「はあ………はあ……っ、は………」


 駐車場から院内までそんな大した距離はないけど、息切れする私。

 いや、もう28だから仕方ないかな。
 なんてことを考えながらも日頃の運動不足を反省しつつ、ぐいっと顔を上げた。
 でも、そこにいるはずの人はいない。


「はあ!?いない……!」
「あの、面会はもう……」


 それに衝撃を受けて病院にいるということを忘れて声を荒らげた。

 いろって言ったのに!!
 そんなことを思っていたら、ナースセンターから顔を出す看護師さんは眉根を寄せて迷惑そうに声をかけてくる。

 いや、本当にごめんなさい。


「看護師さん!虎杖くん!虎杖悠仁くんはいますか?」
「ああ、彼なら先ほど書類書き終わって……お友達と学校がどうのって言ってましたよ」


 訳分からず電話切られたとしても素直な彼が言うことを聞かずに待っていないなんてありえない事なのだ。
 何かあったのかと思って看護師さんに掴みかかる勢いで聞くと看護師さんは身を引いた。

 そりゃそうだよね。ごめん。
 でも、今はあなたのことより生徒が心配なんで気にしてられません。

 彼女は驚いたような顔をしてすんなり答えてくれる。
 いや、いい人に当たってよかった。

 そう思う反面、ここにいないという事実に力が抜けそう。

 
「入れ違い…!!すみません!ありがとうございます!!」


 だって、学校からここに直行したのに1度もすれ違わないっておかしいじゃない!!
 どういうことよ!?
 
 あの子の運動能力は知ってるけどもはや忍者じゃない!?
  心の中は荒波のように荒くれさせながら、勢いよく頭を下げて謝罪とお礼を告げた私はまた戻るために駐車場へと走る。


「っていうか、おじいさんが亡くなって学校休むって言った子がなんで夜の学校に行くのよ」


 シートベルトをつけてアクセルを踏んだ。
 法定速度ギリギリで飛ばして学校に向かう。

 運転しながら、考えるのはやはり看護師さんの言っていた言葉。
 こんな夜遅くに病院に駆けつけるような友人が彼にいたのか、不思議だった。
 確かに虎杖くんは人との距離を縮めるのは上手だ。

 それでも学校にそんなに仲の深い友人関係がいるかと聞かれると分からなかった。
 彼は誰とでも仲が良いイメージがあったから。

 もしかしたら、学校外に出来た友人なのかもしれないけれど、違和感が拭えなかった。
 急げ、急げ。何か嫌な予感ばかりする。

 
 校舎が見えて来た。もう少ししたら着く。 
 その瞬間だった。学校の方から激しい音が聞こえたのは。
 

「っ!!」


 私はその音に驚いて、とっさにブレーキを踏む。
 だけれど、その音に生徒が巻き込まれている可能性が脳裏をよぎると心臓が強く跳ねた。
 
 正直怖いし、このまま家に帰りたい。
 でも、私は教師だから。

 生徒が危険に巻き込まれている可能性があるなら、行かなければならない。
 本来の目的なんてこの時の私は少し忘れていた。


「ふぅ……」


 深く深く、苦しくなるまで息を吐くと私はハンドルを握る。
 そして、今度は法定速度を無視して学校へと向かった。

 車から降りて虎杖くんが向かった場所を考えているとドガッという音が聞こえてくる。
 そちらを向けば、コンクリートで出来たはずの壁がぶち壊されて、人が宙に浮いていた。

 いや、あの分厚いコンクリートがぶっ壊れるってどういうことよ。

 冷静な私はそれを突っ込むが、それの束の間だ。
 更に渡り廊下の建物の上に飛び降りる人物を見ようと目を凝らせば、見慣れた顔だった。
 

「虎板くん……!?」


 夜なのにこんなはっきり見えたことに驚く自分もいたが、生徒が校舎から飛び降りて見えない何かを思い切り殴っている姿にそれはかき消された。

 茫然と立ち尽くしていた私は我に返って、慌てて校舎へ向かって走りながら、考えることにした。
 
 落ち着け、落ち着いて考えろ。
 記憶お化けの私なら、何かしら覚えのあることがあるはず。

 いや、こんなこと考えなくても薄々気付いてる。
 ただ私のトラウマみたいなものだから、その可能性を棄却したかった。 

 まあ、トラウマになるほどそれと関わりはなかったんだけど。
 家系的な意味でトラウマであんまり聞きたくも思い出したくもない存在。


「ハア……ハア……っ、……私に見えないってことは……ハアッ……呪霊……っ、ってこと……よね……!」

 
 口に出してしまえばもう覚悟は決まる。
 走りながら、言葉にした。

 どーーーーーーーーーーーしよう。

 呪霊とか見えないし。呪力とかないし。
 だって、私、そっち方面かりっきし無能なんだけど。

 どうやって虎板くん連れて逃げる?????
 虎板くんを見つけたら、そっこう捕まえて車で逃げる???

 え、そんな逃げられるモノなの???
 私、人生で呪霊に遭遇したことすらないのよ??
 詰んでね??

 若干、現実逃避をしつつも階段を走る。
 いや、全然運動してないからきっつい。

 めっちゃきっつい。
 え、もう走んのやめていいかな???


「っ、ああああああああ!!せめてエレベータどっかに付けときなさいよ!!この学校は!!」


 なんて八つ当たりをしながら、虎板くんが落ちた階のフロアまで走った。
 もう正直くたくただ。

 残業して電話が来たから車飛ばして病院に行ったら、当の本人居なくて学校にとんぼ返りしてみれば、階段を全力奪取してるんだから。
 もう一回言うけれど、運動全然していない社会人にこの運動はハードすぎる。


「っあ、………つ、ついた……えっと、虎板くんが落ちた渡り廊下の方は……こっち!」


 膝ががっくがっくいってる。
 いやぁ、笑ってるってこういうことを言うのね。

 なんてのんきなことを考えながら、顔を上げてもうひと踏ん張りと走り出す。


「やっと着いた!虎板くん!!」 


 もう走んの限界!!
 肺がおかしなことになってるし、なんかひゅうひゅう言いそうな一歩手前な感じ!!

 開いている窓にガシッと手をかけて渡り廊下の上の建物の上にいる生徒に力一杯に叫んだ。
 だけど、目の前にいる光景が意味分からなかった。


 目の前にいるのは血だらけの謎の少年。
 明らかに怪しい目隠しをした白髪の長身男。
 半裸で傷だらけの生徒の姿。

 状況が分からない。いや、多分、あの制服……高専の生徒だと思う。
 弟が着てた気がするから。

 いや、だとしてもよ。
 虎板くん……なんで半裸なのよ?????

 
「あれ、せんせー?なんでいんの?」


 ぽかんと口を開けてその光景を見ているとキョトンとした顔をして首を傾げる虎板くん。

 いや、お前……私、病院にいろって言ったよな????
 少し前のことを忘れたのか???

 生徒だということを忘れてそんなことを口走りそうになったけど、無理やり飲み込む。


「………」
「誰だ?」
「俺のせんせー!」


 目隠し男がこちらを見て一瞬、固まる。

 え、何?私何かしました?? 
 いや、そんなはずはない。
 今来たばかりだし、何なら初対面だ。

 ツンツン頭の血だらけくんが疑問をボソッと呟くとそれに元気よく虎板くんが答える。

 うん、間違いではない。間違いではないんだけどそのニュアンスは如何わしく聞こえるからやめてほしい。
 心底そう思うのよ。

 ......って、じゃなくて!!


「あなたたちはなんなんです!?不法侵入ですよ!!」


 多分呪術師関係の人だと思うけど、とりあえず当たり障りのない質問を投げかける。

 そう、思いっきり一般人を演じる。
 どうせ、知らない人たちだし、関わらないのに限る。

 もし、仮に私を知っている人がいたとしても髪を切ったことなんて誰も知らないから気付かないだろうし。


「あ、いや……これは……」


 血だらけくんは何かを言おうとするとスタスタと私を目がけて歩いてくる目隠しさん。
 いや、ちょ、近寄んないで。

 答えるなら、そこから答えてよ。
 少し声を張れば聞こえる距離でしょーよ、どう考えたってさ。


「君さ、なんでこんなところで何してるの?」
「……はあ?」


 目隠しさんは私の目の前に止まってじっと見下ろしながら、問いかける。

 質問に答えるのはそっちが先では?? 

 そんな考えが脳裏に浮かぶが言葉に詰まった。
 長身長に加えて目隠し男だ。威圧的に感じて仕方ない。

 だけれど、出た言葉は一文字。
 あれ、私ケンカ売るつもりなかったけど、ケンカ売ってる風になっちゃった。


「………まあ、いいや。君、こっちおいで」
「え、俺?」


 どうやら、彼は私の存在を後回しにすることにしたらしい。
 くるっと後ろを振り返れば、ちょいちょいと虎板君を手招きすると彼は素直に近寄る。

 いや、素直なのは君のいいところだけどこんな怪しい人の言うこと聞いちゃダメでしょ!!

 心の中でそうツッコミを入れるけれど、口には出せない。
 だって、この人怖いもん。


「ちょ、虎板くんに何を!!」


 目隠しさんは虎板くんの額をトンと触れれば、彼はカクンと膝を折り曲げて意識を手放した。
 それに驚いた私は目隠しさんの腕をガシッと掴み、講義の声を上げる。


「......大丈夫、気絶させただけだから」
「何が大丈夫なんですか!?」


 彼は虎板君を抱えながら、平然と答えるけれど意味が分からない。
 何が大丈夫なのか、答えになってない。

 だからこそ、はっきりともう一度抗議をする。


「この子とんでもないもの食べちゃったからね」
「食べたって……なんの話です!?」
「両面宿儺」
「……!」

 
 けれど、目隠しさんは困った口調でもったいぶって言う。
 それと気絶させた理由に何の関係があるかなんて分からない私は食ってかかった。

 ほら、怖くても生徒を守るのが教師の使命だからさ。
 ていうか、こんな怪しい人に生徒預けてられないし。

 でも、彼から出た言葉に私は血の気を引いた。
 無能と言われた私でもその名前を知ってる。
 いや、多分あの世界にいた人なら、一度は聞いたことある名前だ。

 両面宿儺。特級呪物。
 1000年以上前に実在した怪物のような人間で、死後その死体は屍蝋の呪物となった。
 彼の20本の指が各地に散らばってるとか言われてる封印されたもの。

 そんなおっかないものを食べちゃったの!?この子!!
 三秒ルールが通用しても食べちゃいけない代物を食べたの!!
 イカれてる……!!

 ガバッと目隠しさんから虎板君に目を向けるが、彼は気絶しているからこちらの気も知らずに深い眠りに入っている。


「君だってその名前くらいは知ってるでしょ」
「………虎板くんをどうするつもりです」
「それがさ、意外なことに制御出来たんだよね。これで目覚めた時、宿儺に身体を奪われていなかったら彼には器の可能性がある」


 虎板君を抱えていない手で人差し指を天に向けながら、言う。
 その言葉はまるで私が知っていることを前提に話している。

 この人は私を知っているのかもしれない。

 確信はないけれど、微かに生じる可能性に冷や汗が出る。
 私は眉間にシワを寄せ、警戒を緩めずに問いかけた。

 目隠しさんは困ったように指差していた手を顎に添えながら、淡々と事実を述べる。


「あ、頭が痛くなってきた……」
「さて、ここでクエスチョン。彼をどうするべきかな」
「……仮に器だとしても呪術規定にのっとればあ虎板は処刑対象です」


 それが現実だったとしても、受け止めるには漠然とし過ぎている。
 実際それを見ていたら、受け入れざるを得ないのかもしれないけれど多分間違いなく見ていたら私は死んでいただろう。

 呪術師としては無能だからね。

 目隠しさんは血だらけくんの方へ顔を向け、まるで授業をするように聞く。
 彼は少し間を空けて考える素振りをするが、はっきりした口調でとても残酷なことを言った。

 呪術師として正解の答え。
 それはあの世界に居た私にもわかる。
 だけど、可愛がっていた生徒が殺されるなんて私にはショックすぎて手が震えた。

 男二人。私は非力な女。力は全く無い。
 生徒を奪い返す算段なんてない。


「でも、死なせたくありません」
「……!」
「…私情?」


 血だらけくんは真剣な顔をして言葉を続けた。

 その言葉に私は目を見開く。
 まさか、そんなことを言う子がいるなんて思いもしなかったから。
 あの世界は残酷な判断を要されると知っているから。

 目隠しさんは彼をじっと見つめながら問いかける。


「私情です。なんとかしてください」
「クックック、かわいい生徒の頼みだ。任せなさい」


 血だらけくんはブレることはなかった。
 むしろ、堂々として彼に丸投げした。

 なんとかしろと言えるほど、信頼関係を築けている。
 それはすごいことだと素直に思った。

 目隠しさんは丸投げされたことが面白かったのか、急に笑い出す。
 そんな面白ことでもないのに。

 グッと親指を立てて血だらけくんの頼みを聞くけれど、それよりも驚くことがあった。

 こんな見た目して同業者だったことに。
 こんな教師いていいのかと違う意味で驚愕した。


「………ってことで君も来てね」
「なんで私が!!」


 色んな意味で疲れ切った私は油断していた。
 目隠しさんにガシッと腕を掴まれ、話を振られる。


 呪術師と関わりたくないのに冗談じゃない。
 確かに虎板くんは確かに心配だけれど、そっちで何とかしてくれるなら私はその報告を後で聞けばいい話だ。
 一緒に行く必要なんてない。

 だからこそ、腕を振り払おうとするが、全然抜け出せない。
 キッと睨みつけながら、抗議した。


「君には聞きたいことがたくさんあるからね」
「虎板君に関してですか?」


 けれど、拘束する手の力はさらに強まる。
 痛くはないけれど、適わないという事実が私を苛立たせた。

 私が一緒に行って何になるのか、理解が出来なくて用件を聞いた。
 この案件は確実に虎板くんが中心になっているから彼のことを聞きたいんだと思った。


「いや、君自身のこと」
「はあ?初対面の方に聞かれるようなことなんてありませんが」


 ドクン。心臓が跳ねる。
 やっぱりこの人、私のこと知ってるのかもしれない。

 でも、覚えが全くない。こんな不審な人絶対忘れないのに。
 記憶お化けって言われた私が覚えてないって事は知らない人だと思うのに。

 ………何となくこの声に身に覚えはある気がするけど。

 内心、焦りながらも冷静を取り繕って怪訝そうな顔を作ってケンカ腰で言葉を返す。


「あれ、覚えてない?この顔」
「!!?」


 彼はそう言って目隠しを取って私にだけ見せた。
 上がっていた白髪はさらさらと風に靡き、隠されたものから覗いたのは空のような宝石のような碧眼。

 見覚えがある。
 八年前、サングラス越しに見えたそれとそっくりだ。

 私はそれに驚いて息を詰まらせた。


「思い出した?」
「ご、じょ……さ……ん……」


 血の気が下がるのが体感として分かる。
 きっと今の私は顔が青いだろう。

 彼はふっと笑って首を傾げるが、私からしれ見れば笑い事じゃない。
 関わりたくない苗字第一位だ。

 無理矢理声帯を動かして震わせて絞り出す。


「そ、元婚約者の悟さん」
「さい、あく……」
「ははっ、逃げないでね」


 彼はノリノリでウインクして告げる。

 元婚約者の悟さんとか自分で言わないでください。
 私を自由にしてくれたことは感謝してるけど、関わって欲しくないんですよ。

 心の中でつらつらと出る文句はなかなか表には出せなくて、出せた言葉は全てを圧縮した言葉。
 目隠しさん……五条悟さんは私の反応が楽しかったのか、また愉快そうに笑う。


 五条家の分家から、五条の苗字から離れて8年。
 私は遠ざけようとしていた苗字とまた遭遇してしまった。




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