五話






 どこにでもある大衆居酒屋。

 賑わいでいる店の隅っこにはヘタッと元気のない蒲公英たんぽぽが咲いていた。

 いや、蒲公英と言っても人間なのだが。


「なあ、たんじろぉ……」
「どうしたんだ?」


 善逸は頬をほんのり赤くさせ、生ビールの入ったジョッキを片手に机に頬を付けて弱々しく対面に座っている男の名前を呼ぶ。

 炭治郎と呼ばれた青年はそんなにアルコールを摂取していないのか、縁っている様子もなく、淡々と問いかけた。


「例えばよ?例えば……隣の家に住んでるってだけで隣の隣人が倒れてたら拾う?そんでもって看護してご飯作ったりしちゃう?」
「……隣に住んでいる人によるんじゃないか?」


 善逸は眉を寄せて困惑した顔をしたまま、机から頬を離すと今度は顎を机に乗せ、じっと彼を見つめながら質問をする。

 唐突の問いに理解出来ないのか。炭治郎は眉間にシワを寄せて考え込むとコテンと首を傾げた。


「はい!出た!正論……!!正論すぎる!!」
「……拾われたのか?」


 確かに彼の言う通だ。全く隣人の詳細なく漠然と問われて返せる言葉と云えるだろう。

 しかし、今の善逸に欲しいのはそんな言葉ではない。“YES”か“NO”だ。
 いや、“YES”が欲しいだけかもしれないが、それは彼のみぞ知ること。

 善逸は彼の言葉にガバッと上半身を起き上がらせ、髪をくしゃくしゃに掻きながら、大声を上げた。

 炭治郎は少し呆れたように深く息を吐き出すと困った顔をしてはっきりと聞く。


「なんでそうなるの!?」
「静かにしてくれ、他の人の迷惑になるだろ」


 率直に聞かれるとは思わなかったようだ。
 例え話をしていたのだから、無理もない半のかもしれない。

 善逸は目を大きく見開き、机に両手を乗せてバンッという音を立て、立ち上がりながら問いかけ返した。
 しかし、その音と声が大きかった。それはもう非常に。
 周りの客……いや、店員からも睨みつけられているのが何よりもの証拠だ。

 炭治郎は慌てて彼を落ち着かせようと自身の口元に人差し指を添えて、しーっと言いながら注意をする。


「ごめんなさい!!ごめんなさいね!?」
「全く……なんでって俺が匂いで分かるの知ってるだろう?」
「あー!はいはい!!炭治郎はそういうやつだ!そうだった!!」


 口に手を突っ込んで大きな声で謝罪をする辺り、善逸らしいと言えばらしいのだが、縁っていることが目に見えて分かるようだ。周りの人間も先程の謝罪でよしとしたようで また自分たちの世界へと戻って行く。
 その様子に炭治郎はほっと息を付くと話を戻し、眉を下げて言葉を口にした。

 分かっていたはずだろうにもう感情だけで口走っているのか。善逸は椅子に座り、焼き鳥を一本取って乱暴に口へと運ぶ。


「優しい人じゃないか、看病してくれたんだろう?」
「そう!そうなの!まだ一回しか合ってなかったのに倒れた俺を自分の家に入れてさ、ご飯まで作ってくれて……」


 炭治郎は目を細めて嬉しそうに口角を上げれば、聞き返した。
 善逸はこくこくと大げさに首を縦に振れば、ピタッと動きを止めてぼーっと机を見つめながら、ポツリポツリと呟く。

 この男、酔っぱらいすぎて声のボリュームを調節が出来ていないのか、だんだん語尾が聞こえにくくなっていた。


「……その人、女の人なのか?」
「うん」


 彼の声がちゃんと耳に届いていないとしても、スンっと鼻から息を吸えば、酒と食べ物、煙草のにおいに紛れて好意の匂いがすることに気が付いたらしい。それが誰に向けているものなのかも。

 炭治郎はキョトンとした顔をして問いかければ、善逸は拗ねた子供のようにコクリと頷く。


「そうか……好きなのかぁ」
「お前はなーんでそうテンポが早いのよ!?すっ飛ばしすぎでしょ!!」


 ウルウルと瞳を揺らしながら、頷く彼に炭治郎は腑に落ちたようだ。納得したように視線を上に向け、ジョッキに手をかけてコクコクト喉を潤す。

 しかし、当の本人は自ら口にしていないのに勝手に察すられて恥ずかしいのか、ぐいぐいと自分のペースで話を進める彼が恨めしいのか、それは分からないがわなわなと肩を震わせてツッコミを入れた。


「でも、好きなんだろう?」
「あーもう!そうだよ!!そう!!あんな綺麗で可愛い人にかいがいしく面倒見られたら、誰だって好きになるでしょ!?」


 ジョッキから口を離すと炭治郎はニコッと人の良さそうな笑顔を浮べて問いかける。それはもう確信ある質問とも言えよう。

 先ほどからサクサクと話を進めて行く彼に気持ちが追いつかないのか。善逸はまた髪がボサボサになるほどにクシャクシャとかき乱し、目を充血させて訴えかけた。


「う、うん……まあ、そうだな?」
「あれから一月経つけどたまに一緒に食べたりしてるし、営業が偏ってるかもって作り置きのご飯作ってくれて、それがもう美味しいの!それに下の名前で呼び合ってる!!もう付き合ってもいいんじゃない!?って思っちゃうわけよ!!」


 必死な姿は炭治郎にとって威圧的に感じたのか、何度もパチパチと瞬きをすると戸惑った表情を浮べて同意を示す。

 彼の声は善逸に届いているのか、否か。

 届いてはいるだろう。
 彼は尋常じゃない程に耳が良い。だが、それよりも自分の感情を爆発させる方を重視したようだ。頭を抱えてマシンガンのように思っていることを口にする。


「「…………」」


 全てを聞き終えた炭治郎はぽかんとした顔をしていたが、目の前に出ている焼き鳥に手を伸ばして一つ口に入れれば、咀嚼しながら考え込んだ。

 善逸もまた彼の答えを待っているらしい。ジト目で炭治郎を見つめ続ける。


「……でも、倒れたのがきっかけだったとしてもそこまで尽くす女性がいるんだなぁ」
「俺もびっくりしたよ……だってさ、初めて会った時にやらかしたしさぁ……引かれてもおかしくないし……」


 炭治郎はごっくんと咀嚼していた物を飲み込めば、不思議そうにぽつりと呟いた。

 彼の言う通り、隣人が倒れていたら助けるまではするだろう。しかし、食事を用意して尚且つ、助けたその後の食事まで面倒を見るなんて普通はない。

 それは善逸も分かっているようだ。コクリと頷いて力なく言葉を零せば、生ビールを口へと運ぶ。


「それはいつものことだけど、それで逃げない人も珍しいな」
「多分俺のこと……好いてくれてると思うんだよね」


 炭治郎は眉を八の字にして穏やかに笑みを浮かべながら、言葉を返した。

 一応言っておくが、この男。悪意はない。
 素直に思ったことを言っているだけ。

 普段なら、怒りを爆発させて反論をするだろう善逸だが、その元気もなくなったのか。ぱたりと机にうつ伏せになりながら、小さな声でぽつりと零す。


「善逸…………寝言か?」
「なあああああんでそーなんだよ!!今お前の前にいる俺は寝てるわけ!?ねぇ!?バッチリ目開いてるからな!?怒るよ!?ねぇ!!怒っていいよな!?」


 善逸がその隣人の女性を好きなのは分かるが、好意を寄せられていると発言したことは予想外だったらしい。炭治郎は彼の顔をじっと見つめて名前を呼び、真剣な顔をして心配そうに問いかけた。

 瞳を見れば、恐らく本気の疑問といって良いだろう。
 真面目な彼からの言葉に本気度が窺えたのだろうか、善逸は無駄にも身体に力を入れて叫び、喚き続ける。


「あはは、すまない……でも、そう言う音がするんだよな?」
「うん……でもさ、俺を見るといつも悲しそうな音がするんだ」


 炭治郎はどこまでもおおらかだ。叫び怒りをぶつけられても笑顔で受け流す。

 それは善逸という人間を分かっているからかもしれない。彼が首を傾げれば、善逸は落ち着きを取り戻したように首を縦に振って肩を落とし、寂しそうに紡いだ。


「悲しい音?」
「うん、恋の音もするんだけど、優しくて暖かいんだけど…悲しんでいるような……切ない音……ヒック……」


 聞こえてきた音が恋の音ではなく、悲しい音。

 それが意外だったのか、炭治郎はキョトンとした顔をして問いかける。

 善逸は身体の芯を失ったかのようにヘナヘナと机にまたうつ伏せになり、ぽつりぽつりと語り出した。
 酒が回っているのか、しゃっくりまでし始めている。


「……どうしてするんだろうなぁ」
「俺が聞いてんだから分かるわけないじゃん……ヒック…」


 悲しい音をさせる理由が炭治郎も分からないのだろう。無理もない。彼は噂の隣人に会ったことがないのだから。

 それが分かっているのか、否か。もうすでに頭が回っていない。それが最適解かもしれない。善逸はウトウトと重い瞼を無理矢理上げながら、答えた。


「善逸、飲みすぎじゃないか……って。寝てる……」
「……桃花ちゃあん……」


 炭治郎は流石に酒を飲むのを止めようとしたが、もう目を閉じて深い眠りに入っている姿に肩の力を抜く。そんな彼の心情をしらぬまま、善逸はスースーと規則正しい寝息を立て、幸せそうに噂の隣人の名前を呼んだ。


「仕方ない……送っていくか」


 夢にまで出る程、善逸が好きな人なんだろう。

 それが伝わって来るらしい。炭治郎はまるで弟を見るように慈愛に溢れた瞳で見つめて頭を撫でると会計を済ませようと席を外したのだった。



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