六話





「私を殺してください」
「………!」


 穏やかで柔らかな声ではっきりと告げる冬彦はなんとも悲しいお願いをした。
 丁度、家の中から出て来た炭治郎はその言葉に目を見開き、驚く。


「……本当に、いいんですか?」
「はい。罪深い私は一生分の幸せを文さんに貰いました。だから……地獄に逝って、償わなければ」


 藤もまた彼の言葉に驚いてはいるが、それは表情に出すことはしないようだ。
ただ静かに、鬼である彼に問いかける。
 冬彦は首を縦に振り、彼女の問いかけに肯定すると優しい笑みを浮かべ、言葉を口にした。
 何も後悔はない。 まるで、そういっているかのように。


「……分かりました」
「藤!やめろ!やめてくれ…!この人は人を襲ってないじゃないか!」


 その笑みと揺らぎのない瞳に藤は覚悟を決めたのか。そっと瞳を閉じ、了承する言葉を発する。
 このままでは藤が冬彦の頸を斬ってしまう。
 そう思った炭治郎は慌てて、彼女と冬彦の間に割って入り、藤の両肩を掴み、説得しようと言葉を投げかけた。


「……彼は自分の弟妹を喰ってる」
「っ!!」


 目の前にいる炭治郎の目には焦り、動揺が映し出されている。炭治郎は自分の妹と彼を重ねているのかもしれない。
 彼女の目にはそう映ったのだろう。それでも、冬彦が死ぬ覚悟を決めたのにも関わらず、自分が揺らいでは駄目だと分かっていた。
 藤は揺らぎのない目を炭治郎に向け、事実を彼に突き付けた。
 お前の妹。禰豆子と彼は違うのだということを。
 彼女が放った言葉に炭治郎は愕然とし、言葉を失った。


「自我が芽生え、血に抗っているとしても…人を喰った罪は消えない」
「でも、でも……!」
「炭治郎、お前の妹とは違う……もう、楽にしてあげよう」


 藤は続けて言葉を紡ぐ。
 それは残酷であるが、事実であり、それが現実だと。しかし、この数刻を共にした彼は善良な鬼そのもの。
 それを否定するのは違うと炭治郎は思ったのだろう。
 反応する言葉を口にするが、それに続く言葉は見つからない。それでも止めたくて、彼女の肩を掴む手に力が入った。彼女は目を閉じ、堪えるように眉間にシワを寄せ、強く唇を噛む。
 藤は彼の名前を呼び、そっと目を開けると炭治郎と視線がぶつかった。
 彼女は真剣な表情から変えることなく、はっきりと言葉を紡ぐ。


「文さんはどうなるんだ!?」
「彼女は一人で生きていくしかない。彼と出会う前に戻るだけだ」
「藤……!!お前には人の心がないのか!!」


 炭治郎は彼女の表情から医師が変わらないことを理解したのだろう。唇を噛み、悔しそうな表情を浮べると胸ぐらを掴み、声を荒げた。
 彼女は淡々と鬼である冬彦を殺した後の文の生き方を述べる。それは今、見た限りの彼女の未来。しかし、その言葉に抑揚は無く、事実だけを述べているに過ぎない。
 言葉を額面通り受け取る炭治郎は藤を無責任だと思ったのか。冷たいと思ったのか。ギリッと歯ぎしりをし、叱咤をするように怒鳴りつけた。


「……人を喰った過去は消えない。本人が望んでいるんだ。叶えてあげることもまた俺たちの使命だ」
「っ、………!!」


 彼女はふぅ…と息を付く。
 激しい感情をぶつける炭治郎とは違い、静かに事実を突き付け続けた。でも、先ほどまでの表情とはうって変わり、眉を下げ、悲しげに瞳を揺らし、言葉を紡いでいる。
 彼女が告げた言葉は理性の答え。
 人を喰らっている事実を見逃してはいけないという判断。何より、本人が望んでいる。それが決定付けたようだ。
 ハッと我に返ると顔を歪ませ、下を向く。
 胸ぐらを掴んでいた彼の手の力は緩み、彼女は炭治郎の手に手を添え、下させた。


「炭治郎さん、すまないね。ありがとう」
「お前はそこで見てろ。俺がやる」
「………」


 まだ十五の優しい子供に願うことに申し訳なさが込み上げたらしい。冬彦は眉を下げ、謝罪とお礼の言葉を口にする。
 藤は炭治郎には出来ないと判断をしたのか、指示をすると冬彦の前に立つ。
 距離として、彼女の間合いの距離。
 炭治郎は瞳を揺らしながら、対峙している二人を見続けることしか出来なかった。


「冬彦さん、覚悟はいいですか?」
「ああ、いつでも構わないよ」


 藤はじっと目の前にいる冬彦を見つめ、問いかけると彼は目を閉じ、穏やかに微笑みながら、こくりと頷く。


「……文さんに伝えることは?」
「藤さん…あなたはやさしいですね……では、――――…」
「……しかと、承りました」
「ありがとう……」


 彼女は右手で鞘を掴むと彼へ再度の問いかけをした。もう一人の子もまだ幼い子供であろうに鬼に情けをかける。
 それに冬彦は目を見開き、驚いた表情を浮べると嬉しそうに微笑んでは藤にしか聞こえない小さな声で遺言を口にした。
 彼女は全てを聞き届けたらしい。ゆっくりと口を開き、承諾する言葉を紡ぐとそれに冬彦はお礼をした。


「虹の呼吸―――… 肆ノ型――白虹」


 彼女はカチャっと音を立て、さやから刀身を抜き、刀を上段に構える。月の光を浴びる刀身は七色に輝きを放っていた。
 彼女は凛とした声で呼吸名を口にする。
 安倍家に伝わる呼吸法。
 それを用いて彼女は冬彦の頸を斬った。
 刀が彼の頸を斬る速度はとても早く、発光した虹が円を描いているようにも見えた。その様に冬彦は驚きつつも、じわりと胸をあたたかくさせる。
 それは何故か。
 

(ああ……なんて、綺麗なんだ…)
 

 虹は雨が降ったあとに太陽の光が水滴に反射して出来る。つまり、鬼になった彼がもうお目にかかれないモノ。
 それを死ぬ間際に見ることが出来た冬彦という鬼はある意味、幸せかもしれない。
 頸を斬られ、塵となっていく中で彼は目に涙が溜まっていた。


「もう皆さん、外で何して……冬彦さん!?」


 ずっと家の中にいた文は外で何が起きているかなんて知らない。知らないままの方が幸せだったかもしれない。
 それでも、彼女は戸を開け、外へと顔を出してしまった。
 彼女は目にしたものは自分の愛してやまなかった冬彦の頸が空を舞っている所。
 それに愕然とし、彼女は顔を青ざめて彼の名前を叫んだ。その場にいた三人は彼女の声に視線を向ける。


(ああ…文さん……すまない)


 冬彦は彼女に自分の頸が斬られるその場面を見せたくなかったのだろう。彼は悲しげに眉を下げると彼の目に溜まっていた涙は零れ落ちた。
 彼はもう塵になり、口はない。
 言葉を発することが出来ないからか、心の中で謝罪をすることしか出来なかった。


「い、や……いやぁぁぁ!!何で、何で!?」
(どうか、幸せに……)


 当たり前のようにあった日常が突然壊れた。
 文はそのことが信じられないのだろう。目頭を熱くさせ、ポロポロと涙を零し、首をフルフルと振っている。目の前にある現実を全身で否定するように叫んだ。


「いやあああああああ!!」
「……」


 冬彦の姿は全て、塵となり消し去ってしまった。心を激しく揺さぶられ、痛めつけられた文は喉が切れるほど、大きな声で叫び、膝から崩れ落ちる。
 炭治郎はそんな悲痛な姿をただ見つめるしか出来なかった。
 何故なら、分かる・・・からだ。
 彼もまた冨岡義勇に自分の妹の頸を斬られ、殺されかけた。その時の感情と彼女の感情が同じだったから。
 炭治郎は無力な自分に悔しいと思ったのか。眉をひそめ、唇を噛む。


「ど……して………どうして殺したんですか!!」
「彼は鬼です。貴女を一刻前に襲ったものと同じです」


 震える手は地面を付いていたが、指先に力を入れて砂を掴み、震える声を振り絞り、藤に投げかけた。
 藤はその恨めしい目を向けられるが、至って冷静な表情をして、刀身を鞘に仕舞う。そして、淡々と事実を口にした。
 冬彦が文を襲った鬼と同じ、生きものだということを。


「でも、あの人は人を襲ってないじゃない!!」
「…今は、というだけです」
「人殺し……!!」


 文は涙を零しながら、顔を上げて立ち上がると藤の胸ぐらに掴みかかる。
 彼女は愛しい人を奪われた苦しみから、仇を見るように眉を吊り上げ、声を張り上げた。フーフーと息を整えながら、睨み続ける文に藤はなされるがまま。
 彼女がぶつける感情をただ受け止め、言葉を紡いだ。藤の紡いだ言葉にカチンと来たのだろう。今まで以上に鋭い目を向け、吐き捨てる。


「……貴女が生きる目的になるのであれば、俺を恨んでくれても構いません」
「っ、」
「!」


 藤は眉を下げ、自分の胸ぐらを掴む彼女の手にそっと自分の手を添えた。そして、悲しげに微笑みながら、言葉を零す。
 それは文にとっても、炭治郎にとっても、衝撃的な言葉。
 恨んでいい。
 そんな言葉を言われたら、誰だって驚くのは当然だ。その言葉に文は藤の服を力強く掴んでいた手を緩めた。驚いたからか、彼女の涙は止まっている。


「冬彦さんは一生分の幸せを貴女から貰ったと、言っていました」
「ふっ……うっ…」
「……冬彦さんから貴女へ…預かりました。お受け取り下さい」
「っ、……っっ、……」


 藤は冬彦を斬る前に彼が言っていた言葉を彼女に伝えた。それに彼女はまた瞳をひどく揺らし、涙を溢れさせ、声を殺して泣く。
 藤はその姿に何かを堪えるように眉を寄せ、唇を噛んだ。唾を飲み込むと口を開き、懐から藤色の匂い袋を出す。そして、文の手を掴むとそれを彼女の手に乗せた。
 文は手に持たされたそれに手を震わせ、ぎゅっと掴むと地面に座り込み、胸に寄せる。
 まるで、愛おしい人を抱き寄せるように。
 彼からの形見。
 それを殺した相手に渡されるなんて思わなかっただろう。
 それでも、愛おしい者からの最後の贈り物だと分かれば、それに縋るほかない。


「俺たちは失礼します」
「あ、………」
「……」


 その姿を見下ろす藤の瞳は揺れていたが、目を閉じてぺこりと頭を下げると踵を返し、その場を去った。
 藤が動いたことに我に返った炭治郎は部屋の中に置いてきた禰豆子の入った箱を取りに行くと、すぐさま外へと出て、文に対して頭を下げる。そして、彼女の後を追うように駆け足で去って行った。
 藤は追いかけてくる炭治郎の足音を聞きながら、ふぅと息を吐き、夜空を彩る星を見上げる。


「……藤…」
「何だ?」
「さっき渡したものは何だ…?」


 空を見上げながら、歩き続ける彼女に視線を送ると戸惑った表情を浮べ、炭治郎は彼女の名前を口にした。
 名前を呼ばれると彼女は顔は空から動かすことなく、視線だけチラッと炭治郎に移し、問いかける。
 炭治郎は眉を下げ、言葉を投げかけた。


「俺が持っていた鬼を遠ざける香だ」
「……」
「冬彦さんに頼まれた。鬼から遠ざける方法があるなら、それを文さんに、と」


 藤はああ、と声を零すと彼の問いかけに簡潔に答える。彼はその言葉に目を見開き、驚いた表情をすると言葉を失った。
 彼女は炭治郎のその表情にふっと笑うと星に視線を移し、頸を斬る前に冬彦に頼まれたことを告げる。
 冬彦は最後の最期まで愛しい人のために出来ることを探し、それを藤に頼んでいた。
 それだけの深い愛情を鬼が持つ。それはどれだけの確率なのだろうか。きっと零に近い。


(……きっと、藤は冬彦さんからそれを言われなくても、渡してたはずだ)


 スンっと鼻から呼吸をする炭治郎は藤の花の香りに混じって悲しみの匂いが藤からするのが、分かったのだろう。
 炭治郎は微かに瞳を揺らすと冷静になった頭で心の中で呟く。


「……弟妹を喰う前に助けたかったな」
「……そうだな」


 藤は空を見上げる顔を下に向け、抑揚のない声音で言葉を零した。下を向いていて表情は見えない。
 彼女が何を思って、そういったのか。それは五感、もしくは六感が人より特化してる人じゃなければ分からないだろう。
 炭治郎の嗅覚は鋭い。つまり、彼には分かってしまった。
 本当は助けたかったということが。
 炭治郎は眉を寄せ、ぐっとこらえるように目を閉じ、彼女の言葉を肯定する。


(優しい……優しすぎる)


 藤は悲しげに言葉を零す彼に視線を移すと炭治郎は今にも泣きそうな顔をしていた。
 炭治郎は彼女がずっと探し続けた赤い星の運命さだめの少年。
 強く、優しい。
 どこまでも広くあたたかく優しすぎる少年に彼女は心が締め付けられたのか。胸に手を当て、衣服をぎゅっと掴む。


「お前はそのままでいろよ」


 彼女はふっと笑みを浮かべ、彼にぽつりと言葉を零した。
 強く、優しいままでいることは容易くない。それでも、彼女は炭治郎に対してそれを望んでしまった。


(あの時、藤は全て分かっていて受け入れたんだ……それなのに俺は…酷いことを……)


 炭治郎は冬彦の頸を斬り、文に恨まれ、罵倒受けてる覚悟を自分が怒りを彼女にぶつけた時点でしていたことに気付いてしまった。
 それでも、そのままでいろと言う彼女のその優しげな笑みに目を見開く。 


「……すまない」
「……俺こそ、野宿させて悪い」


 炭治郎は眉を下げ、申し訳なさそうに謝罪を口にすると今度は藤が目を見開く番だった。
 まさか謝られるとは思っていなかったらしい。それでも、藤がどうしてそうしたのか。炭治郎がそれを受け入れた。
 彼の謝罪の意図が分かったのだろう。
 藤は口角を上げると悪戯笑みを浮かべて、別件に対して謝罪を述べる。


(藤は強いなぁ……)


 スンっと匂いを嗅ぐ炭治郎は自分自身に対して、藤が許していることをすぐに理解した。だから、悪戯笑顔を自分に向けてくれているのだ、ということを。
 この数刻で三人の感情を強くぶつけられたというのにそれでも、いつも通りを保とうとする彼女に彼もまた藤の強さ、優しさを感じたようだ。
 心の中で、感心したように言葉を零す。野宿をする二人の頭上はキラキラと無数の星が輝いていたのだった。




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