七話





「……」


 藤は隣を歩く炭治郎が背負う木箱に目をやる。
 その木箱は非常に軽い“霧雲杉きりくもすぎ”という木で作り、“岩漆いわうるし”を縫って外側を固めてあり、強度も上がっている鱗滝が作った物だ。


「……禰豆子はまだその箱の中で眠ってるのか?」
「ああ、まだ眠ってるみたいだ」


 彼女はそれから炭治郎に視線を動かして、問いかける。
 その問いかけに彼は木箱の方へと視線を向けると眉を下げて悲しげに言葉を返した。


「…まあ、まだ日が昇ってるしな……で、この町だったか?」
「ああ、そのはずだ」


 いまだ会えていない赤い星の隣に寄り添う星の定めの子に興味があって、問いかけたのだろう。しかし、まだ夜になるはまだ時間がほど遠い時刻。
 藤は悪いとばかりに眉を下げて言葉を返すと彼女は話題を変えて問いかけた。
 炭治郎はその言葉に真剣な表情へと変わり、こくりと頷く。
 鱗滝の家にいる炭治郎の元に現れた鎹烏かすがいからすが言っていた北西の町に着いたらしい。
 そんな二人の隣を足取りがしっかりしていない男性が通り過ぎた。
 男性の表情はどこか暗く、青白い。


(………)
(……倒れそうだな)


 炭治郎と藤はその今にも倒れそうな男性に目を向けた。
 彼の顔には殴られたような痕があり、それに対して、眉を下げてじっと見つめる。


「っほら、和巳かずみさんよ。可哀想にやつれて…」
「一緒にいた時に里子ちゃんが攫われたから」


 少し離れたところで井戸端会議が開催されており、婦人方はひそひそと囁く程度で話しているつもりなのだろう。しかし、炭治郎や藤の耳にも届いている。つまり、婦人方の声は普通に大きいのだ。
 そのおかげで二人は足取りが怪しい男性が和巳だと分かったのだが…井戸端会議の良し悪しが随分出ているものだ。


「毎晩毎晩、気味が悪い」
「ああ、嫌だ」
「夜が来るとまた若い娘が攫われる」


 婦人方の話はそれに留まることを知らない。それでも彼女達は不安を覚醒ないのだろう。
 話を続けながらも、眉を下げ、顔に恐怖を滲ませていた。


(……なるほど。炭治郎の任務はこれか……ん?)


 何故、鎹烏がこの街に来るように伝令を渡したのか。その意図を理解したらしい。
 鬼が関与している可能性があるということを。
 藤は納得したように視線を婦人方から逸らし、前に戻すと隣にいたはずの炭治郎は自分より前を歩いている事に気が付いた。
 藤は彼の行く先に眉間にしわを寄せる。


「和巳さん…!」
「……まさか」


 炭治郎は真剣な表情を浮べ、フラフラと倒れそうな男性の名前を大きな声で呼びながら近づいた。
 彼の言動に藤は察知したらしい。
 目を細め、頬を引き攣らせて言葉を零す。


「ちょっとお話を聞きたいのですが、いいですか?」
(……突然名前を呼んで、単刀直入で聞く奴があるか??)


 炭治郎の耳には彼女の呟きは届いていないらしい。そのまま突き進み、和巳へと声をかけ、問いかけた。
 その様に藤は、はぁ…とため息を付くと右手を腰に当て、左手で顔を覆うと呆れたように心の中で言葉を紡ぐ。


◇◇◇


(鬼の気配は残ってる…)
「ここで里子さんは消えたんだ。信じてもらえないかもしれないが……」
「信じます!」


 覇気のない和巳に事情を聞き、彼の婚約者が突然いなくなったという場所へ案内してもらった炭治郎と藤。
 藤はキョロキョロと辺りを見渡しながら、鬼の気配を察知し、どこがその元なのかを探っていた。
 和巳はどんなに言っても信じてくれる人がいなかったのだろう。彼の声音はどこか卑屈になっているようにも聞こえるが、炭治郎は間髪を入れずにはっきりと言葉を口にする。
 信じると。


「……」
「え」
「信じますよ!!信じる!!」


 その言葉に目を丸くした藤は炭治郎を見つめた。和巳もまた即答で自分が言った言葉を肯定してくれると思わなかったのだろう。
 驚いた表情を浮べていると彼は何度も和巳を肯定するように言葉を紡ぐ。
 炭治郎は嗅覚が鋭い。だから、分かるのだ。
 和巳が真実を言っているということを。
 嘘を言っていないということを。


(ずっと罵倒され続け、嘘だと言われてきたんだろう……炭治郎のその言葉は彼にとって心を軽くしているのかもしれない)


 炭治郎はガバっと地面に手足を付き、顔を近づけてスンスンと臭いを嗅ぎ始めた。
 藤は隣にいる和巳にチラッと視線を向けると彼の表情が先程より多少は和らいでいることに気が付く。
 婚約者と夜出歩いていた。それなのにも関わらず、突然姿を消してしまった。
 それを彼女の両親に責めたてられ、町の人には噂をされ続けていた彼の身を考えると炭治郎の言葉はある意味、薬だと思ったのだろう。


(炭治郎は凄いな……そんな言葉はなかなか出てくるもんじゃない。まあ、匂いで分かるだけなのかもしれないけど…それでも凄いことだ)


 彼女はスンスンと嗅ぎ続けている炭治郎に目をやり、簡単に信じた彼にかなわないとばかりに心の中で称賛を零す。
 特殊すぎるその嗅覚に藤は呆れたように眉を下げ、笑みを浮かべた。


(微かに鬼の匂いが残っているけど、まだらというか…変な感じだ……)
(……この子たちは一体何なんだ。何をしているんだろう)
(……それにしても地面の匂いを嗅ぐって、犬か)


 スンスンと嗅ぎ続ける炭治郎は徐々に前へと進みながら、周辺の地面を嗅ぎ続けながら、鬼の匂いを見つける。ただ歩いているだけなら、その匂いはずっと続く。しかし、この場にある匂いは途中途中で途切れているかのようだ。
 和巳は炭治郎に問いかけられ、流されるまま案内したが、二人がどうしてそんなことを知りたがっているのか。何がしたいのか。分からないのだろう。
 戸惑った表情を浮べて炭治郎の姿を見つめる。
 藤もまた前に少しずつ進み続けながら、匂いを嗅ぐ炭治郎に目を細めて心の中で突っ込みを入れていた。


「…っ、炭治郎!」
「ああ!」
(は、速い……)


 気の抜けたように肩を下していた藤だったが、何かを察知したらしい。彼女は目を見張ると眉を吊り上げ、炭治郎の名前を呼ぶ。
 彼女が名前を呼んだ意図を理解したのだろう。
 彼はすぐ返事をし、二人は屋根の上へとジャンプし、トッタタタタと音を立てて走り出す。和巳はただその様子を茫然と見つめているしかなかった。


「匂いが濃くなった!鬼が現れてる!!」
「……娘をもう攫ってる可能性があるな」
「ああ」


 炭治郎は先頭を切り、走りながら鬼の匂いを嗅ぎ、言葉を口にする。
 突然感じ取った気配。それに加えて炭治郎の言葉を聞き、藤は眉間に皺を寄せ、言葉を返した。
 急いで助けなければ。
 それが二人の意見なのだろう。まだ会って間もないというのに息は揃っている。
 炭治郎と藤は屋根の上から降りると左右を確認するが、そこには何もない。 


(ここだ!!今ここにいる!!二種類の匂い。鬼と人間の女の人)
(気配は下から……地面…にいるのか?)


 それでも、この場所にいることに違いは無いのだろう。
 炭治郎は状況を判断し、考えを巡らせながら、スンスンと匂いを嗅いだ。彼が場所を特定しようとしていることがその行動で分かったらしい。
 藤は微かに感じる気配を読み取ると自分たちの足下を見つめた。


(どこにもいない。だけど、匂いが一番濃い場所……ここだ!!)
「ギャッ!!!」


 炭治郎は刀を抜き、地面に向けて思い切り刺すとそこから聞き覚えのない男の叫び声が上がる。
 それと同時にぶわっと黒い影が浮き上がるとボコボコとまるで沼から何かが現れるように鬼と女性が姿を現した。


(攫われた娘…!)


 藤は鬼が抱えている女性が攫われた娘だと認識すると痛みに耐えて、攫った娘から気を逸らしている鬼から娘を取上げ、横抱きする。
 鬼は奪われると手を伸ばし、女性の着物を掴むが、その手は遅く。藤と炭治郎はそのまま後ろへ飛び下がった。
 鬼はビリッと破いた着物の端を持ったまま、地面の中から顔を出す鬼はシュウウウウウと息を吐く。


((異能の鬼!!))


 いまだに出会ったことの無い鬼に二人は目を見開き、同じことを心の中で思った。


――“血鬼術”という特殊な術を使う鬼は異能の鬼。
 今後はそのような鬼とも戦うことになるだろう。


 そして、鱗滝の元を去る前に受けた助言を二人は思い出す。


「攫った女の人たちはどこにいる!!」
「っ、……」


 炭治郎は眉を吊り上げ、鬼に向かって問いかけた。
 やっと追いついた和巳はその場面を目撃し、ただ呆然としてはあはあと息を整えている。


「それから二つ聞く…」


 炭治郎が鬼に対して言葉を紡いでいたが、鬼はギリギリと歯ぎしりをしては最後まで聞くことなく、地面へと消えていった。
 ズズと潜り、どぷんとまるで、水の中にもぐるように。


(どれだけの人を喰ったんだ…あの鬼は……)


 静けさを取り戻した場。それでも、鬼の気配は消えることはない。
 藤はギリっと歯を食いしばった。


「和巳さん、この人を抱えてて傍に立っていてください」
「俺たちの間合いの内側なら守れます!」
「炭治郎、鬼に集中しろ。後ろは俺が守る」
「ああ!」


 藤はくるっと後ろを向き、追いかけてきた和己に気を失っている娘を預けるため、言葉をかけると彼は混乱しているのだろう。しかし、それでもこくりと頷き、攫われていた娘を横抱きする。
 炭治郎は正面を向きながら、和己を安心させようと声を上げて、話しかけた。
 藤もまた鞘から刀を抜き、二人の事を気を使わずにしていろとばかりに彼に言葉を投げかけると炭治郎は前を見て、ひとつ返事を返す。


(地面や壁なら多分どこからでも出て来られる)
(何もない空中からでも出てくる可能性もなくはない、か……)


 相手の血鬼術をちゃんと分かっていない二人。
 今のところ、地面からしか出てきていないが、最悪の状況を考えつつ、鬼がどこからやってくるかを考えを巡らせた。


(だけど、この鬼は潜っている間も匂いを消せない!!)
「炭治郎!来るぞ!!」


 クンともう一度匂いを嗅ぐ炭治郎は分かっていた。奴が地面に潜っていることを。
 藤は気配を感じとり、ハッしては炭治郎へ呼び掛けをする。


――水の呼吸 伍ノ型……


  それと同時に炭治郎は水の呼吸 伍ノ型の構えをし、呼吸を整えていたが。


(三人!!!)
(複数の鬼!?)


 突如目の前に現れた鬼は一人ではない。同じ顔の鬼が三人だ。
 それに衝撃を受けた炭治郎と藤は目を見張り、驚いた表情をする。


(落ち着け!やれる!!)


 炭治郎は内心、焦りを見せたが、落ち着かせ、自信を持たせるように自分自身に声を開けた。


――捌ノ型 滝壺!!


 そして、突然ではあったが、伍ノ型から捌ノ型へと型を変え、呼吸法を変える。
 水の呼吸 捌ノ型 滝壺 
 怒涛の勢いと共に上段から打ち下ろす。威力、攻撃範囲とも上位の技。
 その攻撃を鬼へとしたのだった。




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