十話





(何でこの機会タイミングで呼び寄せた…!!)


 藤は仏頂面にも見える表情をしているが、眉間にシワを寄せており、地を踏みしめる足には余計な力が込められている。つまり、別れ際に炭治郎が感じた匂いは当たりを示していた。
 彼女は地面に視線をやり、心の中の毒を吐き出すように深く息を外に追い出す。
 だからだろう。目の前から人がやってくる気配は感じていても、それが誰なのかまでは分かっていなかった。
 すれ違う彼女に違和感を感じた背の高い男性はピタリと足を止め、振り返り、藤の背を目を細め、見つめる。


「おい、お前。見かけない面だなぁ……鬼殺隊の隊員のようだが…」
「……これは音柱の宇随天元様。お初にお目に掛かります」


 男性はスっと息を吸い込み、彼女の背中に向けて言葉を投げかけた。
 藤の姿を見れば隊服を着ている。それが何よりもの証明になるのようだ。
 声をかけられた彼女はハッと我に返り、振り返るとそこには二メートル近くある巨体が隊服の袖だけを切り取ったような隊服に身を包み、派手な額当てをしてる男性が立っていた。
 彼の背に日本の刀が背負われていることで分かったのか。彼女は先程の怒りを心の奥深くに沈め、軽い会釈をして挨拶を返す。


「何処へ行くつもりだ?」
「お館様から文を頂き、参った次第です」


 疑いの眼差しを藤に向ける宇髄は眉根を寄せ、問いかけるが、そんな視線は気にもならないのだろう。彼女は淡々と返答をした。


「……お館様が…だと?」
「疑っておられるようで……これでよろしいでしょうか?」
(……間違いねぇ。こりゃぁ、お館様の字だ)


 返ってきた答えが想定外だったのか。彼はピクリと片眉を動かす。
 確かに彼が歩いてきた方向には産屋敷邸があるから、辻褄が合わないことはないが、こんな子供が何故、お館様に用があるのか想像出来ないようだ。
 疑心満々の声音で復唱すると藤はため息を零す。そこまで疑われるとは思っていなかったのかもしれない。
 面倒くさそうに懐から一つの文を取り出すと宇髄に差し出した。
 渡されたそれを手に取って読むが、彼女の言う通り、産屋敷耀哉の字であることがわかると彼は目を見開く。


「疑いが解けたようなので、先に失礼いたします」
「おい、待て」


 宇髄の顔から読み取った藤は文を返せとばかりに手を差し出すと彼は驚いたような顔をしつつも、素直にそれを返した。
 彼女は手元に戻るとそれを懐にしまい、ペコッと頭を下げて踵をかえし、産屋敷邸へと足を運ぼうとする藤に宇髄は慌てて、制止するように肩を叩く。


「何か御用ですか?」
「……お前は何者だ?」


 まだ用があるのか?
 顔にはそう書いてあり、感情を抑えていないようにも見えた。
 藤は眉を下げ、問いかけると彼はじっと彼女を見つめ、問いかける。


「藤と申します」
「………はあ…ったく、お館様に無礼のないようにしろよ」
「はい、ご忠告痛み入ります」


 そういえば、名乗っていなかったか。やっと呼び止められた理由に合点がいったのだろう。
 彼女はすっと表情を戻し、体を彼の方へ向けると凛とした表情をして自分の名を名乗った。
 その態度がもの珍しいのかもしれない。宇髄は数秒固まったまま彼女を見つめていたが、ため息を一つ零すと忠告をした。
 それに藤は素直に受け取ると会釈をしてもう一度踵をかえし、歩き出す。


「………ガキの癖になんつー奴だ」


 そんな年端もいかない子供が畏怖することなく淡々と会話を成り立たせている姿に宇髄は思わず、言葉を零した。


(藤、ね……)


 そして、子供と言っても違いのない彼女の名前を心に刻んだのだった。



◇◇◇



「馳せ参じました。藤にございます」
「ああ、藤の君。久しいね」


 屋敷の中に通された彼女はある部屋の前で膝を付きながら、襖を開けて部屋の中で待っている人物に頭を下げ、声をかける。
 中で待っていた人物…産屋敷耀哉は柔らかく微笑むと声のする方へ顔を向けて言葉を返した。
 どうやら、二人が会うのは久方ぶりのことらしい。


「はい、お久しゅうございます」
「君は鬼の子を連れた隊士と共に行動をしているようだね」
「はい」


 藤は顔を上げると中へと歩み、産屋敷の前に立ち止まると姿勢を正して座り、返事をした。
 表情の読めない笑みを浮かべたままの彼は本題に早速入るように言葉を紡ぐと彼女はコクリと縦に首を振る。
 まるでそう言われることが分かっていたかのような態度だ。


「急に鍛冶の里から居なくなったから驚いたよ」
「……星の巡りが突如変わりまして、報告が遅くなったこと申し訳ございません」


 産屋敷は眉を下げ、困ったように微笑みながら、言葉を口にする。
 どうして突然、報告もなしにいなくなったんだ。
 そう言っているようにすら聞こえるから不思議だ。その言葉に彼女は仮面を付けたような綺麗な笑みを浮かべ、その問いに理由を述べる。
 それが故に報告もせずに独断で動いていたことが明らかになった。


「うん、それで……君の目から見て、鬼の子はどうだったのかな?」
「どう、とは?」


 彼は目を閉じ、首を縦に振るとゆっくり瞳を開き、彼女へ問いかけるが、藤はそれに対して問いかけを返すだけ。


「とある手紙を貰ってね…君は彼らの傍にいたようだから、一意見を聞きたいと思ったんだ」
「鱗滝様からですか」


 彼の元に報告に来たものから得た情報なのだろう。彼の耳には彼女の行動が筒抜けらしい。
 身近に居た彼女からも意見を知りたいようだ。しかし、藤は一切の感情の揺れを見せることなく、そのとある手紙の主の名を口にする。


「おや、知っていたのかい」
「いいえ、貴方様に彼等について手紙を送るのはあの方以外いないと思ったからです」
「君は聡明だね」


 産屋敷はさして驚いてもいないのにも関わらず、驚いたように言葉を返した。
 藤は首を横に振るとじっと彼の目を見つめながら、その結論に至った考えを口にすると彼は彼女を称賛する。
 十五にしては冷静で頭の回転も速い。それは素直な彼の想いなのかもしれない。


「……鬼の子・禰豆子は人を守るため、鬼を何度も何度も攻撃をしておりました。相手の血鬼術の内側に竈門炭治郎と共にいた際も彼女は兄・炭治郎の命令を素直に聞き、傍に居た人間を守っていました」
「……そうか。竈門炭治郎。彼を見て、どう思ったかな?」


 ふぅと息を吐くと同時に肩の力が抜ける。
 それを感じながらも、藤は一度しか会っていないが、淡々と自分が見た彼女の印象を産屋敷に報告をした。
 その言葉に表情から感情が読めない。けれども、優しい笑みを浮かべる産屋敷はまた次の問いを投げかけた。


「彼は……人が良く、優しく、心が強い人間だと思います。あんなにやさしい人間は見たことありません」
「……そうか。ちなみに君は彼と共にするようになって、鬼と遭遇したかい?」


 優しい笑顔。その人のために悲しむ心。鬼を人と同様に扱う懐の広さ。
 藤は畳に視線を向け、炭治郎のことを思い出しながら、瞳を揺らし、言葉を零す。
 産屋敷からは彼女の表情は見えないが、もう彼の目は何も映すことは出来ないのだから、それは今更の話だ。
 彼女の語るその声音、呼吸、それらで全てを取り汲むと優しい声で納得したように言葉を零す。そして、最後にもうひとつ問いかけを投げかけた。


「…………炭治郎が受けている任務に向かっている最中に2回ほど」
「……君は手を出していないかい?」


 鬼と遭遇する。鬼殺隊にいたら、当然のことだ。
 それなのにも関わらず、何故そんな今更な問いかけをするのか。そんな疑問が浮かんでもおかしくないが、彼女はその言葉に眉をひそめ、唇を閉じる。
 少しの沈黙の後、極めて平静を装った藤は目を閉じ、返答をするとそれは彼が求めていた答えではなかったようだ。
 眉を寄せ、困ったような表情を見せると産屋敷は問いかける。


「術は2回ほど。あとは全て斬りました……まだ術は鬼の前では使ってはおりません」
「そうか。では、まだ鬼は君の存在に気が付いていないんだね」


 それがどういう意図なのか。分かり切っているように彼女は抑揚のない声で答え続けた。
 確かに陰陽術は文という女性を助ける際、鬼をひるませるために使った2回の術、その前に自身の気配を隠す術を使ったくらいだ。
 実質3回ではあるが、鬼に向けてという意味では2回なので、あながち間違いではないと言えるだろう。
 使ったことは好ましくはないだろうが、鬼に気付かれないようにしていたことに安堵したらしい。産屋敷は胸を下ろし、言葉を紡いだ。


「恐らく」
「まだ、君には動いてもらっては困る」


 藤がこくりと頷くと彼は今までより少し固いが、不思議な高揚感を与えられるような声ではっきりと言葉を投げかける。
 それは迷惑だと言っているのも変わりない。産屋敷にしては厳しめの言葉だった。


「っ、………時は動き出しました」
「だとしても、待って欲しい」


 それに怒りが込み上げそうになる感情を抑えるように唇を噛みしめ、自分に冷静になれと言い聞かせているのか。彼女は冷静を装いながら、言葉を口にするが、彼からはそれとは逆の言葉が返ってくる。


「俺は!十年待ちました…!!星が廻って来るのを!!」
「……そうだね」
「時が来たら動いていいと言ったのは産屋敷殿・・・・ではありませんか!」


 我慢の限界なのか。彼女はガバっと立ち上がり、珍しく感情を顕わにすると喰ってかかる勢いで産屋敷に反論をした。
 十年。つまり、彼女が5歳という幼子の頃から星を詠み続け、忍耐強く待っていたのだろう。
 産屋敷は悲しそうに慈しむように藤に同調するように言葉を零すと彼女はそのまま激しい感情をコントロールすることなく、彼にぶつけ続けた。


「うん、そうだね。でも、もう少し待っていてほしい」
「っ、……炭治郎について行けば、鬼舞辻無惨との接触が叶う機会・・・・・・・・・・・・・・があったかもしれない・・・・・・・・・・のに…どうして彼奴の前に行かせてくれない!!」


 産屋敷はただぶつけられる感情を受け止め続け、願いように言葉を優しい声で投げかける。
 藤はきっと分かっていた。
 どんなに感情を顕にしても受け止め、そう言われることを。
 だから、言葉を詰まらせたのかもしれない。しかし、文句を言わないと気が済まないのだろう。
 先程より、大きな声で叫んでしまった。
 それは悲痛な叫び。星詠みで知っていたのだろう。
 炭治郎はいずれ、鬼舞辻無惨に出会う可能性を持っているということを。だからこそ、呼び戻されてしまったことに怒りが湧いたのだ。 


「そうだったんだね……でも、君の存在をまだあちら側に知られるわけにいかない。分かって欲しい」
「っ、……俺は…っ、は……!!」
「もう、安倍家の陰陽師は君しかいない。君の役目を忘れないで欲しい」
「………」


 産屋敷は彼女の気持ちに引っ張られることなく、ただ事実を述べる。
 藤は瞳を揺らしながら、睨みつけて言葉を紡ごうとするが、それ以上言葉は出て来なかった。
 彼は目を閉じて、藤が一番突き付けられたくない現実を言葉にし、突き付けると彼女は頭を垂らして泣くことを我慢するように唇を強く噛みしめる。


「君のことはまだ柱たちに伝えていない。時が来たら、伝えるつもりだ。その時までどうか耐えて欲しい」
「………御意」


 やっとわかってくれた。
 そう思ったのか。いや、彼は藤が聡明であることを知っている。
 我慢し続けた感情が一時的にあふれ出たものだと分かっているのだろう。ゆっくり息を吐くと産屋敷は彼女に伝えるべきことを紡いだ。
 藤は力尽きたからくり人形のように腕をだらんとさせると小さな声でその指示に従うことを口にする。


「ありがとう……君は暫く、蝶屋敷で世話になりなさい」
「……はい」


 彼は隊士をこどもたちと呼ぶ。だから、彼女も自分の子供のように慈しむ。
 優しい声でお礼を口にすると彼女が向かうべき場所を示した。
 彼女は不服で納得はいかない。でも、まだ時ではないと止められてしまった以上は動けない事が分かっている。
 藤は悔しいそうに力なく返事を返したのだった。




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