好きな、あなたの音








「………」


 今日はオフなのか、珍しく家の中でのんびり過ごしていた五条は頬を引きつらせる。それは全て彼の背にいるとーかのせいだろう。
 彼女は彼の背に耳をピタリとくっつけてギュッと抱きしめながら、目を閉じていた。ただ何かをするわけもなく、ただじっとそうしている。


(これはこれで生殺しだよね……三十分はこうしてるんだけど)


 五条は後ろから伝わる体温に内心ため息をつきた。
 それもそうだ。触れたくても後ろにいるとなれば、触れる手段は限られてしまう。


「……ねえ」
「んー?」
「……楽しい?」
「んー……、落ち着く」


 限界が来たのか、彼はチラッと後ろを見て声をかけるが、彼女は眠そうな声で反応を示すだけ。


「なんで、前じゃダメなの?」
「変なことするでしょ」


 不満たっぷりな顔をしてもう一度、聞く。だが、それはとーかにあっさりと言い返されてしまった。


「変なことって?」
「……」

 いたずら心が芽生えたのか。五条はにやりと笑って首を傾げる。
 それが目に見えて分かるのかもしれない。彼女は先ほどまでの柔らかい表情を何処かへ置いてきたように、眉根を寄せてただじっと憎たらしい笑顔を見つめた。


「ねえ、変なことって?」
「そんなに言わせたい?」
「うん」


 彼は催促をする。どうやら、引く気はないようだ。
 とーかは面倒くさそうに聞き返すと五条は嬉しそうな顔をして頷く。


「せっかく癒されてたのに台無し」
「癒されるなら後ろじゃなくて前でいいじゃん。どうせ、胸の音を聞くだけなんだし」
「っ!」


 深いため息をつくと彼の腹部に回していた手を緩めて離れようするが、それは止められた。細い腕を掴んでグイッと掴んで、五条の膝へと座らさせられてしまう。
 引き寄せられるとは思っていなかったのか、彼女は驚いた顔をして息を飲むとフイッと顔を背けた。


「で、なんだっけ?」
「……だから、前は嫌なのよ」
「なんで?」


 ニコッと笑って聞くあたり、流石だ。分かりきってる答えだったとしても、本人から聞くまで逃がすつもりがないことが伺える。
 とーかは不服そうな顔をして体を巡っていた二酸化炭素とともに愚痴を吐き出した。
 こうなることが分かっていたからこそ、言わずに躱していたらしい。しかし、彼からしたらもうチャンスでしかない。言わせるタイミングとしては適している。見逃さずに問いかけた。


「意地悪するから」
「…………」


 今度は嫌がることなく、即答する。けれど、それは彼が求めていた答えではないのだろう。綺麗な笑みを浮かべたまま、ただ固まった。


「離してよ」
「ヤダ」


 数秒の沈黙に、勝利を確信したのか。とーかは上から降りようとするが、いつの間にか腰を腕に絡められているから彼の協力なしでは抜け出せない。
 ジト目を向けてお願いすれば、寸分の狂いなく飛んでくる否定。しかも、そのおかげで腰に回されている腕の力は更に強められた。


「……」


 イヤだと言いながらも、不快には感じていないのだろう。照れくさそうな顔をして大人しく彼の上に居座り続けているのが、何よりの証拠。


「っ、……」
「……」


 いつもなら、やらないのに。
 今日に限っては前から抱き着いてきた彼女に驚き、五条は固唾を飲み込んだ。
 とーかも自分でも珍しいことをしている自覚があるのか、耳は赤く染まっている。でも、今ここで離れれば、顔まで見られてしまう。それが分かっているからこそ、ぎゅっと抱きしめたまま離すことはなかった。


「……」


 トクン、トクン、と聞こえる心臓の音。生きていれば、聞こえるそのリズム。
 それにほっとしたように、彼女は目を細める。


「本当に僕の音、聞くの好きだよね」
「……うん、好き」


 また音に集中し始めた彼女にどこか嬉しそうで寂しそうに零すととーかは鈴が鳴るような可愛らしい声でぽつりと呟いた。


「……変なことしていい?」


 音を聞くときは大抵、心が弱っている時。
 普段、甘えない彼女が最上級で甘える仕草だということを理解しているが、長いことお預けを食らっている彼からするとその一言はなかなかの威力だったのだろう。我慢が出来なくなってきたのか、ぽんぽんととーかの背中を軽く叩きながら確認する。


「…………」


 いつもなら、強引にするのに気を使っているようだ。それが分かるから余計恥ずかしいのか、彼女は顔を真っ赤にしたまま、ぎゅっと服を掴むだけで、返答はない。


「おーい……っ!」


 ダメか、と思いつつも湧き上がる欲に従順な彼は声をかけようとした瞬間、唇に何かが重なる。チュッっという音に五条は目を大きく開いた。
 それもそのはず、キスを自らするようなタイプの女じゃないのだから。


「……いいよ」


 目の前にあるとーかの顔は茹で上がったタコと大差ない。自身でもそれが分かっているのだろうが、顔を隠したりすることはなく、うるうると瞳を潤ませた。


「え、いいの?」
「……なんで確認するのよ」


 予想外の答えだったのかもしれない。彼がキョトンとした顔をして聞き返せば、口を尖らせて目を細める。聞き返されたくはなかったようだ。


「いつもなら嫌がるじゃん」
「……じゃ、もう離して。やっぱナシ」


 冷静に見えるが、五条は動揺しているのだろう。証拠に目が泳いでいた。
 らしくない彼にスンッと表情を戻すと、胸板を押して降りようする。けれど、決して離されることはなかった。


「……ちょっと」
「え、言質取ったんだから、変なことするよ」
「…………」


 もう一度、グイッと押してみるけれど、ビクともしない。それに彼女はこてんと首を横に倒した。
 動揺していたのも一瞬の出来事だったのだろう。平静を取り戻した彼は何を言ってるんだとばかりに真面目な顔をする。
 さっきまではいいと思っていた自分を否定したいのかもしれない。とーかは表情を固くさせた。


「ってことで、寝室にいこっか」
「……」

 膝に乗っていた彼女を横抱きして立ち上がる。それはもう有無を言わせない行動だ。
 逃げ場も、手段もない女性はただもう大人しく抱えられていた。


「てか、変な事じゃないよね。今更だけど」


 ガチャッと寝室へと繋がる扉を開ければ、ふと思い出すように言い出す。


「何が?」
「だって、僕たち恋人なんだし。普通じゃない?」


 何を言い出すのかが分からないのかもしれない。とーかは顔を見上げると五条は上機嫌で答えた。


「……あのさ、手加減はし――っ!」


 ポスッとベッドに横たわらさせられたことに、緊張したのか。喉を上下に動かす。
 淡い希望を持ちながら、言おうとした言葉は最後まで言わせてもらえなかった。


「んんっ」


 言葉を飲み込んで侵入する舌に驚き、声をくぐもらせる。けれど、侵入者は止まることを知らない。どんどん侵略して、熱を与え続けた。


「っ、ふ、う……んん」


 元より覚悟は決めていたからだろう。何より、拒絶する理由もない。
 何度求められても慣れることのないそれに応えるように舌を絡めれば、静かな寝室に混ざる吐息と水音が嫌に響いた。


「っ、は……あ……」
「今日は手加減しない」
「っ、いつもしないくせに」


 苦しくてトントン、と胸板を叩けば、やっと解放される。新しい酸素を取り込もうとした瞬間、ふと目に入った銀の糸に、彼女はぶわっと込み上げる身体の熱を感じた。
 なかなか切れないそれに五条は舌でからめて切れば、獲物を狙った肉食獣のように鋭い目を向ける。
 喰われる。
 それは本能的に理解しているのかもしれない。でも、抗いたい一心で言い返した。
 それもまた彼にとっては猫に引っかかれた程度のものなのだろう。いや、それ以下かもしれない。妖艶に微笑んで、また深い口づけを落としたのだった。


ワードパレット 金平糖
(胸の音、キス、芽生え)

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