二話






 私は前世の記憶というものを持ってる。
 たまにテレビとかで特集番組を組まれたりするあの前世のこと。
 自分には娘がいて、この名前で生きていたけれど、誰かに殺されたと幼い子供が衝撃発言するあれ。

 その記憶があることが当たり前だと思っていたけれど、それはどうも普通じゃないって知ってからはそのことに触れることは避けるようになった。
 けれど、不思議なもので。前世の記憶からか、わりかし器用に何でもこなせる。

 まあ、学も三味線も琴も碁も全て出来るようになって、一流とされる世界にいたからなんだけれど。

 私の前世は何かというと大正時代の吉原にいた太夫。いつの間にか随分高いくらいまで上り詰めたなって思う。なんたって、高級花魁なのだから。

 年季が明ける前に借金地獄から解放されて吉原の外に出てみたら、初恋の人にばったり再会。まるで、何かの物語の主人公になったかのようだった。
 でも、私の恋という花は実ることなく枯れた。初恋の人はもう結婚されていたから当然のこと。

 失恋を忘れるためにも音楽を奏でて生きたかったけれど、それが叶えられるほど甘くない時代だったから趣味にして。
 一からだったけれど、喫茶店を開き、女主人になった。

 それなりに幸せな日々を送り、好きな音楽を好きなときに奏でて女主人として切り盛りして。
 時の流れに身を任せて年を取り、初恋を忘れられることは出来ず、面倒を見ていた女の子たちに看取られた。なんだかんだ言いながら、笑って人生を終えたのが、過去の私の人生。

 そんな前世を持つ私は今でも音楽が好きで奏でる楽器を三味線や琴からギターに変えて歌を歌ってる。
 生まれ変わった私は周りに内緒で曲を作り、それを歌ってネット配信しているけれども、至って平凡な社会人です。

 ……今世でもまだあの時の初恋を忘れられず、恋をしていないけれど。


◇◇◇


 茜色をした空。太陽が沈もうとしているのだろう。建物は日に当たり、その色に染まっていた。

 毛先が桃色だが、ベースは黒の髪色を持つ女性はマンションの一室の前に立ち止まり、じっと見つめている。そして、壁側にあるインターフォンを人差し指で押した。

 ピンポーン。

 インターフォンの音が鳴り響くが、数秒経っても家主が出てくることはない。


(引っ越してきたのはいいんだけど……お隣さん、留守なのかしら)


 今日は土曜日。
 学生であればアルバイトをしているかもしれないし、友人と遊んでいるかもしれない。社会人だったら、シフトの仕事が入っているのかもしれないし、普通に休日を過ごすために出かけているだけかもしれない。

 それは彼女の預かり知らぬところ。ただ現在分かっているのは家を留守にしているということだけだ。

 女性眉を下げて困ったように頬に手を添えながら、首を傾げる。


「………あ、あの…」
「え?」


 そんな彼女の視界のすみに影が映った。その影はおずおずと現れ、戸惑ったような小さな声を発する。

 その声は女性の耳に届いたらしい。彼女は声のする方へと顔を向ければ、そこにいた人に驚き、目を見張った。


(ど、う…して……)


 女性の目に映る人物は蒲公英たんぽぽのような髪を持ち、眉尻が二股に分かれた太い垂れパッと見は端正な顔立ちだが、くまのある目元が陰鬱な印象を与えるスーツに身を包む男性だった。

 彼を見るや否や、彼女は瞳を大きく揺らしており、動揺しているのは明らかだ。

 その理由は何故か、前世の頃に恋した初恋の人にまた出会うなんて思いもしなかったから。それに尽きるからだろう。


「俺と結婚してくれるの!?」
「………は?」


 青年はつかつかと歩き、女性の元まで辿り着くと彼女の手を取り、ぎゅっと握り締めては興奮気味に声を出した。

 前世の初恋の人が目の前にいることに動揺していた女性だが、彼が言い出したその言葉に別の意味で固まってしまう。無理もない。出会って数秒、それで結婚の話が飛び出て来るなんて誰も思いもしないだろう。


「え、どこかで会った!?会いました!?やだ!めっちゃ美人さんじゃない!!一目惚れとかなのかな!?何それ!!めっちゃ嬉しいんですけど!?」
「…………」


 興奮が収まらない青年はぎゅっと掴んだ手を離すことなく顔を真っ赤に染めてマシンガンのように言葉を紡ぐ。それについていけないのか。彼女は黙ってその言葉を聞いていた。

 記憶にある一回目の初恋の人はこんなに騒がしい記憶が無いのだから、仕方ない。頭が混乱しているに違いない。


「……あ、あれ?だ、大丈夫?」
「…………あ、はい。大丈夫です」


 なんの反応もない女性の姿に我に返ったのか。彼はハッとしては眉を下げて彼女の顔を覗き込みながら、問いかけた。女性は茫然としていた意識をなんとか戻すと喉を震わせて返事をする。


「そっか、良かった」
「…………」


 安堵したようにほっと息を付いて笑みを浮かべる青年はぽつりと言葉を零した。

 それは前世で一度見た表情。
 蹲っていた彼女に声をかけた時と全く同じ表情。


(ああ、やっぱり彼だ)


 女性は心の中で初恋の人と同一人物だと改めて実感したようだ。

 まだ混乱が解けている訳でもないらしく、表情は茫然としていたが、遠く懐かしい思い出と同じ感覚に思わず、口角を上げる。


「……それで、どこで会いま……」
「すみません。あの、隣に引っ越してきた者でして……ご挨拶に伺っただけです」


 彼はキョトンとした顔をして言葉をかけるがそれは遮られてしまう。それはもちろん、彼女によって。

 女性は困ったような顔をして申し訳なさそうに謝罪をすると手に取っている引越挨拶の品を差し出した。


「そ、そおおおおだったのね!そうだったのね!!勘違いしてごめんなさいね!?俺は我妻善逸ですっ!!よろしくお願いしますっっ!!」
「ふふっ……私は都築桃花です。よろしくお願いしますね」


 自分の勘違い。

 それにやっと気が付いたのだろう。青年は顔を違う意味で真っ赤さにさせ、目を飛び出しながら慌てて謝罪と自己紹介を口にすると差し出された品を受け取った。

 コロコロと表情が変わる彼に笑みが零れたらしい。彼女は目を細め、自分の名を名乗り出して頭をぺこりと下げた。


「……君の声………」
「え……?」

 桃花が頭を上げると善逸はじっと彼女を見つめ、ポツリと呟く。彼のの発言に桃花はキョトンとした顔をして首を傾げる。


「聞いたことがある気がするんだけよね」
「………ど、どこでですか?」


 彼はうーんと唸って考え込みながら、言葉を続けた。

 どうして、そんなことを言うのだろうか。
 そんなことを思いつつも彼女はドクンと心臓を跳ねさせながら、ぎこちない笑みを浮かべて問いかける。

 聞いたことあるというのは前世なのかもしれない。それとも、ネット配信の方かもしれない。

 どちらの方を指しているのだろうと答えを待つ今の内心はドキドキしており、緊張で一杯だ。それでも綺麗な笑みを浮かべることは忘れない。

 前世に身に付けた技術が今世でも役に立っているのだから、ある意味捨てたものではないだろう。身に付けなければならない環境だったことを考えれば、複雑な心境だろうが。


「……んー……どこだったかなぁ……」
(前世ではなさそう)


 善逸はその問いかけに自信の顎に手を添えながら考え込み続けると桃花はその姿に静かにほっと息を付いた。

 彼女にとって最悪答えではなかったからだ。


「……覚えてないや、ごめんね」
「いいえ、大丈夫です。それでは失礼します」
「あ、うん……」


 どこまで首を傾げ続けるのだろう。

 それくらい首を傾けて唸る彼だが答えは一向に見つからないらしい。眉を八の字にして謝罪の言葉を口にした。

 彼女は首を横に振り、笑顔を向けて返事をすると軽く頭を下げるときびすを返し、彼の家の隣。建物の一番端に位置する自分の家の中へと入って行く。

 善逸はただその後姿を茫然と見守ることしか出来なかった。


「……どうして………今更、………また…会うの……」


 パタンとドアを閉め、ガチャと鍵を閉めると彼女は背中をドアに預ける。浮べて居た笑顔の仮面を外す桃花の表情は困惑そのものだった。

 前世結ばれずに初恋を散らした想い人。

 その人と今世で再会するなんて思いもしていなかったのだから当然と言えば当然だ。
 彼女はこうべを下げて苦しそうに、悲しそうに、小さな声で呟いたのだった。


◇◇◇


「……ただいまー……って言っても、誰もいないんだけだどさー」

 善逸は彼女の姿が消えると自分の家へと入り、鍵を閉めて靴を脱ぎながら誰もいない部屋に声をかける。それが空しいと感じるのか、表情は今にも泣きそうだ。


「休日なのに仕事とか最悪で署、何なの。あの上司…っ!俺を殺す気?ふざけんなよぉ……でも、新しく入って来たお隣さんに会えたから…まあ、いい気分で今日が終われそー……」


 ネクタイを緩め、眉間にシワを寄せながら、ブツブツと呟くその姿は社畜そのモノ。どうやら、休日出勤をさせられていたらしい。

 しかし、引っ越してきた隣人が綺麗な女性だということを知り、会話をすることが出来た事は今日一日の救いなのか。頬をほんのりと赤く色づければ緩い口調で一日の感想を紡いだ。


(すっごく綺麗で可愛い子だったなぁ……でも、)


 ネクタイとジャケットをソファに置き、キッチンへと足を向かわせる彼は第一印象を思い出しながら、冷蔵庫に辿り着くと扉を開けて缶ビールを手に持つ。カシャっとプルタブを上に上げ、口を開けるとグイッと飲んだ。

 ごくごくと喉を鳴らせ、苦みのあるビールで口の中を潤すとぷはっと気持ち良さそうに缶ビールから口を離す。


「……なんで悲しい音をさせてたんだろう」


 とても綺麗で可憐な人。

 そんな人が自分と顔を合わせた時に彼女から聞こえた音に疑問を持たずにはいられなかったのだろう。

 善逸は隣人を気にするように眉を下げて、ベランダから見える月に目をやったのだった。



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