五話






 カーテンの隙間から光が漏れる。朝を知らせるそれに女性は眩しそうに眉根を寄せた。閉じている目を更にぎゅっと目を瞑る。寒いのか掛け布団を肩までかける様にもぞっと動くと重そうな瞼をうっすら開けた。


「いたたた……あれ、私……」
「おはよー、起きた?」


 彼女はぼーっとしながらゆっくりと上体を起こす。どうやら寝ぼけているようだ。頭痛がするのか片手で頭を押さえてはポツリと呟いた。部屋の様子を見ると見たことない風景。
 それに段々と頭が冴えてきたのだろう。顔色は少々青白く見える。そんな彼女の隣から呑気にも聞こえる言葉を吐く男の声がした。それは彼女がここ最近聞き慣れた声だ。


「え……か、かしゅ…うくん!?」
「ははっ、大体予想通りの反応だね」


 聞いたことある声に隣をおそるおそる見る。そこにはいつも結っている髪を解いた加州清光がいた。その事に彼女は驚く。どちらかと言うと混乱に近いかもしれない。彼は彼女の反応が予想通りだったようだ。目を細めて笑う。そして、ゆっくり上体を起こした。


(やっちゃった…?いろんな意味でやっちゃった!?)


 彼女は先程よりも顔を真っ青にさせ、両手を頬に添える。やらかさないと高をくくっていたことをしてしまったかもしれない。その不安にかられたのだろう。
 男女が一つのベッドで寝ていた。この事実を目にすると不安になるのも無理はないだろう。清光は膝を立てては膝の上に腕を乗せ、更に顔を乗せてじっと彼女を見つめていた。


「多分心配してると思うけど、安心してよ。手は出てないから」
「……何で、分かったの」


 清光は彼女の横顔をじっと見つめながらふっと笑う。まるで彼女が考えていることが分かっているように言葉を紡いだ。彼女は少し肩をピクっとさせる。それは確信を付く言葉を彼が紡いだからだ。弥生はゆっくり首を動かしてそっと彼を見ながら疑問を問い掛ける。


「弥生は分かりやすいからね」
「……」


 彼はくすっと笑って彼女の問いに答えた。彼女は自分の考えが彼に筒抜けなことに諦めたのか。無駄に力の入っていた肩の力を抜く。


「でも、俺がソファで寝ようとしてたのに離してくれなかったから同じベッドには寝たから」
「……………それはそれは大変ご迷惑を」


 彼は膝の上から手と顔を退けると更に言葉を続けた。どうやら彼女の隣に寝たのは故意ではなく不慮の事故だったようだ。清光は自分に非がないことを伝える。
 彼女は段々申し訳くなったのかしゅんとする。そして、ベッドの上で正座をして三つ指ついて謝罪の言葉を口にした。所謂、土下座だ。


「いーえ、それより二日酔い大丈夫?」
「少し頭痛するくらいだから大丈夫」


 清光は彼女のその姿を見て眉下げて複雑そうな表情を浮かべる。謝罪を受け取ると弥生の頭を優しく撫でた。彼女の謝罪よりも彼女の体の方が彼には重要らしい。彼は心配そうに問い掛けた。彼女は顔を上げては眉を下げて彼の問いかけに答える。


「今日休みだし、ゆっくりしてけば?」
「人の家でゆっくりも何も無いでしょ…」


 彼は弥生の答えに少し安堵の表情を見せた。それでも彼女の身を思ってか労わる言葉を投げかける。気だるく体。それにズキズキとする痛み。今の彼女にとっては彼の申し出は有難かっただろう。しかし、弥生は眉下げてポツリと言葉を紡いだ。素直に彼の言葉を受け取ることは出来ないようだ。


「あはは…ねぇ、弥生」
「な、何…?」


 彼は目を細めて笑う。まるで、弥生が何を思って紡いだ言葉なのか分かっているかのように。そして、ふっと思い出したように彼女の名前を呼んだ。呼ばれた声が先程と違うことに気が付いた彼女は戸惑いながら返事をする。


「寝ながら泣いてたんだけど、何で?」
「っ、……それ、は…」


 ベッドに座り、お互い真正面に座りながらじっと見つめ合い続けた。清光は真剣な眼を向けながら昨日、彼女が涙した理由を問う。彼女は目を見開いて息を呑み、目を泳がせた。彼の目から逃げる様に逸らしながら口篭る。


(前世の夢を見てたから…)


 動揺を隠せない彼女は胸元に手を当てた。問いに対しての答えは彼女の中では出ている。しかし、それを口にすることは出来ない。それを言葉にしても伝わらないと思っていたのだろう。黙り込んでいた。


「……言いたくないなら言わなくていいよ」


 清光は彼女の姿にどこか悲しそうな表情を浮かべる。まるで彼女が抱えているものを分けてもらえない。そんな寂しさを感じているようにも見えるのだから不思議だ。


(加州君は彼の生まれ変わりだとしても覚えてないから聞いてみてもいい、かな…ううん、今話した方がいい気がする)


 彼の悲しそうな顔に弥生は心を締め付けられる。心臓が鷲掴みされたような苦しみに胸に当てていた手をぎゅっと握った。そして、彼女は彼にある例え話を話すことを決心する。


「……ねぇ、加州君」
「ん?何?」


 弥生は今にも泣きそうな顔をして彼の名前を呼んだ。清光は優しく言葉を返す。彼は続きの言葉を待つように彼女を見つめた。


「………もし、大事な約束をしていて、故意じゃないにしても約束を守れなかったとしたら…」
「………」


 彼女は固唾を呑む。それだけ、彼女の中では秘密にしていたことなのだ。ぽつりぽつりと不安げに言葉を零した。緊張からなのか弥生の体には余計な力が入っているようにも見える。清光はただ黙って彼女の言葉を聞いていた。


「それを知らずにずっと相手は何年も何十年も待っていたとしたら…裏切られたと感じるかな」
「………相手次第じゃない?」


 彼女が例え話を用いて話している人物。それは間違いなく目の前にいる清光のことだ。しかし、魂は同じだけれど少し違う。今の彼ではなく前世の彼。弥生は理解してもらえないだろうと分かっている。けれど、今の彼を通して前世の加州清光に話しかけるように何年、数十年溜めてきた心の内を打ち解けた。
 その言葉を聞いた清光は手を顎に添えて考え込む。そして、彼の口から発せられた言葉は意外にも呆気ない言葉だった。


「……そう、だよね…」
「俺は待たされたとしてもそうは感じないよ」
「え……?」


 彼女は彼の最もらしい言葉に途切れ途切れになりながら言葉を返す。その表情は先程よりも沈んで見えた。清光は続けて優しく微笑みながら言葉を紡ぐ。彼の優しい笑みと言葉に弥生は目を見開いて彼を見つめた。彼の返す言葉に驚いたようだ。瞳が揺れている。


「はあ〜…ねぇ、そろそろ清光って呼んでよ」
「話変えないでよ…っ!」


 清光はいつもの調子で深い溜息を付く。ヘラっと笑って話をそらすように彼女にお願いをした。話題を変えようとする彼に彼女は目をぱちくりさせては文句を言う。
 その瞬間、彼女はグイッと腕を引っ張られた。細身の割にしっかりとしている身体に抱きしめられる。その事実に気が付いても紡ぐ言葉が思いつかないのだろう。瞳を大きく開ける。


「ちょっと信じられない話してもいい?」
「な、何…?」


 彼は彼女の肩口に顔を埋めた。どこか愛おしそうなものを慈しむように問い掛ける。何が何だか分からない弥生は抱きしめられている状況に困惑する。
 やっとの思いで出た言葉は彼からの言葉の続きを待つものだった。彼のすぅと息を吸う音が彼女の耳元から聞こえる。彼女は彼の口から出される言葉をただ黙って待っていたのだった。



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