十六話





(どーする、この状況……なんかよくわかんないけど、冨岡さんは炭治郎たちを庇ってるが…)


 倒れ込んでいる炭治郎と気絶している禰豆子を義勇と藤が庇っており、それに対峙するしのぶ。この図に少々困惑しているのか、彼女は冷や汗をかきながらも現状を把握しようとしていた。


「さあ、冨岡さん。どいてくださいね」
「俺は嫌われてない」
(今、そこですか!?)


 しのぶは柔らかく優しい声音で義勇に呼びかけるが、声をかけられた当の本人はテンポが遅い。
 今かけられた言葉ではなく、一つ前に言われた言葉を脳内で処理し終わったようだ。表情を何一つ変えることなく、ぽつりと返す。だが、タイミングが悪い彼に藤は信じられなかったのだろう。目を見開いてじっと見つめながら、心の中で突っ込まざるを得なかった。


「あぁ、それ…すみません。嫌われてる自覚が無かったんですね。余計なことを言ってしまって申し訳ないです」
(しのぶ様は言葉まで毒を扱うんですか……)


 しのぶは突っ込むこともなく、平然と義勇からの言葉に困ったように眉を下げて謝罪をし、言葉を続ける。
 柔らかく聞き心地のいい声なのに発している言葉自体は辛辣と言っていいものだ。それに聞いていた藤はまたしても心の中で呟いていると炭治郎は初めて見たその人の棘ある言葉に汗を流す。


「……」
「坊や」
「はいっ」


 義勇はしのぶからの言葉にショックを受けているのか、口を閉ざした。
 そんな彼を放置して今度、彼女が話しかけるのは炭治郎だ。彼は呼びかけられたことに驚か、ビクッとさせ、体がボロボロだと言うのに良い返事を返す。
 

「坊やが庇っているのは鬼ですよ。危ないから離れてください」


 しのぶは口元に手を添えて、ひそひそと内緒話をするように話しかけた。


「ちっ…!!違います!!いや、違わないけど…あの、妹なんです!俺の妹で!それで」
「まぁ、そうなのですか。可哀想に……ではー……苦しまないよう優しい毒で殺してあげましょうね」


 反射的に否定をするが、事実としては何も異なっていない。だからこそ、訂正をして訳を話そうとするが、最後まで話をさせてもらえることはなかった。
 しのぶは憐れむような口調で言葉を紡いで同情するような目を向けながら、刀を抜き、はっきりと口にする。
 滅殺すべき対象であるということを。


「……」
「動けるか」
「!!」 


 分かっていた。分かっていたはず。
 でも、突きつけられた現実にショックを受けたのだろう。もうボロボロである体でその現実を受け入れなければならないことにも。だからこそ、炭治郎は顔を青くさせた。
 しかし、唐突に声をかけられる言葉に驚き、義勇に視線を向ける。


「動けなくても根性で動け。妹を連れて逃げろ……お前もいけ」
「!!冨岡さん……」
「御意」


 義勇は変わらず、淡々と二人に指示を出した。
 まるで自分たちを庇うような発言に炭治郎は目頭が熱くなったのか、うるっとさせる。
 味方する柱がいる。その事実は有難かったのかもしれない。藤は安心したようにこくりと頷いた。


「すみません!ありがとうございます!!」


 炭治郎はガバッと立ち上がり、背を向けると大きな声で謝罪とお礼を口にして全力で走る。
 彼女もその後に続く。


「これ、隊律違反なのでは?」
「………」


 みすみす見逃し、尚且つ鬼を庇う姿を見たしのぶは妖艶に微笑んで首を傾げるが、義勇は何かを口にすることはなかった。


「木箱は俺が運ぶ」
「すまない」


 木々の間をくぐって逃げようとする先に見えるのは禰豆子を入れるための箱。
 それを取ろうとしていることがすぐ、分かったらしい。藤は率先して声をかけると肩掛け紐を掴んで背負った。
 彼女の申し出は有難かったのだろう。彼は青い顔でにこっと笑って謝る。


(体中痛ったい!!苦しい!!痛いと叫びたい!!……我慢だ!!)
(……相当我慢してるな、これは…)


 炭治郎は呼吸を整え、痛みを我慢し続けた。
 それは目に見て分かる。なんせ、目は充血しており、青筋が浮き出ているのだから。
 血の気の引いた顔で走っている彼を心配そうに藤は横目で見つめていた。


(我慢我慢我慢我慢……俺は鬼殺隊を抜けなければならなくなるのか?いくら妹とはいえ、鬼を連れてる隊士なんて認められない……)


 苦しさで、痛みで、目を開けていることも辛いのだろう。目を閉じてひたすら走り続けながら、不安を心の中で整理している。だが、そんな彼の頭上には何者かの影があった。
 その影は躊躇いもせずに炭治郎の背中を目掛け、落ちてこようとする。


「ちっ、悪い!炭治郎!!」
「っ、!!」
「くっ…!」

 それに気がついた藤はこれ以上、彼にダメージを食らわせないようにしようとするが、如何せん。相手はもう飛び降りてきている。
 彼女は舌打ちをすると先に謝罪をし、1歩先を行ける位の力で炭治郎の背中を押した。
 そのちょっとの力でも彼は自分の体を支えられる余裕はないのだろう。驚きながら、倒れ込むと抱き抱えられなかった禰豆子はもう少し先へと放り投げられる。
 藤は上から飛んできた蝶の髪飾りで右側に束ねている少女の足蹴りをなんとか腕で耐え忍んだが、少女は彼女の腕を踏み台にしてまた軽く飛ぶ。


(カナヲ…!まずい…!)


 攻撃してきたのが、見知った少女だということを理解した彼女は唇を噛み締めるが、カナヲが向かった先は禰豆子。
 彼女は禰豆子に向かって刀を振り上げるとそのまま振り提げたが、それは禰豆子に当たることはなかった。
 なぜなら、炭治郎が彼女の羽織を引っ張り、刀の起動を変えたからだ。


「逃げろ!禰豆子!逃げろ!!」
「っ、怪我人相手にこれ以上はやめろ、カナヲ…!」
「………」


 身動き取れない炭治郎が出来ることはもう限られている。だからこそ、必死の形相で禰豆子に指示を出した。

 それが煩わしいと感じたのか。目障りだったのか。それは分からない。
 しかし、カナヲは彼に向かって後頭部をかかと落としをしようとしたが、それは藤によって塞がれた。また彼女は自分の腕を犠牲にし庇ったからだ。
 藤はキッと睨みつけて言葉をかけるが、カナヲは笑みを浮かべるだけで返事をすることなく、瞬間的に禰豆子を追いかける。


「しまっ…」
「安静にしてろ!俺が行く!!」


 身体を動かそうとするが、限界を超えているのだろう。身体に力が入らず、震えていた。
 彼は今、妹が殺されるかもしれないという場面に直面している。故に、何としても起き上がろうとしていた。
 これ以上、炭治郎に無理をさせる訳にはいかない。
 その思いが藤を動かすのか、別の何かがあるのか。それは分からないが、背を向けて声をかけるとそのまま走り、カナヲたちの背を追いかけた。


(殺させない!!待ち続けた星たちを…!!)


 何歩先もいる彼女たちに追いつこうとするが、感情が昂っているのが自分でもわかるのだろう。藤はギリッと歯を食いしばって怒気を抑え込もうとし、その力をスピードへと変換する。


「……!!」


 手を伸ばしてカナヲ捕らえようとするが、その手のひらは何も掴むことは出来ず、空を掴もうとした。
 その瞬間、カナヲは刀を振り下ろし、禰豆子の頸を斬ろうとする。
 間に合わない。
 ただ眺めることしか出来なかった炭治郎と少しの距離で届かない所にいる藤は確実にそう思っていた。だが、禰豆子が斬られることはない。何故なら、身体を幼子のように小さく形態を変えたからだ。


(!!)
(小さく…子供になった)


 自ら回避をした禰豆子に藤は驚き、目を大きく開けるとカナヲもまた同じように驚いたらしい。表情には出さないが、空気感は彼女と似たりよったりだ。


(うまく逃げてる…)
(逃げるばかりで少しも攻撃してこない。どうして?…考える必要あない。言われた通りに鬼を斬るだけ)


 とてててて…と、小さくなったまま逃げる禰豆子にぽかんとして眺めているとカナヲもまた攻撃を一切せず、逃げる彼女に疑問を感じている。だか、考えることをやめるとまた禰豆子を追いかけた。


「カナヲ!やめろ…!」
「……命令に逆らったら、あなたも隊律違反」


 藤はハッと我に返ると刀を抜き、禰豆子に斬りかかろうとする彼女の刃を止めて声をかけるが、返ってくるのは淡々とした返答。
 それは任務を遂行すること以外に興味を示さない人形のようだ。


「んなのどーでもいい。邪魔するな」
「……邪魔をしているのはあなた」


 だが、藤もまた虫の居所が悪い。
 自分が待ち続けていた者たちに危害を加えられそうになっているのだから無理もない。
 いつもより低い声で威嚇し、鉄と鉄がぶつかる独特な音を立てながら、刀を交えるとまたもや平然とした態度で答えが返ってきた。


「伝令!!伝令!!カァァァ!!」
「「!?」」


 埒が明かない。
 そう思った時に頭上から独特な声が聞こえた。
 驚いて見上げれば、数匹の烏が飛び回っている。


「伝令アリ!!炭治郎・禰豆子、両名ヲ拘束!本部ヘ連レ帰ルベシ!!」
「!!」


 烏は続けて、鬼殺隊員に指示を出すとそれに驚き、炭治郎と禰豆子を目撃している隊員は目を見開いた。
 それは無理もない。規則を破った者を、鬼を、罰するのではなく、拘束して連れて帰ることを命じられたのだから。


「炭治郎及ビ鬼ノ禰豆子!拘束シ本部ヘ連レ帰レ!!炭治郎!額ニ傷アリ!!竹ヲ噛ンダ鬼禰豆子!!」
(……産屋敷殿…遅い…)


 烏はその人物達の特徴を続けて言う。
 その様子に藤は眉間に皺を寄せ、心の中で文句を吐いた。
 もう少し早ければ、ここまで酷くならなかったという思いがあるからだろう。


「あなた禰豆子?」
「……」
「……そう」


 カナヲは刀を下ろし、目の前にいる彼女を無視すると木の影に隠れている禰豆子に目をやり、問いかける。
 そう尋ねれば、禰豆子はコクリと頷いて、カナヲは納得したように刀を収めた。


「……禰豆子、どうした?」
「ムー…」 


 刀を収めた彼女にほっと息を付くと今度は羽織を引っ張られる感覚を覚える。
 不思議に思い、そちらへと視線を向ければ禰豆子が困った顔をして何かを訴えていた。
 彼女の目指す視線の先は藤が背負っている木箱。


「ああ、箱に入りたいのか」
「……そこがいいの?」


 禰豆子の意図を理解すると木箱を下ろし、扉を開けて声をかけるとカナヲもまた不思議そうに問いかけた。
 彼女はこくこくと頷き、素直に箱に入る。


「あなたに持たせない」
「……はあ、分かってるよ」


 パタンッと扉を閉めると肩掛け紐を持つのはカナヲだ。
 変わらない上っ面な笑みを浮かべて言葉を紡ぐと、藤はため息を着く。そして、大人しく言うことを聞いて本部へとついて行ったのだった。




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