九話






注意

大分ぬるく一瞬の表現になりますが、御相手ではない裏を匂わす表現があります。
苦手な方はバック推奨致します。





 深い闇夜。

 桃花がゆっくりと目を開けるとそこには見慣れない天井が目に入った。いや、“見慣れていない”という言葉は不適格な言葉かもしれない。

 遠い昔、見慣れていた・・・・・・天井。これが最適解だろう。


「…………」


 うっすらとろうそくの先が目に淵に入った。
 違和感があるはずなのにそれすら疑問に思わないのか、彼女は茫然とただ目にはいる者をすべて受け入れている。


「っ、……!」


 だが、自分の身体を這う何かを理解すると表情が変わった。自分の状況に理解したらしい。ろうそくの光と言っても大した明かりはない。感じる男の影に身体をまさぐられ、首筋を舐められる感触に栗毛立たせた。


(もう私は前世の私おいらんじゃない……!年季は終わったじゃない!!)


 身体の細胞が全てを拒絶している。それに吐き気を催しながら、必死に抵抗を続けていた。

 蕨姫花魁から助けてくれた男子おのこに恋をした日から地獄を味わい続けていた彼女。それでも、借金が終わるまでなんとか心を保ち、解放されたのにも関わらず、同じ目に合っている現実に絶望し、十寸ほど開かれた襖の先に手を伸ばした。


「いや、……嫌…!助けて……っ、……善逸さん!!」


 抗えば抗うほど、嬉々とした男の声が聞こえる。目に一杯の涙を溜めて必死にその部屋から出ようと這うが、男の力に敵うことはない。

 鍛えた女性じゃないのだから当然だろう。床へと身体を縫い付けられ、逃げることを許さなかった。

 トラウマとなっている行為をこれからされる。

 そのことに顔を真っ青にさせてボロボロと涙を流しながら、心を求めている人の名を叫んで必死に手を伸ばし続けた。


「……」
「!!」


 十寸ほど開かれた襖の向こうには高い位置で結び、着物を着ているいつかの彼の姿。彼女はその姿にどれだけの希望を抱いただろう。

 きっと助けてくれる。

 そう思って大きな瞳からポロッと涙を流し、口角を上げた。


「やっぱり君は運命の人じゃなかったんだ。ごめんね」
「!!」


 しかし、彼から発せられたものは桃花が望んでいるものでは決してない。冷たい目、言葉は柔らかいけれど声音にどこか鋭さがあった。

 いつもに疲れ切っている顔か、ニコニコしている顔しか見たことがない彼女はそれに愕然とする。

 彼で遮られて見えないが、善逸の隣に女性がいることだけは分かっていた。彼はその女性の肩を持って去って行ってしまったことに桃花はツーッと涙を一粒落とす。


「はあ……はあ……はあ……っ、……ゆ………………………め…………」


 絶望の淵にいた彼女は呼吸することを忘れていたのだろう。ガバッと上体を起こして肩を上下に動かしながら、息を吸った。額はジワリと汗を滲ませ、心臓をバクバクと早く刻み続ける。

 ベッドから出ることなく、顔を横に向けてみるのは姿見だ。そこにいるのは長く長く美しく髪を伸ばしていた頃とは違うセミロングの自分自身。

 やっと理解したようだ。
 全ては夢だということに。


「大丈夫……もう大正時代じゃない……私は花魁でもない……普通の社会人……」


 安堵の息を零しても嫌悪感は消えないらしい。手が震えて収まる気配がない。彼女は泣きそうな声で震える手をもう片方の手で掴み、自分に言い聞かせ続けた。


「大丈夫…………大丈夫……私はもう、花を売ってない…………」


 深くゆっくり息を吐き出し、語尾を強めて自分に言葉をかける。

 もう花魁でもなく、平安な時代に生まれた自分はもう自由に職種を選び、まっとうに生きてる人間だと。


「全部前世の話……今と違う……………」


 段々と張り詰めていた糸が緩んできたのか、怯えていた心が落ち着いてきて呼吸することが出来るようになったらしい。

 おかげで震えていた手もいつの間にか止まっていた。


(きっと昨日…最寄り駅で見かけたのが原因、かな……とても仲良さそうな可愛らしい人だったな)


 どうやら彼女は昨夜、善逸と同じ時間帯に最寄り駅にいたらしく、彼の姿を見かけたのだろう。
 だが、善逸の笑顔の先を見てしまった桃花は声をかけることも出来ずに足を竦ませたようだ。


「あーあ……やっぱり…………私はあの人と結ばれないんだよ…」


 力なく手を下すと掛け布団にボタボタッと雫が落ちる。今日見た夢で蔑むような目を向けられたことに心を痛めたのかもしれない。たとえそれが前世の姿の幻影だったとしても。

 自覚させられた恋慕を認めつつある桃花にとっては残酷すぎる夢でしかない。力なく自分に納得させるように呟いた。


「やっぱり……私は生まれ変わっても朽ちた花のまま…」


 ポタポタと滴り落ちるそれに目もくれず、光を失った瞳で茫然とどこか見つめる。

 前世と今は違うと口では言っても、その過去が今の自分のモノのように感じてしまうのか。引き摺られた感情のまま、朽ちた花と卑下するのは全てを諦めれるように自分への言い訳なのかもしれない。


「どうして……こんな記憶を持って生まれてきちゃったの……」


 血が出てしまうのではないかと思うくらい唇を噛みしめ、喉から振り絞るように声を出した。


(もし、もし持ってなかったら……善逸さんに……普通に恋できたのに…………)


 ぎゅっと目を瞑って眉間にシワを寄せながら、彼女は切実に願う。
 前世という足枷がなかったら、と。


◇◇◇


 朝、散々夢に泣かされていた桃花の目元は腫れていた。それはどんなにメイクで誤魔化しても微かにその跡は消えずにいる。

 時が経つのはあっと言うまで日は沈み、現在はもう夜だ。

 気が重そうにコツコツとヒールの音を鳴らしながら、歩いていると後ろから微かに足音が聞こえてくる。


「……」


 悪夢を見たせいか、それは女性の出も子供のでもなく、男性のものに聞こえてしまっているのだろう。彼女は身体を強張らせて、ごくりと固唾を飲み込むと足の速度を速めた。

 しかし、男と女の差か。足の長さが違うのは確かなこと。彼女の肩にポンッと置かれた。


「!!」
「ひっ!!ご、ごめんね!?驚かせすぎちゃった!?」


 早歩きで歩いているのに追いつかれてしまったことにドクンと心臓を強打させれば、身体全体がビクッと揺れ動く。それだけ驚かせてしまったのだろう。

 だが、桃花のその動きに更に驚いた反応を見せたのは男の方だった。彼は顔を真っ青にして声をひっくり返しながら、謝罪をする。


「ぜ、善逸さん……」
「珍しく定時に上がれてさ、桃花ちゃんの後姿が見えたから驚かせたくなっちゃって……ごめんねぇ!!怒らないで!!嫌わないでぇぇぇ!!」


 振り返った先にいるのは見知った人。それも夢の中で冷たい目を向けて去って行ってしまった想い人の魂を持つ人。いや、その人本人と云った方がいいのかもしれない。今世、間違いなく、目の前の人に彼女は恋しているのだから。

 でも、夢の中とは違っていつも通り優しくあたたかな目を向ける善逸にほっと胸を下ろしながら、名前を口にした。

 彼女を相当驚かせてしまったことを理解したらしい。彼は瞳をうるうると潤ませてションボリした顔をするとパンッと両の手を合わせて頭を下げてもう一度謝るが、何故か怒られて嫌われる前提で叫んでいた。


「ふふ、嫌いませんよ…驚いただけ……」
「な、泣くほど怖かった!?本当にごめん!!ごめんね!?」


 夢が現実になるんじゃないか、彼から鋭い視線を向けられるんじゃないか。そんな不安はどこかへと消えてしまったらしい。彼女は口元に手を添えて栄を零せば、首を横に振って答える。

 だが、それは口元だけの話だったようだ。ボロボロと目から涙が溢れ、頬を伝わって流れ落ちている姿に善逸は肝を冷やしておろおろしながら、謝り続ける。


「ち、違うんです……朝ちょっと怖い夢を見ちゃったから…………」


 まさか自分が泣いているなんて思わなかったのだろう。桃花はそっと自身の頬に手をそっと触れてみれば、濡れていることに気が付いた。

 しかし、それは彼の所為ではない。慌てて涙を拭えば、言い訳を口にする。


(どうしてこんなに傷付いた音をさせてるんだろう)


 自分のせいではない。

 そう否定した彼女にほっとした表情をしつつも、善逸は悲しそうな顔を向けていた。

 桃花がこんなにまで苦しんでいる音をさせているのに何も出来ない自分にやるせなくなったのか、それとも教えてもらえない自分は彼女の心に触れることを許されないと思ったのか。それは彼のみぞ知る答え。


「…………桃花ちゃん」
「何ですか?」


重い沈黙の中、口を開いたのは善逸だ。今にも泣きそうな声話根に桃花は我に返ったらしい。取り繕った笑みを浮かべて首を傾げた。


「一緒に帰ろうか」
「はい」


 それすら、彼には理解されてしまっていることを夢にも思わないのだろう。善逸は気が付かないフリをしてニコッと笑い掛ければ、彼女はコクリと頷いて家へと向かう道に顔を向ける。


「「…………」」


 二人は真っ直ぐ前を見据えて同じ歩幅、タイミングでまた歩き始めるが、気まずさがあった。
 だからこそ、桃花は視線を合わせないように硬い表情で前を向き続けており、そんな彼女の様子を伺うように彼はチラッと盗み見る。

 しかし、どちらとも話題を提供できるわけもなかった。


「……えと、……どんな夢を見たのか…………気てもいい?」
「…………」


 だが、この沈黙は何故か居心地悪く感じたのかもしれない。ぐるぐると頭を回転してお追いついたのは先ほどの続きみたいなものだ。

 何聞いちゃってんの、俺。

 冷静な自身の声が聞こえる善逸だが、もう声に出してしまったものは戻るはずもない。ダラダラと内心、冷や汗を掻いていると桃花はじっと彼の顔を見つめた。


「もしかして、言いづらい?」
「善逸さんは前世って信じますか?」


 一言も発することなく、じーっと見つめてくる彼女に善逸は頬を引き攣らせながら、問いかけると桃花はポツリと質問を返す。

 それは言うか、言わないか。
 悩んで出した結論というよりも自然と出してしまった言葉というのが正しいのかもしれない。


「え……」
「…………私は……前世の記憶を持ってるんです」


 まさかスピリチュアルな話を出されるとは思わなかったのだろう。彼はキョトンとした顔をして彼女を見つめた。

 先ほどの自分の言葉に後悔しているのか、キュッと固く口を閉じて何かを決意したような顔をすれば、ゆっくりと語り始める。


「そ、うなんだ」
「前世の私は……口減らしのために吉原に売られました」
「……」


 桃花から聞こえる音は嘘を付いていない。
 だから、それは本当のことだということを理解したようだ。驚きはしても否定する気がないのか、彼は戸惑いながらも相槌を打つ。
 彼女はまた前へと顔を向けて足を止めることなく、前世の記憶を話続けた。
 衝撃的な言葉に善逸は口を薄く開きはしても、声を出すこともなく、自分より先を歩く桃花の背中を凝視する。


「好いた人がいたけれど、そうじゃない人にたくさん花を売っていた時の記憶がよみがえってしまって……夢に見てしまいました」
「…………そうだったんだね」


 一歩、二歩、三歩……歩いたところでピタリと足を止め、追いついていない彼の方へと振り返ると諦めたように笑っていた。

 その表情に、声に、声音に。

 かつてない胸の痛みを感じたのか、善逸はぎゅっと胸元を掴んで悲しそうに言葉を返す。

 愛おしそうな音が聞こえるのは自分に向けてではなく、前世の男へなんだと知ったからなのか、それとも彼女の想像を絶する前世の記憶になのか、読み取ることは難しい。


「はい」
「前世では…………好きな人と結ばれられたの?」


 桃花は眉を八の字にさせて首を縦に振ると彼は自身が気になっていることを聞いた。それは彼女が思っても見ないことだろうが、伝わることはない。

 なぜなら、自分と結ばれることがないと固定概念を持ち、決めつけているから。


「…………私の年季が過ぎて外の世界に出て再会した時にはもう結婚されてました」
「…………」


 視線を合わせようともせずに地面を見つめ、昔を思い出すような瞳をして紡ぎ出す彼女はまるで遠い人のように感じたのだろう。善逸は切なそうな顔をして言葉を待ち続けた。


「元々穢れた私にその人へ思いを告げる勇気はなかったんですけどね」


 全てを打ち明けてしまったからだろうか、桃花はすっきりしたようにあっけらかんと言う。


――朽ちた花だから……ってどういう意味だと思うか?


 この時、彼は炭治郎から聞いた言葉を思い出した。
 そして、理解したのだろう。

 朽ちた花という意味を。


「穢れてない!」


 だからこそ、彼は彼女の声より大きな声で被せるように否定した。


「え……?」
「桃花ちゃんは穢れてなんかない!」


 それは思いも寄らぬ答えに桃花はキョトンとした顔をしてパッと善逸の顔を見れば、彼は傷付いたような顔をしてもう一度、同じような言葉をはっきりと投げかける。


「ほぼ見ず知らずと言っていい隣人が倒れてた時、放置するわけでもなく看病してくれて、ご飯まで作ってくれてその後も心配してくれる君がそんなはずないじゃん!!」
「……どうして…………善逸さんがそんなか傷付いた顔するんですか……」


 ズンズンと近寄るとガシッと肩を掴んで真剣な顔をして訴えかけるが、善逸がそんな顔をする理由が分からないのかもしれない。彼女は震える声で聞き返した。


「だって、君が自分のことを傷付けるから……」
「前世の話であって今じゃないんですよ?」


 彼はうるうると瞳を揺らしてジワリと涙を溜め、弱々しく答えると桃花は呆れたように笑って慰めるように言葉を返す。


「そうだけど!そうかもしれないけど!今の君もその言葉に傷付いてる…!」


 彼女の肩を先程より強く掴んでポロポロと涙を流しながら、訴え続けた。


「そんなこと……」
「俺は昔から耳が良いんだ……だから、誤魔化してても分かるよ」
「…………本当に昔から優しいですね、善逸さんは」


 自分の心よりも恋慕を抱いている人が泣いている姿に戸惑っているらしい。桃花は困惑した顔で首を振ろうとしたが、また遮られた。それは彼女の口から彼女自身を否定する言葉を聞きたくなかったからかもしれない。

 善逸は首を横に振って桃花に伝わって欲しいと言う願いを込めながら、言葉を選んだ。

 その心に、言葉に、体温に。あたたかさを感じたのだろう。

 彼女は泣きそうな顔をしてこてっと首を傾げる。


「え……?」
「お願いがあるんです」


 まるで昔から自分を知っているかのような発言に彼はピタリと泣くことを止めると最後の涙がポロリと落ちた。桃花は何かを決意したのか、姿勢を正して柔らかく微笑む。


「な、なに?」
「ご飯食べてから言いますね。今日は何がいいですか?」
「……えっと、――……」


 ハッと我の返った善逸はどもりながら、聞き返すと彼女は目を細めて告げた。そして、話題を変えるように晩御飯の献立のリクエストを問う。

 お願い。

 このワードに彼は何を言われるのか、ドキドキして気が気じゃないのだろう。

 ぱっと思いついた晩御飯のメニューをリクエストをしていたが、自分が何を言ったかぼんやりとしか覚えていられなかった。



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