「なあ、藤」
「……なんだ?」
木で出来た古びた小さな家。
その中にお邪魔させてもらっている少年は目の前の人たちに戸惑った目を向けながら、隣にいる少女の名前を呼びかけた。
少女もまた遠い目をしながら、彼の呼びかけに応じる。しかし、その声はやる気がない。
「………俺はこの状況をどうすればいいのか分からない」
「それは俺もだよ」
炭治郎は顔を二人の男女から少女に向け、真剣な瞳を向けて言葉を吐いた。
そんな純粋な目を向けられても困るのだろう。
藤は、はぁと深いため息を付き、顔に手を覆って彼に同意を示す。
鬼と人が仲睦まじそうに暮らしているのだ。
彼らの反応は無理もない。
その衝撃な言葉を聞いたら、鬼殺隊員の誰が聞いても驚くし、戸惑うだろう。
どうやら、この二人は夜も遅いということで宿泊していけと言われたようだ。
「やだ、冬彦さん。人前ですよ」
「文さんが可愛らしいのがいけないんだよ」
肩を寄り添い合いながら、炭治郎たちが助けた女性とこの家で留守番をしていた鬼の男。
文と呼ばれる彼女は冬彦と呼ぶ男性に制止するが、彼は柔らかな笑みを浮かべてゆるやかに否定した。
いやだぁ。
彼の言葉に彼女は頬を赤らめ、そう言葉を返すがそれは本心じゃないことが明らかに見て取れる。
「……見逃していいと、思うか?」
「………どれだけ、人を喰ったか。それが問題だろうな」
なんとも言えない雰囲気を眺めざる負えない炭治郎は困惑した表情を浮べつつも、こっそりと藤へ問いかける。
鬼殺隊として、殺すべきか。否か。それは鬼の妹を抱える炭治郎としては後者を選びたいだろう。だからこそ、彼女へ相談しているように見えた。
藤は眉間に眉を寄せ、彼の問いかけにぽつりと答える。
(喰っては、いる……でも、血の匂いはあまりしない)
「あの……お二人は夫婦、ですか?」
彼女の答えを聞いた炭治郎はスンッと鼻から息を吸った。その際にその場にある匂いを嗅ぎ取る。
鬼である男からはほとんどと言って血の匂いがしない。つまり、人間をほぼ喰っていないということになる。 しかし、それは裏を返せば少なからず、喰っているとも取れるということだ。
炭治郎はごくりと固唾を飲み込むとおずおずと未だにいちゃいちゃしている男女に問いかけた。
「いやぁ、そんな……風に見えます?」
「………可か否かだけで答えてもらえません?じゃなかったら、聞きませんよね?」
その問いが嬉しかったのか。男性はへらっと緩み切った笑みを浮かべて逆に問いかけ返す。
藤は笑みを浮かべているが、その表情は我慢できておらず、片眉をピクリと動かし、頬を引き攣りながら、言葉を投げかけている。
回りくどい言い方にイラついたようだ。
「もう、冬彦さんったら…」
「あはは、つい、嬉しくて……私が倒れていた所を彼女が助けてくれたんですよ。それから一緒に暮らしているんです」
おちゃめな言葉を返した冬彦に文は呆れたように言葉を返すと鬼の男は彼女のそのイラつきを吹き飛ばすように笑い声をあげ、ちゃんと炭治郎がした質問に答えた。
「そーでしたかぁ……」
それに納得したのか、炭治郎は気の抜けたような言葉を零す。
「若いのに二人とも強いのよ。鬼狩りを生業にしているんですって」
「……そうでしたか…彼女を助けてくれて、本当に…ありがとうございました」
文は助けてくれた炭治郎と藤を褒め、どういう人物なのか紹介したかったのだろう。
冬彦に嬉しそうにそのことを話すと彼は微かに目を見開き、言葉を返した。そして、彼は佇まいを正すと頭を下げ、お礼を口にする。
「いいえっ!当然のことをしたまでですから、頭を上げて下さい」
(……怯えることも警戒することも、ない…この鬼は炭治郎の妹と同じなのか…?)
まさか鬼に頭を下げられると思ってなかったのだろう。
炭治郎は目の前で両手を振り、慌てた素振りを見せながら、言葉を返した。
藤はその様子をじっと観察するように目を向け、鬼に対してどうするべきか、考えを巡らせている。
「………」
「藤……どこに行くんだ?」
はあ、と身体に廻る邪気を吐き出すようにため息をつくと彼女は立ち上がり、外へと足を向けた。
こんな夜遅く外に出る必要もない。
何故、出ようとするのかと不思議だったのだろう。
炭治郎は首を傾げ、彼女へと問い掛ける。
「星を見てくる」
「夜は冷えるから早めに戻るようにな」
「……ああ」
藤はただ抑揚のない声音で答えた。
本当に星を見ることが好きなんだなぁ。
そんなことを炭治郎は思いながら、彼女の身体を労わる言葉を投げかける。
やはり、そういうところは長男力を発揮させるようだ。
彼女はこくりと頷くと家の外へと出て行く。
(さて……彼を殺すか否か…)
出た瞬間、昼間より気温が下がった空気が頬を掠めた。
すうっと息を取り込む空気は山の下にいるからか、空気が澄んでいるように感じるようだ。
助けた女性は鬼の男を好いている。鬼の男も喰わず、彼女の傍にいる。
人情を取れば、殺さない。
その一択でいいのかもしれない。
それでも、愛してるという女性を喰う鬼に戻る可能性は零じゃない。いつ変貌するかなど、分かるはずもないのだ。
彼女は瞳を曇らせながら、瞬く星を眺め、腰を下ろした。
「あの、隣…いいですか?」
いつの間にか、藤を追いかけて外に出てきたらしい。冬彦と名乗る鬼は彼女の背後から声をおずおずとしながら、声を掛ける。
「っ、……構いませんよ」
「ありがとうございます」
「……」
考えことをして、気が付かなかったのか。
藤ははっと我に返り、息を飲み込むと後ろを振り返り言葉を返した。
冬彦はにこっと笑みを浮かべるとお礼を述べ、彼女の隣に座ると何かを警戒しているかのように藤は横に座る彼に横目で視線を向ける。
「……どうして、私を殺さないんですか?」
「っ、……」
「私が鬼だって、気が付いてますよね」
彼は眉を下げ、どこか悲しそうな声で藤に問いかけた。
彼女はその問いかけに目を見開き、星空に向けていた顔の向きをガバッと冬彦に向ける。
まさか彼からその話題に触れられるなど思っていなかったのだろう。しかし、驚きからなのか、彼女は言葉を発することなく、彼を見続けるだけだ。
鬼の男は困ったように笑みを浮かべて言葉を続ける。
「……はい。あなたこそ、鬼狩りを目の前にして冷静でいられますね」
「彼女を守ってくれた恩人を追い出すわけないじゃないですか」
黙って彼の言葉に耳を傾けていた藤は不思議そうに言葉を投げ掛けた。
鬼だったら、鬼狩りを目にしたら攻撃してきてもおかしくない。それでも、彼は藤たちを受け入れた。その事が不思議で仕方ないらしい。
彼女のまじまじと見つめる目に冬彦はふっと笑みを零し、言葉を口にする。
「……よほど、文さんを愛しておられるんですね」
「ええ、愛してます。鬼になって……初恋の人ですから」
それが偽りか否か。見極めるのは至難の業だ。 しかし、本音を言う時と偽りを言う時。
どちらも表情と声に本心が現れるものだ。
冬彦という鬼がその言葉をどちらでいっているのか。それを前者だと分かったらしい。
藤はここにきて柔らかい表情を浮べ、言葉を返した。
冬彦は目を細め、嬉しそうに頷き、断言する。
文と出会ったころを思い出したのか、彼はどこか懐かしそうに言葉を紡ぐ。
「……どうして、鬼になったのか……聞いても?」
「私は両親を早くに亡くしましたが、幼い弟妹がおりました。弟妹を養うために一生懸命、生きてきました」
「………」
わずかな時間、会話しただけでも穏やかな人格であることが伺えたのだろう。
冬彦が鬼になった理由が気になったようだ。
彼女は聞いていいものか、躊躇しながらも彼へ問いかける。
冬彦は遠い過去を思いだしてか、瞳をひどく揺らしながら、彼女の問いに答えようと言葉を口にすると藤は黙って話を聞き続けた。
「私は重い病にかかり、床に伏せるようになりました。弟たちを養えなくなる。成長を見守れなくなる。それが嫌だったのです」
「……だから、鬼に?」
冬彦は言葉を続ける。
鬼になる前の人間だった自分の人生を語るべく。
彼から紡ぎ出される彼の人生は過酷なものだ。
幼き頃に両親を失い、弟妹をそれでも守ろうと奮闘していたというのに病にかかる。
どれだけ、一生懸命、生きていても報われない。
そんな絶望的な状況下で生きられるかもしれない一縷の光を目の当りにしたら、誰だってそれにしがみ付きたくなるだろう。
ああ、だから、この人は鬼になったのか。それを理解したのだろう。確かめるかのように彼女は問いかける。
「はい………でも、あのまま死んでいた方が幸せでした。あの子たちのために生きたいと思っていたのに…私はあの子達を喰らっていたのですから」
「………」
冬彦は首を縦に振り、更に言葉を続けた。
何のために生きたかったか。それは弟妹のため。しかし、現実は弟妹を喰って生き延びてしまった。
それが心をえぐり、傷付けたのだろう。
目頭が熱くなっているのか。彼の瞳にはじわりと涙が溜まっているように見える。
彼の苦しい声。震える手。目に溜まる涙。
それを見て、かける言葉を探しても見つからないのか。彼女はただ黙って彼を見続けた。しかし、その表情は今にも泣きそうにも見える。
「私は死にたくて、何度も何度も自分を殺しました。それでも、死ぬことは出来なかった」
「……人を喰わねば生きられない。それでも、どうやって人を喰わずに今までいられたんです?」
冬彦は、はぁと深いため息を付くと気温が低いからか白い息が空気中に霧散された。
吐き出した息と共に自虐していたことも吐露する。
その言葉を軽く口にしているようにも見えるが、その言葉を発する声音には重みがあるようにも聞こえる。
どれだけ、後悔し、涙し、自分を傷付けてきたのか。それは想像し難くない。
藤はずっと聞き手側に回っていたが、一つ疑問に思うことがあるらしい。
彼女は口を開き、疑問を彼へとぶつけた。
「……自我が戻ってしまえば、そんなことできません。我を忘れそうになりそうになったら、何度も自分を傷付けました。何度も血を流したせいか、いつの間にか血の支配から逃れていて、今では飢餓症状が出たとしても眠れば問題ないんですよ」
「血の…支配……」
「ええ」
まさかそんなことを聞かれると思わなかったのだろう。
彼は目を見開いて驚いた表情を浮べると彼女の問いに答える。
人を喰う。
それが出来ずにどれだけ、自分を傷付けていたのか。分からない。それでも、何度も何度も何度も何度も。
彼は血を流し続けていたのだろう。
初めてその方法を知ったのか。それとも初めて聞いた単語に驚いたのか。
どちらか分からないが、彼女は瞳を揺らし、彼が口にした言葉をオウム返しした。
彼女のその表情に冬彦は眉を下げ、笑みを浮かべてこくりと頷く。
「そして、文さんと出会いました。彼女と生きていきたい。それは本心です。でも、……未来ある自分の弟妹を殺した罪をもう償いたいのです」
「藤と冬彦さん…そろそろ中へ……」
「私を殺してください」
「………!」
彼は胸に手を当て、愛する人を想いながら、言葉を続ける。
その言葉は本心のようだ。
しかし、罪を犯した自身を許せないのもまた事実らしい。冬彦と藤が外で会話をしてもう四半刻立っていた。
風邪を引いたら大変だと思ったのだろう。
炭治郎は家の中から出てくると外にいる二人に声をかけるがそれは最後まで紡がれることはなかった。
冬彦の声は大きくない。
それでもはっきりと空気を振動させ、藤の耳にも炭治郎の耳にも彼の言葉は入った。
炭治郎は二人がどんな会話をしていたかなんて知らない。分からない。
それでも、彼の言った言葉が衝撃的過ぎて、言葉を失い、目を見開いた。そして、ただ真剣に話している二人をただ見守ることしか出来ていない。
「……」
真剣な目が藤を射貫く。
目も言葉も本気で言っていることが分かるのだろう。
彼女はただ黙って目の前にいる優しく憐れな鬼を見つめることしか出来なかった。