11話




 あれからどれくらい時間が経ったんだろう。雨が止むことはなくて更に酷く降ってる気がする。
 寒さを感じるのは長時間雨に打たれたからかもしれない。
 風邪を引いちゃうかななんて思うのに足は全然早く進まない。
 ゆっくり、一歩ずつしか進めないのはきっと夏油君と会った時のことが頭から離れなかったから。
 携帯をポケットから取り出すとある名前をすぐさま探して決定ボタンを押す。
 耳元で鳴り響く音に矛盾な思いを抱いた。
 電話に出て。電話に出ないで。
 訳の分からない感情に口角が上がった瞬間、鳴っていた音がプチッと切れた。
 
「あ、五条君?」
「……どうしたんだよ」

 冷たく感じる唇を開いて、頑張って声を絞り出して名前を呼ぶ声はどうしようもなく震えてた。
 やばい、バレるかな。
 なんて思ったけれど、やっぱりバレてた。あまりにも今の私は平静を保てていない。

「あのね、夏油君に会ったよ」
「……今、どこにいんの?」

 電話に出たら、言おうと思ってたんだ。だって、二人は親友だから。
 教えた方がいいと思ったから。
 から元気を出して言えば、五条君は硬い声で質問してくる。

「もうすぐ学校に着くよ」

 急かすようなその声に逆に落ち着いてきた。
 深く息を吸うと足元の水たまりを踏んで答える。
 でも、彼からの応答はなくなってしまった。

「……あれ、五条君?」

 電話切られたのかな。
 そう思って耳にくっつけていた携帯に目を向けれるけれど、切れた様子はない。
 訳が分からなくて眉根を寄せて、もう一度耳に携帯を寄せて呼び掛けた。

「電話繋がったままなのに……返答ないって酷いなぁ」
「……なんでお前、傘差してないんだよ」

 それでも応答はなくて困った。
 自分勝手な彼に小言を零してみれば、その人物はいつの間にか雨の中、傘も差さずにこっちに向かって走ってる。
 軽く息を吐き出すと呆れた顔をして文句を言って来た。

「たまたま傘忘れたからだよ」
「会ったってどこで?」

 相変わらず通常通りな五条君に力なく笑って答えれば、眉間にシワを寄せて早速本題に入る。
 サングラスから覗いて見える目には複雑な感情が見え隠れしているような気がした。

「んー……秘密」
「は?」

 私はやっと肩の力を抜けた。五条君を見たからかもしれない。
 不思議な力を持っているなと思いつつ、わざと茶化すように言った。
 それは予想外だったんだと思う。
 目を大きく開けて聞き返すけれど、その声は何処となく威圧的だった。

「だって、聞いたら追いかけなきゃいけなくなるでしょ」
「……」

 今回のことで呪術師の世界もなんて腐った世界なんだろうって思った。
 きっと非呪術師側にいても呪術師側にいても腐った思想があるのは変わらない。
 自分で手を下さず、命令するだけ。
 それも強いから、最強だから五条君に押し付ける。
 まだ未成年とされる歳の少年になんて重いモノを背負わせようとしてるんだろうって。
 なんて理不尽なんだろうって思った。
 次こそ夏油君に会ってしまえば、殺らなきゃいけない。
 五条君は上から親友を殺すように言われてしまっているから。
 でも、そんなの私は望んでいないの。だって、二人は親友だから。
 私の言いたいことが伝わったのか、彼はただ黙ったまま見つめ返してくる。

「あとね、誘われちゃった」
「……なんて言ったの」

 私は話題を変えるように惚けるように言った。
 ずるっとサングラスがタイミングよく落ちるとあの綺麗な空のような瞳が私を映す。
 五条君の咽仏が上下に動かせて気のせいかもしれないけれど、どこか固い声が質問してきた。

「行けないって断った」
「……行けない、ね……」
「ふふ、同じところに引っかかるんだね」

 肩を竦めて笑えば、意味深に私の言葉を抜粋して繰り返す。
 やっぱり親友なんだなって改めて実感するとまた笑みが零れた。でも、それがとても悲しくて辛い。
 あんなに仲良かった二人が道を分かれてしまったことが。

「……まあ、お前の過去知ってればな」
「私は私を受け入れてくれた世界にいたいだけだよ」
「………」

 五条君はガシガシと後頭部をかきながら、ぶっきらぼうに答える。
 確かに私はあっちに行ってもおかしくない過去を持ってるのは事実。夏油君の憤りが分からない訳じゃない。
 元々非呪術師側に居たから、私もそっちに行くかもしれないと彼は思ったのかもしれない。だから、私は五条君の手をそっと握ってあえて言葉にするの。
 大丈夫だって伝えたくて。ここにいると伝えたくて。
 彼はただ茫然と私を見下ろすだけだった。

「それにね」
「?」

 そう、今言った言葉に嘘はない。夏油君に言った言葉も。でも、彼にも伝えていないもう一つ理由があった。
 まあ、夏油君は半分正解しているようなものだったけれど、あえて答えなかったが正しい。
 それを口にしようと思って五条君を見上げれば、彼は不思議そうに首を傾げた。

「私の心を救ってくれた人を裏切ることはしたくないなって」
「……そんな奴いんだ?」

 絶対あっちに行かない理由はこれだ。
 私を助けてくれた人と対峙するなんて嫌だった。
 笑って答えれば、五条君の表情は別の意味で固まった。
 それも傷付いたような顔をして上擦った声で聞いてくるんだ。

「いるね、目の前に」
「…………」

 本人が聞いてくるなんてね。
 不思議な気持になりながらも答える。
 私の世界を広げてくれたのは夜蛾先生だった。
 でも、私の心を、ずっと欲しかった言葉をくれたのは他の誰でもない。五条君だった。
 五条君にとって何気ない言葉だったかもしれないけれど、あの言葉が私を変えてくれたの。
 どれだけ救われたかなんて分からないんだろうなって思いながら、見つめれば微かに瞳を揺らしていた。

「役に立ちたかったけど、私じゃ無理だったや」
「誰の役にだよ」

 本当はね、夏油君が行動に移す前に止めたかった。
 あんなことをするなんて思ってなかったけれど、たくさん悩んでたのは知ってた。
 力になれるチャンスはいっぱいあったのに。でも、私じゃ彼の心に踏み込めなかった。
 夏油君が境界線を超えてしまって、五条君が辛い思いをすることになってしまった。
 何も出来ない無力な自分に悲しくなって力なく笑えば、呆れた様な声が返ってくる。

「さあ……誰だろうね?」

 私の言わんとしてることが分かってるくせに聞くなんて本当に嫌な人だな。そう思いながらも、私もあえて誤魔化して首を傾げた。
 もう、言葉にするのも限界だった。
 だって、もうあの楽しい四人の時間は進むこともなく、戻ることも出来ないんだから。
 それが寂しくて、悲しくて、辛くて。
 熱いものが込み上げてきて私は顔を伏せた。

「………どうせ雨で分かんねぇんだから、泣けば」

 五条君は本当に目が良い。
 気付いてくれなくていいのに。
 乱暴にピンポイントで言わなくていいことを言ってくる。 

「泣かないよ」
「なんで?」

 正直に言えば、泣きそうだ。
 五条君に泣かされた日から泣いたことなかったのに。
 また五条君の前で泣きそうになってる。でも、今私が泣いちゃダメなの。
 込み上げるものを頑張ってひっこめれば、首を振って断った。
 それが意味分からなかったのかもしれない。怪訝そうに聞いてくる。

「一番泣きたい人が泣いてないのに、泣けないよ」
「……そんな奴いねぇよ」
「嘘だ……っ、」

 グッと我慢して顔を上げて笑って言った。
 そう、一番ショックだったのは五条君だったはずだもん。だって、親友だよ。
 親友と歩む道を分かれてしまったら、悲しくてしょうがないはずだ。
 でも、酷い顔して笑ってるからかもしれない。彼は私の言葉に否定した。
 嘘ついても無駄なのに。私には分かってしまうのに。
 それを言おうとしたら、グイッと腕を引っ張られて五条君の腕の中に顔を埋めていた。

「バーカ。そんな奴いねぇし、誰も見てぇから泣いとけ」
「……五条君も濡れちゃうよ」
「別にいいよ。もう濡れてっし」

 いつも通り五条君は私を小馬鹿にしながらも、ぶっきらぼうな優しさをくれる。
 ぎゅっと抱きしめてくれるその腕は雨に濡れていなかったようにあたたかった。
 そりゃそうか。五条君には術式があるんだもん。でも、私を抱き締めてから五条君の服が振り続ける雨でどんどん濡れていく。
 なんで術式を解除しちゃったんだろうなんて思いながら、聞くけれど彼は私を抱き締める腕を緩めることはなかった。

「じゃあさ、……泣きたいのに泣けない誰かさんの代わりに泣く」
「勝手に言ってろ」

 五条君の温もりが優しくて、あたたかくてまた込み上げて来てしまった。
 また五条君に泣かされるんだ。
 でも、きっと五条君はどんな状況でも泣かない。ううん、泣けないんだと思う。
 それがまた悲しくて小言を言いつつも、大人しくその優しさに甘えることにした。
 鼻で笑ってたけど、いつもよりその声音は元気がない。

「………」

 力を持ちながらも元々非呪術師側にいたからこそ、見える汚さに我慢できなかった夏油君。
 凄い力を持って生まれて呪術師側にいたからこそ、見える汚さに正論を嫌う五条君。
 ただ、それだけだったんだ。

「……五条くん、ごめ……」
「気がすむまで泣いとけ」

 そう思えばまた我慢していた熱いものが、涙が溢れて出てきた。
 見られたくなくてぎゅっと抱きしめ返して謝れば、彼は私をあやすように優しく頭を撫でる。


 色々な考えが頭を巡る。
 でも、それでも――……
 一人で最強になってしまった五条君が孤独じゃないように傍に居たいと強く願ってしまった。



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