「明日、学校ないじゃん」
「一緒に下校した時に天使様に会わせてあげるから学校に来てって言われたの」
「天使様ぁ?」
五条の言う通り、普通はない。なんせ、明日は土曜日。休日だ。
どうやら、同級生と一悶着があった後、そんな会話がなされていたらしい。しかし、その誘い文句を受けたと知った彼はピクリと眉を動かし、顔を顰めた。
「彼女を虐めた人は不幸になるって言ってた」
「それが天使様のせいってこと?」
「恐らく……今回の原因でしょうね」
整った顔が崩れる様に、困ったような顔をする藤花はふと、ある言葉を思い出す。それが空気に解ければ、話が読めてきたのだろう。五条が問いかけると、彼女はこくりと頷いた。
「はあ…………天使様って聞いたことないけど、呪霊?」
「多分」
「そーなると未登録呪霊だな」
じーっと見つめていた藤花の瞳に揺らぎはない。それが余計イラつかせるのかもしれない。彼は乱暴に後頭部をかけば、雑に確認する。
実際見ていないから分からないのか、確証は得られないようだ。眉を下げて薄く笑う彼女を見て五条は唐突に抱きつく。
「サト、来ないでね」
包み込まれる感覚に驚き、微かに目を大きくさせるが、彼女はバッサリと言い切った。
この件に関わるな、と。
「え、ヤダ」
「お願いだから来ないでね」
「…………」
「来ないで」
しかし、そんな思惑を知ってか、知らずか。即答で返されるのは断り文句。それでも、藤花は念を押した。
そう頼まれることに違和感があるのか、じっと見つめるが、彼女はやはり同じことしか言わない。
「何、僕の心配してくれてんの?」
「最強を心配する意味が分からない……心配なのはサトじゃなくてスズ」
「……何で」
彼は目を細めて首を傾げるけれど、その声音はいつもより温度がない。それに背筋につぅっと冷たいモノが落ちる感覚を覚えながら、首を横に振った。
そう、彼女より強い人間を心配する必要は何処にもない。五条悟という人間は最強なのだから。
藤花が釘を刺していた理由はどうやら、転入先で仲良くしている少女の方らしい。しかし、その労りが気に入らないようだ。彼はピクリと眉を動かす。
「ふぅ……サト、気が付いてる? すっごい殺気なんだけど」
「当たり前じゃん。僕のものに手を出すなんて女でも許されることじゃない」
分かりきってることを聞かれるとは思っていなかったのかもしれない。彼女は深く息を吐き出すと困った顔をして問いかけた。藤花の言う通り、朗らかにも見える笑みを浮かべてはいるけれど、五条の纏う空気感は異様だ。ピリピリとして、肌を刺すような冷たさまである。
彼は自分でも分かっていて、醸し出しているんだろう。不敵に笑って返ってくる答えがそうだと言っている。
「っ、……いつからあんたのものになったのよ」
「とーぜん出会った日から」
空気に溶ける言葉に息を詰まらせた。体温が上がるのを感じながらもフイッと顔を背ける。それが己の恋心を自覚した彼女の精いっぱいの対応のようだ。
でも、そんな藤花の心を知ってか知らずか。いや、知らない……というより、気付いていないのだろう。五条は彼女の頬に触れながら、さらりと答える。
「〜〜っ、物理的な話――……」
「じゃないよ」
「……?」
じんわりと感じる体温に、投げかけられた言葉の意味に、急激に体温が上がる。
確かに、出会った日に彼のものになった。それは事実だけれど、改めて言われると羞恥が勝つ。キッと眉を吊り上げて反論をしようとしたが、それは途中で遮られた。
どうやら、彼女が受け取った意味は五条が言ったものをは違うらしい。
「言ったじゃん、欲情したって」
「………話が読めないんだけど?」
コツン、と額を合わせてじっと見つめる瞳が交わる。それは真剣そのものだ。
けれど、言葉の選びが非常に悪い。彼が何を言いたいのかが全く伝わっておらず、藤花はただ困惑した顔をしている。
「はあ〜〜〜……あれで伝わってなかったのか」
「……?」
目を閉じて深いため息を付く姿はどこか残念そうだ。
しかし、答えになっているようでなっていないそれに彼女はただ瞬きをして、待つことしか出来ない。
「……好きだよ」
「………………………………」
「息してる?」
本気で分かってない。それが傍目から分かるのか、合わせていた額を離すと困ったように微笑んで告げた。
それは藤花にとって、衝撃的な言葉だったのだろう。ぽかんと口を薄く開いたまま、固まっている。その様子に五条は目の前で手を振ってみるが、瞬き一つすらない。
「………嘘だ」
「この間言ったでしょ。あとはとーかが僕を好きになればいいって」
長い沈黙の後、やっとその場を響かせたのは彼にとって何とも悲しい言葉だ。
元々、人の好意を受け取るのが苦手だと言うことは理解していたのだろう。五条もショックは受けていないのか、ふぅと息を吐きつつも、逃がさないように腕の中に彼女を閉じ込める。
(た、確かに言われた……言われた、けど……)
回らない頭でぐるぐると考えるのは、任務のために問題の学校へと転入した朝のこと。
付き合ってるフリをしていることに対して、文句を言った時のことだ。
そんなに気になるなら、藤花が好きになれば辻褄が合う。そんな意味合いで解釈していたのだろう。
まさか、恋慕を抱かれているなんて微塵も感じていなかったからこそ、戸惑いは大きい。
「………あれじゃ、わかんない」
「僕が欲情したって時点で分かってくれると思ったんだけどね」
彼女は恨めしそうに上目遣いで睨むが、そんなに怖くないのかもしれない。
五条はケロッとした顔をして飄々と言い放つ。
「本気で言ってるの?」
「マジマジ」
この男、本当に自分のことを好いているのだろうか。本当に好いていたら、伝わる言葉を選ぶのではないか。
そんな疑問はやっぱり拭えないらしい。念を押すように確認すると彼は困ったように眉を下げて頷いた。
「…………」
「……」
「っ、〜〜〜んんっ!!」
遠回しも遠回し。欲情しただの、あとは藤花が好きになればいいだの、そんなことしか言わなかった男が、自分を好いていると言う。その言葉を信じていいのか、否かが、分からないのかもしれない。真偽を見極めようとじーっと見つめた。
穴が開くほど、射抜かれる視線の先は、五条の瞳。つまり、彼の瞳にもくっきりと彼女が移っているわけだ。それが嬉しいのか、口角を上げて近寄ると簡単にも唇を重ねた。
まさか、この状況で口づけをされるとは思いもしなかったのだろう。藤花は目を真ん丸にさせて逃げようとするが、それは叶わない。いつの間にか、支えるように回された手が後頭部を引き寄せていた。
トンッ、と胸元を叩いても見てもビクともすることなく、逆に手を掴まれてしまう。もはや、されるがままだ。
「――……ね、とーかも僕のこと好きになってよ」
短いようで、長いような時間。やっと解放された唇で新鮮な空気を吸い込む彼女を見て五条は満足気な顔をする。
はらり、と落ちる藤花のサイドの髪の毛を耳にかけなおすようにしてぽつりと零す。それはどこか祈りにも似た声音に聞こえるのは、気のせいか。否か。
(なってよって……もうなってるよ……)
ただでさえ、キャパシティーオーバーの一日だった。
更に自身を混乱させる事実を突きつけられたことに、心は既に答えている。でも、それを音にして伝えることは出来ずに、パクパクと口を動かすだけだ。
――ね、とーかも僕のこと好きになってよ
過保護なほど、気にかけられてることは知っていた。マメに封印が解けないように、と術を施してくれているのだから。でも、その理由は自分が助けた命だからだと思っていた彼女にとって、驚くべき事実なのかもしれない。
「っっっ」
藤花は言葉を詰まらせ、口を一文字にする。自分の気持ちを自覚したその日に相手も同じ気持ちだったと知れば、当然の反応だろう。嬉しさと恥ずかしさでどう反応をしたらいいのか、分かっていない。
「ははっ、顔真っ赤」
「……わ、たしは臆病なの……好きになった後が、怖い」
「怖いって?」
熟れた林檎のように顔を赤くさせる姿は稀だ。だからこそ、彼の心をくすぐるらしい。嬉しそうに目を細めて頬に触れると、彼女はビクッとしては触れた温もりから離れた。まさか今更、そんな反応をされるとは思っていなかったのだろう。五条はきょとんとした顔をして瞬きすると藤花は胸に手を添え、ぎゅっと衣服を握りしめながら、とぎれとぎれに思いを伝える。
両想いだと、分かっているのに何が怖いと言うのだろうか。しかし、両想いであることなんて知らない五条からしてみても、その言葉は分からないらしい。こてんと、首を傾げた。
「……別れの時は、くるでしょ」
考えただけで辛い、のかもしれない。目頭がじわり、と熱くなるのを感じながら、顔を見られないよう下を向き、答えた。
まだ始まってもいないのに、未来の終わりを考えてしまうのはもう、彼女の癖みたいなものだろう。
「別れなんてあると思ってんの?」
「へ?」
藤花の頬を掴み、無理やり顔を上げさせると怪訝そうな顔で覗き込む。何言ってんだ、とばかりに。
それは彼女にとって、予想をはるかに飛び越えたものだったようだ。頬を軽く潰され、造詣が崩れた顔のせいか、上擦った声が出る。
「お前にその気がなさそうだったから、“付き合ってるフリ”ってことにしてたけど、とーかも僕のことが好きなら、一生手放すつもりはないよ」
「…………」
ムニムニと頬を揉みながら、言い聞かす彼の目に、嘘偽りは見えない。それはサングラス越しでも分かる。でも、五条の意図を理解すると胸に抱えた不安は突破られてしまった。なんせ、一生なんて言われてしまったのだから。だからこそ、更に混乱するのかもしれない。言葉を失っていた。
「それと僕ってさ、意外と束縛激しいらしいよ」
「……訳、分かんない」
パッと手を離し、にやりと笑うその顔はいたずらっ子のよう。それでも、頭が追いつかないのか、藤花は眉根を寄せた。
「身体に教えた方がいい?」
「そういうことじゃない!」
「じゃ、何」
「よ、欲情した
まだ分からないという彼女をひょいと持ち上げて、自身の膝に乗せれば、逃がさないように腰に手を回す。彼の言動に身の危険を感じたのか、ハッと我に返って肩を押すが、ビクともしない。
抵抗されることは不本意なのか、抱きしめる腕を強め、じっと見つめると藤花は目を泳がせ、その理由を語った。
「それに関しては僕も驚いてる」
「は?」
彼女の言い分はごもっともらしい。五条がうんうん、と頷くと素っ頓狂な声が上がった。
「とーかを好きになるまで愛ほど歪んだ呪いはないって思ってたし」
「ヤっただけで好きになるほど簡単に出来てなさそうなサトが?」
眉を八の字にして言うそれはなんとも、彼らしい返答。藤花が覗き込むようにまじまじと見て、再度、問うのは疑心からだろう。
「はは、辛辣だね。正解だけど……でも、とーかのことは本気だよ」
「っ、」
鼻頭がくっつきそうな距離で投げかけられる言葉は遠慮がない。それに自嘲すれば、コツンと、額を合わせた。自ら距離を縮めたというのに、相手から更に距離を縮められるのは羞恥を覚えるらしい。藤花はにげるように、目を逸らした。
「……まあ、これだけかわいい反応見せてくれるってことは期待してよさそうだよね?」
「…………学校に潜入した日にサトが迎えに来たでしょ」
「うん」
頬を上気させている姿は男心をくすぐるのかもしれない。いつもなら、冷たさを感じる瞳は優しさと温かさをにじみ出しながら、目を細めた。
物理的に逃げられないから、覚悟を決めたらしい。視線を下に向けながら、ポツリと呟く。五条はそれにただ相槌を打つだけだ。
「……女の子に囲まれてるの見て…………モヤモヤしてたの」
「……」
「それがヤキモチだって今日、知った」
「……」
自分の中にあった黒い感情を思い出してか、彼の衣服を握る手に力が入る。これを言うのは勇気がいるのだろう。揺れる目が宝石のようなキラキラと輝く青い目と交差した。
嫌われてしまうだろうか。そんな一抹の不安がどんどんと、言葉を小さくさせる。
「好きにならないって言ってごめんなさい」
「………ぷっ、ははっ……!」
「!」
彼の沈黙が怖いのか、ぎゅっと目を閉じてた。断言した以前の自身の発言に身を縮こまらせ、五条の反応を待つと、吹き出す声が聞こえてくる。その声に固く閉じた瞼をパチッと開けると五条は大きな口を開けて笑う、嬉しそうな顔をしていた。稀に見ないその顔に藤花は自然と目を真ん丸になる。
「へぇ、とーかも僕のこと好きなんだ?」
「っ、……好き」
「あー、良かった」
にやにやと緩みきった顔で聞くそれは悪戯心も含まれているのだろう。わざわざ聞き返すところはタチが悪い。反射的に出そうになった言葉を飲み込むと彼女は口を尖らせ、小さく告げた。彼が求めていた言葉を。
それにやっと実感が湧いたのか、深く息を吐き出して抱きしめる。
「…………絶対別れない?」
「別れない」
「……」
たくましい腕に包まれながら、確認するように問いかけるそれは失いたくない、という恐れからなのかもしれない。しかし、寸分の迷いもなく、即答で力強く答えられたそれに酷く安心したようだ。
当かはふわりと柔らかい笑みを浮かべると彼の背中に手を回す。
(可愛すぎ……え、手出していい?)
(今日はやめておけ……五条よ)
今までにない行動に、ドキッと心臓が高鳴るのは、五条もまた彼女に恋慕を抱いているからだろう。二人のやり取りを後ろでひっそりと見守っていた藤花の保護者に目をバチッと目が合う。許可を取るようにアイコンタクトを送るが、彼女の式神である白狐は呆れた目を向け、静かに首を横に振ったのだった。