「弱った……白狐と離れた」


 何もない。
 ただ、壁と天井、床だけしかないコンクリートで造られた灰色の建物せかいの中にぽつんと一人にされてしまった藤花は眉根を寄せて困ったように呟く。


「あの二人…大丈夫かしら」


 食ってかかる白狐と飄々としている五条を脳裏に浮かべるとあまり仲良くやれるタイプではないと思ったのだろうか。自分がどこにいるか分からない状況に不安になるより置いてきた2人を心配しているようだ。


「っ!」


 背後から呪力を感じとったのか、彼女は地に付けていた足を蹴り飛ばし、その場を離れる。その行動それは結果的に正解だった。
 何故ならば、藤花のいた場所には太く、長く伸びた円錐のような鋭利なものが突き刺さっていたからだ。


「……私をここに呼んだのはお前か?」
「………」


 彼女は地面に足を付けると攻撃の先にいる闇と同化している呪霊に言葉を投げかける。
 敵は言葉を発することなく、ただ怪しく目を細めてニヤリと笑うだけだ。


「言葉も喋れぬ畜生ちくしょうが」
 それが苛立たしく思えたのだろう。藤花は眉間にシワを寄せ、舌打ちをして毒を吐く。


「!?」


 彼女の言葉は通じているのか、否か。それは分からないが、呪霊は藤花を目がけて勢いよく飛んで行った。
 飛んできたものは呪霊ではあるが大きい丸い球体に全身棘を身につけたような姿。
 簡単に言ってしまえば、その姿は雲丹うにそのものだと言っていいだろう。


「っ、ばく!」


 彼女はレッグホルスターから薄紫色の札を取り出すと雲丹に目がけて札を投げ、一言いちごんを口にした。しかし、それは当たらない。
 呪霊の動きが想像以上に早いからだ。


「……」


 敵は建物を有効に使っており、壁にぶつかった瞬間、また藤花を狙うが、狙いはどうやら直撃ではないらしい。呪霊の雲丹うにのような棘は彼女の頬を掠めた。
 動きを止めることなく、次々とスピードを加速させて、壁や天井、地面に自身の体をボールのようにぶつけながら、藤花の四体を傷つけていく。


「…急所を狙わないところを見ると……痛ぶるのが好きか」


 かすっているだけだから傷が浅く見えるが、実に傷の深さはなかなか深い。だが、彼女は顔色を変えずに前を見据えていた。
 どんどん身体中に傷ができていく中、快楽犯のように遊んでいるような呪霊に向けて鋭い眼光を向ける。


「外道が」


 話しかけているが、ちゃんと聞こえていないのか。聞く耳すら存在しないのか。ところ構わず、呪霊は動きを更に早くするだけだ。
 その様子に藤花は低い声音で吐き捨てると着物のような袖丈の袖から指と指の間に鋭い五寸の長さの針を挟む。


「臨」


 袖から出すと呪霊のいた方向へ投げ飛ばしながら、一句を発音した。だが、その攻撃は敵に当たることはない。
 ただ呪霊がいた方向に針が四本の針が地面に突き刺さるだけだ。


「……兵…っ!?」


 また袖口に手を入れて指と指の間に針を挟んで先程とは違う方向に投げた刹那、背後から感じる気配に振り返れば、呪霊の鋭い棘は左耳朶を掠め、耳飾りは宙を舞う。


「……闘……者、皆、陣、列在、前、行……!」


 耳飾りが遠くへと飛んでいってしまったことに彼女は険しい顔をすると両の手を両方の袖口に突っ込み、針の準備をするとどんどんと言葉に合わせて飛ばしてった。
 全て言葉を言い終えれば、呪霊の動きに合わせて両手をパンっと清々しい音を響かせて叩くと針の刺された九つの場所から小紫色の光の柱が立つ。
 それは九字となり、光の柱が九つの線に結ばれると呪霊の動きを狭い場所で封じられた。


「!?」


 動きたいのに範囲を狭められた呪霊は藤花に攻撃するにもできない場所で閉じ込められている。
 それに今、気がついたのだろう。慌てたようにしていた。


いずれもいずれも現世うつしよに在らず、常世とこよに在らず、在るべきに在らず」


 彼女は人差し指と中指を立て手印しゅいんを結べば、祝詞を口にしながら、五芒星ごぼうせいを描く。


「……!!」


 光の柱はどんどんと中心部へと集まっていくと呪霊は自分を囲む光の感覚が狭まっていくことが分かるのか、焦ったようにバンバンと結界を叩き続けた。だが、壊れることはない。


「ギャアアアアアアアアアアアアァァァァァァァ……!!」


 呪霊はとうとう光の柱に挟まれ、もう抜け出すことは不可能だ。どんどんと左右上下に圧力をかけられたように押し潰されると大きな叫び声を上げる。


ね」


 藤花は不敵に微笑んで静かに、クリアな声で一言を口にすると呪霊は消え去った。


「……かまいたちだったら血が止まるんだよな……なーんて……っ!?」


 呪霊の気配がなくなったことを感じると彼女は肩の力を抜いて平然とした顔でいるが、足元にあるのは血の海と言っても過言ではない。
 ダラダラと流れ落ちる自身の赤い体液を見つめてぽつりと呟くが、血を流しすぎたせいでドクンッと心臓が跳ね上がるのを感じ、膝から崩れ落ちた。


「っ、………」


 藤花は何かに耐えるように目を閉じ、眉間にシワを寄せてじっとする。


「あれ、もう終わったの?意外と早かっ……?」
「おひい!」


 藤花と離されていた五条と白狐は呪霊が倒されたことにより、彼女の近くに来ることが出来たのだろう。
 遠くにいる藤花を見かけると五条は両の手をポケットに突っ込みながら、悠々とした態度で状況を把握し、意外そうにしていた。
 だがしかし、倒れ込みながら、じっとしている彼女の様子がおかしいことに気がついたらしい。眉根を寄せて首を傾げる。
 白狐はなにかに耐えるようにじっとしている藤花の下に広がる赤いものにに血相を変え、彼女の名前を叫んだ。


「耳飾り……落とした……拾っ……」
「今拾って……」


 五条の傍にいたはずの白狐はいつの間にか自身の主の近くにいた。
 藤花は声を出すことも厳しいのか、途切れ途切れになりながら、震える指で耳飾りの居場所を伝える。
 事態を把握した彼女はくるっと振り返り、急いで耳飾りを拾ってこようとした。
 その瞬間、パキッという音が響く。


「ん?」
「………」


 靴と床の間に何か挟まっている感覚を覚えたのか、彼は首を傾げると足をそっと退かした。
 案の定、そこには確かにモノがある。だが、それは踏み潰していいものではなかった。
 あまりにも簡単に割れた音がした為、藤花も白狐も顔を真っ青にさせる。


「あ、ごめんごめん。踏んじゃったわ」
「ば、馬鹿者!!」
「おわっ、そんなに怒らなくたって……ってか、何これ?」


 踏んだものはもちろん、言わずしてもわかるだろう。彼女の耳飾りだ。
 五条はそれを拾って軽く謝罪をしながら、笑って二人の元へと歩み寄る。だが、それは笑って済ませていい問題ではないようだ。白狐はわなわなと肩を震わせて怒鳴り散らせば、彼に顔を近づける。
 予想以上に怒る式神に驚き、もう一度拾ったモノに目を向ければ、何やら微かにだが漏れ出ている呪力を感じとっていた。疑問を投げかけながら、しゃがみこんで藤花の顔を覗き込む。


「サト」
「ん?」
「逃げて」


 質問に対して、彼女からは求めていた答えは返ってこなかった。
 ただ彼の名前を呼ぶだけ。
 五条は首を傾げるとそんな彼を藤花はドンッと突き放してたった一言を紡ぐだけだった。


「は?」


 油断していたのか、無下限を解いていたのだろう。彼にとって予想外の行動を取られたことにより、尻もちを付く。だが、いまだに意味が理解できないのか呆然と彼女を見つめるだけだ。
 それもそのはずだ。特級呪術師。最強と謳われる男を捕まえて、“逃げろ”と言うなんて理解に苦しむ。


「っ、―…盟約めいやく……安倍藤花のにおいててんよりたまえ !玄武げんぶ!」


 ドクンッ。
 また鼓動が強く跳ね上がり、身体の細胞が変わっていく感覚を覚えると藤花は唇から血が流れるほど噛み締めた。そして、パンッと両の手を叩き、手印しゅいんを結んで強制召喚の祝詞のりとを口にする。
 彼女の口から出た名は安倍晴明が従えていたとされる十二神将・北の守護神であり、水神である玄武だ。


「藤姫さま、いかが……これは!?」
「私に結界を!」
「は、はい!」


 柔らかく耳通りの良い女性の声で問いかければ、目の前の状況ですぐさま察したらしい。血相を変えると藤花は胸をぎゅつと掴みながら、短く命令をした。彼女もそれに従って両の手のひらを藤花へと向ければ、水の膜のような結界を張る。
 それはもちろん、安倍藤花に向けて、だ。


「おい、どういうことだよ」
「……お主が耳飾りそれを踏んだことで封印が解けてしまったんじゃ」


 五条は尻の埃を叩き、立ち上がると結界を張られている少女に目を向けて戸惑いの表情を浮かべる。
 結界の中で苦しんでいる彼女は何せ、内に秘めていた呪力を身体から放出しているようにさえ見えるのだから無理もない話だ。
 玄武は結界が破られないように必死に結界の強度を高めているからだろう。白狐がその問いに答える。彼女は悲しそうに耳を垂れ下げて、彼の手のひらにある耳飾りに目を向けて答えた。


「何の封印だよ」
天狐てんこ………呪霊の血じゃ」
「!……よく、隠してたな。また封印でもする?」


 まだ十六年しか生きていない娘の身体に封じられているものが分からなかったらしい。ピクリと眉を動かして再度聞けば、白狐は瞳を揺らしながら、答える。
 天狐……それは千年以上生きているとされる尾が四本の神格化した善狐だ。これもまた特級呪霊の一つ。
 その存在を気取られることなく、隠していたことに流石の彼も驚きを隠せないようだ。冷や汗をかきながら、藤花をどうするべきかを問う。


「お主が踏んだやつはそんじょそこらのものと訳が違う。あれと同等のものなど即席で作れない……だから、気絶させて何処か封印部屋に運ぶなどという案は気休めにしかならない」


 白狐は眉間にシワを寄せて首を横に振った。
 封印をするという提案は出来ることなら、飲みたいのかもしれない。だが、現実問題それは最適解ではないのだろう。悔しそに手をぎゅっと握り締めて言った。


(確かにあの耳飾りふういん目視するまでちゃんとみるまで気付けなかった……それだけ誰にも気付かれないように隠されてる存在、か)


 ちらっと横目で顔を歪ませている式神の顔を見ながら、五条は考えを巡らせる。初めてあった時は深くフードを被っていたから、目視で耳飾りを見えたわけではなかった。だからといって、自他共に認める呪術師の腕を持っても見抜けない封印であったことを理解すれば、納得したらしい。
 とんでもない少女がいたもんだ。
 そんなことを心の中で吐露しながら、息を吐く。


「目覚めてしまったらもうどうしようもない……おひいに残された道は一つ」
「……」


 ぐいっと俯いていた顔を上げると白狐は意を決した顔をして言葉を紡いだ。
 それを意味することは彼も何となく察していたのだろう。サングラスに隠されている碧眼を薄らと細める。


「…………死ぬだけじゃ」


 彼女は薄く唇を開くが、音を発することはない。
 長い沈黙の後に血反吐を吐きそうな低い声で苦しそうに最も口にしたくないことをはっきりと告げたのだった。




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