十一話





「ごめんください」
「…どなたですか。怪我をした様子もありませんが」
「お館様の使いです。蟲柱・胡蝶しのぶ様は御在宅でしょうか」


 藤は蝶屋敷へ戸を開け、声をかけるとバタバタと足音が聞こえてくる。現れたのは蝶の髪飾りをした二つ結びの女性だ。
 見かけない顔に警戒心むき出しになりつつも、問いかける。そう、訪れた人物に負傷した様子がまるでないからだ。
 警戒されていることは一目瞭然なのだろう。彼女は困ったように眉を下げると言葉を紡ぐ。用事があるのは出迎えた彼女じゃないようだ。


「……付いて来て下さい」
「ありがとうございます」


 藤は隊服を着ており、見た目だけで判断するならば鬼殺隊員。
 大丈夫だという判断に至ったのか。出迎えた女性は屋敷の中へとあがる許可を出すと藤はぺこりとお辞儀をした。


「……あなたのお名前を聞いてもいいですか?」
「俺は藤と申します。貴女のお名前は?」


 女性は眉を吊り上げたまま、彼女に問いかけると藤は柔らかく微笑みながら、名乗り、また彼女の名前を問う。


「私は神崎アオイと申します」
「とても綺麗な響きの名前ですね」
「……どうも」


 彼女は藤の笑みに肩の力を抜き、自己紹介をすると藤は彼女の名前を褒めた。
 まさか名前を褒められるとは思ってもみなかったのだろう。アオイは驚いた表情を浮べつつ、平静を保ったふりをして返事をすると背を彼女に向け、スタスタと歩き出す。


(すぐに案内してくれるってことはいるんだな)


 鬼殺隊という組織は非常に忙しい。それは鬼殺隊の頂点に位置する柱も同じだ。いや、むしろ柱は鬼殺隊の中でも更に忙しい存在と言っても過言ではない。
 そんな人物が屋敷に留まっており、すぐ御目通しが叶うことに藤は内心驚いているようだ。
 診療室と書かれた部屋に辿り着くとアオイはドアをコンコンとノックをする。


「はい」
「しのぶ様、お館様の使いの方がいらっしゃいました」
「あらあら…どうぞ、入ってください」


 中から聞こえてくる優しい女性の声にアオイはドア越しに声をかけた。
 しのぶと呼ばれた女性は少し驚いたような声を出しながら、部屋へ入る許可を出す。
 失礼します。
 凛とした声でそう呟けば、アオイは戸を引いた。


「……蟲柱・胡蝶しのぶ様。お初にお目にかかります」
「そんなにかしこまらなくて大丈夫ですよ。それでご用件はなんでしょう?」


 診療室へと通された藤は目の前にいる柔らかい表情を浮かべる女性を見て、少し目を見張った。
 自分が想像していたよりも小柄な女性であることに。
 彼女はそっと目を閉じ、軽く会釈をして、挨拶をするとしのぶは優しい声で、藤に声をかけると要件を問いかけた。


「はあ……」
「「!」」


 彼女は眉根をよせ、深いため息をつく。
 まさか、問いかけたその答えがため息だとは思わなかったのだろう。二人は目を見開き、彼女に視線を向けた。


「ごほんっ、申し訳ありません。お館様から文を預かりました」
「どうも………これはこれは…」


 向けられた視線の意味を理解しているらしい。藤は咳払いをすると謝罪をし、懐から文を取り出し、しのぶへと渡した。
 彼女は眉を下げ、表情を読ませないようにしながら、文を受け取り、内容を読み出す。
 そこには予想もしていないことが書かれていたのだろう。
 驚いた表情をし、言葉を零した。


「……蝶屋敷にて世話になるように、と言われました」
「なっ」
「……貴方は何者なんですか?」


 しのぶが全てを読み終えた頃を見図り、藤は産屋敷に言われた言葉を二人に告げるとアオイはまさかそういう話だとは思っていなかったようだ。
 驚きの声を上げるとしのぶは文をゆっくり下ろし、彼女へ問いかける。
 しのぶは聡い女性だ。
 見ての通り、鬼殺隊員であるだろうとは思えるが、産屋敷からこんな頼まれ事をされるあたり、裏があると思ったのだろう。


「俺は藤と申します。お館様に容認されているだけの者です」
「……いろいろと疑問があるのですが」


 しかし、彼女はしのぶの問いかけに曖昧な答えしか出さない。しのぶは表情から読み取ろうとするが、如何せん。藤は淡々とした表情を浮かべていて、読み取り辛いようだ。
 しのぶは少し苛立っているような、それでも柔らかい優しいような声で、言葉を零す。


「そこに書かれているように時が来れば説明するとのことです。俺から貴女に申し上げられることは何もありません」
「…………」


 藤は彼女の目から逸らすことなく、じっと見つめ、今言えることだけを口にした。
 それはあまりにも無責任にも聞こえ、自分勝手にも聞こえるもの言い。アオイは眉間に皺を寄せ、彼女を睨みつけるのも無理はないだろう。
 しのぶは藤の真意を図るようにじっと見つめ返し、考えを巡らせていた。


「…怒るのは最もだと思います。俺だって……」
「……どうして、柱でもないあなたがお館様の元へ?」



 藤はじっと見つめてくるしのぶの気持ちを図ったかのように言葉を紡ぐ。そして、ぽつりと本音まで零しかけたが、その言葉の続きはなかった。
 目の前の少年に色が見えたことで藤自身も納得いっていないことが明らかになったからこそ、興味が出たらしい。
 しのぶは彼女へ問いかけた。
 それはとてもごく自然の質問と言ってもいいだろう。産屋敷という男は一介の隊員がお目通し叶う存在では無いのだから。


「それも今はまだ申し上げられません」
「なっ、そんなむちゃくちゃな…!」
「はあ……わかりました。あなたは隊員なのですか?」


 藤はそっと目を閉じ、静かにはっきりと答える。
 答えになっていない答えを。
 アオイは今まで口出しせずにいたが、先程から似たような答えしか返さない彼女に苛立ったのか。声を荒らげ、抗議しようとするが、それはしのぶの深いため息に遮られた。
 アオイはしのぶへ視線を向けるとしのぶは困ったような笑みを浮かべ、滞在許可を与える。そして、また質問の方向性を変えた問いを投げかけた。


「お館様から刀を持つことも禁じられました」
「……何をやったらそんなことに…と、聞いても答えないのでしょう?」
「答えない・・・、ではなく。答えられない・・・・・、が正しいです」


 藤はそれに眉を寄せ、少し怒りが見え隠れする表情を浮かべ、告げる。
 刀を持つことを禁じられた。つまり、日輪刀を手にしてはいるという事だ。
 遠回しな答えにしのぶは呆れた顔をしつつも、禁じられるなんて聞いたことも無い事案に困惑しているように問いかける。
 藤は申し訳なさそうに眉を下げ、言葉を返した。
 日本語というのは本当に難しい。
 少しのニュアンスでこうも言葉の意味が違ってくる。


「わかりました…ここにいる間はアオイの手伝いをしてあげてください」
「えっ、しのぶ様!」


 しのぶは深く息を吐くとコクリと頷き、アオイの方へ視線を向け、言葉をかけた。
 まさか、産屋敷からの願いだとしても謎の子供を置くことに異論があるのだろう。
 それは正しい反応だ。
 アオイはしのぶに異論するように彼女の名前を呼ぶ。


「力仕事は男の子に任せるのも大事ですよ」
「……」


 しかし、これはもう覆されることは無いようだ。
 しのぶはいつもの穏やかな笑みを浮かべ、諭すように言葉を紡ぐとそれ以上反論は出来ないらしい。
 アオイはただ、黙ってしのぶを見つめた。


「…迷惑をかけて申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「よろしく、お願いします…」


 藤は相手にとって自身が異物であり、怪しい人間だということは分かりきっているのだろう。
 ぺこりと頭を下げ、丁寧に言葉を口にするとアオイは渋々、言葉を返したのだった。




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