35話






「……」


 ドレッサーの前でしかめっ面をしてイヤリングを付ける。その姿はどこか異様だ。


「……律、これでいいと思う?」
「はい!とても似合ってます!」
「はあああああああ……」


 付け終わると肩の力を抜いて、ドレッサーに置いていたスマートフォンを片手に問いかける。
 画面の中にいる人物はなぜか、彼女もドレスアップしている。けれど、それに触れる者など誰もいない。律は両手を合わせ、目を輝かしていた。
 彼女の反応を見て安堵はするのだろう。けれど、それよりも胸に感じる倦怠感が勝ったのか。これでもかというほど、深いため息を吐く。


「そ、そんな嫌そうな顔しないでください」
「こーゆーきっちりしてる格好って苦手」
「外での仕事時はちゃんとしてるじゃないですか」


 よく見れば、せっかく綺麗に化粧されているのに眉間に深くしわを寄せている。それに律は慌てたように慰めるが、刹那はその顔を止めることはなく、文句を垂れた。なんなら、頬を膨らませている。それに律は母親のように宥めた。


「あれは仕事だからね」
「これもある意味仕事では……」
「猫かぶる必要もないのに被らなきゃいけない憂鬱?」
 

 しかし、納得はしていないらしい。刹那は目を細めて言い返せば、律からもまた言葉が返ってくる。
 彼女の言い分は最もだ。仕事として割り切ればいい。けれど、彼女にとってそんな簡単な事じゃないらしく、不満を零した。


「そればかりはどうしようもありませんよ」
「分かってるけど……ああ、抗いたい」


 どう足掻いても刹那の胸に溜まった感情は昇華するのが難しいと判断したのかもしれない。律は肩を竦めて促すけれど、彼女は顔を両手で覆って未だに反抗を続けた。


「そんな暇ありませんよ……安室さんがいらっしゃいましたから」
「覚悟決めますか……よし、なんかあった時はサポートよろしくね」
「はい!お任せ下さい!」


 諦めの悪い刹那にため息を零し、律は指差す。その方向は寝室のドアだ。
 どうやら、噂の人物はもう迎えに来たらしい。
 元々逃げ場なんてないことは分かりきってるのだろう。そろりと両手から顔を話すとジト目でポツリと呟く。耳に飾られたイヤリングをピンッと指で弾いて律に言えば、彼女はやる気十分な返事をした。


「心強い〜〜……律が男だったら惚れてたわあ〜♪」


 相棒とも言えるスマートフォンを手に持ち、パーティバッグを肩にかければ、適当なリズム、適当な音程を取りながら、心の底から思ったことを歌う。
 それはあまりにも能天気に見える。


(それ、絶対カルマさんの前で言わないでください……)


 友人としては嬉しい褒め言葉だろう。
 だが、それを聞いて欲しくない人間も彼女の中ではいるらしい。
 律はぎこちなく笑いながら、心の中で吐露した。


◇◇◇


「こんばんわ、安室さん」
「……」


 家の前に待ち構えてる白のスポーツカーの前に立つスーツに身を包む安室を目にし、軽く息を吐く。覚悟をもう一度決めて、歩き出せばヒールの音に反応して彼は顔を上げた。
 目の前にいる刹那はいつもと成りが違う。いつもほぼメイクされないのに、アイシャドウを引き、肌に合った艶やかな唇になっていた。更にいつもなら無造作にされている髪は編み込んでアップにされている。そして、露出はそれなりに高いが着こなすその姿は色気がまとっているようにさえ見える。
 そんな彼女を見たのは恐らく、初めだったのだろう。目を見開き、薄ら口を開けてはいるが、言葉を失っていた。


「聞いてます?」
「あ、すみません……綺麗で見とれてました」
 

 目が合ったのにポカンとしてる彼に刹那は眉根を寄せ、首を傾げる。
 もう一度、声をかけられてやっと我に返ったらしい。安室は眉を八の字にして笑って素直に思ったことを口にした。


「冗談はやめてください」
「あはは……今日はありがとうございます」
 

 ゼロと協力者。この関係性で、尚且つ容姿端麗な人間から容姿を褒められるとは思っていなかったらしい。
 呆れたように半目で冷ややかに返せば、安室は困ったように笑った。そして、当たり前のように助手席の扉を開けてエスコートする。


「いえいえ、仕方ないことですので」
「今日は精一杯エスコートさせて頂きますね」


 刹那はニッコリと張り付いた笑顔を浮かべて言い返せば、助手席に座った。
 それが気に入らなかったのか、否か。それは分からないが、安室はグイッと中を覗くように顔を近づけて綺麗な笑みを浮かべる。


「……普通にお願いします」
「………」


 刹那からすれば、嫌がらせ以外の何物でもない。丁寧に断っている辺り、張り切られても困るのだろう。
 冗談が通じない彼女に頬を引き攣らせ、パタンと扉を閉めれば、大人しく運転席へと戻ってシートベルトを閉める。


「あれから進展は?」
「表と見せかけて裏も紛れた物騒なパーティーってことと相手が人身売買とかいう良からぬことを企ててる組織ってことしか分からなかった」


 エンジンをかけて車を走らせれば、単刀直入に問いかけた。
 いつもと同じ空気感に少しほっと息を零せば、残念そうに答える。ハッカーとして悔しい結果なのかもしれない。


「人身売買、か」


 結果が良くなかったことが意外だったらしい。肩の力を抜けば、刹那はふてくされたようにフロントグラス越しに街に目を向けた。
 頭が痛くなる案件に安室は眉間にシワを寄せてポツリと呟く。


「時間がなさすぎる」
「どういうことだ?」


 頬杖付いて眉間にシワを寄せ、彼女は言葉を続けた。それは不満というのが相応しいかもしれない。
 しかし、その意図が理解できないらしい。チラッと視線を向ける。


「リミットがないくせに調べることが膨大すぎる。マフィア側から探り入れてそこまで分かったけど、……相手は相当慎重に行動している」
「相手のバックに大きな組織がある……ということか?」
「恐らくね」


 モヤモヤしたまま、現場に向かうことが嫌なのか。眉根を寄せ、彼の横顔を偉そうに見上げて答えた。
 1週間のリミットを有して彼女が調べても出ない。それから導き出されるのは相当大きな闇が関わっているということだったようだ。
 想像もしたくないことだろうが、確認せねば前には進めない。だからこそ、問うが刹那はあっさりと認めた。


「君でもたどり着けないことがあるとはな」
「私のことなんだと思ってんのよ…ただの普通の人間よ」


 しかし、彼女の能力を買っていたからこそ、いまだに信じられないのかもしれない。
 困ったように笑えば、刹那は呆れたように言う。


「普通って……君はこの国一…………いや、世界的に見ても5本の指に入るハッカーだろう?」
「……ははっ、嫌ですね。買い被りすぎですよ」


 彼女の言い分は明らかにおかしいのだろう。安室は表情を強ばらせ、首を傾げた。
 それは日本公安のトップに君臨する男からの最上級の褒め言葉と言ってもいいかもしれない。しかし、刹那は何度も瞬きをすると笑って一蹴する。有り得ない、と。
 そんな瞳はどこか冷ややかだ。

 
「……引き続き調べられるのか?」
「今日捕まえたら調べる必要ないと思うけど」
「どこまで口を割るか分からないだろ」


 彼は前を向いて真面目な口調で問いかける。
 無理やり話題を変えたようにも捉えられるし、本題に戻したとも取れる言い方だ。けれど、その問いが理解できなかったらしい。
 刹那は冷静にただ正論を口にするが、安室もまた同じように言い返す。


「そこは自信を持って割らせて欲しいところですけどね」
「君はどこまで厳しいんだ……着いたな」


 口を割らすのに時間がかかる可能性は高い。だからこその依頼と分かっているのだろう。しかし、できる限り減らそうとしているからこそ、嫌味ったらしく刹那は笑う。
 それが分かるからか、彼は疲れたように笑うしかなかった。


「はあ……それじゃ、しおらしく居させてもらいますね」
「――……僕の聞き間違えか?」
「じゃないわよ。おとなーしくさせてもらいますから」


 静かに車が止まるそこは、パーティ会場の駐車場。
 まばらに車が埋まっている中、彼女は今日何度目か分からない溜息をつき、他人行儀な笑顔を顔に張りつけた。
 先程まで好き放題言いたい放題していたのに、刹那の口からしおらしい、なんて言葉が出ると思わなかったのかもしれない。安室は思わず、聞き返す。
 けれど、それは聞き間違いなんかじゃなかった。半目で睨みつければ、彼女はもう一度言葉を変えて言う。
 協力者としての行動はあくまで同行だけ、とでも言いたいのだろう。


「はあ……極力離れないようにするが、何かあった時のためにこれを付けておいてくれ」
「何、これ」


 少しは力を借りようと期待していたのかもしれない。安室は残念そうにため息を着くとポケットからペンダントを取り出して差し出す。
 刹那の前にあるのは小さなダイヤモンドをはめ込まれた品のあるペンダントだ。しかし、何故渡されるのかが分からないらしい。
 怪しげな目を向けて指差して聞く。


「盗聴器兼発信機だ」
「堂々とそんなものを渡す人初めて見た」


 さらりと返ってくる言葉にロマンの欠けらもない。
 普通明るみに出ることもなければ、聞き馴染みのあるはずのない言葉。
 悪気のないその顔に呆気に取られたのか、刹那もまたキョトンとした顔をして感心することしか出来なかった。


「こちらも時間がなくてこれしか用意出来なかったんだ」
「はいはい、付けさせてもらいますよ」
「君もあまりうろうろしないで側に居るように」


 渡すのは勿論、意味はある。もし、巻き込まれてしまった時に彼女の安否を確認するためだろう。
 それも承知しているからこそ、刹那は受け取り、ネックレスを付ければシートベルトを外し、扉を開ける。
 そんな彼女に不安を少し覚えるのか、安室もまた車の外へと出ると再度忠告した。


「いざとなったら、安室さんを盾にするから安心して下さいって」
「…………」


 扉を閉めれば、彼女はウインクして自信満々に告げる。
 その言葉通り、やるのだろう。そう思えてしまったのかもしれない。彼は複雑そうな顔をして車のキーをロックしたのだった。



 いざゆかん

 ーパーティー会場へ……!!ー




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