12話




 傑と最後に会った日からというものの日常は変わらなくて、呪霊を祓う日々。
 学校なんてほぼ行ってないがする。
 アイツはまた怪我してないだろうな。なんて頭を過ることもしばしば。
 それでも今日は割と時間に余裕があった。だから、久しぶりに学校に来てみたその時だった。
 アイツから電話がかかってきたのは。


「あ、五条君?」
「……どうしたんだよ」


 何かあったのかと思って電話に出てみれば、頑張って声を絞り出して俺を呼ぶ声。
 それはどうしようもなく震えてた。
 何かがあった。それは声から分かった。


「あのね、夏油君に会ったよ」
「……今、どこにいんの?」


 無理に明るい声を出していうその言葉に目を見開いた。
 傑がこいつの前に現れたことにも、それを伝えてくるこいつ自身にも。
 嫌に心臓の音が耳元に聞こえてくると自分が思っているよりも硬い声が出た。


「もうすぐ学校に着くよ」


 携帯の向こうの奴は段々落ち着きを取り戻したらしい。深く息を吸うとパシャっと水面を蹴るような音と共に答えてくる。
 それを聞いた瞬間、走ってた。
 アイツがどんな顔して電話してきたのかを考えたら、いても立ってもいられなかった。


「……あれ、五条君?」


 幸い、近くにいる。
 すぐ駆けつけられると思って携帯を耳元から離して走れば、携帯から名前を呼ぶ声が聞こえた。
 返事をしない俺に何処か困ってるような声音が。
 でも、返事をするより早く駆けつけたかった。最初に聞こえた震える声が、多分……本音だと思ったから。


「電話繋がったままなのに……返答ないって酷いなぁ」
「……なんでお前、傘差してないんだよ」


 やっと見つけたアイツは困った顔をして携帯とにらめっこしてたけど、俺が近付いてきたのが分かったらしい。目をまん丸にしてこっちを見てきた。
 俺は軽く息を吐き出して文句をひとつ零してやる。
 この雨の中だから傘を差してるだろうと思ったが、びしょびしょに濡れてる姿に驚いたから当然だ。


「たまたま傘忘れたからだよ」
「会ったってどこで?」


 アイツは力なく笑って答える。
 だったら、コンビニ寄ってでも傘買えよ。弱いんだからどうせ風邪引くだろ。
 そんな考えが過ぎるくせに俺は急かすように眉間に皺を寄せて電話越しで聞いた話を掘り下げてた。
 なんで傑がコイツに会ったのか。最後の挨拶ってやつなのか。それとも別の何かなのか。
 それが分からなくてじっと見つめた。


「んー……秘密」
「は?」


 でも、俺の表情を見たコイツは肩の力を抜いて茶化すように言う。
 ここまで言ったら、普通言うだろ。
 予想外の展開に驚いたけど、何かを隠そうとしてるかもしれない。その疑いが晴れなかったから聞き返す声に圧がかかった。


「だって、聞いたら追いかけなきゃいけなくなるでしょ」
「……」


 静かに、悲しそうに、儚げに微笑んで言う言葉が全ての答えだった。
 傑のために。俺のために。
 言わないことをコイツは選んだんだと。
 確かに聞けば、俺は追いかけて殺す。
 殺したくはないないかと聞かれれば、当然だ。親友を手にかけたくはない。だけど、誰かがそれをやるなら俺がやる。
 その覚悟はもう決めてた。決めたつもりだった。
 でも、目の前の奴はその時期を今にしたくなったらしい。


「あとね、誘われちゃった」
「……なんて言ったの」


 重い空気を変えようとしてるのか、イタズラする子供のように言う。
 その言葉は心臓を強く跳ねさせた。
 コイツまで|呪詛師側《あっち》に行くのかと思えば血の気が引いた。ずるっとサングラスが下がれば、アイツの顔が良く見える。
 固唾を飲み込んで震えそうな声を無理やり力ませて聞いた。それは思っていたより硬い声になった気がする。


「行けないって断った」
「……行けない、ね……」
「ふふ、同じところに引っかかるんだね」


 肩を竦めて笑って答える意味深なそれに思わず、言葉を繰り返してた。
 行かない。じゃなくて、行けない。
 ただの言葉遊びと思われるかもしれない。だけど、コイツが言うと意味は変わる。
 でも、俺の言葉に悲しそうに、どこか嬉しそうに笑った。傑も同じ反応を返したことが伺える。


「……まあ、お前の過去知ってればな」
「私は私を受け入れてくれた世界にいたいだけだよ」
「………」


 そりゃそうだ。非呪術師側でどんな目にあったか知ってる俺からすれば、|呪詛師《あっち》に行ったておかしくなかったんだ。
 俺は多分、それを恐れてたんだ。コイツまで居なくなるのは嫌だったから。
 ガシガシと後頭部をかきながら、ぶっきらぼうに答えれば、アイツは雨で冷え切った手で俺の手をそっと握って大事な言葉のように告げた。
 まるで、安心しろと言わんばかりに。
 それにただ茫然と見下ろすことしか出来なかった。


「それにね」
「?」


 さっきの言葉に続きがあったらしい。
 こっちを見上げてくるが、何を言いたいのか分からない俺は首を傾げて待つだけだ。


「私の心を救ってくれた人を裏切ることはしたくないなって」
「……そんな奴いんだ?」


 大事な奴を思うような顔をして笑うコイツに鈍器で殴られたような衝撃が走る。
 いや、胸がすげえ痛え。
 そばに居たのにそれすら分かんなかったことにショックを受けてながらもら聞き返した。
 動揺してたからか、声が上擦っててダセェと我ながら思う。


「いるね、目の前に」
「…………」


 返ってくる言葉にまた驚いた。
 入学当初は嫌ってた。なんも知らねぇ甘ちゃんだと思ってたから、きつく当たってた自信だってある。
 だんだん嫌いじゃなくなっていっても、態度は冷たい方だったと思う。
 俺の態度が変わったとしたら、二人で行った任務以降だ。それなのに俺に救われたとか意味がわからなかった。
 俺がコイツがあっちに行かない理由の一つになってる事が意外すぎてまた動揺してるくせに、内心喜んでる自分がいることにも動揺してる。


「役に立ちたかったけど、私じゃ無理だったや」
「誰の役にだよ」


 アイツは複雑な面持ちで自分を卑下して笑った。
 まるで何も出来ない無力だと思っているように。
 なんでいつも自分のせいのようにするのか分からない。いや、多分今まで生きてきた癖ってヤツなんだろうな。
 まるで俺の役に立ちたかったと言っているように聞こえたけど、俺は素直な質じゃないから呆れたようにしか言い返せない。


「さあ……誰だろうね?」


 アイツの口から正解を聞きたかったが、期待通りの答えはなくて誤魔化して首を傾げるだけだった。
 でも、感情が入り交じっているのか。アイツは唇をきゅっと噛み締め、瞳を揺らすと勢いよく顔を伏せた。


「………どうせ雨で分かんねぇんだから、泣けば」


 普段全然泣かないくせに。
 あれから泣いてないくせに。
 ここで泣くのかと、そう思った。
 でも、泣きたいなら別に泣けばいい。
 咎める理由もないからそう言葉をかけた。


「泣かないよ」
「なんで?」


 アイツは首を振って断った。
 我慢する必要なんてないからこそ、意味がわからなくて聞き返す。


「一番泣きたい人が泣いてないのに、泣けないよ」
「……そんな奴いねぇよ」
「嘘だ……っ、」


 泣くことをグッと我慢するように顔を上げて笑って言った。
 何処までお人好しなんだよ、コイツは。
 なんでいつも自分の感情じゃなくて周りの感情を考えるんだ。しかも、泣きたいのを我慢してっからひでー顔して笑ってる。
 泣きたいやつなんていない。それは確かだ。
 もしそれがいるとしたら、目の前にしかいない。
 それでも反論しようとするから、俺はずっと握られていた手を掴んでぐいっと引っ張れば、アイツを腕の中に閉じ込めた。


「バーカ。そんな奴いねぇし、誰も見てぇから泣いとけ」
「……五条君も濡れちゃうよ」
「別にいいよ。もう濡れてっし」


 腕の中にいる奴はすげえ冷たくなってて正直呆れた。どんだけ冷たくなればいいんだよって。
 でも、泣くのが嫌いなのも知ってるから雨で誤魔化せて泣けるなら、それもいいと思った。
 コイツが冷たい分、あっためりゃいい。
 まだなんか言い訳を続けるけど、ただでさえこんなに華奢で今にも壊れそうなのに、更に冷たい体を手放す気に離れなかった。


「じゃあさ、……泣きたいのに泣けない誰かさんの代わりに泣く」
「勝手に言ってろ」


 腕の中にいるアイツはどこか涙声だ。
 泣く理由を俺にする辺りが愛らしく感じる。
 もしかしたら、俺にも泣きたい感情はあるんだろう。嘘発見器のお前が言うんだから間違いない。
 でも、そんなものはどっかに置いてきたから分からない。
 だから、俺の代わりに泣いてくれた方がいいと思った。そんなのダサくて口にする気もないから鼻で笑っていつも通りを装う。
 きっと、それもバレてんだろな。


「……五条くん、ごめ……」
「気がすむまで泣いとけ」


 やっと我慢していたものを外したらしい。小さな泣き声と共に謝る声が聞こえてくる。
 縋り付くように抱き締め返してくる小さな手を感じては、あやすように優しく頭を撫でた。


 最強は俺一人いるだけじゃダメだった。
 そのせいで|傑《親友》を失った。
 でも、そのおかげで気づいてしまった。


 コイツを|呪詛師側《あっち》にやるのだけは絶対嫌だと思ったことに。
 いつの間にか俺が手離したくないほどにコイツに惹かれていたことに。

 これ以上、失いたくない。
 そう思った。



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