25話






 チュンチュンと鳥が鳴く。まるで朝から会話をしているようだ。ベッドには猫のように体を丸めて眠る女性の姿。
 カーテンから朝日が漏れると彼女の顔に光が触れた。陽の光が眩しいのだろう。彼女はんんっ…と唸り、眉根を寄せる。重たい瞼を上げると微かに目を開いた。


「ふわぁ……久しぶりに疲れた」
「刹那さん!おはようございます!」
 

 気だるそうに身体を起こす。そして、大きな口を開いて欠伸をした。両腕を上へ上げると身体をほぐすように伸びをする。力果てたように両腕の力を抜いて勢いよく脱力させた。朝起きて彼女の第一声は倦怠感を帯びるものだった。
 爽やかな朝にぴったりな元気な声が彼女を呼ぶ。聞こえる方向はサイドテーブルからだ。そこに置かれているのはスマートフォン。どうやら、スマートフォンから聞こえたようだ。画面に映されたピンク色の髪をした女性はにっこりと笑っている。


「あ、律。おはよー」
「昨日の件、あの店は完全包囲して終わったそうですよ」


 刹那は彼女の声に反応すると挨拶を返した。そして、ベッドから足を下ろして立ち上がる。律は昨晩、エンドの精鋭部隊が行った作戦の結末を語りだした。刹那は数歩歩くとカーテンを掴む。シャッっと勢いよくカーテンレールが音を鳴らすと青空が見えた。


「へぇー」
「興味無さそうですね」
 

 抑揚のない声で返事をする刹那。表情からも関心がないことが伺える。律は眉下げて困ったように笑った。何せ、昨日の騒ぎの首謀者は他ならなぬ刹那なのだから。その本人がどうでも良さそうに返事をすれば当然の反応だろう。


「まあ、終わったことだしね…」


 刹那はまた1つ欠伸をすると律の言葉を肯定する。
 降谷を巻いた後、刹那は公安に見つかることなく屋上まで駆け登った。そして、フリーランニングでビルとビルを飛び移って脱出。近くで待機している仲間の元へと戻り、烏間に報告をしてこの案件は終わりを告げたのだ。
つまり、彼女達の目標は大成功を収めたのだった。
 昨夜のことをぼーとしながら思い出す彼女の耳にピピピピッという電信音が届く。気だるそうにスマートフォンに目を向けるとそこには“降谷零”の名前が表示されていた。


「……降谷さんですね」
「はああ……もしもし、朝からなんですか?」
 

 表示されている名前に律は戸惑いながら告げる。律は刹那の様子を見るようにちらっと目を向けた。刹那は顔面を右手で押さえ、左手を腰に当てている。雰囲気はどんよりとして面倒くさそうな空気を醸し出していた。
 顔から手を離すとそれはそれは深い息を吐く。怪訝そうな顔は隠すことは無い。眉間に皺を寄せてはスマートフォンを耳に当てた。女性にしては低い声を発して。


『……何だ、機嫌悪いな』
「すみませんね、寝起きなもんで」
 

 電話に出た彼女の声に驚いたようだ。少し間を置くと困ったように笑う声が電波に乗って彼女の耳に届く。彼女は謝るが、刺々しい言葉遣い。謝っているようには傍から見ては見えないものだ。


(昨日の今日で電話って…バレた?)


 しかし、彼女の内心は焦っていた。降谷零は公安切手の強者。切れ者。昨晩、別人を装っていたとしてもバレる可能性はゼロじゃなかったからだ。


『…君は昨日の夜、何処にいた』
「……はあ?」
 

 彼の口から出た言葉は疑心を含むものだった。どうやら昨日対峙した女性が刹那だという可能性を考えているようだ。
 刹那は内心では驚いているに違いない。ドクドクと鼓動を早めている。しかし、面と向かっていない上に電話越しの相手だ。彼女にとって恐るに足りない。呼吸をゆっくりすると疑問たっぷりなたった一言を投げかけた。


『何処にいた』
「…普通に家にいましたけど、……何かあったんですか?」
 

 降谷は返ってきた答えに満足出来ないのだろう。答えと言っても答えになっていないのだから無理もない。もう一度語尾を強めて問いかけた。
 語尾を強められたことに戸惑ったような声音で彼女は嘘の供述を口にする。サラッと出る嘘は詐欺師のようだ。分かってるくせに不思議そうに問いかける当たり、タチが悪い。


『………』
「あの、降谷さん?」
(あの女は本当にシャナじゃないのか…?)


 彼女の言葉を聞くと今度は黙り込んだ。何も返事を返さない降谷に刹那は眉間に皺を寄せて彼を呼ぶ。
 この数分の会話から疑える受け答えは返って来ない。そのことから昨日対峙した彼女は刹那ではない。その考えが頭を過ぎらせる。しかし、何処か違和感あるのか釈然としない表情を浮かべていた。


『いや、……なんでもない』
「そーですか」


 降谷は途切れ途切れになりながらも返事をする。それは無理やり声帯を震わせているようにも見えた。
 彼の反応があまりにもぎこち無い。その事に疑問を持ったのだろう。彼女は首を傾げながらも返事を返した。


『……また何かあったら頼む』
「何かないことを願ってますよ」
 

 彼は彼女の答えにスッキリしない疑問を抱えながらも言葉を紡ぐ。その言葉に刹那は眉を下げて呆れたように返した。そして、電話は切れる。ツーツーツーという電子音が聞こえた。彼女はゆっくり耳からスマートフォンを離すと目を細めて見つめる。


「大丈夫そうですか?」
「……監視カメラは全部エンドメンバー映さないようにハッキングしてたし…多分ね」
 

 不安げにスマートフォンから覗いてくる律の姿。話は彼女に筒抜けだ。それでも、降谷零のことを刹那ほど把握している訳では無い。
 彼女の問いに刹那は眉下げて考え込む。どうやら昨日の計画を遂行する為に、精鋭部隊の姿を映さないようにハッキング済みだったようだ。抜かりなく姿を隠したことで足がつくことも無い。そのはずなのだろう。刹那も、少しの不安を残しながらも言葉を零した。


「まだバレる訳にはいかないですもんね」
「何かこの二重スパイ的なの疲れる…」
 

 律はその言葉にほっと息をつく。AIと言えど、完璧ではない。それは刹那も同じだ。お互いに感じた不安を共有して紛らわしているのだろう。律は眉下げて目を細めながら言葉を紡いだ。
 そう。彼女は公安の協力者とエンドのE組の板挟み状態なのだ。協力者として知っている情報をエンドに流す訳にも行かない。また逆も然りだ。彼女は矛盾を発生しないように上手く立ち回らなければいけない。その環境に疲れたように仰向けになりながらベッドへダイブした。


「せめてどっちかに暴露させて欲しいもんだわぁ」
「まだ無理そうですけどね」 
「だね……延期させて貰ってるカルマの依頼を果たしますかね」


 刹那は駄々こねる子供のようにゴロゴロとベッドの上で転げる。その様子に律は眉を下げて言葉を返した。ベッドの上で大の字になりながら律の言葉に同意する。刹那は呆然としながら天井を見上げた。そして、唐突に思い出したように面倒くさそうに言葉を紡ぐ。


「その前に食事取ってくださいね!」
「はーーーい」


 まるで母娘のようなやり取り。しかし、彼女らは同級生。友人だ。母のように食事を促されると子供のような返事を返してベッドから起き上がる。刹那はスマートフォンを手に取り、寝室から出て行ったのだった。


◇◇◇


 電話を切った後。彼は愛車の中で呆然と昨日のことを考えていた。


――言ったでしょ、偽善者だって


 二ノ宮ひまりことアクアマリンそっくりな姿の女性。彼女は降谷の問いかけに目を丸くさせてはくすっと笑みを浮かべた。そして、首を傾げながらそれに対しての答えを口にする。


――………シャナ?


 また彼女の正体が刹那ではないかという考えが過った際、問いかけたあの時。
 彼女は眉をピクリと少し動かしてまるで初めて聞く言葉のように彼の言葉をオウム返しした。


――私の名前はシャナ。困った人をほっとけないただの偽善者


 そして、2年前に彼の目の前に現れた女性を思い浮かべる。その姿は焦げ茶色のロングヘアに赤い瞳を持つ女性。不敵に笑っては自己紹介している姿だ。
 それは本郷刹那そのものだった。


「本当に君じゃないのか…?」


 彼は疑心を起こし、誰もいない車内で言葉を零す。彼の瞳はひどく揺れていた。彼はゆっくり目を閉じるとふぅと息を正すように呼吸をする。


「……悪いが、あの女性を調べるには君のことを調べる必要がある」


 呼吸を落ち着かせると彼は真っ直ぐ前を見つめた。ゆっくりハンドルを握りしめる。そして、強い意志を感じさせる物言いで言葉を吐いた。
 それは誰の耳にも届くことの無い。ただ、今までの契約を破ることを分かった上での発言だった。



朝と疑心と
 
ー覚悟と真実ー




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