「はあ……」
雨はまだザアザアと降っている。
いや、待ち続けてる間に更に激しさを増していた。
そんな外の景色を眺めて、女性は思わず重い息を吐き出す。
雨のせいか、客は彼女以外いなくなっていた。
「刹那さん」
「………はい」
唐突に呼ばれる名前。
刹那はぴくりと反応を示すと覚悟を決めたようにゴクリと固唾を飲み込み、暗い返事をした。
「帰りましょうか」
「……すみません、お世話になります」
安室はニコッと笑みを浮かべて言葉をかける。
整った綺麗な顔の笑みを向けられ、眩しさを感じながらもどんどん重くなる体と心に彼女は心の中で涙しながら、こくりと頷き、言葉を返すと席を立った。
「はい、どうぞ。入ってください」
「……はああああ、私、あなたと噂になるのだけは勘弁したい」
「あはは、奇遇ですね。僕もです」
梓に生暖かい視線に見送られ、店を二人で出れば安室は傘をバサッと開けば、当たり前のように中へとエスコートする。
そんな姿に刹那は嘆くような溜息をつき、両手で顔を覆いながら、小言を口にした。
良心で助けてくれる人間に大して言う言葉ではない。しかし、平凡を好む彼女としては相合傘をすること自体、地雷なのだろう。
彼もまた彼女とは意見が合うらしい。
だが、そんなに刺々しくされる言われもないのが癪なのか笑顔がどこか黒く見えるのは気の所為ではないはずだ。
「あれ、刹那さん…と安室さん……珍しいね」
「コナンくん」
「こんにちは」
左側から一回り小さな傘を差す姿が視界の端で見えると聞き覚えのある声が聞こえる。
少年はキョトンとした顔をして安室と刹那を見上げると二人はそれぞれに挨拶を返した。
「こんにちは。……二人って付き合ってるの?」
「そんなわけないデショ。お断りよ、目立つ人なんて」
「……そんなにはっきり言われると傷付きますけどね」
実に子供らしい笑顔を向けて挨拶をすると目をぱちぱちとさせ、コナンは首を傾げるが、彼の疑問は1秒の間も与えられずに否定される。
しかも、とびっきりの笑顔で。
その笑顔にコナンは目を点にさせていると安室は眉を下げて人差し指で頬を掻きながら、ぽつりと呟いた。
「そう言われても、私は平凡をこよなく愛する人間なんです。非日常は私の内側に入って欲しくないんですよ」
しかし、彼女は自身の意見を曲げる気はないらしい。腕を組み、ぷいっと顔を背けると拗ねたように言葉を紡いだ。
非日常の人間が関わってくんなと遠回しに言っているようなもの。
…いや、遠回しではなく直接的かもしれない。
(…公安の協力者をやっていて非日常を内側に入れたくないって随分、矛盾してないか?)
安室は笑顔を絶やさずにいるが、頬は若干引き攣らせている。
それは無理もないだろう。
彼女は条件付きで公安のハッカーを買って出ているようなものだ。
平凡とほど遠い世界に身を置いているのだから、彼の疑問は最もだ。
コナンが目の前にいるからその疑問を口に出すことはないのだが。
「へー…安室さん、随分嫌われてるんだね」
「嫌ってはないけど好いてもないわね」
コナンは目を細め、憐みの含んだ視線を彼に向けながら、ぽつりと言葉を零すと安室は眉根を下げて苦笑する。
彼の言葉には語弊があったらしい。
彼女は首を傾げてコナンの言葉を訂正するように紡いだ。
「………」
「……」
刹那の訂正の言葉はあってもなくても大して変わりないのではないか?
二人の頭を過るその言葉だが、あえて口に出すことはなく、ただ彼女を冷たい目で見つめる。
「そんなことを言うと送りませんよ?」
「…うっ、機器品が濡れるのだけは……」
「……刹那さんって現金だね」
変な空気を壊したのは安室のため息だ。
彼は呆れた顔をおもむろに出して刹那を脅すように言葉を投げかけると彼女はそれだけは嫌らしい。
苦虫を噛み潰したような顔をして、手に持つバッグをぎゅっと抱きしめながら、弱々しく言葉を零した。
その彼女の様子からして雨に濡れたくないものがカバンの中に入っていることは想像が難しくないのだろう。
刹那の態度を変える様にコナンもまた呆れたようだ。
今度は冷めきった目を彼女に向ける。
「送るから待っててと圧力かけられて2時間も待ったんだからそりゃ、乗せてもらわないとね」
「………へぇー?」
「はぁ……圧力はかけてませんよ。ほら、行きますよ」
しかし、刹那は悪気もなさそうに当然だとばかりに反論を返した。
彼女から入る新たな情報に珍しいことをするもんだと思ったのか。
コナンは驚いた表情を浮べると今度は意味深な言葉を零しながら、探るような目を安室に向けた。
彼は深いため息を付くと刹那の言葉に否定する。そして、探りを入れようとしている少年の目から離れようとしているのか。
彼女を催促するように背中を軽く押しながら、自身の車を止めている駐車場へと促した。
「お世話になります……じゃあね、コナンくん」
「あ、うん。ばいばーい」
刹那は素直にぺこっと頭を下げて安室に従う素振りを見せれば、コナンに笑顔を向けて手を振る。
呆気に取られてた彼はパチパチと瞬きをしてはにこっと子供らしい笑みを見せて、手を振り返した。
(……あの二人、随分仲いいな)
コナンは仲の良さそうな雰囲気を出していることに意外に思いながら、目を細める。
彼は二人の男女の背中が消えるまでただ静かに見守っていた。
◇◇◇
「確か、こちらの方でしたよね」
「はい、そうですね」
白のスポーツカーに乗り込めば、各々慣れた様子でシートベルトを締める。
安室はハンドルを握り、駐車場を出ると彼女へ声をかけた。
プライベートを明かさないことを条件にはしていたが、刹那の住所は知っているらしい。しかし、それに反抗的な態度を取ることもないことから彼女もそれは別に気にしていないようだ。
刹那はコクリと頷くと車は左へと動き出す。
(……いつまで安室で振る舞ってるつもりかなぁ)
まっすぐ前を見ながら、運転する彼をチラッと横目で見て、心の中でポツリと零した。
安室として接することより降谷と接することが多かったからか。
彼女はいまだに距離感を掴めずにいるのかもしれない。
「……刹那さん」
「はい?」
彼は変わらず、前を見続けながら名前を呼ぶと刹那はビクッと少し驚いたように反応しては首を傾げて顔をそちらに向けた。
「実は僕は今、依頼を受けてるんですよ」
「……それは探偵業の話ですか?」
安室はどこか余裕のある笑みを浮かべながら、唐突な会話を投げ出す。
いきなりの話題に疑問に思いながらも仕方なしに話に乗れば、彼女は問いかけた。
「ええ、実はある女性を探してまして」
「……プライベートアイって、クライアントの依頼を口外していいんですか?」
「ええ、必要があれば許可は頂いております」
彼はコクリを頷き、話題を広げれば、ハンドルを切る。車は指示されたままに右折をした。
嫌な予感がする。
刹那は内心冷や汗をかきながら、安室がこれからしようとしていることに疑問を持ち、眉間にシワを寄せてた。
探偵が依頼主の依頼内容を口にするなんて、本来ならばご法度だ。
何を企んでいるのか。分からない安室に鋭い目を向けていると彼はくすっと笑みを零し、問題ないとばかりに答える。
「へぇ……」
依頼主から許可を得ているなら問題ない。
確かにその通りだ。しかし、彼女にしてみれば血の気の下がる言葉だ。
安室に向けていた顔を正面に戻しながら、低い声で相槌を返す。
(まさか、この間のことじゃないでしょうね……
刹那は若干早まりつつある心臓の鼓動に気が付かないふりをして、やめろとばかりに刺々しい言葉を心の中で吐き出した。
「その方はとあるデータを盗み、ある場所へとそのデータを提供したそうです」
「へぇー…」
彼は変わらない表情で言葉を続ける。
その言葉は彼女が予想していたものと言っても過言ではないだろう。
彼女は極めて動じていないように言葉を零した。
流石、イリーナ・イェラビッチの元教え子。顔の表情のコントロールも出来るらしい。しかし、どう見ても刹那の発言は棒読みでしかない。
「そのデータを元にとある店は法に触れる営業をしていたことがバレ、警察に捕まった」
(まあ…まどろっこしい。私だってこりゃ確信してるな)
警戒する気配もなければ、怯える気配もない。
もう一度、彼女の方へと視線を向けて様子を見ながら、依頼主から聞いたとされる…いや、まさしく公安とエンドしか知り得ない情報を口にした。
わざとらしい言い回しをする彼に刹那はふぅっとため息を零し、冷静に状況把握をする。
どこか諦めを孕んだような目をしながら、ドアウインドウから見える街並みに目を向けていた。
「……シャナ、あなたの仕業ですね」
「…………それは誰としての答えですか?」
「僕としての答えですよ」
赤信号になり、ブレーキを踏む安室は顔を彼女の方へと向け、はっきりと口にする。
刹那は窓に反射して見える彼の顔を見ながら、重い口を開き、問いかけた。
降谷としての答えなのか。安室としての答えなのか、を。
彼はふっと口角を上げて笑うと問いに対しての答えを告げる。
(ああ、やっぱりグレーゾーンをぶっ込んできたか…)
降谷とシャナの契約はプライベートを踏み込むな。
大まかに言えば、この一言に限る。
しかし、安室と言う探偵に依頼したのが降谷だということを彼は口にしていない。
その上、彼女の問いに対しての答えははっきりとした答えはない。
降谷としてプライベートを探しているわけではない。
それなのにも関わらず、”僕としての答え”なんて言い回しをする。
つまり、降谷であり安室である彼の答えだとも捉えていいと言っているようなものだ。
「……あなたの協力者は今日までね」
「何の話ですか?」
深いため息を付き、彼女は冷たい口調で言葉を吐き出す。
明らかに安室ではなく、降谷に向けの言葉だ。しかし、彼はにこっと人の良さそうな笑みを向けて、惚けたように問いかける。
これが梓や他の一般人なら騙されそうなものだ。
イケメンと言うだけで許されるだろう。しかし、刹那にそんな手は一切通用しない。
「降谷さん、もう終わりです」
「……だとしたら、僕は君を捕まえなくてはならない」
「あんなーに尽くしてあげたのに?」
彼女は目を細め、冷ややかな目を向けてもう一度、はっきり言葉にする。
シャナと公安の契約は破られた今、手を切ると言っているようなものだ。
降谷と呼ばれたからだろうか。安室のような人の良さそうな表情が消え去り、彼女の態度に合わせるように鋭い目を向け、言葉を紡ぐ。
そこまでは想定内なのか。
刹那はクスッと笑みを零すと威圧的な目を向けて首を傾げた。
脅す気か、と。
「それは2年前の君の罪を消化するためのものだろう?」
「……烏間さんと三人で会った時、盗聴器を付けてた。これは私との規約違反にはならない訳?」
青信号になると車を走らせて正面を向くが、安室…いや、降谷もまた引き下がるつもりはないらしい。
私、知ってて見逃してあげてたんだけど。
彼女はそう言わんばかりに以前、仕掛けて見つけたものを引き合いに出した。
確かに有益になる情報を口にする前に壊されたから、何も知り得ることはなかったが、行動自体は規約違反と言われても仕方ない。
「ああ、そうだな。それに加え、名前を教えてもらった借りまである」
「……」
彼はコクリと頷き、言葉を紡いだ。
やけに素直に肯定する降谷に刹那は眉間にシワを寄せて睨みつける。
「今回のことを認めるならば、その2つともう1つで手を打とう」
「随分欲張りすぎじゃない?」
彼はハンドルを切り、車を左折させれば見逃す条件を口にした。しかし、規約違反を見逃してあげた借りは大きいと思っていたのだろう。
刹那は苛立ったように固い声音で問い掛ける。
「こっちとしても仕事横取りされてるようなものだからな」
「どっかの誰かがとろいだけデショ」
「ははっ、辛辣だな」
降谷は眉を下げて困ったように言葉を紡ぐが、彼女はその言葉はただの擦り付けだと感じたようだ。
鼻で笑うと皮肉を口にする。
仮にも日本の警察。しかも、公安相手にそんな言葉を投げかける刹那が面白く感じたのか。
彼は声を上げて笑えば、渋々受け取った。
ハッキングのプロとは言えども、一般人に先を越されたことを持ちだされれば、反論も出来ないからかもしれない。
(……まあ、エンドの存在を知られないためには私がやったって事にした方がいいのは分かってる……覚悟を決めるか……言いたくないけど)
食えない相手に彼女は深いため息を付き、いまだに出来ていなかった覚悟を今、この場で腹をくくるとドアウインドウに寄りかかりながら、外の景色にまた目を向けた。
「……条件は?」
「認めたな」
「……まあ、データ送ったのは認める」
「僕と対峙したアクアマリンに扮してた女性も君だな」
気だるそうな声で問いかけるその言葉に彼はにやりと口角を上げて言葉を零す。
解雇を要求した時点で認めたようなもんデショ。
心の中でそう呟く刹那だが、はっきりとではないが言質を取ったって意味では合ってると解釈したのか。
面倒くさそうに今度こそはっきりと肯定した。
降谷はチラッと彼女の方へ目を向けて言葉を投げかける。
「ええ」
「君が変装が得意とは知らなかった」
「打ち明けるつもりは毛頭なかったからね」
刹那は面倒くさそうにため息を付きながら、認めた。
ハッキングの他に変装も出来るということを初めて知ったのだろう。
騙されたとばかりに彼は眉を下げて言葉を零すと彼女はどうでもよさそうに言葉を返す。
「僕にかけたあのスプレーはどうやって入手したんだ?」
「それ以上は企業秘密」
一度白状してしまえば、ガードが緩くなると思ったのか。
降谷は更に質問を投げかけるが、刹那はそんなに甘くはなかった。
分厚い壁を作ったかのようにばっさりと捨て去る。
「……まあ、いいさ」
「さっさと条件言いなさいよ」
これ以上聞いたとしても余計口を噤むと感じたのだろう。
彼は答えに納得していないが、ふぅと息を吐き出し、無理矢理言葉を飲み込んだ。しかし、彼女はずっとモヤモヤしてるらしい。条件の内容を催促するように問いかける。
「引き続き、僕の協力者を続けること」
「……はぁ…分かった」
せっかちと言えばいいのか。
警戒したような目を向ける刹那に眉を下げては条件を口にした。
なかなか抜け出すことの出来ない公安の協力者としての自分に深いため息をついてはそれに対し、了承する。
「時に聞いたいんだが」
「プライベートと企業秘密は教えないわよ」
「………ごほんっ、ドレスは持っているか?」
まだ聞き足りないと言わんばかりの降谷に内心腹を立てているのか。
彼女は刺々しく言葉を返すとその声音と表情に彼はキョトンとした顔をして頬に冷や汗を滲ませた。
そこまで敵意むき出しにされるとは思っていなかったのだろう。
咳払いをして正面を向き直すと唐突に問いかける。
「…………はい?」
それは刹那にとっても予想外な質問だったらしい。
眉間に皺を寄せながらも、ぽかんとした複雑そうな表情をしながら、問いかけ返したのだった。
箱を開けてみたら
−また面倒事に巻き込まれる予感ー