六話






(音が気に入らなくて何度も取り直してたら、遅くなっちゃった……)


 外灯が煌々と光る中、急ぎ足で帰路に着く桃花。
 彼女はギターを背負いながら、腕時計で時刻を確認するともう時計の針は22時を指していた。


「……」


 マンションの入り口に近づけば、赤を混ぜたような黒髪を持つ、額の痣が印象的な男性が誰か背負っているのが見える。

 その背負われている人物に見覚えがあるのか、桃花は何度か瞬きをしてじっと見つめながら、足を一歩ずつ進めた。


「……こんばんは」
「こ、こんばんは……えっと……善逸さん、もしかして……倒れちゃったんですか?」


 彼女の視線に気が付いたらしい。男性はそちらへと顔を向けると優しそうな目を向け、声をかけた。

 声をかけられるとは思っていなかったのだろう。桃花はドキッと心臓を跳ねさせれば、慌てて返事をするとくてっとして彼の背中に全身を預けている善逸に視線を送る。


(この子が……)


 彼女からは心配の匂いがするのか。善逸の話を聞いていた男性はすぐに点と点を結び付けられたらしい。噂の隣人はこの子だと悟ったようだ。


「大丈夫です。飲みすぎて眠ってるだけですから」
「それなら良かったです」


 彼は安心させようと柔らかい声音で伝えると彼女は安堵の息を零し、胸を下す。


「あなたは……」
「私は善逸さんの隣人で、都築桃花といいます」
「俺は善逸の友人で竈門炭治郎です!」


 本当に良い人なんだな。

 善逸から話は聞いていたから十分に分かっていただろうが、聞くのと実際見るのはまた違うからかもしれない。炭治郎は彼女に名前を聞こうとすれば、それを察したようだ。桃花は自己紹介をするとペコッと頭を下げた。

 丁寧な対応に彼もまた自己紹介を返すと上半身を使ってお辞儀をする。背中に乗っている善逸のバランスが崩れそうになると、おっとっと逝って背負い直した。


「「…………」」


 沈黙が続き、気まずくなったのだろう。二人は顔を見合わせて、口を閉ざす。


「えっと……では、失礼しますね」
「あ、あの……!」
「はい…」


 待ってもどちらも言葉を発さない。この状況を打ち破ったのは彼女の方だった。困ったように眉を八の字にして軽く会釈すれば、そそくさとロビーの方へと歩き出そうとする。

 行ってしまう。

 そう思った炭治郎は慌てたように声をかけれると桃花はその声に足をピタッと止め、くるっと振り向いた。


「この後、時間ありますか!?」
「……はい?」

 彼は真剣な顔をして問いかける。しかし、それは今しがた知り合った女性に聞くものではなかった。

 予想外の言葉に桃花は眉間にシワを寄せて強張った声音で聞き返す。聞き間違いじゃないかと言わんばかりに。

 彼女の対応は当然と言えば、当然と言えるものだろう。


「あなたに聞きたいことがあるんです!」
「……近くの居酒屋でいいですか?」
「はい!じゃ、善逸を置いてきますね」


 竈門炭治郎という男は決めるとテコでも譲らない。ぐいっと顔を近づけて真面目に頼み込むと桃花は顔を引き吊らせつつも、渋々承諾をした。

 断っても首を縦に振るまで言われ続けると感じたからかもしれない。OKを貰った彼は、ぱあっと明るい顔を見せるとよいしょと善逸を背負い直した。


「……手伝いましょうか?」
「ありがとう!」


 炭治郎は両手が塞がっている。ついでに善逸の家は彼女の隣の家だ。そして、桃花も背負っているギターを家にいったん置いて行きたいと思っているからだろう。

 全てを加味して出た言葉だったようだが、彼は本当の意味で善人らしい。ニコッと笑みを浮かべてお礼を口にすると二入で協力して善逸の家の前へと向かった。


◇◇◇


 居酒屋……と言っても、善逸と炭治郎がいた場所とは違い、知る人のみぞ知るようなこじんまりとした場所。


「じゃあ、乾杯」
「か、乾杯……」


 雰囲気はとても柔らかく居心地が良い。二人の男女はグラスを持って乾杯すれば、一旦喉を潤した。


「聞きたいことってなんですか?」


 コトッと静かにテーブルにグラスを置けば、桃花は様子を伺うような目を向けて問いかける。
 仲良くしている隣人の友人だとしても初めて会う人だ。ましてや男。警戒するのも無理はない。


「……善逸のことが好きですか!」


 彼は一瞬、聞こうか聞かまいか悩んだのか。視線を泳がすが、ふぅと息を吐き出すとじっと彼女を見つめて直球的に本題に入った。


「……………」
「どうなんですか?」


 思いも寄らない質問に桃花は他所行きの笑顔をピシリと固めて無言になる。しかし、炭治郎はそんな様子を気にせずに……いや、気が付かずにもう一度訪ねた。


「……それをあなたに答える必要はありますか?」
「ありません!でも、聞きたかったんです!」


 聞き間違えかな?

 そんな現実逃避も一瞬で終わり、もう一度行ってくる彼に肩の力を抜き、刺々しく問い返す。

 彼女の対応は当然のことだ。初対面の人間に聞かれて答えられるような問題ではない。
 だが、炭治郎はどこまでいっても炭治郎だ。真面目と素直と誠実の権化。

 はっきりとそれに否と答えるが、それでも知りたいという思いを伝えた。


「……どうして好きだと思ったんですか?」
「匂いでわかるんです、俺……」


 埒が明かない。

 それを早急に気が付いたらしい。桃花は頭が痛そうに眉間にシワを寄せて苛立った声音で聞き返せば、彼は困ったような笑みを浮かべて答えた。


「匂いで……分かる?」
「はい。あなたからは善逸への好意を感じました」


 分かる。

 彼が発した言葉がまるで正解のように聞こえる。
 いや、その解釈は正しいのかもしれない。

 断言する炭治郎に違和感を覚えたのか、桃花はじっと見つめながら首を傾げた。彼は首を縦に振って迷いのない目を向け、もう一度告げる。


「…………私が、善逸さん、を?」
「気が付いていないんですか?」


 目が覚めるような言葉に彼女は目を大きく開けてぽつりと零した。それはまるで自覚が無かったと言わんばかりに。

 自覚が無いとは露にも思わなかったのだろう。炭治郎もまた驚いたようにパチパチと瞬きをして小首をかしげる。


「…………それは本当にですか?」
「え……?」


 疑心からなのか、彼女は質問に答えることなく、あり得ないと言わんばかりの声音で呟いた。

 素直にその言葉を受け取れば、肯定意外の答えはないはずだ。しかし、桃花の疑問は含みのあるものに聞こえたのか、今度は彼が戸惑う番だった。


「……いえ、なんでもありません」
「…………俺は都築さんからそういう匂いがしました」


 前世、善逸に恋していたことを誰にも言っていないのだから、知るはずもないことは分かっていたはずなのに、それでもそう聞き返してしまいたくなるくらい動揺していたらしい。

 炭治郎が自分の意図を分かっていないことを理解すれば、ふっと自嘲するように笑って首を横に振った。

 彼にはその表情がとても悲しく寂しいものに見えたのかもしれない。まるで、自分のことのように悲しそうな顔をしては感じたことを素直に伝えた。


(前世の私じゃなくて、都築桃花今のわたし……?)


 言い淀むこともなく、誤魔化すこともない。清々しいほど事実であるとばかりに言われた言葉は桃花の鼓動を早めた。

 その鼓動がやけにうるさく感じたのか、静まれとばかりに自信の胸にそっと手を添えながら言葉を心の中で反芻はんすうさせる。


「私には……わかりません」
(……本当に?……いや、それは俺が暴くことじゃない)


 彼女は自分に問いかけても答えは出てくることはなかったようだ。困ったように視線をテーブルに向けると今の自分に言える言葉を口にする。

 そんな桃花に炭治郎は息を吐き出しながら、肩の力を抜いてじっと見つめた。本当はもう一度、問いかけたいかもしれないが、別に彼女を追い詰めたいわけではない。だからこそ、言葉を飲み込んだのだろう。


「でも、善逸さんと付き合うことはきっとありません」
「……」


 下を向いている彼女はどんな顔をしているのかは彼には分からない。でも、桃花から発せられた言葉に動揺せざるを得なかった。これでもかというほど大きく目を開くが、思っても見ない言葉に声が出ないらしい。ぽかんと口を開いていた。


「…………私は……彼と縁がないと思うので」
「どう、して……?」


 彼女は開けていた口を一度閉じ、唇を噛みしめて鼻から息を吸うとゆっくり顔を上げて言葉にする。

 彼は無理矢理声帯を震わせて言葉を絞り出した。理由があるとするならば、桃花の表情。全てを諦めてしまった人間の顔だったからだ。


「……私は、……朽ちた花だからです」
「…………」


 居酒屋に入った時のハキハキとした声とは違って弱々しい声に不思議に思ったのだろう。彼女はふっと笑みを零して力なく返答する。

 スンッと嗅ぐと複雑な匂いに憂いの色を見せる炭治郎は今にも泣きそうな顔をして笑う桃花にそれ以上、突っ込んで聞くことは出来なかった。



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