八話






 もう夜も行け、月はてっぺんへと上り詰めている。しかし、夜が訪れようと街の明かりは煌々とついているから、人々は暗さを感じていなかった。


「ひぃ……もぉ……ヘロヘロだよぉ……今日は桃花ちゃんも仕事遅くなるからって会えないんだよなぁ……」
「善逸さん?」


 最寄駅からは人がまばらに出ている中、一等目立つ髪色をした蒲公英男が駅から出てくる。
 彼は口から魂を出しながら、ゆらりゆらりと一歩ずつ歩き進めていた。カクっと頭を下げて非常に残念そうに深いため息を付き、腕をだらんと垂れ下げて背中を丸めている姿はもはやゾンビと言ってもいいかもしれない。
 これぞ、まさしく社畜の境地なのだろう。

 平日の唯一の癒しと会えないことは心をひもじくさせたのか。目じりに涙を浮べて弱々しく呟くと後ろから女性の声が聞こえた。それも彼の名前を呼ぶもの。


「んあ?……あ、禰豆子ちゃん!」
「こんな遅い時間まで働いていたんですか?」
「そおおおなんだよおおおお、もううちの会社馬鹿なんだよ!!おかげでいつも終電ギリギリだったりなんだけどさ!!てか、なんで禰豆子ちゃんがこんな時間に出歩いてるの!?危ないじゃん!?」


 ここ最近自分を呼ぶ声ではない。
 でも、聞き覚えのある声に力なく振り返れば、そこには長い髪を数か所部分的に結び、額を出した女性が立っていた。

 それが善逸の気力を立ち直らさせたのか、正気に戻って彼女の名前を呼ぶと禰豆子はてててと可愛らしく近寄って来ては首を傾げる。

 疲れて声を出すのも辛いような様子はどこへやら。彼は身体をプルプルと震わせ、ブラック企業である自身の会社の恨み言を吐き出すと今度はその矛先を彼女に向けた。

 そう、今は十二時をすぎてもう少しで夜中の一時になろうとしている。うらわかき女性が一人で出歩いているのは危険な時刻だ。話は大分ずれているが、禰豆子を心配して思いやっての言葉だった。


「友達と青んでたら遅くなっちゃって……」
「そうだったんだぁ……あ、じゃあ、送ってくよ」


 大げさだと感じているのか、それとももう既に兄に言われたのか。それは分からないが、彼女は眉を下げて誤魔化すように笑えば、遅くなった理由を口にする。

 善逸も炭治郎と長々と遊んで遅くなった学生時代を思い出したのか、気持ちが分かるのだろう。怒りはせずに納得を示すと思いついたように禰豆子の隣に並んで笑顔を見せた。


「え、悪いですから大丈夫ですよ」
「こんなかわいい子が遅くまで外にいたら、変態に捕まっちゃうよ!?怖いし危ないよ!?」
「ふふふっ、……ありがとうございます」


 彼が社畜の如く働いていることは兄から聞いているのか、彼女は慌てたように顔の前で両手を振って断るが、善逸は引くことを知らない。

 眉を吊り上げて眉間にシワを寄せながら、脅すように説得すると禰豆子はその表情が面白く感じたようだ。ぷっと吹き出して笑うと口元に手を添えて肩を上下にさせれば、善逸の厚意を受け入れる。


「あ、そういえばまだ炭治郎って起きてるかな」
「この時間だとお兄ちゃんは仕込み中だと思うから起きてると思いますよ」


 彼は外灯であまり綺麗に見えない星空を見上げれば、思い出したかのように聞くと彼女は顎に人差し指を添えて空を見上げながら答えた。
 どうやら、話題の人物は起きているらしい。


「そっか」
「何かあったんですか?」


 彼はまだ起きているという言葉に胸を下ろし、目を細めると禰豆子はキョトンとした顔をして首を傾げた。夜中と言っていいこの時間であっても兄に会いたいという理由が思いつかなかったからかもしれない。


「ん〜……気になってる子がいてね。そのこと炭治郎が話をしたって聞いて……」
「お兄ちゃんが?」


 善逸は少し恥ずかしそうに頬を赤く染めて、ぽりぽりと人差し指で頬を掻きながら答える。

 そう、彼が気になっているのは酔って眠った日に炭治郎と気になっている隣人が居酒屋で飲みに行ったことだ。そこでどんな話を繰り広げられたのか、膨大な仕事を処理しながら、今日一日気になっていたらしい。

 まさか、自分の兄がそんなことになっているということに驚いたのだろう。禰豆子はぱちぱちと瞬きをして問い返した。


「うん、どんな話をしたかは教えてもらえなかったから炭治郎に聞こうと思って」
「……気になってるというより、好きなんですね。その人のこと」


 善逸はこくっと頷き、寂しそうに笑って言葉を紡ぐ。
 彼女はその表情で悟ったようだ。ふわっと柔らかく微笑むと優しい声音で言う。それは彼の心をわざと言葉にして形にするように。


「うえ!?」
「善逸さん、どことなく表情が柔らかいから」
「そ、うかな……あはは…でも、そうだね。うん……好きなんだ。その子のことが」


 自分で言葉にするのと他人……しかも、女の子に言われるのは何か違うのか。彼は驚いたように目を大きく開けて顔を真っ赤にさせた。

 禰豆子はまた笑う。それは自分の兄弟の恋バナを聞いているように。そして、慈愛に満ちた目で見つめて小首を捻った。

 禰豆子ちゃんには敵わないなぁ。

 心の中でそう零して声を出して笑えば、善逸は自分の気持ちを素直に認める。


「思いが伝わるといいですね」
「あはは、ありがとう」


 それは気持ちが良いほど、純粋な思いなのだろう。彼女は嬉しそうに応援すれば、ニコッと笑顔を返した。


「ただいまー」
「あ、おかえり!禰豆子……と善逸?」


 駅から話をしながら帰っていたせいか、竈門家に着くのはあっという間。
 “かまどベーカリー”と書かれた店の前に着くと禰豆子は“CLOSE”と書かれた看板が掛けられている扉を引い智慧帰宅を知らせる挨拶をすれば、残ったパンを運んでいる炭治郎が出向えた。

 しかし、妹の後ろにいる人物が意外だったらしい。きょとんとした顔をして友人の顔を見つめた。


「たまたま駅であってね、送ってくれたのよ」
「そうだったのか、ありがとう!善逸!」


 てててと兄へ近寄ると彼女は柔らかい笑みを浮かべて善逸がここに来ることになった理由を告げれば、炭治郎もまた明るい笑顔を見せ、嬉しそうにお礼を口にする。

 やはり兄妹だ。
 笑った顔がどことなく似ている。


「夜遅くに女の子が出歩いてるのは危ないからさ」
「私、上がるね。善逸さん、ありがとうございました。おやすみなさい!」
「うん、おやすみ〜」


 友人たちと会ってだんだん気力が回復してきているのか、禰豆子に会う前よりは元気そうな顔をしている彼は照れたように言葉を返した。禰豆子は善逸がついでに炭治郎に会いに来ているということを思い出したらしい。
 とんとんと兄の肩を叩いて声をかければ、銭ツにペコッと頭を下げてお礼を口にした。

 全ての動作が可愛らしく見えるんだろう。
 だらしない顔をした彼は手を振りながら、挨拶を返すと彼女は背中を向けつつも顔だけ善逸と炭治郎の方へと向けながら手を振って家の中へと入って行く。


「……善逸、何か怒ってるのか?」
「ああ、怒ってるよ……なんで桃花ちゃんと飲みに行ったんだよ……俺だって行ったことないのに……!!」


 妹の背中を見送り終われば、炭治郎はキョトンとした顔をして隣にいる友人に問いかけた。声をかけられた善逸は笑顔の仮面を張り付けたまま答える。

 どうやら、彼は炭治郎の言う通り、怒っているようだ。ふつふつと我慢していた怒りを込み上げて唸るようにだんだんと声を大きくして感情を爆発させる。

「ああ!あれは都築さんが善逸のことが好きか気になって聞くために居酒屋に行ったんだ」
「…………………………………」


 問われたことに思い出したらしい。真剣な顔をして返答をする彼に善逸は肩を落とし、この世の終わりを見たかのような顔を炭治郎に向けた。


「善逸?」
「何してくれてんだよ!?何してくれちゃってんの!?俺の心をズッタズッタに引き裂きたいの!!?」


 固まったたように微動だにしない彼からは絶望の匂いがするのだろう。心配そうに顔を覗き込めば、善逸は充血した目から涙を流してガシット彼の胸ぐらを掴み、ゆさゆさと揺さぶりながら、叫び続ける。


「す、すまない……善逸が言っていたように俺にも彼女から善逸への好意の匂いがしたから聞いただけなんだ」
「……それでなんて言ってたんだよ」


 やっぱり余計なお世話だったか。
 そう思いながら謝罪をするが、どうやら善逸が酔っぱらって不安そうに話していたことを確認したかったようだ。

 善逸もまた分かっている。
 自分のことを思っての行動だということが。

 ただ、直球勝負に出る彼が信じられないからこそ、怒りをぶつけたくなるのも事実なのかもしれない。一度吐いた文句に怒りが収まったのか、善逸はふぅ、と息を深く吐き出すとジト目で炭治郎を見ながら、ぽつりと呟く。
 文句は言っても同返答が返ってきたのかは気にはなるらしい。


「自分の気持ちにきがついてなさそうだった」
「……」


 炭治郎は眉を下げて答えれば、善逸は目を細めて胸ぐらを掴んでいた手の力を緩めて力なく落とす。


「あと……善逸と付き合うことはきっとないって……」
「それって俺、振られたって事……?」


 言うか、言わないか。悩むように口をパクパクと開ければ、炭治郎は意を決したような顔をして正直に話した。

 頭が真っ白。

 きっと善逸の脳内を表現するならば、それが一番妥当な表現かもしれない。声を小刻みに震わせながら、弱々しく問う。


「……諦めの匂いがした」
「諦め……?」


 やっぱり言わない方あ彼のためだったかと少し後悔をしながらも、炭治郎は前日対峙した桃花の表情を脳裏に浮かべてぽつりと零した。

 振った、振られた。

 この二つではない答えに善逸はキョトンとした顔をして眉を寄せる。


「なあ、善逸」
「なんだよ」


 炭治郎もまた彼女の意図を汲み取ることは出来なかったのだろう。すぅと息を吸い込んで名前を呼べば、善逸は拗ねたように返事をした。


「朽ちた花だから……ってどういう意味だと思う?」
「何だよ、それ……桃花ちゃんが言ってたの?」


 意味深な言葉に眉を八の字にさせて問いかけるが、初めて聞いた彼もまた理解が出来ないらしい。眉間にシワを寄せて疑問を投げかけた。


「ああ、今にも泣きそうな顔をして言ってた……何か知ってるか?」
「……」


 炭治郎はこくっと頷いて心配そうな顔をして伝えれば、首を傾げる。
 直接聞いた炭治郎が分からないなら、自分に分かるはずがない。
 そう言わんばかりに、善逸は無言で首を横に振った。


「……もし、彼女のことが好きなら、すれ違う前に気持ちを素直に伝える方がいいんじゃないか?」
「それで俺が振られたらどーしてくれんだよ」


 相手の出方を見るよりも気持ちを伝える方を優先した方がいい。
 それが炭治郎の出した結論なのだろうが、大した恋愛経験のない男からのアドバイスに善逸は辛辣な目を向けて低い声で反論した。


「……振られることはないと思うぞ」


 自分に恋の音をさせていると言っていたのに何故、まだ自信を持てずに振られる可能性を気にしているんだろうか。

 呆れた顔をして首を軽く傾ければ、炭治郎の付いている花札のような飾りのピアスがカランと言う音を鳴らす。


「それで振られたら、一生恨むからな!?俺を養えよ!?」
「それは断る!」
「いいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいやああああああああああああああああああああ……!!」


 善逸はキッとさらに鋭く睨みつければ、喰ってかかる勢いで無謀なことを口にした。

 彼と似て匂いで人の気持ちが分かる炭治郎のお墨付きをもらってもまだ地震などという目に見えないモノは持てないらしい。しかし、炭治郎はそこまでは面倒を見れないと思ったのだろう。

 きっぱりはっきりと断れば、善逸の断末魔が響き渡ったのだった。



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