二話





「……んん…」


 チュンチュンと鳥のさえずりが聞こえ、深く深く眠っていた意識を浮上させたらしい。彼女は眉間にシワを寄せた。


(……ん?あれ、私…ベッドで寝たっけ?)


 ふかふかの感触。それは明らかにソファのそれではなく、明らかにベッドのそれ。
 彼女はなかなか回らない頭を動かし、更に深く眉間のシワを刻んだ。


(なーんだ、あれは夢だったのか。そっか、働き過ぎで幻を見たのね……)


 10連勤。一日の睡眠時間はほぼ3時間程度。
 明らかに労働基準法から外れた会社で働きずめだった彼女は頭がおかしくなって、幻覚を見たと判断したらしい。
 彼女は安心したように眉間のシワを緩めるともうひと眠りをしようと寝返りを打った。


(……枕って、こんなに固かったっけ?)


 しかし、彼女はまた眉根を寄せ、冷や汗をだらだらとかく。
 どんなに久しぶりのベッドでの睡眠だったとしても枕の固さは分かるのだろう。ずっと閉じてきた瞳をうっすらと開けるとそこには逞しい胸筋が目の前にあり、自分の頭は太い腕の上にあった。


「っ、!?〜〜〜〜〜〜っ!!」
「んあ?やっと起きたか」


 その事実に驚き、顔を真っ青にして彼女は飛び起きると壁にガンっと大きな音を立て頭を打ち、頭を打つ。
 起きた気配を感じ取ったのだろう。宇髄はくわぁ…と大きな欠伸をし、言葉をかけた。


「待って…夢じゃない……」
「勝手に夢にするな」


 結っていた髪は寝るのに邪魔だったのか。解いた色気のある男がまだ目の前にいる事実に彼女は血の気が引いた顔をして、化け物を見るような目を向け、ぼそぼそと呟く。しかし、彼は耳がいいのだろう。現実逃避をする彼女に呆れたように突っ込みを入れた。


「なんで私がベッドにいるの!?てか、何で一緒に寝てるの!?」
「女をあんな狭いところで寝かせられねぇだろ。言っとくが、抱き付いてきたのはお前の方からだからな」


 辻本は更に顔を青ざめ、くわっと食って掛かるように声を荒げながら、宇髄に文句を言い放つ。
 あれが夢じゃないのであれば、ソファに眠って、謎の客人にベッドを譲ったはず。
 それなのにも関わらず、現実は二人でベッドに眠っているのだから、驚くのも無理はないだろう。しかし、宇髄は眉根を寄せ、彼女の言い分に反論があるらしい。ビシッと指をさし、言葉を返した。


「それはごめんなさい……って!私はソファで良いって言ったのに余計なことしといてそれですか!?」
「ギャーギャーうるせぇ。それにちんちくりんを抱くほど女に困ってねぇよ」
「ちんちく、っ……胸は普通にあるわ!!平均的に!!」
「あーあーそうかいそうかい」


 ピタッと動きを止め、しゅんとした顔をして謝罪をする。
 まさか、抱き付いたなんて思いもしなかったのだろう。羞恥からか青かった顔が真っ赤に染まっていたが、何か違和感を感じたようだ。
 そもそもソファで寝かせておけばそんなこともなかった。その考えが彼女の頭を過り、怒りで顔を更に赤くさせ、文句を口にする。
 朝からデカい声が良く出るもんだ。
 そう言いたげな表情を浮べ、耳を塞ぎながら、宇髄は言葉を返すと彼女は言われた言葉にピキっと青筋を立て、胸を張り、胸に手を当てながら抗議をした。確かに彼女の胸は貧乳ではない。しかし、自分で平均だという正直な女は何処にいるだろう。
 どうでもよくなったのか、宇髄は人差し指を自身の耳に入れ、適当に聞き流した。 


「……もういいや。現実なんでしょ…今日はアンタのこと調べましょ」
「おう。派手に頼む」


 何を必死になって訴えているのだろう…私……。
 冷静なもう一人の自分がそう言っているのが聞こえたのだろう。辻本は肩の力を落とし、疲れた表情を浮べて戻りたくない現実に気を戻す。
 やっと静かになった彼女に宇髄は指を耳から抜き、言葉を返した。



◇◇◇



「で、もう一度聞くよ」
「ああ」
「あなたの名前はうずいてんげん、さん?」
「ああ」


 テーブルに対面して椅子に座る二人の男女。真実はメモ帳とペンを用意し、真剣な顔をして、宇髄に問いかけると彼は素直に頷いた。
 彼女は昨日のうる覚えの記憶を叩き起し、彼の名前を確認するとまたもや宇髄は肯定の言葉を返す。


「…書いて」
「ああ?……書き辛れぇな」


 どういう字なのかが分からないようだ。彼女は困ったように眉を下げるとペンとメモを差し出し、書くように指示をする。
 宇髄は面倒くさそうにペンを受け取ると文句を言いつつ、でかでかと名前を記した。
 デカッ。
 その文字の大きさに思わず、そう零す真実に宇髄はペンとメモ帳を返す。


「年齢は?」
「23だ」
「職業は?」
「元忍び、今は鬼殺隊で鬼を斬ってる。派手にな」


 気を取り直し、真実は彼に事情聴取を続けた。年齢は彼女より一つ下らしい。それを知ると真実ふむふむとそれをメモ帳に書き込み、また質問を投げかける。
 学ランのような服の割に袖を切り落としたような訳の分からない服を着てる人間がどんな仕事をしてるのか。彼女が一番知りたい情報はそれだ。
 宇髄は腕を組み、背もたれに寄りかかりながら、自信満々に答える。


「………元忍びで……なんだって?きさつ、たい?」
「ああ、それがどうしたか?」


 予想外にも物騒な言葉が飛び込んできたものだから、真実は思わず、ペンを手から滑らせ、テーブルに転がしてしまった。
 彼女の表情はどこか青い。小さな声で宇髄が言った言葉を反芻させるように口にするが、聞き覚えのない言葉に疑問符を付ける。しかし、それを知るはずのない彼はキョトンとした顔をして首を傾げた。


「……忍者」
「そういう言い方もするな」
「それはまだ聞いたことがあるけど…きさつたいなんて聞いたことない」


 彼女がグルグルと脳を回転させてから言った言葉に宇髄は同意をする。
 物騒なもんやってたな、おい。
 心の中でそうツッコミを入れつつも、真実は聞き覚えのない言葉に眉をひそめた。


「そうか…」
「ねぇ、その鬼ってどういう鬼なの?あれ?角が生えてて、皮膚が赤かったり青かったりするの?」
「そんな昔話の鬼じゃねぇよ。人を喰らって生きる鬼だ」


 その言葉に彼は一瞬、目を見開くが、どこか嬉しそうで悲しそうな複雑な色を瞳に宿し、ぽつりと零す。
 んーっと唸る真実は情報を得ようと彼女がイメージ出来る鬼の例えを口にして問いかけるが、宇髄は鼻で笑い、全てを否定した。そして、そんな生易しいものでは無いとばかりに言葉を紡ぐ。


「…人、食べるの……」
「まあ、その鬼も元は人間だがな」
「………そうなんだ」


 人を喰う鬼。昔話では読んだり、聞いたりしたが、それを狩っていたと知り、真実は固唾を飲み込み、硬い声音で言葉を口にした。
 恐れていることが目に見て分かったのだろう。宇髄はふっと悲しげに笑みを浮かべると鬼の正体もまた人間であることを告げる。
 真実は彼からメモ帳に視線を移すと納得したように言葉を零した。


「疑ってるのか」
「そうじゃなくて、……想像が付かなくて…そんな世界があるって…」
「…………」


 彼女の様子を伺って見ていた宇髄は自分の話を信じていないのではないか。その考えが過ったらしい。
 眉間に皺を寄せ、真実に威圧的にも聞こえる声で問いかけると彼女はブンブンと首を横に振った。
 人が鬼になって、人を喰う。それは現代を生きる彼女には想像しても計り知れないものだ。
 でも、それを結局、人間が狩らなければならないという。
 汚れ役を買ってるのが、彼だと理解したのようだ。


「やっぱり、誰かの創作かな…」
「創作じゃねぇよ」


 しかし、そうだとしてもそんな話を聞いたこともないのだろう。彼女は眉根を寄せて、ぽつりと零すと苛立ったように宇髄は彼女の言葉を否定する。
 それを認めてしまえば、自分が物語の登場人物だと言っているようなものなのだから当然といえば当然だ。
 宇髄は自分の生きてきた道を薄っぺらいものだと解釈されたのが癪らしい。


「いや、そうじゃなくて…もしかしたら、この世界の本の物語の登場人物とかもはや違う世界の人じゃないかなって思って」
「ああ?俺様が?」
「そうそう」


 しまった。
 不機嫌な彼の態度に真実はそう思ったのか。慌てたように自分が言った意図を説明すると彼はまだ機嫌が治っていないようだ。
 更に眉間のシワを深くさせて、首を傾げ、問うと彼女はこくこくと首を縦に振った。


「そうだったとしたら、俺がこの世界にいるのはおかしいじゃねぇか」
「だからそれを逆トリップっていうの」
「逆…とり…?」


 しかし、いまだ納得いかないのだろう。
 有り得ねぇ。
 彼女の言い分を全否定する宇髄だが、それは大正の人間だからこその意見だ。
 ここは令和。彼より未来の世界。彼が知らないことがあるのは当たり前だ。
 それが分かっているからこそ、真実は眉を下げて、言葉を返す。
 聞き慣れない言葉に彼は険しい顔をして復唱しようとするが、聞き取れなかったらしい。訳が分からないとばかりに首を傾げた。


「あー…今ここにいる日本と異なる世界、読み物とか本当に知らないところから来たり、過去や未来から来た人を逆トリップしてきたって言うの」
「なるほど……それでいくと俺は過去の人物ってなる訳か」
「まあ、そうなるんだけど……学校で学んだこともないし、どこの世界の過去の人になるかもわからないから」


 大正時代にもない言葉をどう説明したらいいのやら…。
 真実は噛み砕いて言葉の意味を説明するとやっと彼女の言わんとしていることが分かったようだ。
 納得したように言葉を返すと真実はこくりと頷く。
 しかし、学校の歴史ではそんなことを学んだことがないのだろう。だからこそ、そんな単純な話ではないということを口にする。
 

「じゃ、読み物か?」
「そーなんだけど…私はここ一年以上、仕事しかしてなかったから、はっきりとそうとは言い切れないといいますか…」
「ああ?なんでだよ」


 彼女の言葉に納得するともう一つの可能性に絞られたんじゃないかとばかりに宇髄は問いかけた。しかし、真実はその言葉に頭を抱える。
 ブラック企業で社畜の如く働いていた彼女は世間の流行りにも漫画や小説、ドラマ、アニメが分からないのだろう。目を逸らし、言葉を濁していると彼は不思議そうに問いかけた。


「それは私が睡眠ほぼなしで仕事してたからよ」
「派手にやるじゃねぇか」
「そういうことじゃない……」


 真実は両肘をテーブルに付き、手の甲に額を乗せ、女性にしては低い声で絶望を吐き出すように言葉を零す。
 睡眠ほぼなしで仕事。そのワードが気に入ったのか。彼は他人事のように笑うと彼女は魂が抜けそうな消え入りそうな声でそう返した。


(大正時代の人間はこの異常さに違和感はないらしい)


 能天気に笑う大正時代の人間に真実は少し顔を上げると恨めしそうに睨み付ける。そして、大正時代の人間と現代を生きる自分の常識の違いを噛み締めていた。


「……ねぇ、きさつたいってどういう字?」
「鬼を殺す隊だ」
「……オニヲコロスタイデスカ」
「おう」


 ふと気になった聞きなれない"鬼殺隊"という言葉を書くにあたって感じが分からないことを思い出すと彼女は更に顔を上げて宇髄の顔を見て問いかける。
 彼からは短く、とても分りやすい説明が返ってくると真実からメモ帳とペンを取り上げ、字をでかでかと書き上げた。
 達筆なその物騒な字と言葉に彼女は思わず、カタコトになりながら、復唱してしまう。
 真実の反応が面白く感じたのか。宇髄はふっと笑みを零し、こくりと頷いたのだった。



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