四話





 市松模様の羽織をしている少年と藤が描かれている羽織をしている子供は歩いている。
 人の気を狂わしそうな妖しい橙色の空からだいぶ時刻が経ち、深く濃い青色の空へと変わっており、辺りを照らす光は力強い太陽から淡い月へと変わっていた。
 その為だろう。人影はない。いや、この道には大きな川しかないから、もともと人通りが少ないだけかもしれない。


「歩いても歩いても何もないなぁ。野宿でも…大丈夫か?」
「構わない……適当に食べて、休めそうな場所を探そう」


 闇夜はもうすぐそこまで来ている。
 それが分かっているからだろう。
 炭治郎は眉根を寄せ、ぽつりと言葉を零す。
 進めど進めど、民家はない。
 共に旅をしている藤が女であることを知っているからか、彼女を配慮しての台詞のようだ。しかし、彼女はその意図を理解できているのか、否か。彼女は炭治郎の言葉にさらりと同意するだけなのだから、恐らく後者だろう。むしろ、野宿でもよさそうな言い回しだ。


「………」
「炭治郎、どうかしたのか?」
「鬼の匂いだ!!」


 随分とあっさりと肯定されたことに驚いたのか、炭治郎は眉を下げて笑みを浮かべる。
 呼吸をしようと思ったのだろう。
 彼はスンと鼻から息を吸った。嗅ぎ取った匂いに目を見開き、ピタリと歩いていた足を止める。
 唐突に止まった彼に不思議に思ったらしい。藤は首を傾げ、小さな山の方へ視線を向ける炭治郎を呼び掛けると彼ははっきりと言葉を口にした。


「方角は!?」
「あっちだ!!」


 その言葉に彼女も目の色を変え、声を荒げて問いかけると彼は南東の方を指差す。
 数十百メートル先の小さな山がある方は、とうに闇が覆っており、鬼がいる。
 そういわれても何の不思議もない。
 二人はその山へ向かい、全力で走った。


(まさか任務前に鬼に遭遇するとは思わなんだ……)


 炭治郎の後を追う様に藤も駆けるが、予想外の出来事に心の中でため息を零す。
 心の中で吐露するその言葉は鬼に遭遇したくないからなのか、否か。それを理解することは難しい。


「いた!」
(どうする…!どうすれば、あの人を助けられるんだ!?この距離じゃ、全力で走っても間に合わない……!!)


 炭治郎は山の麓まで近寄ると遠くで人が怯えて、腰を抜かしている姿とその人を襲おうとしている鬼の姿を見つけた。
 しかし、今にも鬼に喰われそうな人の姿に打開策を考えるが、思いつかないのだろう。
 喰われる前に助けられる。
 その間合いまで距離を縮められることが極めて難しいを承知していたからだ。


(俺は間に合わず、目の前で命を奪われるのを見ているしか出来ないのか!?)


 炭治郎は気持ちを焦らせ、早く、早く前へと走って行く。
 目の前で命を奪われる光景を見たくない。
 その思いから、自分を責めたてるように自問自答し続けていた。


「――我が血は我にあらず 悪鬼に察知できず 我が姿 捉えられん」
「っ、藤!?」


 今まで炭治郎の後ろを黙って追って走っていた藤が声音を変え、言葉を発する。
 彼女が突然口にした言葉を理解できず、また何故、この緊急時に言葉を発しているのかも分からないのだろう。
 炭治郎は少し後ろを振り向き、彼女の名前を呼んだ。


「足止めする!何があっても走れ!!」
「っ、ああ!分かった!!」


 藤は足を止め、眉を吊り上げて炭治郎に指示する。

 何をするにしても、立ち止まっては何も出来ない。普通ならばそう考え、口にするだろう。しかし、炭治郎は嗅ぎ取っていた。
 彼女もまた鬼に襲われてる人を助けるつもりだという事を。
 だからこそ、彼女の言葉に瞬時に信じ、行動した。彼の強みはそういう所なのかもしれない。


「きゃああああああああ!!助けてえええ!!」
「間に合ええええええええええええええ……!!」


 襲われている女性は命が今にも狩られることを本能的に察知しているかのように体がガタガタと震えている。
 それでも、彼女さ命を守るため、勇気を振り絞って女性特有の甲高い声で、叫んだ。
 炭治郎は藤を信じ、刀を手に持って走り込む。願望を叫びながら、距離を縮めていった。


「……悪鬼を弾け!」


 炭治郎の背後より、勢いよく何かが飛んでいく。それは炭治郎を通り過ぎ、襲われている人と鬼の間へと割り込んだ。
 藤は左手を目の前に持っていき、人差し指と中指を立て、印を結ぶとはっきりと言葉を口にする。
 彼女が言葉を発した瞬間、襲いかかっていた鬼の手を何か・・が弾いた。
 襲われていた女性は何が起きたのか、分かっていない。
 彼女は混乱しながら、目の前で起きたことをただただ見つめるしかない。


(札が鬼の手を弾いた…!?)
「……ああ?」


 炭治郎より先に前にいったもの……それは札。ただの紙切れだ。それなのにも関わらず、鬼の手を弾いたそれに誰しも驚く。
 それは鬼も同様だ。
 鬼は眉間に皺を寄せ、手のひらを見つめる。
 しかし、そこには何もない。それなのに、何故か何かに触れた手は痙攣しているという事実が不思議でならないのだろう。


「望める強者 戦う者 皆陣破れて 前に行く……!!」


 藤は懐から薄紫色の札を取り出し、尽かさず、札を鬼に向けて九字を唱えながら、札を投げつけた。
 投げられた札は藤色の気を纏い、また炭治郎を追い越し、今度は鬼へ目がけて飛ぶ。


「…紙?……っ、あああ……!!なん、だ……これは…!?」


 鬼は紙が飛んできた。
 その事実が不思議ではあるものの、札を自身の身体に張り付くことを許してしまった。
 それが故に、酷い苦しみを受け、首を抑えて喚き、叫ぶことになろうとは夢にも思わなかっただろう。しかし、現実は鬼の油断からそうなった。


(間に合った……!!)
「水の呼吸――……壱ノ型……水面斬り!!」


 炭治郎は間合いに入るとスンっと匂いを嗅ぐ。隙の糸を嗅ぎ取ったのか、彼は鬼の首を取るため、型をとった。
 水の呼吸 壱ノ型 水面斬り
 クロスさせた両腕から勢い良く水平に刀を振るうその技を。
 ザシュっと鬼の首と両手は切られ、肉体から切り離されると地面にボタボタと落ちる。
 鬼の身体は動くことも適わず、少しずつ崩れ落ちていく。


「おお、流石さすが。一発で仕留めた」


 少し離れたところから、見守っていた藤はパチパチと拍手を送り、他人事のように炭治郎を称賛する言葉を口にしていた。


(……鬼の気配はない……もう解いていいか)
「解」


 彼女はきょろきょろと辺りを見渡し、気配を探る。しかし、この山は静かなもので特に異常がないのだろう。
 安堵の息を吐くと彼女は目を閉じ、一言を口にした。


「大丈夫ですか?」
「あ……ああ…は、はい……」


 炭治郎はカチャンと刀を鞘に仕舞うと眉根を下げ、心配そうに腰を抜かした女性に問いかける。
 彼女はまだ目の前で起きたことが分かっていないのだろう。
 いや、理解することを拒否しているのかもしれない。
 御伽噺のように鬼が人を喰らうなど、本当にあるとは思っていない人間が多いのだから、仕方ない。
 カタカタと肩を震わせていた女性は炭治郎の優しい声音に少し安堵したのか、言葉を詰まらせながら返事をした。


「どうしてこんな遅くに山へ……?」
「や、薬草を……取りに来ていて……それで……っ、」
「……怪我か?」


 日が落ちてだいぶ経っているのに若い女性がまだ家路についていなかったことに不思議に思ったのだろう。
 彼は思ったまま、彼女へと問いかける。
 女性の手には薬草が握られており、炭治郎の問いに答えた。しかし、彼女顔を歪めて口を閉じる。
 それはまるで、痛みに耐えるような仕草。
 藤は足に手を添え、痛みを我慢する仕草をする女性を見ると首を傾げ、問いかけた。


「藤……ああ、そうみたいだ」
「……失礼」
「……っ、」


 いつの間にか、近くにいる彼女に少し驚きながらも、炭治郎はこくりと頷く。
 藤は女性の足元にしゃがみこむと一言声をかけ、足の具合を見た。
 優しく触れるが痛みが伴うのだろう。
 女性は痛みに我慢するような声を小さく零した。


「……捻挫みたいですね。応急処置をします」
「あ、ありがとう、ございます……」
「いいえ……これで大丈夫でしょう」


 藤は懐から塗り薬を出すと手慣れた手つきで応急処置をしていく。手拭いを口でピリッと裂き、細く長い布状にすると足へと巻き付けた。
 その流れるような所作に驚きつつも、女性は彼女にお礼を口にする。 簡易包帯を巻き終えると藤は言葉を返した。


「家はどちらですか?」
「え、っと…この山の麓にある家、です」


 炭治郎は藤が応急処置してくれたことに安堵したのか、穏やかな表情を浮べ、若い女性へと問いかける。
 彼女は何故、そんなことを問われているのか、戸惑った表情を浮べた。しかし、命の恩人である少年たちを卑下に出来ないのだろう。
 困惑していることが声音から受け取れるが、彼の問いかけに答えた。


「そうでしたか。それなら、そこまで送ります。いいかな、藤」
「ああ、構わないよ」
「何から何まで……すみません…ありがとうございます…」


 炭治郎はニコッと人の良さそうな笑みを浮かべ、彼女へ進言すると藤へ有無を問う。
 彼女に異論はないのだろう。こくりと頷き、肯定した。若い女性そこまで命の恩人がそこまでしてくれるということに涙目になり、謝罪と感謝を口にして、頭を下げた。


「いいえ、お気になさらずに」
「背に乗ってください」
「は、はい……」


 炭治郎は彼女のその言葉にフルフルと首を横に振り、言葉を返すと藤は彼女に背を向け、両手を後ろへと向ける。
 怪我人への配慮だろう。自分より幼い子供に申し訳ないと思ったのか、返事をすると遠慮がちに彼女の背に乗った。
 体重が乗り掛かることを確認すると藤は女性の太ももを抱え込み、立ち上がる。


(俺が背負おうと思ったけど、禰豆子がいるし…助かった。藤は力持ちなんだなぁ)
「何だよ」
「え、あ……いや、なんでもない」


 炭治郎は言い出しっぺだから、自分で彼女を背負おうと思ったのだろう。しかし、木箱の中には鬼の禰豆子がいる。それを背負いながら、女性を背負うのは難しい。
 だからこそ、彼女が自分から背負ってくれたことに感謝していたが、自分より背の小さい彼女がいとも簡単に大人を背負う姿に感心したようだ。
 じっとこちらを見つめている彼に居心地が悪いのか、藤は眉根を寄せ、彼へ問う。
 炭治郎は言葉を詰まらせていたが、首を振って会話を終わらせた。余計なことは言うつもりがないらしい。


「さっさと送るぞ」
「ああ、そうしよう」


 はあ、と藤が溜息を付き、下山するために足を一歩踏み出すと炭治郎も彼女に同意して、彼女の後を追った。


「本当にすみません…」
「そんな!謝らないで下さい」
「俺たちは俺たちの仕事をしただけです」


 藤の背に乗る女性は眉根を寄せ、謝罪の言葉を口にする。罪悪感を抱えていることが分かったのだろう。
 炭治郎は背負われてる彼女へ顔を向け、言葉を変えすと藤もまたそれに頷き、言葉を続けた。


「仕事、なんですか?」
「はい。俺たちは鬼斬りなんです」
「……先程のあれは、鬼、なんですね…」


 鬼を斬ることが仕事。
 その言葉が彼女にとって予想外だったのだろう。
 目を見開き、驚いた表情を浮べ、問い掛ける。
 炭治郎はその問いかけに眉を下げ、困ったように微笑みながら、言葉を返すと女性は暗い表情を落とし、言葉を零した。


「…はい」
「……あ、ここです」


 炭治郎が返事をすると背に乗っていた女性が言葉を紡ぎ、藤は足をピタリと止める。
 横を向けば、一軒の家がある。藤が女性をゆっくり背から下すと彼女は自分の家へと足を引きずりながら、歩いた。


「……文さん!良かった!!遅いから何かあったかと思った…!!」
「ごめんなさい、冬彦さん。心配かけて……」


 家の戸がガラっと勢いよく、開いた。それは女性が戸を引いたからではない。
 家の内側から開けられた。中からは人の好さそうな男性の姿が現れる。
 彼は焦った様子で女性の名前を呼んだ。
 炭治郎と藤が助けた女性は文という名前のらしい。
 男性は文の姿を見て安堵したのか、肩の力を抜き、彼女を抱き締めて言葉を投げ掛ける。
 女性もまた冬彦という男性を目の前にしてやっと安心できたのかもしれない。涙目になりながら、抱き締め返しながら言葉を返した。


「「……………」」


 一歩間違えれば、この二人は二度と会うことは叶わなかった。 だから、女性からすれば、感動の再開だろう。
 空気と化した炭治郎と藤はその二人が抱き締め合っている姿をただ黙って見守っている。


(この、匂いは……!)


 炭治郎は息をするために、スンっと鼻から息を吸うとある匂いを嗅ぎ取ってしまった。
 それに驚き、目を見開く。


「藤……」
「みなまで言うな、炭治郎……」


 炭治郎は頬を引き攣らせ、二人の男女に気付かれないように彼女の名前を小さく呼んだ。
 藤は彼が何を言いたいか、分かったのだろう。
 彼女は顔に手を当てて、面倒くさそうに言葉を返す。


(鬼と人が暮らしてるなんて、聞いたことないぞ…一体、どういう事だ?)


 藤は目の前で起きていることに現実逃避をしたくなりつつも、顔から手を離す。
 そう、二人が気付いたこと。
 それは男性が鬼である、ということだ。
 人と共存しているその姿に困惑せずにはいられないのだろう。
 鬼と遭遇すれば、鬼を斬れ。
 それが鬼殺隊であるならば、当然のこと。しかし、目の前の光景にどう対処していいのか、分からないのか。藤は眉根を寄せて、ただただ、まだ抱き締め合っている二人の男女を見つめていたのだった。




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