弐話






 俺が彼女に初めて会ったのは一緒の任務の時だ。
 美しい人。
 この一言がとても似合う人だと思った。
 
 歳は俺と同じらしくて気軽に話してと砕けた口調で言ってくれた。
 親しみやすい人かもしれない。
 それが次に抱いた印象だった。
 
 でも、彼女は俺よりもずっと先輩で、階級は相当上だ。きのえらしい。
 どれだけの努力をしたのだろう。彼女はいつから、鬼殺隊に入っているのだろう。

 知りたい。
 そうは思っても、それを問いかける言葉は失ってしまった。

 彼女の眉を下げて微笑む姿に。
 俺が何かを聞きたいと思ってることを察してるような悲しげな見つめる瞳に。

 俺の声帯は震えることすらかなわなくて、開いた口をそのままそっと閉じることしか出来なかった。
 
 身を引き裂かれるくらい悲しくて、苦しい。
 表情や言葉とは裏腹にそういう匂いをさせてる人だった。
 どうして、この人はこんなにも辛い匂いをさせているんだろう。
 そう、思った。
 
 しのぶさんはいつもニコニコと笑みを浮かべているけど、怒ってる匂いをさせていた。
 それはお姉さんを鬼に殺されたからだ。
 鬼殺隊にいるほとんどと隊員は家族や大切な人を鬼に殺されてる。
 だから、怒りや憎しみ。悲しみを匂わせてる。

 彼女もまた悲しみを匂わせてはいるけれど、何だかそれらとは少し違う。いや、それに加えて更なる悲しみが彼女を覆っている。それが近いかもしれない。
 決定的に違うのは怒りや憎しみの匂いはしないことだ。
 
 正直に言えば、不思議だ。分からない。
 聞きたい。知りたい。
 でも、聞こうとすればきっと悲しげな目を向けられる。それが分かっていた。
 
 話したくないことを無理に話す必要はない。
 そう思ったのも本当だ。
 だから、俺は話を切りかえて自分の話を沢山した。
 彼女はうんうんと頷き、聞いてくれる。
 俺の話を楽しく聞いてくれてる。それは匂いでわかった。彼女の悲しみが少しでも薄れるのが分かってホッとした。

「どうして、炭治郎くんは鬼殺隊に入ったの?」

 彼女から唐突に問いかけられた言葉。
 ずるいなぁ。
 率直にそう思った。俺には問いかけさせてくれないのに問いかけてくるんだから、そう思っても仕方ないと思う。
 
「禰豆子が鬼になってしまったから、人に戻す方法を探すために鬼殺隊に入ったんだ」

 俺が言葉を紡ぎ終わると彼女は目が零れ落ちるほどに大きく見開いて、最初に嗅いだ匂いよりも更に悲しみが濃くなった匂いをさせた。瞳も酷く揺れている。
 
 今にも泣きそうな顔をさせている。
 どうして、そんなに泣きそうな顔をするのだろう。
 そんな顔をさせるつもりはなかった。
 
 だから、正直慌ててしまった。
 そんな俺の手を取り、彼女はぎゅっと握る。
 小さくて柔らかい手。その手が微かに震えていた。
 
「ごめんなさい…」

 本当に意識を逸らしていたら、聞こえないくらいの小さな声。震えた声で彼女は俺に謝った。
 
 どうして、貴女が謝るんですか?
 そう問かけようと思った。でも、俺の手に縋り付くように強く握る手を前に言えなかった。
 
 辛い話をさせて、ごめんなさい?
 悲しいことを思い出させて、ごめんなさい?
 
 違う。それだけは分かった。
 でも、それだけしか分からなかった。

「……必ず、禰豆子ちゃんを人に戻そうね」

 悲しみの匂いは消えてない。苦しそうな苦い匂いも消えてない。
 それでも、優しくて綺麗な笑みを俺に向けてそう言ってくれた。

 俺は力強く、その言葉に頷くしか出来なかった。
 俺の話の後、彼女は悲しみと苦しみの匂いを増していた。
 
 気のせいか?

 そう思ったのも束の間。
 本来の任務の鬼を倒した後、鬼を倒せば倒しただけ、彼女の持っていた匂いが強くなっていく。
 
 気のせいじゃない。

 それに気が付くと彼女は鬼たちの何を見て、思って、そこまでの悲しくて、苦しい感情を増長させ続けるのか。
 初めて会った時より、知りたいと思った。

「ごめんなさい…来世は平和で幸せでありますように」

 鬼を倒した後。
 彼女は天を仰いで目を閉じ、鬼になった者へ言葉を捧ぐように囁いていた。
 月明かりに照らされ、閉じた瞳から零れる涙がキラキラと光る。
 それがとても綺麗だった。

 鬼に感情移入する人は稀…と言うよりもほぼいない。
 俺は匂いを嗅ぎとってしまうからしてしまうこともあるけれど、見たことは無かった。


 ああ、早く強くなりたい。
 
 人であった鬼を思って涙して、大切な人を奪われた者を思って、心を痛める優しいこの人を守りたい。
 彼女が弱音を吐ける場所になりたい。

 俺が貴女の心に寄り添えるようになりたい。
 貴女が心を開いてくれる俺になりたい。
 貴女の居場所になりたい。
 そう、強く。強く願った。



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