「おはよー」
「……おはようございます」
「めっちゃクマ酷いよ。ちゃんとケアしてる?」


 部屋の入口の方からガチャっと言う音が聞こえると脳天気な声が聞こえてくる。
 今何時だと思ってんだよ。もうお天道様登って七時過ぎてるよ、せっかくの休日だってのに。
 そんな心の声が零れる。いや、声には出てないだけ私は偉いと思う。
 そんなに若くないのにオールしちゃったじゃない。そんな恨めしい思いで睨みつけながら、挨拶を返せば、飄々と人の神経を逆撫でる言葉を投げかけてくる五条家当主様。


「……五条さんがいつ戻ってくるか教えてくれたら、睡眠取ってました」


 これが当主でいいのかという疑問さえ浮かんでくるけど、今は我慢だ。私は弱みを握られている状況に変わりはないのだからと自分を律して見るものの、返答は少々刺々しくなるのは仕方ないと思う。
 そう、帰ってくるの翌日になるからと言ってくれさえすれば、警戒も遠慮なんてせずに眠ってたんだから。


「いやー、それはごめんね。上を説得するのに時間かかってさ」


 でも、どうやら彼もこんなに時間がかかるとは思っていなかったらしい。笑って誤魔化すように謝るけど、そこに誠意は見えないからある意味凄いと感心してしまう。


「……説得って虎杖くんの件ですか?」
「そうそう」
「どうなるんです……あの子は」


 彼が手こずることがあるとしたら、一つしかない。
 昨日の夜、呪術師業界の常識を覆す出来事があったのだから。
 ごくりと固唾を飲み込んで聞いてみれば、五条さんは私の目の前の椅子にドスッと座って軽々しく答える。
 欲しい言葉は言ってくれない。焦る気持ちを押さえながら、慎重に聞いた。
 説得に時間が掛かったってことは血みどろくんの願い通りになったと思いたい気持ちが強くて、ぎゅっと握る手のひらにジワっとした汗を感じる。


「まあ、普通に死刑だよね」
「なっ――」
「死刑は死刑でも執行猶予付き」
「……は?」


 彼から返ってきた言葉はあまりにもあっけらかんとしていた。
 「当然でしょ」と言わんばかりのそれに私は怒りが湧いてくる。それもそのはずだ。
 自信満々に任せろと言っておきながら、頑張った結果がおざなりじゃ納得もいかない。
 怒りに任せて言葉を返そうとしたけれど、それは五条さんの言葉に遮られた。
 言っている意味が分からなくて、湧いて出ていた怒りさえ何処かへ行ってしまい、複雑な心境を抱いていることをどうか理解してほしい。
 自覚しているから言うけれど、今自分は間抜けな顔をしているに違いないと思う。


「君も五条の人間なんだから知ってるでしょ、両面宿儺の厄介さは」
「五条の人間じゃなくてもそっちの関係者なら誰でも知ってると思いますよ」


 彼は私が呪術師としてポンコツと知っていて言ってくるのだから笑えてくる。
 でも、ポンコツでさえ聞いたことがないなんてことがないのが特級呪物なんだ。
 壊せないからこそ封印するしか無かった代物だと言うことを。
 ただ、ワザとらしく五条の名をいちいち出されるのは癪だ。五条さんのことはぶっちゃけどうでもいいけれど、実家を思い出してならないからあんまり聞きたくはない。だから、せめてものの抵抗とばかりににこやかに笑って刺々しく言い返した。


「まあ、そうとも言うね。悠仁はさ、恐らく千年に一度の逸材なんだよ」
「……」


 厭味は通じていないらしい。むしろあっさり肯定された。
 それもまた本当のことだから仕方ないけれど、五条さんは長い足を組みながら偉そうに言葉を紡ぐ。
 千年に一度の逸材だなんて素敵な言葉なんでしょう。まるで特別とも取れる言葉に嫌気が刺した。
 呪術師最強と謳われる彼にそう言わせるということは紛れもない事実なんだと分かっていても、私には都合の良い言葉にしか聞こえなかった。


「両面宿儺の器のね。でも、ただ殺すのは勿体ないでしょ」
「……それってつまり、全部食べさせてから殺すって事ですか」
「話が分かるねー……ま、そういうこと。だから、君の大事な生徒はまだ時間があるし、生きてるよ」


 血も涙もない言葉に乾いた笑いをしそうになるけれど、五条さんが言った言葉に全てを理解した。
 理解せざるを得なかった。そう言う言い方をして何とか上を説得させたということを。
 思い切り身体を巡る二酸化炭素を吐き出し、冷ややかな視線を送りながら確認するように聞き返せば、彼はパッと明るい表情を浮べて頷く。
 呪術師として関わっていなくてもあの世界に息を殺しながら生きていれば、腐っている部分は見えてくるもので残念ながら分かってしまった。
 まあ、ひとまず虎杖くんが生きてることだけを喜ぼうと思えた。


「飽きれるくらい腐ってますね」


 でもやっぱり気分は良くないし、吐き気すら催しそうになる。私は無意識にそれを言葉にしてしまった。
 彼だってあの業界では上の方の人間だ。なんせ五条家の当主なのだから。
 五条さんの前で言ってはまずかったかもしれないなんて思っても時既に遅し。


「ははっ、本当に口悪くなったねー」
「もう心を殺す必要なんてないので」


 文句の一つや二つ返ってくるかと思えば、口を大きく開けて笑っては楽しげに言葉を投げかけてくる。
 それに内心驚きながらも、私は極めて冷静に、淡々とした受け答えをした。
 そう、もう何も脅かされるものはない……や、脅かされるものはあるけれど、向こうが関わってこようとしなければ私は五条家とも呪術師とも関係ない一般市民だから。
 何を言ったって自由だ。


「ふーん……で、説明してもらっていい?」
「……何をです?」


 あまり興味がないのか、適当に流される。
 その方がどちらかと言えば有難いのだけれど、すぐさま本題に入る彼に言葉を詰まらせそうになった。
 緩急がつかめなくて思わずしかめっ面になっちゃったけど、一応惚ける手を取ってみようとする私はある意味挑戦者かもしれない。


「君がここにいる理由」
「あら、あの家から聞いてなかったんですか?」


 あっさりとぼかしていた部分を明確に突き付けられてしまえば、言うしかない。
 でも、実家から聞いていてもおかしくないのに知らない御当主様が理解出来なくて皮肉を返してしまう。
 あの家のことだから、全てを私のせいにして五条さんに取り入ろうとしたっておかしくなかったからこその言葉だった。


「君から聞きたいんだけど」
「あなたに婚約破棄されたので勘当されました」


 彼は表情を崩すことなく口角を上げて言い返してくるものだから、もう素直に白状するしかなかった。


「僕のせいなんだ?」
「……あなたの嫁にならない娘に用はないらしいですよ」


 驚きも、申し訳なさそうにもするわけでもなくただ確認するように聞いてくる。
 八年前の勘当を言い渡された時の父の顔がフラッシュバックすると私は顔を歪めながら、忌々しい過去を払拭するようににっこりと微笑んで実父に言われたままを伝えた。
 なんでこんなことを私の口から言わされなければならないのか。どろっと重い感情が私の心を渦巻く。


「それは悪いことしたね」
「いいえ、それに関しては感謝してますよ」
「……どうして?」


 五条さんは自分の何気ない一言がそこまで広がっているとは露知らなかったのだろう。
 別に彼は悪いことはしてない。私と違って自分の意見を言って通る立ち位置にいるだけの話だ。
 両親や弟から浴びさせられた言葉は酷いモノだったけれど、婚約破棄されて嫌だったことはそれくらいだ。
 むしろ、その後は良いことしかない。まあ、多少なりとも嫌な思いはあったけれど、あの家にいた時のモノに比べれば、月と鼈くらいのもので大したことはない。
 だから、五条さんに謝罪されるようなことは何もないんだ。有難いと思ってるのは本音なのだから。
 でも、それは彼にとって予想外の言葉だったらしい。目を見たわけじゃないから私が感じたそれが正しいか分からないけれど、キョトンとしているような気がした。


「あんな糞みたいな家から出れたんですからハッピーでしょう?」
「クックック……ははっ!」
「な、なんですか?」


 どうしてという言葉に笑いが込み上げてくる。
 腐った世界に居るからこそ分からないのかもしれないと思った私は同意を求めるように聞けば、五条さんは肩を震わせて豪快に笑った。
 思わぬリアクションにどうしたのか分からなくて何度か瞬きをして問いかける。
 もしかしたら、地雷を踏んだのかもしれない。その考えが過り、心拍数が上がる。


「いや、君……本当にいいね!」
「は、はあ……?」


 でも、私の予想とは真逆でグッと親指を立てていい笑顔で褒められた。
 特に五条家や彼自身ではなく、私が生まれ育った家を貶したつもりだったけれど、それは伝わっていたらしい。そうだとしてもその反応が返ってくるとは思っていなかったから、やっぱり困惑してしまう。


「前に会った時より全然いいよ、うん」


 五条さんは寸分の迷いも首を縦に振って頷きながら、口角を上げた。



――……ふーん……随分つまらない生き方してるね



 八年前、さり気なくさぞつまらなさそうに吐いた五条さんと思わず、重ね合わせようとしてしまった。
 いや、間違いなく同じ人物なんだけれど八年経ってこうも意見が変わるところを見えるとは思わなかったから仕方ないと思う。
 なんたって百八十度違う感想なのだから。まあ、あの時の私もまた今と大分違うとは思うけれど。


「それはどーも……私がここにいることはあの家には伝えないでもらえますか」
「なんで?」


 素直に褒め言葉として受け取ることにして一番大事なことを確認していないことを思い出して、真剣な顔をして聞いた。
 聞いたと言ってももはや、言うなと言うニュアンスの方が傾いているような聞き方だけれど。
 私が持ちかけた話は彼にとって意外だったのか、コテンと首を傾げている。
 あの整った顔がすれば様になるという物だろうけれど、今の五条さんは目隠しをしているから彼のことを知らない人間からしてみれば、ただただ不審者が首を傾げているようにしか見えないだろう。この場には私しかいないからそんな心配はいらないけれど、思わずそんな感想が心の中で生まれる。
 

「縁を切りたいからです……まあ、向こうも私を探してないだろうし、死んでると思ってるかもしれませんけど」
「それはどうかな」


 少し考えれば、分かることだろうに。
 そんな思いも出て来るけれど、それはぐっとこらえてはっきりと本心を伝えることにした。
 勘当された身だから私のことなんてどうとも思ってないだろうけれど、念には念を入れた方がいい。
 でも、五条さんの口から出た言葉は私の心をざわつかせるのに十分だった。
 なんてことないごく日常で交わされる言葉に違いないのに、今の私には不穏な言葉にしか聞こえない。


「……どういうことです?」
「実はさ、婚約破棄した後に君の実家に行ったんだよね。まあ、もう君いなかったんだけど」
「…………何しに?」

 固唾をごくりと飲み込んで眉間にシワを寄せて聞き返せば、彼は唐突に八年前にあったであろう話を語り出した。
 婚約破棄をした人間がわざわざ元婚約者の元に訪れるなんて耳にしたことない異例のこと。それに意味が分からなくて五条さんから紡がれる言葉を待った。


「君に会いに」
「何で」
「ちょっと確認したいことがあって」
「……それで?」


 私の疑問を何とも完結に答えてくれる。もったいぶって話さないなんてことをしないでくれるのは大変ありがたいけれど、婚約破棄した人間にわざわざ会いに来る非常識な元婚約者に理解出来ないのは仕方ないと思う。
 顔を青ざめて聞き返せば、軽く流されてしまった。
 今、目の前に私がいるんだから確認すればいいんじゃないかという考えが浮かぶけれど、それを指摘して墓穴を掘るようなことになることだけは避けたい。
 ぐっと言葉を飲み込んでその続きを急かすように促した。


「君の両親は君がいなくなった理由を僕に婚約破棄されたからだって泣いてたんだよね」
「ははっ、面白い冗談ですね」


 結論を話す彼は終始笑っているように見える。
 五条さんが笑うのも納得だ。そして、その様子が簡単に目に浮かぶ。
 勘当したというのに彼に婚約破棄をされてひどく傷付いた私は逃げ出すように家出をしたと言う乱雑なシナリオなんだろう。そう思ったら、乾いた笑いが出た。
 まあ、目なんてこれっぽっちも笑ってないと思うけどね。
 ムカついておりますよ。ええ。実の親共に。


「必死に探してるから待っててほしいと言われて仕方なく待っててあげたんだけど、君は一向に見つからなくて8年後の今になって僕が見つけるなんてウケるね」
「そのまま一生見つけなくてよかったんですけどね」


 どうやら、私の実家は彼にしがみ付いて頼み倒したのだろう。
 非常に迷惑そうな顔をしながら説明しているけれど、その結末に彼はニヤリと笑った。
 全然、ウケません。私からすればまーったく面白くなんてない。
 頬に手を添えて小首を傾げながら、作り笑いして言い返させてもらった。
 ええ、それくらいはさせて下さい。面白くないんだから。
 

「まあ、君が両親に隠れて過ごしたいっていうなら黙っておいてあげるよ」
「……本当ですか?」
「うん、いいよ」


 私の拒絶具合を理解してくれたのか、してくれていないのか。それは分からないけれど、組んでいた膝の上に手を置いて私に譲歩してくれた。五条さんのことは対して知らないけれど、何かしら条件を突き付けてくると思ってたから余計驚いた。
 マジマジと見つめて聞き返せば、あっさりとした返事が返ってくる。


「……ありがとうございます」
「……君ってそんな顔も出来たんだね」


 思ったより粘られることもなくて拍子抜けしてしまったけれど、安堵の方が勝ってるかもしれない。
 やっと色んな意味で肩の力が抜けて顔の筋肉を緩めてお礼を言えば、意外そうな顔をして何かポツリと呟いていた。


「はい?」
「まあ、いいや。君を解放してあげるよ。お疲れサマンサー」


 生憎その声は小さくて私の耳にちゃんと届かない。
 眉根を寄せて耳を傾けたけれど、彼はもう一度それを口にすることはなかった。ぱっと両手を広げて私の求めていたものを与えれば、思いの籠ってない労りの言葉を投げかけてくる。


「さような……」
「どうかした?」


 本当に事情を話して帰してもらえると思っていなかったけどそれを口に出したら、本当に私の望みが絶たれそうと思った。だから、気が付かないふりをして別れの挨拶をして去ろうとした。
 でも、一つだけ腑に落ちないことがあることを思い出すと自然と足は止まる。
 今すぐにでも出ていきたい空気を纏っていた私が固まってることに違和感を覚えたのかもしれない。彼は首を傾げて聞いてきた。


「あの、なんで私のこと分かったんですか?」
「どういう意味?」
「あなたと初めて会った時と髪型だって受け答えだって変わってたはずなのにすぐ分かったじゃないですか」


 この疑問だけ解消しなくちゃ。もう二度と会えないし。
 意を決して聞いてみれば、五条さんは意図を理解していないのか、首を傾げたままだ。
 私と彼が出会ったのは1度だけ。たった1度だけれども、今の私はあの頃の私とはだいぶ違う。
 結い上げるほどの髪は持ち合わせていないし、作り笑顔も貼り付けていない。何より、吐き出したい言葉を飲み込むことはあの頃に比べればないに等しい。それに何より、私は呪力がない。六眼は呪力を見ることは出来ても呪力がないものを見ることは出来ないってなんか実家にいる時に聞いた気がする。
 数分顔を合わせただけの人間がイメージチェンジしても分かるなんて警察か探偵になった方がいいレベルだと思う。
 だからこそ、私の抱いている疑問点を口にした。


「あー……声、かな」
「は?」
「声は変わってないでしょ」


 やっと言いたいことがわかったらしい。納得したような声を出して考えを巡らせるように顎に手を添えれば、ぽつりと言葉が零れ落ちた。
 予想外の答えに素っ頓狂な声が出る。
 今の私は間抜けな顔をしているのかもしれない。五条さんは人差し指を天井に向けて説明するように言葉を繋ぎ合わせてた。


「……一度会ったきりの人の声なんて覚えてるなんてすごい記憶力ですね」
「まあ、最強だから。僕」


 確かに声は変わってない。
 声なんて変えようと意識しなければ、変わらないものだ。でも、荒らげる声なんて昨日出したくらいで彼が知るはずない。それでも分かったと言うならば、聴力も化け物ということになる。
 それ以上突っ込んで聞いちゃダメだ。
 よく分からないけれど、脳が警告を鳴らす。私はそれに従うようにニコッと笑って賞賛すれば、五条さんもまた口角を上げて自分を評価した。


「もういいです。さようなら」
「ばいばーい」


 最強呪術師はどれも優れてると言いたげなそれにもう疲れてしまった。私はこの場を去ることを選ぶと踵を返してこの部屋の出口へとスタスタと歩き出す。
 五条さんはどこまでも愉快そうな声で私の背を見送っていた。



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