2話






 人通りの多い町はガヤガヤと賑わっている。
 人の声というのは面白く、喜怒哀楽が伝わる声音がその場で分かる。
 様々な人がいることが目を閉じてもわかる程だ。


「あ、刹那さん!」
「…あ、新一くん。久しぶりね」

 
 焦げ茶のロングストレートの女性は何気なくそんな街を歩いていた。
 彼女の後ろ姿を見つけた青年は大きな声で女性の名前を呼ぶ。
 女性は呼ばれた事実に気が付くとゆっくり後ろを振り返った。
 目の前にいる青年は黒い髪に青い瞳を持つ整った顔をしている。
 日本にいて彼の名を知らない者はいないだろう。
 かの有名な東の高校生探偵と持て囃されていた工藤新一だった。


「お久しぶりです…仕事ですか?」
「今日は休み。ただ歩いてただけよ……で、君は大学で授業中じゃないの?」


 彼は懐っこい笑みを浮かべて首を傾げながら問うと彼女もつられたように口角を上げながら言葉を返す。
 しかし、今日は平日。時間的には午前十時を回った頃だ。
 普通の学生ならば授業を受けているはずなのに新一は町の中にいる。
 薄々彼から返ってくる言葉を予想しているにも関わらず、彼女も問いかけ返した。
 

「俺は事件に……」
「相変わらず事件を追ってるのね」


 新一は眉を下げて誤魔化すように笑う。
 そして、右手で後頭部を添えながら言葉を返した。
 その姿は三年前から二度と見ることが叶わなくなった江戸川コナンを彷彿させる。
 刹那は呆れたように肩を上下させて、深いため息をついた。


「あははは…そう言えば安室さんと会いましたか?」
「もう私は降りたから会ってないよ」


 彼女の言葉に新一は冷や汗を垂らしながら乾いた笑いをして無理やり話題をすり替えるように共通の知人の名前を出す。
 彼が無理やり話題をすり替えたことにも気づいているのだろう。
 彼女はくすっと笑ってはその話題に乗った。
 どうやら、話題に出た“安室”という人物とは会っていないらしい。
 

「へぇ…そうだったんですか。あ、じゃ、赤羽先生は?」
「そっちにも会ってない。随分偉くなっちゃってビルの中に引きこもって徹夜続きらしいわ」


 彼女の答えが意外だったのか新一は目を見開いて驚いたように言葉を零した。
 そして、もう一人の知人の名前を出すとその名前を聞いた刹那は不敵な笑みを浮かべて言葉を返す。
 どうやら、“赤羽”という人物にも会っていないようだ。しかし、噂の人物はブラック企業にでも働いているのか社畜と化しているような物言いをする刹那はにっこり笑う。
 まるでざまーみろと言わんとばかりに。
 

「……何してんすか」
「さあ?」
「きゃー!!」


 彼女の笑みに若干頬を引き攣らせた。
 新一は赤羽の動向が気になるのか問いかける。しかし、その問いに返ってきた彼女からの答えは想像以上に淡白だった。
 そんな二人の耳元に女性の甲高い悲鳴が届く。

 
「「!?」」
「来るなー!」


 恐怖を感じている悲鳴に二人は目を見開いて声のする方を見る。
 そこにはマスクとサングラスをした男が女性を人質にしている姿があった。
 男の手にはナイフがある。
 そのため、周りはナイフに恐れを為して、男と人質の周りから距離を取るように逃げた。
 

(…何、これ……)


 たまたま足元にコツンと当たったものが気になり、下を向くとそこにはUBSのような端末が落ちていた。
 不思議に思った彼女はしゃがみこんで拾う。


「おい!そこの女!!」
(なんで落ちてんの…?)


 興奮している男は距離があるものの刹那に向けて怒鳴り声を上げた。しかし、彼女は自分に言われていると思っていないのだろう。
 怒鳴り声は認知しているが右耳から左耳へすり抜けるがごとく聞く耳を持っていない。
 それどころか自分の世界に入るように手元にある端末が何故、そこに落ちているのか考え込んでいるようだ。
 

「おい!聞いてんのか!?」
「刹那さん、呼ばれてますよ」


 全く聞いていない刹那に苛立ったのかナイフを持った男はナイフを振り回す。
 男の腕の中にいる人質の女性はその素振りが恐ろしいのだろう。
 目をぎゅっと瞑って耐えていた。
 ナイフを持っている男に刺激している刹那にまずいと思ったのか。新一は冷や汗を垂らしながらこそっと刹那に耳打ちする。


「あ、私?」
「お前だよ!お前!!それ寄越せって言ってるだろ!?」


 そこでやっとナイフを持った男が怒鳴っているのは自分だと気付いたようだ。
 彼女はキョトンとした顔をしながら自分の顔を指さす。
 その仕草に更に苛立ったナイフを持った男は彼女に対してツッコミを入れた。
 

「刹那さん、あまり威嚇しないで下さい」
「……ご、ごめんなさい……い、今渡します…」
 

 ナイフを持った男は額に血管を浮きぼらせている。
 その様子に新一は困ったように眉を下げて刹那に叱咤する言葉を投げかけた。
 彼女は何処か面倒くさそうにふうと息を吐くと体をカタカタと震わせる。
 まるで、ナイフを持った男に怯えるように。そして、ゆっくりと一歩を歩み出した。


(相変わらず変わり身はえーな…)
「おら、早く寄越せ!!」


 彼女は別にナイフなんか持って脅されても恐怖を抱くような人間じゃないことは新一は重々承知だ。
 彼女の変わり身の早さに呆れたように彼女に目を向ける。


(……神経が敏感になってる…人質もか…あ、でも、周波が違う……いけるか)


 彼女の表情は怯えていると傍から分かるそのものだ。
 しかし、内面の彼女は非常に冷静にナイフを持っている男と人質となっている女性を観察するように見つめると人質を無傷で助ける方法を思いついたのだろう。
 前を見据えて少しの動作も見逃さないように見つめ続けた。


「早くしろ!!」
「は、はい…」

 刹那はナイフを持った男に近づくと男はナイフを持ったまま手のひらを広げる。
 彼女の持っていたUBSを譲渡しろとばかりに催促した。
 彼女は怯えたふりをしたまま返事をし、わざと震わせた手でUSBを渡す素振りをすると親指と人差し指で持っていたそれは男の目の前で宙に舞う。
 そこで少しの隙を見せた男に彼女は男の目の前で両腕をしっかり伸ばし、パチンっと大きな音を立てながらクラップスタナーを食らわせた。


「かっ、はっ……!」
「うわー…お見事…」


 男は突然電撃が走ったように体を痺れたように震わせる。
 力が入らないのだろう。
 ナイフをカランッとアスファルトに落とした。
 人質を抱える力もないようだ。
 女性を抱えていた腕をだらんと下げる。
 刹那は解放されても動けずにいる女性の腕を引っ張り、自分の背に隠した。
 男は足に力が入らないのかガクッと膝を曲げて倒れ込む。
 その鮮やかな行動を見ていた新一はパチパチと拍手を送った。そして、称賛の言葉を零しながら彼女に近寄る。
 

「貴女、大丈夫?怪我は?」
「な、ないです」


 倒れ込み、ピクピクと体を痙攣させている男を見下ろしながら刹那は息を深く吐き、自身の背に隠した人質となった女性の方を向くと彼女の安否を確認するように問いかけた。
 彼女は流れるように男の腕から逃げ出すことが出来たのが実感が湧いていないのか、戸惑った表情を浮かべるとどもりながら彼女の問いにこくりと頷きながら答える。
 

「そう、良かった」
「警察です!退いてください!」
(この声って………)

 
 刹那は人質に怪我がないことが分かるとほっと安心したように表情を和らげ、笑みを零した。
 いつの間にか誰かが警察を呼んでいたらしく警察手帳を片手に野次馬を掛け分けてくる男性の声音がする。
 それは刹那にとって聞き覚えのある声のようで眉間にシワを寄せた。


「あ、木村」
「本郷……お前相変わらず巻き込まれるな…工藤君は先程ぶりか」
「あはは…どうも」
 

 彼女は声のする方を振り返るとそこには捜査一課で働いている同級生…木村正義。
 騒ぎの中心にいた刹那を目にすると木村は眉を下げて深いため息をついた。
 彼女の近くにいた新一に目をやると君もか…とばかりに眉を下げて言葉をかける。
 どうやら刹那と会う前に駆けつけていた事件で木村と遭遇していたらしい。
 どこか気まずそうに笑いながら言葉を返した。


「失礼ね、だいぶ減ったと思うけど?」
「……まさか、あれ使ったのか?」
 

 彼の小言に刹那はむっと眉を寄せて言葉を返す。
 どうやら昔よりは減ってはいるようだ。
 木村は呆れた表情を浮かべると現行犯らしき人物が伸びている姿を見つけた。そして、その倒れ方から彼女が何をしたのか分かったのだろう。彼は問いかける。


「使ったけど?」
「全く無闇に使うなよ…」
「手っ取り早いんだもの」

 
 彼女は何の悪気もなくサラリと答えた。
 まるで、何か問題でもあるかと問いかけるような雰囲気を醸し出しているあたりが彼女らしいといえばらしい。
 木村は面倒くさそうにまた深いため息を付くと後頭部をガシガシとかきながら彼女に言葉を返した。
 彼がそういうのも無理はたいだろう。
 クラップスタナーは猫だましの応用編のようなものだ。
 相手の意識の波長を利用し、意識の意識が最も高い山の瞬間に音波の最も高い山を当てる技。
 一般人ができるものでは無い。
 しかし、彼女はふふっと笑いながらまるで安心安全で尚且つ楽だからとばかりに言葉を零した。
 そういうあたりが彼女の恐ろしいところでもある。


「おやー?刹那さんじゃないか」
「やっと見つけた!刹那さーん!」

 
 ひとつ頭抜きん出ているもじゃもじゃ頭の男が彼女を見つけたとばかりに呑気な声を出した。
 その隣には白い髪の中に一部黒のメッシュをしている少年の姿がある。
 その少年も騒ぎの中心にいる人物に手を振りながら、声をかけた。


「太宰くんに敦くん…こんな所で何してるの?」
「仕事で刹那さんの手を借りたくて探しに来たんですよ」
(……包帯が気になるけど、刹那さんの知り合い?どんな関係だ?)
 

 野次馬の中でも極めて目立つ二人に刹那は目をやる。
 どうやら彼女の知り合いらしく見つけると目を見開いて驚き、彼らの名前を呼べば、呆れたように眉を下げて彼らに掛けた。
 彼らは人の間を縫うように野次馬の中を通ると彼女の問い掛けに敦が答える。
 彼の後ろを付いていく太宰は首や腕に包帯を巻いていた。
 それが悪目立ちしているため、新一は鋭い視線を向けては心の中で疑問を抱えている。


「はあ……今日は暇を貰ったのに…」
「社長からは許可が出ているよ」
「……」


 刹那は左手を頭に当てて呆れたようにため息をついた。
 彼らが彼女を探しに来たと知るといなや不機嫌そうな表情を浮かべる。しかし、現実は残酷なもので太宰の口から有給休暇が強制終了を迎えたことを知らされた。
 彼女は怒りを露わにして唸っているが決して、言葉にすることは無い。
 それが返って恐ろしいのだが。


「おい、刹那。事情聴取…」
「木村、あとは適当に任せた♡」
「「は!?」」

 
 三人のやり取りが飲み込めていない木村は眉を下げてた。
 刹那に事件の事情聴取をするため、言葉を紡ぐ。しかし、それは彼女の茶目っ気たっぷりな台詞によって遮られた。
 どうやら、彼女は事情聴取に応じる気は無いようだ。
 まさかそんなことを彼女が言うと思わなかったのだろう。
 木村と新一は息を揃えて驚きの声を上げる。


「じゃね〜」
「お、おい!ちょ……ったく!!」
 

 彼女は木村に背を向けては手を振った。そして、野次馬の中へと紛れるようにスタスタと歩いていく。
 そんな彼女に続くかのように太宰と敦も人混みに消えた。
 何としても事情聴取しようと木村は彼女に言葉をかけるが、もう遅い。
 彼は完全に彼女の姿を見失っていた。
 その事実になのか自由気ままな彼女になのか分からないが怒りのこもった声で吐き捨てる。
 木村のそばに居たはずの工藤新一の姿も何故が無くなっていた。


「刹那さん、どこ行くんですか!?」
「仕事が待ってるからよ」

 
 どうなら彼は彼女達の後を追っていたようだ。
 彼は必死に彼女を呼び止めようと声をかける。
 彼の声は彼女の耳に届いたのだろう。
 刹那は足を止めると振り返り、彼を見つめた。
 彼女の側にいた太宰と敦も足を止める。
 彼女は眉を下げて笑いながら彼の問いかけに答えた。


「……何の仕事をしているんですか?」
「私は武装探偵社の社長秘書をしてるの」
 

 流石探偵を名乗っている少年だ。
 大変鋭い観察眼を持っている。
 彼が知り合った頃は彼女が作曲家をやっていたが、現在はそうじゃないという考えに至ったようだ。
 彼女が作曲家だった頃、見なかった人物が側にいるのだから無理もない。
 彼は眉間に皺を寄せて冷や汗をかきながら問いかけた。
 彼の強ばった表情に刹那は困ったように眉を下げる。そして、あの頃とは違ってストレートに職種を答えた。
 そう、ヨコハマにある主に斬った張ったの荒事を領分にする軍や警察に頼れない危険な依頼を取り扱う探偵社だ。
 日本国内では数少ない異能開業許可証を保有している。
 昼の世界と夜の世界、その間を取り仕切る薄暮の武装集団。


「……は?武装探偵社って……あの?」
「そう、それ……じゃ、またね」


 博識な彼ももちろんその存在を知っているのだろう。しかし、予想外の答えだったのか目をキョトンとさせる。
 どこか信じられないのか不思議そうに首を傾げた。
 彼女はその表情が面白く見えたのかくすっと笑うと彼の言葉を肯定する。そして、彼女は踵を返して手を振りながら彼の前から去ったのだった。


「いいのかい?あの少年を置いて行って」
「大丈夫。たまたま会った知人よ」

 
 スタスタと歩く彼女の右隣に並ぶと太宰は口角を上げて問いかける。
 まるでどう言葉を返すか試すかのように。
 そんなことに気がついているのか否か分からないが彼女は淡々と答えた。そして、ショルダーバッグからバレッタを取り出す。


「刹那さんって本当に知り合い多いですよね」
「君よりは生きてますから」


 敦もまた彼女の左隣まで駆け寄ると感心したように言葉を紡いだ。
 どうやら彼は今まで彼女の知人にあったことが何回かあるようだ。
 彼女はまたその言葉に軽く答える。
 そう、もう彼女は二十八歳。
 結婚適齢期と呼ばれる良い女性になったのだ。
 敦とは十も歳が離れているのだから彼女のセリフに間違いはない。
 彼女は取り出したバレッタを使い、上手に長い髪を纏めて上げて留めた。


「刹那さんを捕まえられた所だし、任務を果たしに行こうかー」
「は?事務所に戻るんじゃないの?」
 

 彼女の言葉にくすっと太宰は微笑む。そして、気の抜けるような声で目的地へ向かおうと歩む道を右折した。
 まさか現場直行だと思っていなかったのだろう。
 無理もない。
 彼女の職種は社長秘書だ。現場に行くことなんてそうそうない。
 刹那は太宰の言葉にキョトンとした顔を向け、首を傾げて問いかけた。


「今回の任務は僕達とあとで合流する国木田さんと四人でやることになりました」
「あのねぇ…私は社長秘書よ?なんで…」
「社長命令だよ」

  
 敦は彼の発した言葉で足りない部分を補助するように言葉を紡ぎ、彼女より少し高い視線を彼女に向けて眉を下げる。
 業務外のことをやらされそうになっていることに文句を言いたいようだ。
 眉間に皺を寄せて苛立った声音で小言を口にするがそれは太宰の一言で遮られてしまう。


「はあ……全くなんなのよ」
「あは、あははは……」


 彼女を思いとどませる最強単語ワードと言っても過言ではない。
 自身の雇用主なのだから従わない訳には行かないのだ。
 彼女はやるせない気持ちをモヤモヤと抱えながら深いため息を吐く。
 それは今日一番に深いため息だ。彼女は諦めたように太宰のいる方へと歩き出す。
 そんな彼女の姿を見て敦は眉を下げて頬を引き攣らせながら笑ったのだった。



ALICE+