29話






「いらっしゃいませー…あ、刹那さん!」
「梓さん、お久しぶりです〜」


 彼女は馴染みの店の扉の取っ手を引くとカランカランという音が響く。
 それに気が付いた看板娘はくるっと振り向き、客を迎える言葉を紡いだ。
 訪れた客が刹那だと分かると嬉しそうな笑みを浮かべ、彼女の名前を口にすると刹那は微笑み、言葉を返す。


「お仕事、落ち着かれたんですね」
「はい、とりあえず一旦は」
「元気そうで良かったです、いつもの持って行きますね」
「ありがとうございます」


 刹那は寺坂の一件からこの喫茶店に訪れていなかった。
 それを知らない彼女からすれば、仕事が忙しいから来れなかったと思うのは当然だ。
 まあ、それがなかったとしても忙しい身である彼女には変わりはないのだが、それは今は置いておこう。
 安心したように言葉を紡ぐ梓に刹那は眉を下げ、曖昧に言葉を零す。
 合っているようで合ってはいないからだろう。
 ふふっと笑みを浮かべると梓は席へ案内をし、彼女がいつも頼むメニューを刹那が頼む前に持ってくると言ってカウンターに消えて行った。


(ラッキー…いない!)


 キョロキョロと辺りを見回すと遭遇率がなかなか高い店員がいない。
 そのことに彼女は口角を上げ、心の中で喜びのジャンプをした。


(ここで曲のベース作るの久しぶりかも…ここはこうして…あ、ここに音の重みをいれてもいいかも…それからそれから……)


 いつも探られるような目をむけられるからか、出来なかった本業が出来ることに喜びを感じたらしい。
 ほろりと片目から涙を流し、鞄からタブレットを取り出すと片耳にイヤホンを付け、楽しそうに作業をし始めた。
 その瞬間、テーブルにコトっと音を立てて、コーヒーカップが置かれる。


「お待たせしました、コーヒーです」
「ありが…とうございます……安室さん」


 きっと梓だと思って顔を上げ、お礼を言おうとしたのだろう。
 刹那は口を開けたまま、タブレットを隠すように胸に当て、表情を固まらせた。
 彼女の目の前にいるのはとても穏やかな笑みを浮かべた安室透。
 この喫茶店のイケメン店員だ。
 この店に訪れる女性なら頬を赤らめるところだが、彼女は違う。
 サーっと血の気がない顔色をさせ、言葉を詰まらせながら、彼にお礼を口にした。


(何でいんのよ…)
「タブレットで何をなさろうとしていたんですか?」
「……」


 刹那は心の中で文句を垂らし、タブレットの電源を切り、そっとカバンの中にしまい込むと安室は爽やかな笑みを浮かべて世間話をするかのように問いかける。
 その笑顔と問いに思わず、彼の顔を見ながら、彼女は固まってしまった。


――僕じゃなければいいのか?


――そうですねぇ…探偵でも雇ったらどうですか?


 以前、自分を暴こうと何度かプライベートに踏み込もうとした時の彼の言葉とその時に返した自身の言葉を思い出し、ぶわっと冷や汗をかき始める。


(……まさかと思うけど…というか暴く気満々でしょ、これ!)
「刹那さん?どうかされましたか?」


 今の彼は降谷零ではあるが、安室透でもある。同じ人物だが、同じ人物として接してきていない。
 そんなことをしてみれば、周りに妖しい目で見られてしまうのだから当然と言えば当然だ。しかし、彼の振る舞いを見る限り、降谷の時のような遠慮がまるでない。
 それに気が付いてしまえば、動揺してしまうのは必然かもしれない。
 固まったまま、彼の思惑に気が付き、どう対処しようか考え込んでいる彼女が返事をしないのが、不思議に思ったのだろう。
 安室はキョトンとした表情を浮べ、首を傾げた。


「…ああ、いいえ。まだ寝ぼけてたみたいで…ただ実用品がなくなってきたのでネットで買い物しようとしてただけですよ」
(嘘だけど)
「なるほど。今は便利な世の中ですからね」


 顔を覗き込む素振りをされ、やっと現実に戻ってきたようだ。
 彼女はハッと我に返ると顔の近さに驚きつつ、身を後ろに引きながら、誤魔化しながら問いかけに答える。
 それはもう息を吐くようにさらりと自然な嘘を付けるのだから、なかなかのやり手だ。
 安室はそれに気が付いてか、否か。
 分からないが人当たりの良い笑みを浮かべて会話を成立させる。


「そういうことです」
「アップルパイはもう少し時間かかるので待っていて下さいね」
「ありがとうございます」


 なんとか会話が終わりそうなことに内心安堵する刹那はこくりと頷くと彼はいつも彼女が頼んでいるものが遅れることを紡いだ。
 それに了承した刹那はお礼を口にすると彼はその場を後にする。


(…まあ、あの人を気にしてもしょうがないか。覗いてくるわけじゃないし…つーか、ストックないとわたしの生活オジャンだし)


 刹那はやっといなくなった人物の背を見届けるとふぅと深く息を吐き出し、ソファの背もたれに寄り掛かると一度仕舞ったタブレットを取り出し、電源を付けた。
 何をしているかはバレたくないが、生活
を脅かす裏家業が増える日々に余裕を持ちたいのは変わりないのだろう。
 彼にバレないように細心の注意を持つことを心に刻み、当初予定だった作曲をし始める為、イヤホンを片耳に入れる。


「うっそー!!雨降ってきたー!!」
「今日雨降るって言ってたじゃん」


 隣のテーブルに座っていた女子高校生が外を見て、驚いたように言葉を零すと彼女の友人らしき女子高校生はケラケラと笑いながら、ツッコミを入れていた。
 どうやら、外はポツポツと雨が降り出しているらしい。


「まあ、折り畳みあるからいいけど」
「あるのかよ!」


 ショックを受けたように言っていた女子高校生だが、平然と取り戻すとアイスミルクティーにささるストローを掴むとぽつりと言葉を零し、それを吸い、口の中の渇きを潤した。
 女子高校生の発言は明らかに傘を持っていない人間の台詞にしか聞こえなかったのにも関わらず、傘を持っていたことが判明すると彼女の友人はもう一度ツッコミを入れ、顔を見合わせて笑っている。


「…降水確率とか知らなかったー……」


 彼女はイヤホンをしていない片耳で女子高校生の会話を聞いて、茫然と外の景色に目を向けるとだんだんと激しくなるそれに顔色を悪くしてぽつりと言葉を零した。
 その瞬間、タブレットからポンっという音がイヤホン越しに聞こえてくると彼女は画面に目を向ける。
 ごめんなさい。伝え忘れていました。
 申し訳なさそうに涙目になりながら、カンペを手に持つ律の姿があった。
 それに刹那はふっと思わず笑みを零すとタブレットに”OK”と書くとそれに律はほっとした表情を浮べる。


(…止まぬなら…止むまで待とう、ホトトギス)


 刹那はもう一度、その景色を見ては自分が店から出る前に雨が上がることをただ祈るように武将の言葉を自分流に変えて心の中で呟いたのだった。



◇◇◇



「アップルパイお待たせしました」
「ありがとうございます」


 十数分後に運ばれてきた注文した品がテーブルにコトっと置かれると彼女は片耳にしていたイヤホンを外し、運んでくれた人物にお礼を口にする。
 運んできたのは看板娘ではなく、先ほど会話をした人物なのだが。


(さっき小雨になったのにまたザアザア降りに逆戻り……アップルパイ食べても止みそうにないなー)



 アップルパイから外へと視線を移すと小雨になって雨が上がりそうな雰囲気があったのだろう。
 しかし、それは束の間のことで本降りになった景色に刹那は時間計算をしても店を出る前に止みそうにないことに深いため息を付き、アップルパイをフォークで切った。


「……刹那さん、コーヒーお代わり入りますか?」
「あ、お願いします」


 そんな彼女の姿に違和感を感じたのだろう。
 安室は観察をするように刹那をじっと見つめるとカップに入っていた飲み物が亡くなりそうになっていることに気が付く。
 営業スマイルを浮かべ、彼は問いかけるとその提案に乗るように刹那はぺこりと頭を下げた。


(さてどーしたもんか…防水してるとは言えどもタブレットが濡れるのは嫌だしなぁ)


 彼女はまた外の風景に目をやるとどうやって帰るかを考え込む。


「浮かない顔されてどうしたんですか?」
「え、あー…雨だなーと思って」
「苦手なんですか?」


 安室は不思議そうに刹那に問いかけると彼女は彼の方に顔を向け、ぎこちない笑みを浮かべて返答した。
 返された言葉が意外だったのか。
 彼はキョトンとした顔をして再度、問いかける。


「そうじゃないんですけど…今日、傘忘れちゃって」
「ああ、それなら…待って頂ければ送りますよ」


 彼女は眉を下げ、言葉を返すと納得をしたのだろう。
 安室はにこっと笑みを浮かべ、思いやりからかある提案をした。
 それは知り合って間もない店員が常連と言えどそんな提案をするのは不思議なことだろう。
 まあ、それは傍から見た話であり、二人は実は知り合ってから付き合いは長い。
 人間として。


「いえ、止むまでお茶するのでお気になさらず」
「今日はずっと夜まで雨の予報ですよ」


 なんて、提案をこんな場所でするんだ。この人は…!
 内心、般若のような顔をさせ、安室に対して毒を吐くが刹那は外面をやめることなく、申し訳なさそうに言葉を返すが、安室は眉を下げて、彼女の知らない事実を口にした。
 そう、今日は深夜まで厚い雲に覆われる予報されている。 


「……それでも、悪いので遠慮します」
「待っててくださいね」
「………」


 絶望的な状況にあることを知って、刹那はサーっと血の気の引くのを感じながらも、断りの言葉を紡いだ。しかし、それは彼に通じることはないらしい。
 女子高校生が顔を赤くさせて即答で首を振るような笑みを浮かべて、強制的な言葉を投げかけた。
 デジャヴ。
 それを感じた彼女はぽかんと口を開き、固まってしまうと反論するタイミングを逃し、安室はそのままその場を去って行く。


(まずい……ひじょーにまずい……気がする……!!)


 ただでさえ、白い肌が青白く染まる刹那は心臓が冷えるのを感じた。
 数日前に律にされた恐ろしい助言が現実のものになりそうな機会が訪れてしまったのだから、無理もない。
 車で送られることは確実なのだから、逃げ場がどこにも無いのだ。
 顔色が非常に悪いが、感情を顔に出すことはしない辺り、流石元暗殺者として育てられた人間といってもいいのかもしれない。


(律……烏間先生に今日がその日かもって伝えといて)


 ゆっくり顔を上げると刹那はソファに隠すように置いていたタブレットを手に取ると、律に向かってメッセージを送る。
 それに律は敬礼し、ウインクをすると”了解”と返事をすると姿を消した。
 彼女の姿が消えたのを確認するともうこれ以上作業をする気にもなれないのか。
 作業していたデータの保存をするとタブレットの電源を切り、鞄の中にしまうと動揺しつつも、アップルパイを一口サイズに切って口の中に運び、自身を落ち着かせるようにコントロールをしているらしい。


(安室さん……これ以上私の平凡な生活を奪わないでぇ……いや、私が裏で関わってるのがいけないのか……いや、でも……)


 刹那はフォークを皿の上に置き、両肘をテーブルに着き、手を組むと手の甲に額を乗せ、心の中で切実に呟き続けた。
 ぐるぐると回る感情の中で冷静な自分がいるのだろう。
 ツッコミを自分自身で入れもするが、感情が付いていかないらしい。
 ツッコミに対して反論する彼女もいた。


「………」


 自分と葛藤している刹那をカウンターの中からチラっと視線を送り、観察する安室の姿があったが、それは今の彼女にはどうでも良いことなのだろう。
 気付くことすらなかったのだった。




有無を言わさぬ

―笑顔に逆らえない―




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