三話





 透き通るような青みを帯びた空。そこには白い雲がうようよと気持ち良さそうに泳いでいる。誰が見ても、今日の天気は晴天だ。旅路の日としてはふさわしいだろう。そんな空の下。
 鱗滝の家を出て、旅を始めることになったのは二人の子供。黒髪、黒い瞳に赤を混ぜたような色を持つ少年と薄藤色の髪、江戸紫色の瞳を持つ少年とも少女とも見て取れる子供だ。
 薄藤色の髪を持つ子供は緑と黒の市松模様の羽織を羽織る少年の一歩先を歩く。少年は目の前を子供に眉根を寄せ、困った表情を浮べていた。


「な、なぁ……藤」
「ん?どうかしたか?」


 少年、もといい。竈門炭治郎は閉じていた口を開き、薄藤色の髪の子の名前を呼ぶ。
 それに気が付くと藤は彼の方に顔を向け、首を傾げると炭治郎の隣に並び、歩き続けた。


「どうして俺に付いて行くって、決めたんだ?」
「ああ、星を詠んだんだよ」


 戸惑った表情を浮べたまま、炭治郎は藤に問い掛ける。
 ああ、それを聞きたかったのか。
 薄紫色の髪の子はそう納得したような表情をすると彼の問いかけに答えた。


「星を……よむ?」
「ああ、天文道と言って……まあ、簡単に言えば占いみたいなもんだな」


 藤の言っている意味が分からないのか。炭治郎は言葉を繰り返しつつも、首を傾げる。
 何だ、それ?
 そう言っているように聞こえる声音。それに気が付いた藤は空を見上げ、簡潔に説明をした。


「それで、決めたのか?」
「ああ、俺が求めてる道へ行くための占いの結果が君に付いて行くって結論になったってことだ」


 占いで決めた。
 その言葉が予想外だったのだろう。炭治郎は眉根を寄せ、困惑した表情を見せる。そして、戸惑ったように問いかけた。
 藤は彼の疑問に対して答えながら、眉を下げて申し訳なさそうな表情をする。自分の言った言葉を受け入れられる人間とそうではない人間がいるからだろう。


「へぇ……そうだったのか」
「ああ」


 しかし、炭治郎は疑うこともなく藤の言葉をすんなりと受け入れる。
 どうやら、彼は前者の人間のようだ。それに藤は内心、胸を下ろしてコクリと頷く。


「それで俺について行くとどうなるんだ?」
「さあ?」


 炭治郎は占術の結果がどう出たのか。気になるのだろう。興味深そうに問いかけた。しかし、藤から発せられたものは何とも曖昧な言葉だった。
 どうやら、藤自身もその結果がどう導かれるのか。
 分かってはいないらしい。


「さあって……」
「占いは絶対的ものじゃない。人が生きている限り、決まっていた運命だったとしても、一念で変わることもあるから」


 それが分かったのだろう。炭治郎は眉を下げ、困ったような表情を浮べた。 藤は言葉を続け、星詠みというものについて語る。
 星詠。
 天文観察をし、事の吉凶を陰陽五行に基づく理論的な分析によって予言をしたりすること。
 予言は絶対ではない。何故ならば、人が運命を変えようと信念を持って動けば、変わることもある。気まぐれな八百万の神が力を貸すこともある。口伝でそう伝えられてきているからこそ、出た言葉だろう。


「へぇ、博識なんだな」
「そんなことないよ」


 難しい言葉を語る藤に炭治郎は感心したように言葉を口にする。それに藤はふっと息を零して笑みを浮かべた。


「それにしても、藤は女の子なのに……男らしくしてるんだ?」
「………なんの話だ?」


 炭治郎はずっと疑問に思っていたことがあったのようだ。
 さり気なく息をするように問い掛ける。
 たとえそれが、藤にとって聞かれたくないものだとしてもそれは彼の知らぬところ。
 まさかそれを聞かれるとは夢にも思ってなかっただろう。
 表情は変わらない。けれど、肩が微かにピクリと動いた。動揺したことが表に出てしまっている。
 精一杯に素っ気ない態度で問いかけ返すのがやっとだ。


「いや、何で男のフリをする必要があるのか……気になってしまって」
「何言ってんだよ。俺は男だよ」

 炭治郎は純粋に疑問に思ったことを聞いただけなようだ。
 眉を下げ、更に言葉を続ける。しかし、藤はしらばっくれようとする気満々のようだ。
 馬鹿らしい。
 そんな意図も含めたような言葉を吐き捨てた。


「女の子だと言いうことを隠してるのか?」
「炭治郎、くどいぞ」


 竈門炭治郎を侮るなかれ。
 彼は藤から漂う偽りの匂いを嗅ぎ取っている。それが分かったからだろう。
 隠しているのだと言う真実に辿り着いたようだ。しかし、更に問い掛ける辺り、空気が読めないことが窺える。
 問い詰める物言いではないにしろ、藤はしつこく聞かれているような気分になったらしい。眉間に眉を寄せ、彼を諫めるように言葉を吐く。


「すまない……俺は鼻が利くから分かるんだ。だから、つい……」
「………はあ、今までバレたことなかったんだけどな」


 薄紫色の髪の子が嫌がっている。それが分かると申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べると眉根を寄せ、なぜ問いかけたのか。それを口にした。
 嗅覚が優れている。
 そんなこと誰が想像付いただろうか。
 予定が狂った。まさかこんなに早くバレると思わなかった。
 藤はそう思っているような深いため息を付き、ポツリと言葉を零す。
 炭治郎の言葉に対して、肯定も否定もしていない。それでも、そうだと認めているような口振りに違いなかった。


「あ、すまない!隠していたのだったら、誰にも言わない」
「……隠してると気が付いたら、黙って聞かないという手段は君にはなかったんだな」
「うっ……」


 炭治郎は自信を無くしたような藤の表情に申し訳なさそうに大きな声で謝罪をする。
 もしかして、隠していたのか?
 その疑問は確信に変わったようだ。
 眉を下げ、内緒にするとばかりに言葉を返す。それは気づかいであったのかもしれない。しかし、その気づかいをするくらいなら、隠していると察して聞かない気づかいをして欲しい。
 それが藤のが本心だろう。
 愚痴を言う様にぼそっと言葉を零す。
 正論をぶつけられた炭治郎は言葉を詰まらせるしか出来なかった。


「君が察してる通り。だから、このことは他言無用で頼むよ」
「わ、分かった」


 藤は複雑そうな表情を浮べては、改めて彼の問いかけに肯定する。釘を刺すことも忘れずに。
 相当知られたくない事。それが彼女の口振りから分かったのだろう。炭治郎はごくりと固唾を飲み込むとコクリと頷いた。


「しっかし……匂いで性別の区別が付くって、君は変態か」
「なっ!違う!断じて!違うからな!!」


 約束は守るだろう。
 それは直感でしかないが、藤は感じ取ったのか。ほっと胸をなでおろすと呆れたように言葉を吐く。
 それは褒めているようにも聞こえるが、貶しているようにも聞こえる。 否、言葉選びが悪い。貶した言い方に聞こえる。
 生まれてこの方、変態など言われたこともないだろう。炭治郎は頬を赤くさせ、全力で否定した。


「そうか」
「信じてないな!?」
「何、それも嗅ぎ取れるの?」


 藤は冷静に素っ気なく言葉を返す。 それはもう、どうでもよさそうに。
 炭治郎は気づいてしまったらしい。必死になって、誤解を解こうとする彼は彼女が信じているか、否か。匂いで嗅ぎ取ったのか、声を荒げた。
 人の感情までも匂いを嗅ぎ分けられる可能性に気が付いたのか。藤は首を傾げ、炭治郎へ問いかける。


「ま、まあ…そうだけど」
「……君は結構苦労人だな」


 変態。
 先に言われた言葉を思い出したのか。また言われるかもしれないと思ったのだろう。
 眉を下げ、目をそらして彼女の問い掛けに答えた。
 犬並みの嗅覚。それが藤の認識だった。しかし、それは間違い。
 犬以上の嗅覚を持っているという事に彼女は眉を下げ、炭治郎を見つめた。
 人の感情までも分かってしまう。それは良い感情も悪い感情も嗅ぎ取ることが分かってしまうという事。知りたくないことも分かってしまうことだってあるということに気が付いてしまったようだ。
 手に余る力を持ってしまう辛さを知っているからこそ、彼女は彼を憐れむような目を向け、言葉を零した。


「藤、話を逸らさないでくれ」
「思ったことを言っただけだよ……それで、君は何で鬼を連れてるんだ?」


 元々話していた内容から遠のいてしまった。それが気がかりのようで、炭治郎は真剣な顔をして言葉を返す。
 そんな彼の態度に藤はふっと笑みを零して言葉を紡ぐと今度ははっきりと明らかに話題をそらした。


「っ、な、何の話だ?」
「…………炭治郎、嘘つけないのな」


 まさか唐突にその話を突っ込まれると思ってなかったのか。目を見開いて驚いた表情を浮べると言葉を詰まらせる。しかし、すぐさま誤魔化そうと思ったのか、惚けた言い回しをするが、顔は非常に素直だ。 ひじょーに。
 目は上を向き、頬を膨らませ、下唇を噛んでいる。 一言でいうなれば、変顔だ。
 その表情を見た藤は察した。竈門炭治郎という男は嘘がつけないということを。
 呆れたように肩の力を抜き、その姿を見つめる。


「そ、そんなこと……な、いぞ……」
「別に俺は殺さないから安心しろ」
「え……」


 彼はその表情をキープしたまま、誤魔化そうとした。しかし、嘘を付くのが息苦しいのか。だんだんと言葉が小さくなっていく。
 鬼を匿っている。
 それを知ったら、鬼殺隊の人間ならば殺す。その手段を取ると分かっているからこそ、言えなかったのだろう。
 自分が言っていることを嘘だと見抜いている藤に炭治郎は冷や汗をかく。しかし、藤はふぅと息を吐くと彼を安心させる言葉を紡いだ。
 まさかの一言に炭治郎は変顔を止め、彼女を見つめる。


「占術で知っていたしな」
「……星詠み、か?」


 何故、炭治郎が匿っている鬼を殺さないか。藤は眉を下げ、それを口にした。
 どうやら、知っていたことだったようだ。
 また聞きなれない言葉に炭治郎は困惑した表情を浮かべ、問いかける。


「ああ」
「そうだったのか……実は妹なんだ」


 彼女がこくりと頷き、肯定すると炭治郎は肩の力を抜き、匿っている鬼が実の妹であることを打ち明けた。


「そうか……妹だったのか」
「ああ、禰豆子というんだ……鬼にされて、人に戻る方法を探すために俺は鬼殺隊に入ったんだ」
「そうだったんだな」


 藤はどこか納得したような表情を浮かべ、言葉を零す。
 身内が鬼になってしまえば、きっと誰でも庇うし、匿うだろう。 炭治郎は今でも鮮明に残るあの惨劇の過去を思い出したのか、辛そうに眉を下げて語り続けた。
 その表情に彼女は一言返す。それがやっとだったのかもしれない。


「……鬼殺隊にバレたら、禰豆子を殺す人も出てくると思ってたから…良かった」
「みんなが皆、俺と同じだと思わない方がいい」
「え」


 空気が重くなってることに気がついたのか。炭治郎は慌てて明るくするように笑顔を彼女に向け、言葉を投げかける。
 しかし、藤は彼の安心を打ち砕くように不穏な言葉を紡ぐ。その言葉に炭治郎は大きな目を見開いた。


「鬼殺隊に入った人間は家族や大切な人を失って憎しみから鬼殺隊員になってることの方が多い……」
「っ、………」


 彼女は炭治郎の顔をちらっと見てはずっと続く長い道へ目を向けると言葉を口にする。
 ほとんどの鬼殺隊隊員は鬼だと分かれば、殺す。
 そう現実を突きつけるように。
 その言葉は炭治郎の胸に刺さったのだろう。苦虫を噛み潰したように顔をしかめ、言葉を失う。


「それと俺は鬼殺隊の人間じゃない」
「え!?で、でも……隊服…」
 

 次に紡ぐ言葉はまた唐突だ。 衝撃な言葉でしかない。
 炭治郎はぐるんっと藤へ顔を向け、驚いた表情を浮かべた。彼が言葉にする通り、彼女は炭治郎と同じ隊服を着ている。
 それを見る限り、誰だって鬼殺隊の隊員だと疑わないだろう。
 炭治郎は困惑した表情を浮かべ、疑問符を頭の上に浮かべてる。


「色々事情があるんだよ。鬼殺隊の上は俺の存在を知ってる」
「そうなのか…」
「ああ」


 彼女は眉を下げ、申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
 それ以上は突っ込んで聞いてくれるなよ。
 そう言っている言葉明白だ。
 それに鬼殺隊という組織の上層部が知っているということは問題ないということだ。
 今はその事情を聞くことはよそう。
 半分納得。半分謎のままの炭治郎だが、そう思ったのだろう。こくりと頷き、言葉を返す。
 悪いな。
 藤は先程より、空気を読んでくれた炭治郎にぽつりと言葉を零した。


「なあ、藤……今度、禰豆子に会ってやってくれないか」
「……ああ、いいよ」


 今は日が昇っているため、箱の中で眠りについている妹・禰豆子に炭治郎は目を向けると藤に声をかける。
 同じくらいの歳の友達になるかもしれない。そう思ってか、炭治郎は彼女へ問いかけていた。
 藤はその言葉に驚いたのか。微かに目を開くが、ふっと笑みを浮かべて頷く。
 その子が平気だったらな。
 小さな。とても、小さな声でそう呟いた。
 それは炭治郎の耳には届いていないのだろう。
 禰豆子に友達ができるかもしれないということに嬉しそうな笑みを浮かべていた。


「これで俺たちはお互いの一番の秘密を共有した。言わば、共犯者だ。頼むから、秘密を守ってくれよ」
「ああ、……ははっ、物騒に聞こえるな」
「ははっ、違いないな」


 能天気。
 いや、自分のことより妹のことばかり気にしている炭治郎に気が抜けたのか。藤はふぅと息を零し、ニッといたずらっ子のような笑みを浮かべて炭治郎の顔を覗き込み、言葉を紡ぐ。
 炭治郎もまた口角を上げて、ひとつ返事をした。しかし、そのやり取りが面白く感じたのか、吹き出して言葉を零す。
 彼女もまたその言葉に共感出来たのだのう。
 笑みを浮かべて、彼に同意したのだった。




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