養護教諭も用事があって席を外しているのか、保健室は静かだ。
「スズ、座ってて」
「うん」
肝心な時に居ないな。
そんなことを思ったのかもしれない。藤花は深く息を吐くと椅子の足を足で引っ掛けて引っ張り出し、連れ添っている友人を促すと彼女はコクリと頷き、大人しく言うことを聞いていた。
「いつもあんなことされてるの?」
「い、いつもじゃないんだよ……」
勝手に棚を弄りながら、背中越しの質問をする。
それはスズが怪我をした原因のことを指しているのだろう。彼女はビクッと肩を動かし、誤魔化すように笑った。
「ホント?」
「うん。それにね、私を虐めた人はみんな不幸になっていくの」
棚から見つけたシップと包帯を手にくるっと振り返り、スズに近寄る彼女の顔は疑っている。
だが、スズはぶんぶんと首を縦に振って肯定するとにこりと可愛らしく微笑みながら、言葉を紡いだ。
だから、何されても平気。
そう続きそうに聞こえるのだから不思議だ。
「……どうして?」
「天使様が私を守ってくれてるから」
彼女を虐めた人間が不幸になるのか。しかもそれを断言してることに疑問を持ったのだろう。
藤花はキョトンとした顔をして聞き返せば、スズは嬉しそうに両手を合わせて微笑む。
「…っ、……」
「藤花ちゃん?」
「天使様って何?」
その笑みにぞくりとした悪寒が走ると藤花は固唾を飲み込み、ぶわっと嫌な汗が噴き出ているのを感じた。
急に黙り込んだ彼女が不可解だったのかもしれない。スズはぱちぱちと何度か瞬きをすると藤花の顔を覗き込みながら呼ぶ。
彼女は静かに体を巡る二酸化炭素を吐き出し、新鮮な空気を取り入れて訪ねながら、そっと湿布を貼った。
「冷たっ、……天使様はね、私のお願いを叶えてくれる人なの。藤花ちゃんにも会わせてあげたいなぁ」
熱を持った足首に突然の冷えにビクッと反応を示すとスズは嬉しそうに答える。
「……会えるものなら会ってみたいな」
明らかに人外の何か。いや、呪霊の一種なのではないか?
そんな疑惑があるのだろう。だが、それを見定めていない今、確信するには証拠が不十分だ。
彼女は包帯を巻きながら、目を細めて笑って憧れてるように言う。
「本当!?じゃあ、明日学校来れる?」
「来れるけど……」
「じゃあ、明日学校で会わせてあげる!」
「……ありがとう」
スズは余程、嬉しかったようだ。目をキラキラさせてグイッと顔を近づける。
藤花は反対にそんな反応をされるとは思わなかったのだろう。何度か瞬きをし、返事をすると鈴は包帯を巻き終わった彼女の手を両手で掴み取ってぎゅっと握り締める。
藤花はもう受け入れる以外の答えは持ち合わせていない。だからこそ、口角を上げてお礼を言った。
「……そういえば、昨日来てた彼氏さんって今日も来るの?」
「え、なんで?」
スズはふと思い出したように手を握り締めたまま、問いかける。
それは藤花にとって唐突な言葉に驚いたのだろう。そんな事を聞く彼女の意図が分からず、目を真ん丸にさせて首を傾げた。
「あれだけのイケメンそんな簡単にお目にかかれないからあやかりたいじゃない」
「あやかるって……」
彼女は聞き返されるとは思ってなかったのかもしれない。何処か固い笑顔を向けたまま、ミーハー女子のように言葉を繋げる。
藤花はアイドル扱いになっている偽装彼氏の五条の扱いに困ったように笑った。
「どうやって会ったの?」
「前の学校のOBなの」
「へぇ〜!なんか部活とか?」
スズは無粋にも二人の出会いを知りたいと思ったらしい。まあ、自分が一番仲良い友人だと思っているからか、純粋な興味なのか。それは分からないが、犬のようにワクワクしている。
藤花は深いため息を付くと呆れた様な顔をして素直に答えた。
五条は彼女の高専の先輩に当たるから嘘ではない。高校の先輩後輩にしては命懸けの現場にいるのは確かだが。しかし、スズはそんな裏話を知ることなく、両手をぱちんと叩いて更に深堀していく。
「そんな感じ」
「いいなぁ、私もそういう出会い欲しい〜!!あ、でも、あれだけかっこいいと心配事も多いよね??」
部活というにはあまりにも緩い。普通の学校生活に置き換えれば、命がけの部活になってしまう。
だが、そういうことにした方が楽だからか。訂正することなく、藤花は曖昧に答えた。
スズは恋愛事と縁がほど遠いのか、羨ましそうにブンブン腕を振れば、ピタリと動きを止めて顎に人差し指を添えながら聞く。
「心配事?」
「昨日みたいに女の子が群がってくるだろうから、ヤキモチ妬いちゃうでしょ?」
彼女の言っている意味が理解できないのか、藤花はキョトンとした顔をして言葉を繰り返すとスズは眉根を寄せてコテンと傾げた。
「ヤキモチ……?」
「え、分からない?」
藤花は繰り返すことしか出来ないオウムのようになっているが、未だに意図を理解できていないらしい。
顎に手を添えて考え込む素振りを見せるとそれが意外だったようだ。スズは目を大きく開けて顔を覗き込む。
「言葉としては知ってるけど体感が……」
「んー…とね、好きな人に女の子が近寄ってたり、仲良くしてる姿を見てモヤモヤしたり、ムカムカしたり、嫌な気持ちになったりするんだよ」
藤花は眉根を寄せ、困り果てた顔をして首を縦に振るとスズは丁寧に噛み砕いた言葉を使って現した。
「……モヤモヤ…」
「ふふ、そっかぁ……やっぱり藤花ちゃんみたいな女の子でもヤキモチ妬くのね」
思い当たる節があったのか。彼女は胸に手をそっと添えてぽつりと呟く。
その姿にスズは肩を竦めて笑った。
(私が?)
だが、彼女の言葉は耳には入っていない。
自分がヤキモチを妬いているという証明になってしまったことに驚いているからかもしれない。
(ちょっと、待って………好き?)
前言撤回だ。
そもそも藤花は五条を好きだという自覚がなかったらしい。
心の中で零したそのワードにぶわっと体中、熱が巡る。
「………」
「さては、今自覚したでしょ?」
だんだん顔を赤くする彼女にスズはニマニマとした顔をして藤花の頬を両手で包んで問いかけた。
「な、内緒にしてて……」
「ふふ、もちろん!内緒ね」
指摘されなければ、気が付かなかったこと。
スズが言っているのはヤキモチの件。だが、藤花が自覚したのはそちらではなく、五条に恋慕を抱いていることに、だ。
それぞれの思惑は異なっているが、会話が成り立っているからある意味、奇跡と言えよう。
恋慕を抱いていることを気付かせてもらえて良かったのか、否か。
それは分からないが、藤花は顔を真っ赤にさせては自身の両頬を包む手に自分の手を重ねて小さい声で懇願するとスズはにこっと笑ってコクリと頷く。
(自分の気持ちに気が付いてなかったとか阿呆すぎる……)
彼女の手からも解放された藤花は自分の手で顔を覆った。
鈍感な自分に恥ずかしくなったのだろう。心の中で自身に呆れるように吐き捨てる。
「……彼氏さん……やっぱり邪魔だなぁ……」
「え?」
「ううん、なんでもないよ」
そんな彼女の姿にスズは何か不満を感じたのかもしれない。笑っているが、目の奥は何処か冷たい。少女にしては低く、酷く暗い声音でボソッと呟いていた。
羞恥で一杯になっていた藤花はその言葉を聞き取れていなかったらしい。でも、何かを言っていることだけは気が付いていたようだ。ガバッと顔を上げてじっと彼女を見つめるとスズは首を横に振って明るい笑顔を見せた。
「そう……」
だが、藤花は彼女から感じる暗いものに察しているのか。心はどこか沈んでいるように見える。
(……青龍たちに調べてもらうことをあとで指示しなきゃ)
藤花は遊びで子の学校に潜入している訳ではない。任務で訪れ、解決させなければならないのだ。
今、自分が感じているものを一旦、横に置くことにしたらしい。
ふぅ…と深く息を吐けば、目を細めてスズが口にした”天使様”というワードを思い浮かべては悲しそうに瞳を揺らしていたのだった。