒ぎを抱いていた。
普段であればとるデータをとったらすぐにタオルやスクイズ等の物品を回収し、学校へ戻るように促す仕事人なマネージャーである彼女の様子が明らかにいつもと違った。
思い返せば雷門中との練習試合が決まったその時から何かがおかしかったが、その原因にようやく思い当たった。豪炎寺修也だ。名前との関係がどういったものなのかは定かではないが、ヤツを見つめる名前のどこか懐かしむような切なげな眼差しと、時折我が帝国学園のベンチに向けられる豪炎寺の鋭い視線からなにかある間柄なのだろう事が読み取れた。試合が終わっても中々動こうとしなかった彼女にかけた声が思いの外低くなった事に自分でも驚いていた。
「そうだ、鬼道」
「なんだ。」
「これ今日のデータと練習メニュー。私はこの後備品の買い出しに寄ってくるから、これを使って先にミーティングを。」
「1人で平気なのか?」
「大した量じゃないし問題ない。総帥の許可も得てるし。」
「そうか…、気を付けるんだぞ。」
思考の渦に飲み込まれていた鬼道を現実に呼び戻したのは他でもない名前だった。買い出しならば人手が必要ではないかと疑問を投げかけるが、有無を言わさぬ物言いで一蹴される。普段の彼女のどこか素っ気ない物言いと変わらないはずなのに、彼女が稲妻町に残ると考えただけでいらぬ事を勘繰ってしまうのは、先程覚えた心の奥底の彼女に対して引っかかりのせいだろうかと考えてしまい、鬼道はもやもやとしたものを抱えながら帝国学園に戻るバスに乗り込んだ。
ところ変わって雷門中の裏手にある稲妻町の商店街に名前は来ていた。
そこそこの品揃えのあるスポーツ用品店、ペンギーゴで在庫が切れ気味のテーピングやコールドスプレーを購入した後、帝国学園へ戻るべく駅へ向かおうと足を進めるうちに小さな花屋が目に止まった。正確には花屋が店先に並べていた赤とピンクの花を中心にした小さくて可愛らしいプリザーブドフラワーのガラスドームだった。
脳裏に浮かぶのはピンク色のワンピースの似合う可愛らしい少女の笑顔。少し迷った上で目に止まったそれを購入し、歩みを駅とは反対方向へ進める。
辿り着いたのは稲妻総合病院。そこそこ大きく、入院患者も多くいるこの病院の小児病棟のある一室の扉を開ける。
奥に進めば清潔感あるシーツの中で目を閉じている小さな少女、豪炎寺夕香が約1年前と変わらず静かに寝息を立てていた。
「久々ね、夕香ちゃん。中々来れなくてごめんなさい。」
返事はないとわかりきっていながらも声をかける。いつ起きてもおかしくないと思わせる程ただ眠っているようにしか見えないその姿は、明るく可愛らしい笑顔を浮かべてくれなくなってもう1年が経とうとしている事実とはあまりにもかけ離れていて、だからこそ胸が苦しくなった。豪炎寺とはサッカーを通じて小学生以来の付き合いであり、その応援に駆け付けてくれる幼い妹であった夕香とは本当の姉妹のように仲良くしていた名前も、夕香の事故に大きくショックを受けていた。学校が帝国学園という事もあり中々こちらに来れない名前だったが、それでも大切な妹分の為にこうして時折足を運んでは贈り物を携えて語りかけていた。
「今日はね、やっと私のチームと修也が戦ったの。かっこいいシュートを決めていたんだ。…約1年振りに見たけど君の兄は相変わらずね。」
夕香が眠りに着く前に兄へ言っていた応援の言葉を引用して語りかけながら優しく頭を撫でる名前。そういえばと購入してきた花を飾ろうとふとサイドテーブルに目を見やった時、彼女は違和感に気づいた。…いつも置いてある花瓶がないのだ。ハッとした彼女がそろそろ帰らないと花瓶を持ち出している人物と鉢合わせる、と慌てて手に持っていたガラスドームを飾ったその時、ガラリと病室の扉が開いた。
パッと振り返ると、そこには喧嘩したあの時と逆の立ち位置でお互いを見つめ合う豪炎寺が水を変えたらしい花瓶を持ってそこにいた。
「…もう行くね。」
そこに人がいるとは思ってなかった豪炎寺が驚きに固まっている中、彼が入れ違いで来ているであろうことを予見していた名前が先に動いた。
エナメルバッグを肩にかけて豪炎寺の立つ扉の方へ向かう。豪炎寺は何を言って良いのかわからず、名前を目で追いながらただその場に立ち尽くしていた。
今日試合に出た事を謝るべきか、はたまた1年前の事を謝るべきか。そもそも口にすべきなのは謝罪なのか、何を言うべきなのか、豪炎寺にはわからず口を噤んでいる中、名前が自分の横の扉に手をかけて口を開いた。
「…あの日馬鹿なんて言ってごめんなさい、言い過ぎだった。
それと、____今日は君のサッカーが久々に見れて嬉しかった。」
目は合わせずにすれ違いざまにそれだけ言い残してするりと病室を出ていく名前を、豪炎寺はただ呆然と足音が聞こえなくなるまで見送っていた。
気づけば今まで雲に隠れていた太陽が顔を少し覗かせ、病室には西日が射し込んでおり、今までそこになかったガラスドームがキラリと光を反射していた。