5話




 
 燦々と日が差し、木々は風に揺られサワサワと音を立てながら踊っています。
 そんな森の中、青年はとある場所を目指して歩き続けていました。


(まさか二度と来ないと決めていた場所に来ることになるとは……)
 

 青年は小さな家の前に立ち止まると複雑な心境を持ちながら、何処か懐かしそうに見つめています。
 

「白き魔女……ロゼットはいますか?」


 彼はふぅと息を吐くとコンコンと戸を叩きました。そして、静かに家の主へと声を掛けます。
 

「…………?」

 
 しかし、家に誰もいないのか返事はありません。彼は不思議そうに眉間に皺を寄せました。

 
(何で、返事がないんだ?出掛けているのか……?) 
 

 彼はやめることなく戸をトントンと叩き続けます。しかし、家の中からは物音ひとつしません。
 その事に彼は家の主が留守にしているという考えを浮上させたようで戸を叩くことをやめて顎に手を添えました。


(いや、彼女はあまりこの家から離れない……ということはやはり、家に……)
 

 青年はひとつの考えを自身で否定します。先程考えに根拠があるようで最初から持っていた考えを信じたようです。
 

「居るのは分かっているんです。出ててきてください!白き魔女……」
「だあああ!うるっさい!!」

 
 彼はもう一度トントンと戸を叩きながら中に居るであろう人物に話しかけます。
 彼が訪ねたい人物の名称を口にしかけると中々開かなかった戸はバンっ!と大きな音を立てて開きました。そして、その音と共に女性の大きな声が彼の鼓膜を揺らします。


「っ!」
「人の眠りを妨げるなんていい度胸して……」
 

 彼は突然扉が開くと目を見開き、驚いた表情をしました。彼が求めていた人物が現れたからでしょう。
 彼女は頗る不機嫌そうな顔をしながら青年に言葉を掛けますが、途中で言葉を飲み込みました。彼女の目の前にいる青年は彼女が最後に目にした人物と何処と無く似ていたからでした。


(20年前と変わらない容姿……いや、少し大人っぽくなったような……)


 また青年も瞳を揺らし、目の前にいる女性を呆然と見つめます。20年前と変わらない銀の髪を揺らし、薄紫の瞳が彼を見つめていたのです。

 
「……」
「…………誰だ、お前……」
 

 見惚れるように黙って見つめていた青年に彼女ははっと我に返ると睨みつけながら青年に問いました。


「っ、……貴女が白き魔女・ロゼットですね」
「……人間が魔女に何の用だ」


 彼も彼女の冷たい目と声に我に返ると分かっているのにも関わらず、本人確認をするように問いかけます。
 彼女は目を細めて肯定も否定もせずに敵意むき出しで問いかけました。
 

「貴女にお願いがあります」
「……」


 彼は怖気づくこともせずに真剣な顔をしながら彼女へ言葉を投げます。
 動揺することの無い彼に彼女はまるで人を見定めるようにじっと見つめました。
 

「城へ来て頂けますか?」
「断る」

 
 青年は彼女の言葉を待たずに問いかけるとその彼からの願いが意外だったのか彼女は眉間に皺を寄せます。
 何処へ行っても魔女という生き物は嫌われる者。そんな者が領地を預かる者の所へ行くなんて命を捨てる者の行動にしか見えません。彼女の反応は無理もないでしょう。


「話を聞いてください」
「人間に恐れられている私が何故出向かなければならないんだ」
 

 彼は少し焦りながら彼女へ言葉を投げかけます。しかし、彼女は聞き入れる気がないのか鼻で笑って彼が理由を話す間もなく断りの言葉を述べました。


「いいから、話を最後まで聞いてください…!」
「……はあ……とりあえず、中に入れ」


 彼は必死な顔をしながら彼女を説得しようと声を荒らげます。彼の熱量に彼女は深いため息をつくと彼の必死さに折れたのか顎をクイッとして偉そうに命令しました。
 彼女のその行動に彼は話を聞いて貰えると思ったのでしょう。ほっとした顔をして力んでいた肩の力を落としました。
 

(汚ない……)


 彼女の家へと入ると蜘蛛の巣とかはないのですが、埃のかぶった本や、ランプなどが目に入ります。埃っぽい部屋に彼は眉間に皺を寄せました。
 

「失礼ですが、こんな部屋で過ごしておいでで……?」
「今、騒音で目覚めたばかりなんだそれくらい許せ」


 テーブルまで案内されると青年は黙っていられなかったのでしょう。彼は戸惑った表情を見せながら遠回しに彼女へ問いかけます。彼女は苛立った声音で頭をガシガシかきながら彼へ言葉を返しました。どうやら、彼女は寝起きだったようです。
 

(騒音って……)
「何年も掃除をしていない部屋ですよ、これは」


 彼女の言葉に彼は困ったように頬を引き付かせます。騒音と大袈裟な言葉にされたのですから無理もありません。彼は眉下げたまま彼女へ言葉を返しました。
 

「何年も眠っていたからな、当然だ」
「え……」


 彼女はテーブル近くにある小窓をガタッと開けて空気の入れ替えをします。そして、彼に背を向けたまま彼の言葉に素っ気なく答えました。
 ロゼットから返ってきたか答えが予想外のものだったのでしょう。彼は目を見開き、驚きの声を上げました。
 

(何年も眠っていた……?)
 

 彼女の発言に耳を疑ったのでしょう。彼はどういう意味なのか考えますが、そのままの意味でしかとらえられません。彼は彼女をじっと観察するように見つめました。
 

(……またルナが付けたのかな……あれから20年か……)


 彼女は小窓の枠に猫が引っ掻いたような傷を見つけます。それを見て指でなぞりながら傷の数を数えました。
 ロゼットはその傷を付けたものが誰だか薄々わかっていたようでふっと困ったように笑います。彼女が眠ってから20年という月日が流れていたことを知ったようでした。
 

「私の事なんてどうでもいい。要件を話せ」
「……私はシルビア領、領主の側近……レイと申します」


 彼女ははぁと息を吐くと気を引き締めた顔をして後ろを振り返り、青年に命令するように問い掛けます。
 青年はじっと彼女を見つめながら彼が何者なのかを明かしました。
 彼は20年前に彼女が助けた少年だったのです。

 
「領主の側近が何用だ」
「……内密に願いしたいのですが、領主が奇病で倒れました」
「…………」

 彼女は恐らく20年前に助けた少年がここまで成長していることに気がついていないのでしょう。彼が何者なのかを理解すると彼女は片眉をピクっと動かすと警戒心を強めたようで彼女の周りの空気が少しピリピリしています。
 怪訝そうに彼女は青年に問い掛けると青年は問いに答えました。彼女は彼が嘘をついていないか見定めるようにじっと彼を見つめます。
 彼女が警戒するのも無理はありません。魔女狩りだって決して消えた訳では無いのですから罠かもしれないという疑念は拭いきれなかったのでしょう。
 

「皮膚が黒ずみ、高熱を何日も出している状態で王宮の医師達も治療できずにいるのです」
「だから、領主を治せと?」

 
 青年は頬に冷や汗をかき、一刻一刻と領主の命が縮まっていることを切羽詰まりながら彼女へ伝えました。彼女は冷ややかな視線を彼に送りながら再度、問いかけます。


「……可能性があるならば魔女の森にいる白き魔女になら治せるかもしれない、と思ったからです」
「へぇ、珍しい人間もいるものだな」


 青年は固唾を飲み込み、じっと彼女の目を見つめながら彼は自身の意志を伝えました。それは20年前、助けて貰った事実を身に染みて分かっていたからでしょう。
 彼女は表情も変えずに言葉を返しますがどこか言葉の刺々しさは少し和らいだように聞こえます。
 

(あの頃の優しい彼女の面影がない…どういうことだ?)


 目の前にいる彼女に青年は戸惑いました。20年前の出会い頭こそ不機嫌な彼女を目の当たりにしましたが、面倒を見て貰っていた時は優しい声と柔らかな笑顔を向けて貰っていたからです。
 あの頃の彼女と目の前にいる彼女が同一人物だととても思えなかったのでしょう。

 
(……嫌いな私の元へ来てまで助けたい領主か)
 
 
――ロゼットなんか大嫌いだ……!
 

 彼女は目の前にいる青年をじっと見つめ続けながら20年前に言われた言葉をふと思い出しました。恐らく直感なのでしょう。確信はないにしろ彼女もまた20年前の少年が大人になり、また目の前に現れたと思ったようです。
  

「いいだろう。お前の大事な領主を診てやろう」
「ありがとうございます……!」


 彼女はふと悲しそうに笑うと目を瞑り、彼の依頼を受けることにしました。青年は受諾してくれたことに目を見開いて驚いてはお礼を言います。
 

「ただし、ひとつ条件がある」
「……条件?」


 彼の喜びは束の間、彼女は人差し指を立てて言葉を紡ぎました。彼はその言葉に眉間に皺を寄せます。
 

「助ける代わりにこれまでと同じくこの森で静かに住むことを許可してもらえないか」
「……許可などいりますか?」


 彼女は少し疲れたような表情をしては彼女の言う条件を述べました。青年にとって予想外の条件だったのでしょう。拍子抜けした顔をしながら彼女へ問いかけます。
 

「いるだろうよ。ここは人間の土地だからな」
「……分かりました。掛け合いましょう」

 彼女は自身を嘲笑うようにふっと笑うと自信を卑下するように言葉を紡ぎました。人間か魔女、ただ長生きするだけの人と言うだけで差別されてきた彼女には彼が不思議に思うようなことも慎重になっています。
 彼は目線を彼女から下げて目を瞑りました。そして、また彼女をまっすぐ見つめると彼女の条件を飲み込みます。 


「それでは、行こうか。患者の元に」


 青年の言葉に彼女はほっと息をしました。口約束だとしても安心できる材料を手に入れたからでしょう。
 彼女は外套を取り出し、頭からフードを被ると手ぶらで家の外に出ました。

 
(……彼女は僕に気が付いていないのか)

 
 彼女の姿に幼い頃の自分が目の前にいることに気が付いてもらえないことが悲しかったのでしょう。青年は少し残念そうに落ち込んだ瞳をしながら彼女の後を追います。
 

(……ゼロ、君は私を恨んでるだろうに私情を持ち込まないんだな…だったら、私も君が触れてこないのであれば触れない)
 

 彼女は青年が家を出ると家の鍵を掛けました。青年が20年前のことを表に出して言葉にしないことから彼女もまた悲しそうな瞳を揺らします。
 相手が何も言ってこないということは触れてほしくないと言うことだと思ったのでしょうか。彼女は彼の気持ちを尊重するように決意しました。
 

――二人はちぐはぐな心を抱え込みながら領主の待つ城へと向かったのです。
 
 

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