二十一話





「はあ……」


 柱合会議で炭治郎たちの処分が決まり、藤の立ち位置が露わになった日から数日。
 蝶屋敷で養生していた彼女はヒビの入った左腕を包帯で吊るして固定した腕を見ながら、ため息をついていた。

 その理由は簡単だ。今まで男と偽っていたことを蝶屋敷にいる彼女たちに説明をしていたから。
 あれこれ聞かれて疲れたのもあるのかもしれない。


(まあ、許してもらえたからよかった、か)


 嫌悪の目で見られることを覚悟の上だったのだろうが、それよりも興味が上回ったらしい。
 本当のことを打ち明けることに緊張していたのかもしれない、安堵からか肩が少し下がった。
 

(……少しは元気になったのか、な)


 藤が向かっている先は彼女より重症な人間の元。
 目を細めてこれから会うであろう人間を頭の中で思い浮かべる。


(随分、賑やかな部屋にいるもんだな)


 角を曲がると聞こえてくるぎゃあぎゃあという汚い高音の音律。
 それと共にある彼を思い浮かべてふっと笑みを零した。


「炭治郎、息災か?」
「藤!……腕はどうだ?」
「安静にしてるから問題ないよ」


 部屋へ足を踏み入れれば、窓の外を心配そうに見つめている炭治郎の姿。
 それに目を細め、首を傾げて問いかければ、彼は来てくれるとは思っていなかったのだろう。目を真ん丸にして驚く。
 けれど、彼女の左腕が目に入り、その目はどこか悲しいモノへと変わった。
 藤の怪我の原因は彼を庇ったことにあるから、罪悪感でもあるのかもしれない。けれど、怪我している当の本人は何も気にしていないらしい。目を細めて安心させるように言葉を投げかけた。
 

「ごめんな」
「あのな、俺がやりたくてやったことだ」
「……ありがとう」
 

 彼はしゅんとしたまま、謝る。それは守らせて、と言うことなのかもしれない。
 けれど、その言葉は邪推だ。藤はムッとした顔をして炭治郎の硬い額に人差し指を当てて文句を紡ぐ。
 やりたくてやったことを謝れれば、誰だって不快に思うだろう。だからこその指摘だ。
 それが伝わったのか、彼は肩の力を抜き、表情をやわらげて謝罪を感謝へと変える。


「それでいい」
「……ねえねえ、良い雰囲気な所悪いんだけどさ……誰!?」


 納得したように彼女は口角を上げるとタイミングよく加入してくる声が聞こえてくる。
 それもだんだん声の音量を上げるかのように。甲高い声が。
 

「……蒲公英だ」
「誰が蒲公英だよ!!我妻善逸です!!よろしくね!?」
「ご丁寧にどうも……俺は安倍………………」
 

 声のする方へと顔を向ければ、印象的な黄色の髪色。その髪型はあまりにも既視感がありすぎる。
 だからこそ、藤はそれを声にしてしまった。
 それに蒲公英頭の少年は目を吊り上げて突っ込みをすると自己紹介をするのだから、面白い。
 呆気にとられた彼女は何度も瞬きをしてぽつりと呟き、自分の名前を言おうとするが、固まった。


「?」
「……藤って呼んでくれ」


 名字だけしか言わない藤に善逸は首をこてんと倒す。
 彼女は顎に手を添えて考え込むようにするとうん、と頷いてそう告げた。

 どうやら、真名をあまり広げたくないらしい。


「あ、うん……てか、女の子……だよね?」
「……なんで分かった?」
「え……、音を聞けば分かるけど」


 深く聞くことをしなかった善逸だったが、一つだけ疑問を解消したいようだ。不思議そうな顔をして首を傾げる。
 簡単に分かる事じゃない。
 それなのにも関わらず、分かった彼に驚かずには居られなかったのだろう。目を見張ると、ごく普通のことのように善逸は答えた。

 
「あー……善逸、だっけ……炭治郎と同じような人種か」
「やめろよ、仲間外れみたいな言い方!炭治郎と一緒の扱いだからまだいいけどさ!!」
「普通分からないんだよ……そういう術をかけてるから」


 彼女は察したらしい。面倒くさそうに目を細めて納得するが、なんとも雑な扱いだ。
 ひしひしと伝わるそれに善逸は鋭いツッコミをすると藤はポリポリと頬を掻く。


「は?」
「なあ、藤」
「ん?」


 しかし、理解が追いつけない善逸は大きく口を開け、マヌケな顔をお披露目するだけだ。
 事情を聞いていない人間からしたら当然の反応なのかもしれない。
 炭治郎に呼びかけられた藤は首を傾げて反応を示す。
 

「その術って解けるのか?」
「解けるけど……解くとめんどくさいことになるから解きたくはないな」
「そういうものなのか」


 見上げたまま、問うと彼女は困ったように眉を下げた。
 その答えは意外にも怠惰な理由だったのかもしれない。炭治郎はぽかんとした顔をしていた。
 

「待って待って待って!どういうこと!?俺にも説明ちゃんとして!?」
「俺は陰陽師なんだ」
「陰陽師って妖怪とか化け物を退治する奴!?」
 

 けれど、忘れることなかれ。
 置いていかれている人間がひとりいること。
 それを思い出せとばかりに響き渡る声量で抗議する善逸だったが、藤は実に簡潔で分かりやすい答えを出した。
 しかし、大正時代の今。そんなものは常にあるものじゃない。物語の中でしか存在しないものかもしれない。それに驚きを隠せない善逸は声をひっくり返した。


「よく分かったな、それだよ」
「いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいやあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 意外に博識だったことに驚きを隠せないのか、藤は目をぱちぱちさせる。だが、その肯定は善逸にとって嬉しくなかったようだ。
 今日一の大きな声が蝶屋敷に響き渡った。
 

「「……」」
 

 鼓膜がビリビリとする。
 そんな感覚に彼女は両耳を手で覆い、炭治郎はまたか……とばかりに暖かい目をただ向けた。
 鳥たちがバサバサと飛び立つ音が聞こえるのは恐らく、幻聴じゃないだろう。


「うるさいですよ!!静かにしてください!!」
「無理無理だよ!!お化けだよ!?妖怪だよ!?」

 
 そんな3人の元へやってきたのはアオイだ。
 眉を釣りあげて注意をするが、善逸はそれどころじゃない。カタカタと全身を震え上がらせている。


「鬼を斬ってる奴の台詞じゃないな」
「全く……妖怪なんている訳ないじゃないですか!」
「いるよ」


 顔を青ざめてる彼に理解ができないのか。藤は呆れたようにため息を付くとアオイも同じ意見のようだ。腰に両手を当てながら、言う。
 だが、それは藤によって棄却された。

 
「え」
「へ」
「ひぃぃっ!!」


 彼女の言葉はその場をシンっとさせる。
 まさか本当にこの世に妖怪やら化け物やらがいると思っていなかったのだろう。
 善逸に関しては鼻水を垂らして汚い高音を奏でていた。
 

「人喰い鬼がいるのに妖怪がいないわけないじゃないですか」
「ほ、本当にいるの?」
「いるいる。まあ......今は人喰い鬼の方が勢力があるから弱い妖怪は身を潜めてるけどね」
 

 藤は肩を竦めて答える。彼女の言い分は最もだ。
 人を喰う鬼がいて何故、妖と呼ばれる類がいないと言えるのか。否、それは人々の目に触れることがないから。それだけの理由だ。
 善逸はごくりと固唾を飲み込んで震える声で問うけれど、藤はあっさり簡単に肯定する。そして、現状の状況を複雑そうに微笑んで告げた。


「人喰い鬼の方が強いのか?」
「人喰い鬼の種類にもよるだろうけど、妖怪を喰う奴もいるから」
「!!」
「ひっ!!」


 妖怪は人喰い鬼と並ぶ存在だとでも思ってたのか。炭治郎は意外そうな顔をして聞くが、彼女は眉間に皺を寄せて答える。
 物語の中で人の害になる妖怪と呼ばれるもの達も人喰い鬼の前では人と同じ立場だというのは想像していなかったのだろう。
 3人は息を飲んだ。
 

「そ、それ本当ですか?」
「まあ、昔は特に多かったって話だけど最近は聞かないから減ってるのかも」
「脅かすなよ!脅かすなよおお!!」


 鬼ですから実際目にしないと信じられない存在だったのに他にも存在しているなんて受け入れ難いのかもしれない。アオイは緊張した面持ちで聞く。
 怖がらせるつもりはなかったらしい。申し訳なさそうに微笑んで、付け足すように藤が言うと善逸は目を釣りあげて喚いた。
 

「減ってるけどいないとは言ってない」
「たんじろおおおぉぉぉぉおおおおおお」
「ぜ、善逸……」


 鬼を狩れる腕があってなんでそんなに怯えるのか、分からないのだろう。藤は深いため息をつき、目を閉じたまま言う。
 容赦のない事実に彼はボロボロと目から滝を流しながら、炭治郎にひしっと縋り付くと炭治郎は困ったように眉を下げた。


「……そういえば、そっちの猪は大丈夫か」
「伊之助のこと知ってるのか?」
「あー……まあ、那田蜘蛛山で」


 藤はずっとうるさいにも関わらず、ただ黙ったままの猪頭を被っている少年に目を向け、困惑する。彼女の中では興奮して喚いている姿が印象があるから、無理もない。
 まさか2人が面識あるとは思わなかったようだ。炭治郎は驚いたように目を大きく開くと曖昧に答えた。


「詳しいことよく分からないけど首をこうガッとやられたらしくてそんで最後自分で大声出したのが止めだったみたいで喉がえらいことに」
「あの時か……」


 善逸は涙を引っ込ませ、鼻水をズルズルッと啜りながら、伊之助の事情を話す。
 それで理解したらしい。
 縄で縛られた時に自分で止めを指したということを。


「とにかく!藤さん、炭治郎さん、善逸さん!ここは病室ですから静かにしてくださいね!」
「アオイさん、ごめん。気を付けます」


 注意しに来たのに会話に加わってしまったことを思い出したらしい。ゴホンッと咳払いするとアオイは天井を人差し指で指してもう一度、告げた。
 そうだった。怒られていたのだった。
 それを思い出し、藤は眉を下げて謝罪するとアオイは踵を返して病室を後にしたのだった。




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