「さっきから聞いてりゃ……」
「落ち着いて下さいまし、五条様。藤姫さまから止められています」
高いビルの上から見えるのは藤花が潜入している学校の屋上。
風が吹く中、見下ろす五条の機嫌は悪い。苛立った顔をしている彼を宥めるのは藤花の式神・玄武だ。
「んなもん関係ないだろ」
「とても藤姫さまのことをお好きなことは分かりますが、今は耐えてくださいませ」
距離があるというのに彼女達の会話が聞こえるのは、彼の手の中にある携帯からだ。何かあった時に対応できるように通話だけしてあるらしい。
五条は目を細め、冷たくあしらうと玄武は眉を下げる。今、彼に出ていかれたら、主が困る。だからこそ、もう一度、頼み込んだ。
「……」
「……五条様が藤姫さまのことを大事に思って下さり、
藤花が対峙している少女にとって嫌悪を抱いていても、彼女の邪魔をしたい訳ではないのだろう。玄武の言い分も分かるからか、ジロッと隣を見る。
思いとどまってくれた。
それにほっと胸を下ろすと玄武はペコッと頭を下げる。
「へぇ、歓迎されてるとは思わなかった」
「生きることから目を逸らしてた姫さまにきっかけを与えて下さったのは貴方様ですからね」
意外な言葉だったのかもしれない。彼は目をまん丸にさせると視線を学校の屋上へと戻した。
クスッと笑を零し、口元に手を添えると嬉しそうに玄武は言う。
ずっと近くでいた式神ですらなし得なかったことを五条はいとも容易くやってのけてしまったのだ。感謝しかないのだろう。
「ほんとに君たちってとーかのこと好きだよね」
「当たり前ですわ。
「へぇ、親御さんの許可はもう貰ったようなもんか」
本来、術師と式神はただの主従関係だ。でも、それだけではないと言うことが肌で感じられる。それは玄武が藤花に向ける視線で一目瞭然だ。いや、彼女だけではない。白狐も朱雀も青龍も、それだけの関係とは言い難いほどに主のことを気にかけている。それは五条からしたら、異常に見えるのだ。
呆れたように息を吐き出せば、愛らしい笑顔が彼に向かって咲く。まるで、自分の子を愛しむ母のような姿に彼はふっ、と口角を弛めた。
何が言いたいか。それは恐らく、五条と藤花の関係について、ということだろう。
「……さあ、どうでしょうか」
一瞬、キョトンとした顔をした玄武だが、手を身を包む着物の裾で隠し、口元へと運ぶ。そして、どちらとも読めない笑みを浮かべて首を傾げた。
◇◇◇
「させない。もうこれ以上罪を――」
「罪って何?」
ところ変わって、学校の屋上。そこにいるのは対峙している少女が二人。
藤花は眉根をよせ、はっきりと告げる。いや、告げようとした。
これ以上罪を重ねさせない、そう言い切る前に問い返される。彼女の前にいる少女、スズの表情は和やかだ。それが余計、ヒヤリと背中に冷たいものが走る。
「理不尽を受けたからと言って同じことを……いえ、それ以上をしていいわけがない」
「そうでもしないと思い知らないでしょう?」
場の空気に飲まれないよう務めて平静に、言葉を続けた。でも、それは届くことはない。彼女には藤花の言葉を分かるつもりがないのだから。
「……あなたは何のためにそんなことをするの?」
「私のために……私の大好きな人たちのために。だから、藤花ちゃんも守ってあげる」
何故、そんなことをするのか。不思議に思ったからこそ、聞いた。まるで、全てが敵であるかのように言うから。
スズは胸に手を添え、目を閉じてそれに対して答える。自分の答えに満足したのか、こくり、と頷いて微笑んだ。
「……守るって、何から」
「あのいけ好かない彼氏からでも何からでも」
普通の人間より鍛えられているし、修羅場も乗り越えてきている。守られるほど、弱くはない。その自負はあるのだろう。だけど、自信満々に告げられたそれに疑問を持たざるを得ない。
目を細めて聞き返せば、スズは両の手を広げた。
――彼氏、イケメンだね
キラキラとした目でコソッと、耳打ちした彼女を脳裏に思い浮かばす。
「……カッコイイって、言ってたじゃない」
「カッコよくてもダメよ。私から藤花ちゃんを奪うなら」
「……」
「藤花ちゃんはずーっと、私のそばにいるの」
転入初日に五条を見てた時と真逆の反応を示す彼女に藤花はポツリと、零した。
カッコイイと、思っていることは否定するつもりはないらしい。でも、首を横に振って肩を竦めて言う。
まるでおもちゃを誰にも貸したくない子供のようだ。厄介なのは一人の人間に対して抱く執着心といえよう。だからこそ、藤花は言葉を失った。
この短い間でそこまで執着されてしまったことに。
「……断ったら?」
「それはないよ」
「どうして?」
「天使様が絶対願いを叶えてくれるもの」
固唾を飲み込んで問いかければ、選択肢などないとばかりに即答される。その意図も理解できないのだろう。藤花は眉をひそめて問いを重ねると少女はパチパチと瞬きをした。
「……」
「今まで叶えてくれたようにね」
「……随分都合のいい天使ね。時には誰かに罰を与えてるなんて」
天使と名乗る呪霊の信者と化した少女を真っ直ぐ見つめる。その瞳はどこか、悲しみの色を宿しているように見えるが、それに誰も気付かない。スズが嬉しそうにはにかんだのがその証拠だ。
藤花は紡がれる言葉にどんどん心が冷えていくのを覚えながら、鼻で笑う。馬鹿らしい、そんな感情が湧き上がるのかもしれない。
「…………正しく生きていないのに罰がないなんてダメでしょう?」
「あなたがそれを決めるの?」
「天使様が助けてくれてる……それは私が正しいから、だよ」
スズはごく至極当然のように小首を傾げた。自分の犯した罪を理解していないかのように。だからこそ、藤花は反問する。
でも、返ってくる答えはどこまでいっても平行線上だ。
「人を故意的に不幸にしておいて何が正しいだ」
「!」
「……貴女がやっていることは人の道を外れたただの外道だ」
ギュッと手のひらを握り、突き放すように言う。今までと違って、低く、冷たい声音で。
それに驚いたらしい。スズはこれでもかと言うほど、目を大きく開いた。
そんな彼女の顔を見ても揺らぐことはない。藤花は嫌悪感を隠すことなく、威圧的に言い放った。
「どうして……どうして、いつもみたいにスズって呼んでくれないの?」
「この”場”を破壊し、天使も祓う」
「どうして私達……友達なのに…何でそんなひどいことを言うの…………いや……いや!藤花ちゃんはそんな子じゃない!!」
スズの知っている彼女は静かで、人を差別することもなく、ただある。そんな人だ。
そんな人だったはずなのに、目の前にいる彼女はどうだ。酷く冷たく、貶すような目をしている。
いつも呼んでくれていた愛称は今日、1度も呼ばれない。急に不安が募ったのか、声が震えた。
それでも、藤花は変わらない。冷めた表情で淡々と言うのだ。もっとも彼女が失いたくないものを壊す、と。
この現実を受け入れたくなくて、スズは首を横に振った。失う恐怖に涙がポロポロと零れる。
彼女の知っている優しさのある顔ではなくなっていることは事実だ。それに顔を歪め、頭を抱え込んで、悲痛な声で叫ぶ。
「白狐、場を壊せ」
「応……娘よ、ちいと悪いがそこをどいてもらうぞ」
藤花は傍で姿を隠していた白狐を呼び寄せた。ボンッと煙が立ち込めると大人の姿をした式神の姿が現れる。
白い狐耳がピクピクっと反応すれば、懐から扇子を取り出し、扇を開いてニヤリと口角を上げた。
「きゃっ!」
スズに向けて扇子を仰げば、柔らかい風がふわりと彼女を宙に浮かばせる。
浮遊感に驚き、手足をバタバタとさせているが、生憎、地上に降りる術は何も持ち合わせていない。
「天狗風!」
そのままバッと縦に扇子を振り下ろした。鋭い刃が屋上の地面を抉りとるように刻むと臙脂色が黒へと色を変える。
「や、やめて……!!て、天使様……天使様!!助けて……!」
「もう願っても奴は来ないぞ!」
ボロボロと流れる大粒の涙。絶望を抱えた表情で必死に止めようとしても止まらない。カタカタと方を震わせながら、頼りの綱である呪霊に助けを求めた。
けれど、彼女の声に答えたのは違う声。
「!!」
「……俺達が祓った。もうお前が縋るものはいない」
そちらに顔を向ければ、大人の姿をした赤髪の少年と青髪の青年だ。
青龍は涼しい顔をして、事実だけを語る。
「なんで……どうして………そんなことをしたら、また私は……!!耐えなきゃいけない日に戻るじゃない!!」
「被害者ぶるのもいいかげんにしなさい!」
「!」
ボロボロになった屋上。それでもまだ平坦なコンクリートの上に、藤花の目の前にそっと降ろされたスズは瞬きすることなく、眉を釣り上げて喚いた。
我慢の限界だったのかもしれない。藤花は声を荒らげた。
耳を刺すような声を出す彼女は初めて見たスズは驚きのあまり、涙が自然と止まる。
「……確かにいじめを受けていた貴女は被害者だった。でも、今の貴女はただの加害者だ」
「なんでよ!!私は何もしていないじゃない!」
ふぅ、と息を吐いて心を落ち着かせると静かに叱責した。
自分が悪者になることが許せないのだろう。スズは怒りに任せて、自己主張する。その目つきはとても鋭い。
「悪魔の囁きに耳を傾け、手を取り、人の不幸を願った貴女は本当の被害者じゃないでしょう」
「………」
藤花は見下ろしながら、静かに語りかけた。それに反発するように、スズはピクっと眉を動かしながらも、黙ったまま睨みつけている。
でも、いつの間にか、式神にも囲われて逃げ場などない彼女は無抵抗でいるしかなかった。
「いじめだけだったら、人の領域だけど貴女が手を出したのは領域外よ」
「………」
しゃがみ込めば、瞳が交差する。罪の重さを教え、額を指先でトンっとすれば、スズは崩れ落ちた。
それを抱え込むとゆっくり地面に寝かせる。
「終わった?」
「……サト」
気配を消し、藤花の背後から腰を曲げて問う男。五条に彼女は静かに驚きながらも、息を吐いた。
ゆっくり顔を上げて見上げるその表情は何か言いたげだ。
「どうかした?」
「この子どうするの?」
「まあ、……死にはしないんじゃない?」
こてんと、首を横に倒して聞けば、返ってくるのは疑問。今後の扱いについて、だ。
呪い、呪霊のせいだとしても元はと言えば、人が呼び寄せたもの。呼び寄せた人間は既にこの世にいないとしても、悪用したことに変わりはない。
上層部に渡すことは決定事項だとしても、一抹の不安が過った。
五条はその意図を察したらしい。あっけらかんと答えるが、彼女の満足するものではなかった。
「………今からやること目つぶって」
「何する気?」
眉を寄せてきゅっと唇を結ぶと、またゆっくり口を開く。その言い方はやってはいけないことをすると言わんばかりだ。
五条は片眉を下げてこれからなそうとしている事を聞く。
「この子に戦うほどの力がない……呪いを見る眼だけ奪う」
「……そんなこと出来るんだ?」
涙の跡が残る少女の顔を見つめ、なんの迷いもなく言う。
しかし、そんな術があると聞いたことがないのだろう。彼の目がビー玉のように丸くなった。
「――…彼の者の名は鈴木直美。常世を映す瞳を手放す者也――…」
顔を上げ、見上げて笑う顔は寂しげだ。それでも、何かを言うことなく、また眠っている少女に目を向ける。彼女の目元に手を添え、祝詞を唱えた。
手のひらから淡い青い光が放たれると自然に霧散する。
「……終わった?」
「うん、これで少しは罪が軽くなるといいけど」
手を下ろす藤花に声をかければ、返事が返ってくる。膝に手を添え、立ち上がると悲しそうに微笑んだ。
スズに対して言った言葉は嘘じゃない。被害者ではなく、加害者だ。でも、もし、いじめなんて、最初からなければきっと彼女はこんなことをしなかっただろう。
それが分かってしまうからこそ、複雑なのかもしれない。
「ほーんとびっくりするぐらい人が良すぎ」
「それがおひぃじゃからな」
「ちょ、サト重い」
小さな体を包むように後ろから抱きしめて、ため息を着く。それは彼女の優しさに呆れているからだ。
しかし、それでこそ、藤花と言えるのだろう。ボムっと煙が立つと手のひらサイズに戻った白狐が偉そうに言う。
抱き締められてるにしても体重をかけられているのは嫌らしい。彼女は眉を寄せて、腕から逃げようとするけど、それが叶うことはなかった。