――喋ってはいけない。私のことを誰にも喋ってはいけない。
喋ったら、すぐにわかる……私はいつも君を見ている。
鬼の脳裏には過去に言われた言葉が反芻していた。
「言えない……言えない…言えない!言えない!言えない!!」
鬼は更にガタガタと震わせ、鳥肌を立たせて首を横に振りながら、必死に言葉を紡ぐ。
(鬼の纏う気が歪む……それほど恐怖してるのか?)
(……骨の奥まで震えるような恐怖の匂い)
異様なほど、恐怖の色を滲ませる鬼に藤と炭治郎は眉間にシワを寄せた。
「言えないんだよオオオ!!!」
鬼は我を忘れたように斬られた両腕を復活させると炭治郎に攻撃をするが、彼に躱されてしまう。
炭治郎はどこか悔しそうにしては刀を振るい、鬼の頸を斬った。
(ああ、また何も聞き出せない)
頸を斬られた鬼は塵となっていくその中で炭治郎は眉を寄せる。
妹を人間に戻す方法。鬼舞辻無惨について。何も聞けないことが悔しくて仕方ないのだろう。
「禰豆子!!」
「……寝てるみたいだな」
「ああ、血も止まってる…良かった」
炭治郎はハッと我に返ると振り返り、妹を心配するように呼びかけるが、彼女は壁に寄りかかり、眠っていた。
スースーと寝息を立てている彼女に藤は柔らかい笑みを浮かべると炭治郎も肩の力を抜き、安堵の表情を見せる。
(回復するための眠りか…)
(ごめん、ごめんな。もう少し待ってくれ。兄ちゃんがきっと人間に戻してやるからな)
(……どこまで背負い込むんだろうか)
藤は目を細め、禰豆子の額に出来た傷を見つめると炭治郎はまるで自分を責めるかのように心の中で、禰豆子に謝罪の言葉を零した。
決して彼のせいではないというのに。
藤は優しすぎるが故に何もかもを背負い込むその背に視線を向けては眉を下げ、瞳を揺らした。
炭治郎は眠っている禰豆子を箱に入れるとそれを背負い、地面に座り込み、茫然としている克己の元へと歩くと藤もまたその後を追う。
(里子さん…)
「和巳さん、大丈夫ですか?」
「……婚約者を失って大丈夫だと思うか」
目から涙を流す克己はただただ婚約者を思って、彼女の名前を心の中で口にした。
炭治郎は彼と視線を合わせるためにしゃがみ込み、心配そうに問いかける。
顔を真っ青にさせ、震えた声でその問いかけに答える克己の声は怒りを滲めせていた。
「………和巳さん、失っても失っても、生きていくしかないです。どんなに打ちのめされようと」
「お前に何がわかるんだ!!お前みたいな子供に!!」
「………」
炭治郎の嗅覚にはそれも分かっていたはずだ。分かっていても、かけられる言葉は一つしかない。
きっと彼の顔は克己からしたら、平然とした顔で言っているように見えたのだろう。克己はその言葉にガッと炭治郎の羽織を握り、八つ当たりをした。炭治郎はただ、眉を下げ、悲しげな笑みを浮かべて和巳の手を優しく掴む。
それに我に返った和巳は彼の羽織から手を離すと炭治郎は和巳の手を両手で丁寧に下した。
「俺たちはもう行きます」
「……彼女を屋敷まで送ってあげてください」
炭治郎は自分の感情を表に出すことはなく、ただただ優しい笑みを彼に向け、優しい声音で言葉を紡ぐと藤もまたぺこりと頭を下げ、零す。
「これを」
「………」
「この中に里子さんの持ち物があるといいのですが……」
炭治郎は懐から取り出し、それを克己に渡した。
それは今まで疾走した娘の装飾品の束。愛しい婚約者の形見を目にした和巳はじっと彼女の髪飾りを見つめた。
炭治郎はもう言葉を発することなく、頭を垂れて、一礼し、その場を立ち去ると藤もまたぺこっと頭を下げ、彼の後を追う。
「……!!すまない!!酷いことを言った!!どうか許してくれ!!すまなかった……っ」
克己は握られた手を感じ、気が付いた。
痛ましい手。固く鍛え抜かれ分厚いそれは少年の手ではなかったことを。自分と同じように大切な人を奪われた人だということを。
それを理解したら、謝らずにはいられなかった。
日が昇り、青空が見え始めた早朝だというのに、彼は大きな声で炭治郎に向かって、謝り続ける。和巳のその言葉に炭治郎は足を止め、にこりと笑みを浮かべて手を振った。
八つ当たりした克己のことを一切、怒ることなく。どこまでも深く広い心を持った少年だ。
(俺だけじゃない。どれだけの人を殺し、痛めつけ、苦しめた。鬼舞辻無惨。俺はお前を絶対に許さない)
炭治郎はぐっと手を握り締め、額に青筋を浮かべさせて人を不幸にさせる鬼の現況に対して心の中で怒りを顕わにさせる。
「……炭治郎は底なしに優しすぎるな」
「え、そうか?」
人のために怒り、八つ当たりを受け止める彼に藤はぽつりと言葉を零した。
それは彼の耳でも聞き取れたらしい。先ほどまで怒りを顕わにした表情をしていたのに柔らかい顔をして、彼女へと問いかける。
「ああ、こっちが泣きたくなるくらいにな」
「……っ、!!」
彼女は表情がすぐさま変わる炭治郎にふっと笑みを零し、コクリと頷いた。
その柔らかく綺麗な笑顔に炭治郎は少し頬を赤らめ、ぼーっと見つめていたが、彼の脳裏には唐突に思い出した光景にボッと更に顔を赤くさせる。
「ん?どうかしたか?」
「え、いや、あの……な、何でもない!!」
顔を真っ赤にさせる彼に藤は眉を寄せ、首を傾げながら問いかけるが、炭治郎は彼女の顔が見れずにおり、目をそらして言葉を濁した。
「……お前、もしかして、息分けたこと気にしてる?」
「!!」
明らかに挙動不審な彼に藤は目を細め、じーっと見つめるが、彼は口を堅く結び、顔ごと彼女から逸らし続ける。
はて、何か照れるようなことがあったか?
藤は彼の顔から視線を地面に映し、顎に手を添えて考え込むと一つだけ思い当たることがあったらしい。
彼女は眉根を寄せ、炭治郎の顔を覗き込むように問いかけるとどうやら、当たりだ。
彼は目を見開き、更に顔を赤くさせ、ぎゅっと唇を噛む。
「初心か?」
「は、初めてだったんだ!!」
その反応は出会ってから初めて見せるもので珍しく感じたのだろう。
藤はきょとんとした顔をしてさらりと問いかけると炭治郎は恥じらいながらも大きな声ではっきりと答えた。
大きな声でいうことではないが、緊張からか、それどころではないようだ。
「………ぷっ、あは、あはははは……!」
「っっっっ!!」
長男だから、なんていう彼が恥ずかしそうにしている姿は稀だ。
その姿が可愛らしく思えたのか、彼女は笑うのを我慢していたが、出来ずに終わる。
声を上げて笑うものだから、炭治郎は更に恥ずかしそうに言葉を詰まらせた。
「わ、悪い……でも、人工呼吸だろ?事故だと思え」
「せ、責任取らないわけにはいかないだろ!!」
笑ったことは流石に申し訳ないと思ったのだろう。
藤は眉を下げ、口角を上げたまま、謝罪をするが、気にするなとばかりの言葉を口にする。
人命救助のための唇と唇の触れあい。
気にするなと言われても初めての口付けだとなれば、無理な話かもしれない。
炭治郎は彼女の手を握り、顔を赤くしたまま、言葉を発した。
「は、はあ?」
「だって、藤はおん……」
「俺は男だって言ったよな??」
責任を取るとは一体全体、何を言っているんだ?
彼女は炭治郎のその言葉に数多の上に疑問符を並べていると彼はその理由を口にしようとするが、それは最後まで紡ぐことは許されなかった。
きっと、口づけをしたから傷ものにしたと炭治郎は思い、責任を取ろうとしたのだろう。優しく頭の固い彼ならばあり得ない話ではない。藤は炭治郎の言葉を遮る様に黒い笑みを浮かべ、問いかけた。
しまった、忘れてた。
その圧に炭治郎は冷や汗を掻き、気まずそうな顔を浮べる。
「次ハ東京府浅草ァ!鬼ガ潜ンデイルトノ噂アリ!!カァアア!!」
「えっ、もう次に行くのか」
「行クノヨォオ!!」
そんな二人の上空には一匹の烏がくるくると舞った。炭治郎の鎹烏は器用に人語を話し、次の任務を炭治郎に与える。
先ほど終わったばかりだというのに次の任務を言い渡されるとは思ってもいなかったらしい。
彼は目をぎょっとさせ、烏に問いかけると元気よくそれは答えた。
「ちょっと待って」
「待タナイ!!」
炭治郎は少しばかり休みが欲しい。
そう思ったのだろう。だからこそ、烏に言葉をかけるが、烏は無常だ。鬼畜だ。
彼の言葉を否定する言葉を大きな声で紡ぐ。
「……忙しいもんなんだなぁ。なあ、藤…あれ?」
「……炭治郎、すまない。上に呼ばれたから一緒に行けなくなった」
炭治郎は困ったとばかりに眉を下げ、藤に声をかけると彼女は手の中にある一通の文に目を通していた。
彼は不思議そうに藤をじっと見つめていると彼女は手紙を読み終えたのだろう。
カサッと音を立て、丁寧にしまうと眉根を寄せ、申し訳なさそうに言葉を零す。
どうやら、ここから別行動をしなければならないらしい。
「上に呼ばれたって…大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫……そんな顔するな。またすぐ合流する」
彼女が口にしたその言葉が気になったようだ。
上に呼ばれた。
傍から聞いたら、ただことではない。炭治郎は心配そうに彼女を見つめ、問いかけるが、藤は飄々とした顔をして、こくりと頷いた。
明らかに心配している。
そんな顔をしている彼に藤はふっとまた笑みを零すと炭治郎の肩をポンと叩いた。
「そ、そうなのか」
「ああ、またな……禰豆子もまたな」
上に呼び出されたことが大したこと無さそうなことになのか。すぐ合流すると言われたことに対してなのか。それは分からないが、彼は安堵の息を零す。
藤は炭治郎に言葉を返すと彼の背負う箱に声をかけたが、返答はなかった。
日が明け、傷を負った彼女はそれに気付かない程、深く眠っているのだろう。
(……藤の感情を嗅ぎ取るのは難しいが……何だか怒った匂いがした……気の所為、か?)
藤は彼らが向かう道とは違う方向へと歩き出すと炭治郎はその背を見送る。
彼はすれ違った際に微かに香った藤の花の匂いと微かな怒りの匂いに眉を寄せていたのだった。