26話






 
「さあてと………エネルギーチャージ出来たし、やりますか」
「あまりやる気はなさそうですね」
 

 女性は掛け時計を見て、時刻を確認する。
 針が指すは午前10時。朝と昼の間だ。
 それに息を付くとダイニングテーブルから立ち上がり、彼女はリビングと廊下を繋ぐ扉へと歩き出しす。
 言葉だけを見ればやる気があるようにも見えた。しかし、残念ながら彼女の声音からはそれを感じられることはない。
 扉を開けると彼女の手に握られているスマートフォンから律の困ったような声が聞こえた。
 彼女の言う通り、刹那にはやる気が見えないのだ。


「本トはやりたくないんだよ、こんなこと」
「刹那さん…」
「私は平凡でいたいんだもん」


 リビングの扉を閉めると右手にある地下へ繋がる階段へと歩む。
 ぽつりと言葉を零すそれは本心なのだろう。
 彼女の表情に翳りがあった。
 それは声音からも分かるものだったからか。律は眉根を寄せて心配そうに彼女の名前を呼ぶ。
 刹那はスマートフォンを見ながら、続けて言葉を紡いだ。
 どうやら、彼女は平静な生活を望んでいるようだ。


「刹那さん……そんなこと言うなら2年前に行動を起こさなきゃ良かった話ですよ?」
「しょーがいないじゃん!ほっとけなくて無意識のうちに行動してたんだもん!!」


 彼女と対峙する律は真剣な表情をして刹那の名前を呼ぶ。しかし、次の瞬間。
 彼女を慰める言葉ではなく、過去の彼女の行動を諌める言葉を紡いだ。
 つまり、自業自得ということだ。
 彼女もまた律の言い分は分かっていたのだろう。
 頭では理解していても心は納得していない。
 反論するように過去の行動に言い訳を始めた。


「そうです、しょうがないんです…諦めてください。それにエンドが結成された今となっては平凡は誰にも難しい話ですよ」
「まあ、…そうだよね」
「はい!ということで世良真純さんを調べましょう!」


 律はその言葉にうんうんと頷き、同意を示す。
 それに対して、否定するつもりがないようだ。
 裏稼業を降りたいと望む刹那にそれは無理だと断言した。
 エンド。元暗殺集団が再結成された。
 それはまたターゲットを狙って日々、動くことを意味している。
 彼女もれは分かっていた。だから、律の言葉に嫌々頷くしかない。
 地下へ繋がる階段を降りきった刹那は左側にある扉を開ける。
 そこにはデスクにHDが1台、モニターが3台置かれていた。
 話を切り替えるように律はパチンと両の手を叩いた。そして、にこやかな笑顔を浮かべて刹那に言葉を投げかける。
 それは図工をやりましょうと園児を促す保母さんのようだ。
 刹那はその言葉を聞きながら、椅子に座って、パソコンの電源を入れる。
 立ち上げが早く、パスワードを入れるとトップ画面が映された。


「うう……南部美人ちゃんのために頑張らねば…世良真純だよね…世良、真純っと………」
(…お酒のためなら、頑張るんですね)


 刹那はスマートフォンをデスクにゆっくり置くと情けない声を出しては頑張る意欲を少しだけ見せる。
 今の彼女は人参をぶら下げられた馬だ。
 南部美人を美味しく頂くにはやることはやらなくては。
 その気持ちはあるらしい。
 キーボードをカタカタと音を立てながら、打ち込んだ。
 彼女のボソボソと紡ぐ言葉に律は固まった表情を浮かべる。
 やる気を出すのはお酒の為。
 それに驚きは隠せないらしい。心の中でツッコミを入れていた。


「…おっ、SNSはっけーん」
「ありましたね…でも、……依頼受け付けますって」


 名前検索をするとあっさりとヒットしたようだ。それは今どきと言えば今どきだからかもしれない。
 どうやら、彼女はSNSをやっているようだ。
 クリックして、世良真純のホーム画面を見る。
 自己紹介には簡潔に書かれてあるのみだ。
 それを見る限り、何かを生業にしていることが分かる。


「女子高校生探偵だってー……あれ、なんか大食い女子高校生探偵っていなかったっけ?」
「話反れてますよ…いましたけど」
「まあ、探偵してる時点で鋭いのは当たり前ってか…ていうか今、思っただけど本人に言えば答えてくれそうじゃない?」


 女子高校生探偵。
 そう記載されている。その隣には律の言うように依頼を受け付けるという文句があり、下記には依頼専用のメールアドレスらしきものも書かれていた。
 カルマと渚が何かある。
 そう感じたものはそれのようだ。
 刹那は納得しながら、彼女の呟きを見るようにスクロールを続ける。しかし、ふと何かを思い出したのだろう。
 数年前に日本を騒がした大食い女子高校生探偵のことを。
 話が逸れていることを忠告するが、彼女もまたその存在を覚えていたのだろう。
 刹那の疑問を確信に変える。
 聞いているのか。聞いていないのか。
 彼女はすぐさま話題を戻して、世良真純が鋭い。
 そう言っていた彼らの言葉に納得した。しかし、こんなこと調べなくても相手は簡単に打ち明けるのでは。
 そんな疑問がまた生じる。


「確かにそうですけど…カルマさんが敵視されてるから聞きづらいのでは?」
「…喧嘩売られたって言ってたわ」
「はい」


 律も同じことを思いはしたようだ。
 それでも、喧嘩を売られた実績を持つカルマが聞いた所で答えるとは思えない。
 そう判断したのだろう。
 律は眉根を寄せて、1つの可能性を提示した。
 刹那はどうやら、敵視されていることを忘れていたらしい。
 面倒臭そうな表情を浮かべては椅子の背もたれに寄りかかり、律もまた苦笑を浮かべて彼女へ返事をした。


「あー、このSNSは仕事垢か…チッ、面倒だな……」
「まあ、個人情報は漏れないようにしてるんでしょうね」


 スクロールを続ける刹那。しかし、目新しい情報はない。
 そもそも、見つけたアカウントがメインのアカウントではなかったようだ。
 それに舌打ちするとカタカタとキーボードを叩き、何かをし始めた。
 律は彼女の舌打ちに苦笑しては言葉を返す。


「まあ、普通はそうだよね……っと、出た出た……あーっと何々…日本人と日系イギリス人のクオーターなんだ」
「だから、思い切り顔は日本人顔ですね」


 刹那もまた同意見なのだろう。
 ここ近年、SNSが出来てから個人情報は自ら流している者が多いのは事実だ。
 素人でも検索すれば、特定出来ることもある。
 彼女はSNSから離れ、違う画面を開くとそこには世良真純の情報が現れた。
 それに目を通すとクオーターという事実が意外だったのか、目を見開く。
 律も目をパチクリとさせていた。
 彼女もまた刹那と同じことを思っていたようだ。個人的な意見が口から零れ落ちる。


「平たいってこと?」
「そういう意味で言ってません!」


 刹那はその言葉にんん?っと眉間に皺を寄せた。
 どうやら、何か引っかかったらしい。それは問い掛けていい意味ではない。
 聞かない方が良いことだろう。しかし、それを疑問に持ち、口に出すのが彼女だ。
 その問いかけに律は肩をすかし、困ったように叫んで否定する。


「あははは……家族構成とか…出て、来ない?」
「…え、何でですか?」
「分からない…この子の目……誰かに似てる………」


 真っ向否定され、刹那は眉下げて笑って誤魔化すとマウスをピタリと止めた。
 彼女に関する情報を見つけたには見けたが、あるはずのものがない。
 それに眉間に皺を寄せた。
 まさかそんなことがあるとは思わなかったのだろう。
 律は不思議そうに首を傾げる。
 刹那はじっと世良真純の写真を見続けた。
 最近、どこかで見た既視感があるようだ。
 椅子の背もたれに寄り掛かりながら、考え込む。


「え、どなたでしょう…?」
「最近見たんだよな〜……あ。」
「刹那さん、どうされました?」


 律は彼女が感じたものを理解できなかったようだ。
 考える素振りを見せるが、刹那が何をどう感じたのか分からない。
 律には考えようもないのだが、一応素振りは見せているようだ。
 実に転校当初に比べれば、思考までも人間らしくなったものだ。
 刹那もなかなか思い出せないのか。腕を組み、うーんうーんと唸っている。
 しかし、ぱっと何か思い出したようだ。
 律は首を傾げ、彼女の答えを待ち続ける。


「……律、組織の情報解錠してくれる?」
「え、は、はい!解錠しました!」
「ありがとーっと…これをPCに繋げて……データ、PCに入れていい?」


 刹那は真剣な表情でじっと画面を見続けながら、彼女へお願いをする。
 律の問いかけは聞こえているのか。いないのか。
 それは分からないが、刹那は自身の中に出てきた答えを照合させるのが先のようだ。
 戸惑いながら、律が返事をするとあっという間に黒の組織の情報が解錠される。
 刹那は何処からかUSBケーブルを引っ張り出し、ハードディスクに繋げた。そして、スマートフォンに繋げようとしたが、ピタリと動きを止め、律に問い掛ける。
 彼女が今やろうとしていることは元々律が管理する媒体からパソコンへデータを、移すということだ。
 危険が伴う。
 困ったように問いかけるのも無理はない。


「えーと…一回、刹那さんのPCとスマホを巡回してきていいですか?」
「むしろお願い」


 律は首を傾げ、PCとスマートフォンの巡回をしていいか許可を得ようとする。
 モバイル律がいるからと言って、全てを把握している訳では無い。
 常にエンドのE組のスマートフォンやPCには彼女はいるが、プライベートを踏み込むことはあまりしないのだ。
 念には念をということだろう。
 刹那もこくりと頷き、彼女へ依頼する。
 

「問題なしです!」
「んじゃ、遠慮なくデータを入れて…解析ソフトを開いてっと…」
「…………いつの間に、そんなソフト入れたんですか?」


 一周し終えたのか。律はPCの中から元気よく声を掛ける。
 何処から出したのか分からない看板にはOKの文字が書かれていた。
 刹那も彼女に確認してもらって安堵したのかほっと息を付くとUSBケーブルにスマートフォンを差し込む。
 マウスを動かし、あるアプリをダブルクリックしては起動を待った。
 解析ソフトというワードに律は表情を固まらせる。
 先程は異常がないかだけを確認したから、そこまで見ていなかったのか。彼女が以前、刹那のPCに入った時はそんなものはなかったのだろう。


「さあ……いつだろうね?」
「……」


 刹那は明後日の方向を向き、言葉を濁す。
 律はじーっと睨みつけるように彼女を見つめ続けた。それも無言で、だ。
 美人の無言の睨みほど怖いものは無い。


「し、仕方ないじゃん……裏家業が増える一方なんだから」
「はあ…それもそうですね……でも、それを使って何を……っ!?」
「うはー……ビンゴ」


 律の知らない間に増やしていたソフトに対して刹那は誤魔化すように言葉を紡ぐ。
 まるで、ゲームを無断で買った子供と親のやり取りだ。しかし、言い訳はもっともなのだろう。
 望んでやっている訳では無いが、やるからには徹底的にやる。
 それが彼女だ。
 カタカタとキーボードを打ちながら言葉を紡ぐ。
 律もその事は重々承知の上だろう。
 深いため息を付くと彼女の言わんとすることは理解しているようだ。
 何を調べているのか問おうとした所で、律は目を見開いて息を飲む。
 予想していた結果が現実として現れた。
 刹那はそれに驚いたような複雑そうな声を出す。
 心做しか頬に冷や汗が垂れていた。


「刹那さん……」
「律…この子調べてた?」
「い、いいえ…流石に組織についてしか調べていませんでしたから…」


 律は瞳を揺らし、彼女の名前を呼ぶ。
 その声は何処か震えていた。
 律にとっても想定外のことだったのだろう。
 刹那は冷静に彼女へ問いかける。
 律は首を横に振り、返答した。
 とある人物と世良真純について、何か分かったことがあったのだろう。しかし、信じられないのか。律は動揺を見せる。

 
「まあ、あんな組織のデータに入れる自体奇跡だし時間かかるだろうしね」
「仰るとおりです…」


 刹那は律の答えに納得していた。
 世界的に大きく、闇の深い組織だ。
 命がいくらあっても足りない。
 そんな組織に入り込んでバレてないだけ御の字だ。
 それが分かってる刹那はふぅと肩の力を抜くように息を吐く。


「これは調べ上げないといけなさそうだわ……けどまあ…世良真純に関してカルマと渚の勘は当たってたって事だよね」
「そうなりますね」


 刹那は右肩に手を置き、首をボキボキと鳴らした。
 デスクワークが多いからか凝りが固まるのだろう。
 なかなか良い音をさせている。そして、面倒臭そうに眉根を寄せ、言葉を紡いだ。
 依頼してきた彼らの勘が大正解だということに、はぁとため息をつく。
 律もまた面倒臭そうに思っていることは肌に感じるのか。
 困ったように笑みを浮かべては彼女へ同意を見せた。


(どう関わりが出てくるか知らないけど、どうかこっちのことは調べないでね…)


 気を取り直したのか。
 刹那はまたカタカタとキーボードを打ち込み、世良真純の情報を集めようと動く。
 カルマや渚を怪しまれるのも困る。そして、自分にまでたどり着かれたらもっと困る。
 その感情が彼女を支配しているのだろう。
 心の中で本音を吐露したのだった。




願わくば

―標的にしないでね、女子高校生探偵さん―



ALICE+