存在した、記憶




 高専に入学して、半年。季節はあっという間に移ろい、色を変えていく。風が窓から入るとカーテンは揺らいだ。
 肌で感じるそれはカラッとして夏特有のものじゃない。地球温暖化で気温は高いままだ。
 教室にある席は四つ。しかし、座ってるのは真ん中にいる二人だけ。そのうちの一人である五条は机にうつ伏せになっていた。
 もしかしたら、暑さでそのようにしているのかもしれない。微かに感じる無機質の冷たさを感じながら、顔を横に向けた。
 

「ひまー……」
「そんなに暇なら一緒に作る?」

 
 チクチクと縫う清の手元を見て、彼は欲望のまま言う。
 どうやら、涼んでいたわけじゃないらしい。けれど、彼女は手を止めることも、目を合わせることもない。ただ提案するだけだった。

 
「呪骸なんて作りたかねーよ。お前は限度を覚えろ、限度を」
「えー、聞こえなーい」

 
 五条にとって一ミリも興味をそそられないらしい。
 おえーっと吐き出すように舌を出し、清の後ろで転がっている呪骸を指差した。
 そこにはクマやパンダ、ウサギ、ネコといった愛らしい人形がある。何十体と床に転がっているのを不気味に感じてもおかしくない。だが、当の本人は惚けてまた手元に集中し始めた。

 
「…………」
「ふふ〜ん〜んん〜……」

 
 全く相手にされていない。いや、相手にはされているが、うまく受け流されている。
 その事実に彼の眉間にシワが寄る。しかし、そんなことに気づきもせず、彼女は楽し気に鼻歌を歌っていた。

 
「お前さ、なんで高専に入ったの?」
「……」

 
 五条は横目に、ふと思ったことを聞く。
 それにびっくりしたのかもしれない。止めることがなかった手をピタッと止まり、視線をゆっくり動かした。それはもちろん、問いかけてきた人間に、だ。

 
「んだよ」
「……なになに、興味持っちゃった?」
 

 何も言わない清にピクッと眉を動かし、答えを催促する。もしかしたら、黙って見つめられているこの状況が居心地は悪いのかもしれない。
 でも、相変わらずの態度に彼女は困ったように微笑んで首を傾げた。

 
「うっせぇ、暇つぶしだ」
「夜蛾先生に助けてもらって、呪術師の存在を知ったから」

 
 しかし、彼はそれを気に入らなかったらしい。うつ伏せになったまま、ゲシッと椅子を蹴る。
 その乱暴さに彼女は、はあ……と、息を吐いた。

 
「……バカかよ」
「失礼だなぁ……まあ、強いて言うなら一人で生きる力が欲しかったからかな」

 
 自ら望んで呪術師こっちに来た。
 それは彼からしたら、呆れるものなのかもしれない。なんせ、生まれた時からこの世界に居続けているのだから。身に染みて分かっているのだろう。
 だが、言葉選びはとてもじゃないけれど、上手とは言えない。清はまた縫物を止め、コテンと首を横に倒した。

 
「は?」
「私、施設の出なの。高校を出れば嫌でも一人で生きなきゃいけないし、丁度いいなって」

 
 想像していた答えものじゃなかったのか。サングラスがズレ落ち、宝石のような青い目が覗く。
 その目と表情が相まって間抜けに見えるのかもしれない。彼女は肩を竦め、口角を上げた。

 
「丁度いいって……」
「私は非呪術師側あっちにいられないから」
「……あっそ。やっぱお前もしっかりイカれてんのな」

 
 自分のことなのに、どこまでも他人事のように語る。
 その事実に五条は、ポカンと口を開けた。けれど、清は悲観的になってはいないらしい。縫物をまた始めながら、穏やかに言う。その表情に嘘偽りはない。
 素直な思いを口にしていることが分かるのだろう。彼はグテッと伸ばしていた腕を曲げて、自身の髪をワシャワシャとかき乱した。

 
「えー、イカれてる人に言われたくない」
「はっ、言ってろ。バーカ」

 
 言われた言葉は受け取りたくないらしい。いや、褒め言葉だと言われても認める人間はきっと、そうそういない。
 それが自分より似合う人間に言われたら、尚更だ。
 げんなりして言い返せば、五条は鼻で笑って軽く受け流す。


「ただいま」
「つかれたー」
「あ。夏油君、硝子ちゃん。おかえりー」

 
 ガラッと扉が開くと音に導かれるように二人はそっちを見た。そこにはクタクタになった顔をした夏油と疲労を訴えるわりに涼し気な顔をしている彼女が入ってきている。
 手を振って二人を出迎えると彼らも手を振り返し、ただいま、と返した。

 
「硝子……何もしていないよね?」
「してたしてた、息してた」
「流石硝子ちゃん。問題児!」

 
 硝子の発言は頂けないのか。夏油は眉をピクッと動かす。息を吐くように言い訳じみたことを言う彼女に清はふはっ、と吹き出しながら、褒め称えた。

 
「いや、お前にも言われたくないな。それは」
「私、ちょーいい子!」

 
 硝子はすんなり認める気はさらさらないらしい。眉根を寄せて指摘する辺り、言い出しっぺの清もまたそれなりに問題児なようだ。
 当の本人は驚きを隠せないのか。目を見開いて、胸に手を当てて主張する。
 

「すごい数だな」
「またいない間に随分作ったね」
「良い子はこんなに呪骸なんて作らねーよ。バーカ」

 
 彼女の後ろに転がっている無数の呪骸。
 それを見た硝子は感心し、夏油は困ったように頬を緩ませ、ポツリと呟いた。
 納得できなかったのかもしれない。五条はガバッと上体を起こすともう一度、椅子を軽く蹴った。
 

「バカバカ言い過ぎだよ! 五条・クズ問題児・悟君!」
「変なミドルネーム入れんな」
「いたっ」
 

 バカ呼ばわりされるのはこれで三回目。
 それにムッとした少女は眉を吊り上げるけれど、彼もまた変な呼び方をされて不満を持っているのが伺える。苛立ちから文句と共に額にデコピンをお見舞いした。
 ビシッという音から相当痛かったのだろう。彼女は反射的におでこを触った。
 

「悟……女の子にやるのはアウトだ」
「大丈夫?」
「シクシクシクシクシクシク……」
 

 男が女に手を出す。それは頂けなかったらしい。してやったり顔をする五条に夏油は怪訝そうな顔する。
 二人のやり取りを横目に硝子は清の頭を撫でた。まだ痛みが引かないのか、彼女は顔を覆って泣く。
 

「……お前、泣くフリするならそれらしくしろよ」
「泣いてるもぉん……」

 
 五条はそれにげんなりした顔をしてため息をつくが、泣き真似だと見抜いているようだ。しかし、彼女はそれを認めることなく、声を震わせて訴える。
 

「どーせ泣いてんじゃなくてただの変顔だろ」
「ぷっ」
「ふっ」
 

 彼は片眉を吊り上げると顔を覆っている手を奪って顔を覗き込んだ。目に映るのは梅干を食べたような、しわくちゃな表情。お世辞でも、可愛らしいといえるものじゃない。
 それに五条はスンッとして、的確に言うと同級生二人は吹き出した。
 

「……はあ、やっぱ嘘つけない」
「本当に下手だな」
「ここまでくると天性のものだね」
 

 清は肩の力を抜き、首を横に倒しながら白状する。彼の言い分は正しかったようだ。
 落ち込んでいる姿に硝子は憐れみの目を向け、夏油は愉快そうに称賛する。
 

「嘘なんてここに来てからつくようになったんだから仕方ないじゃない」
「どんな環境で育てば嘘つかないで生きていけんだよ」
 

 餌を詰め込んだリスのように頬を膨らませ、プイッとそっぽを向き、言い訳じみたことを言う。どうやら、拗ねているようだ。
 だからこそ、揶揄からか揶揄いがいがあるのかもしれない。五条はバカにしたように笑った。
 

「…………」

 
 どんな環境で育てば、嘘をつかないのか。それを今話したところで場の雰囲気が気まずくなるだけ。それが分かっているのだろう。もし、そうじゃなかったとしても話す気がないのかもしれない。
 それでも、なかなか言葉が出てこないのか。ただ黙ってじっと見つめ返していた。
 

「なんだよ」
「……夏油君、問題児が苛める」

 
 何も言わずに目で訴えてくるような態度に五条は目を細める。
 清は硝子の背にそそくさと隠れ、ビシッと指を差して彼の親友に訴えた。いつも宥めてもらっているのが、それだけで伺える。
 

「悟」
「おい、傑も問題児だろ」
「夏油君は優しいもんね」
「っ」
 

 彼は割って入るように名前を呼ぶと、不満をぶつけた。
 強い味方がいるからか、清はいつもより強気で反論する。彼女に対して五条の方が冷たく、夏油の方が優しい。誰が見たってそれは分かりきっている答えだ。
 それを自負しているからかもしれない。彼は言葉を詰まらせる。
 

「あーあー……」
「……」

 
 小馬鹿にしたように硝子は口角を上げて間延びした声を出せば、夏油は憐れむように目を細めた。
 

「んだよ」
「日頃の行いが悪いから」
「ふふ、そういうことだね」

 
 どことなく、バツが悪い。誤魔化すようにキッと二人を睨み付けた。
 硝子は乾いた笑いをしてサラリと言う。それに異論がないのだろう。夏油も微笑んで頷いた。
 

「お前らな……」
「ん? 何?」
「間違ってないだろう?」

 
 好き勝手言われて気分がだんだんと下がってきているのか。五条は頬を引き攣らせる。
 けれど、そこで引く二人ではない。楽しそうにニヤニヤと笑った。
 

「…………」
 

 清は三人のやり取りを見ていてワクワクしたのか。ごそごそと何かを取り出すと一歩、二歩、と後ろに下がる。
 携帯電話をターゲットに向け、決定ボタンを押した。
 

「「!?」」

 
 パシャリ。機械音が聞こえるとビクッと肩を揺らし、三人は音のする方へ顔をガバッと向ける。
 

「……」

 
 それに清は驚いて、目をぱちぱちとさせた。
 

「何してんだよ」
「びっくりしたじゃないか」
「…………」
「なんか、三人の写真撮りたくなっちゃった」

 
 五条は眉を吊り上げて訴え、夏油は眉を下げて困った表情をする。硝子は目を真ん丸にさせて黙っていた。
 それは彼ららしい反応なのかもしれない。彼女は自然と口元を緩めていたずらっ子のように笑った。
 

「事務所を通せよ」
「事務所ってどこですかー」
「お前な……」
 

 胸を張って言う彼のそれは明らかに威圧的であり、上から目線だ。でも、言葉のニュアンスから冗談だと分かるのかもしれない。
 清は怖気づくことない。キョロキョロと辺りを見渡しながら、惚けた。
 それがまた生意気と感じたらしい。五条は眉根を潜め、いつもより少し低い声でぼそっと呟く。
 

「まったく……」
「どうせなら、四人で撮る?」
「わっ」

 
 嫌っていた頃よりもふざけ合う二人に夏油は呆れのか。肩を竦めて見ていると硝子は突然、提案をした。そして、彼女から携帯電話を奪い取り、空いている手で腕を組んでグイッと引っ張る。
 まさか引き寄せられるとは思っていなかったのかもしれない。清は驚いて声を上げるが、誰もそれに対して反応することはなかった。
 

「しゃがめ、クズ共」

 
 携帯電話の内カメラを向けるが、男二人は大分でかい。画面に入りきらない。
 それ故に硝子は後ろに映っている二人になんとも雑な命令をした。
 

「おい」
「まあまあ」
「はい、ちーず」

 
 五条は眉を寄せ、文句を言う。けれど、夏油はまた宥めるように肩を組み、無理やり下へと圧力をかけた。やっとカメラの中に四人が入ったらしい。硝子は淡々と事を進めるとパシャリと機械音が教室に響いた。
 

「だりーな」
「はい、後で送って」
「…………」

 
 やっぱり一言、文句を言わないと気が済まないのか。おえーっと舌を出す彼を横目に硝子は清に携帯電話を返す。
 しかし、彼女は返されたそれに映し出されている写真をただじっと見つめていた。
 

「どうした?」
「……へへ、誰かと写真撮るの初めて」

 
 何も反応が来ない。それに硝子は不思議そうに首を傾げた。
 彼女は掲載電話を大事なもののようにぎゅっと握りしめて、綻ばせる。
 

「よかったな」
「うん」

 
 今まで見たことない表情に硝子はふっと目を細めた。清はこくりと頷き、もう一度、写真を幸せそうに見る。
 

「いいものが見れて良かったな」

 
 恐らく普通に生活していれば、機会がある。それを幸せそうにしているのが微笑ましかったのだろう。夏油はポツリと呟く。
 

「……」

 
 五条は何処か複雑な顔をしていた。けれど、笑って硝子に話しかける彼女を見て深く息を吐き出し、薄く口角を上げた。
 

「あ、ねえねえ……もう一個お願いして……いい?」
 

 清は何か閃いたらしい。言いづらいのか、遠慮気味にチラッと見て問いかけた。
 

「何?」
「なんだい?」
「まだあんのかよ」
 

 硝子と夏油は同じ方向にコテンと首を倒す。モジモジとしている姿が珍しいのかもしれない。だからこそ、五条も面倒くさそうにしている割には興味を示しているようだ。

 
「あのさ、この漫画のこれ! やってみたくて……」
 

 話を聞こうとしてくれている。
 その事実に、ぱあっと明るい顔をすると慌てたようにカタカタと打ち込む。検索した画像をバッと見せると三人は覗き込んだ。
 そこに映し出されているのは大人気の漫画で、有名なシーン。五人と一匹が左腕を天に向け、腕に書かれている‪✕‬バツ印を遠くにいる人に見せるシーンだ。
 

「これか」
「……ダメ?」

 
 五条はグイッと彼女に顔を近付けて納得する。何をやりたいのかを察したらしい。反応があまり良くないと思ったのか、しゅんとした顔をしてチラッと見た。

 
「っ、……今更、一枚も二枚も変わんねーだろ」
「ありがとう!」

 
 顔が近い上に上目遣い。それが捨てられた小動物のように見えたのか。五条は固唾を飲み込むとワシャワシャと乱雑に髪を撫でた。それは許可が出た、と言うことらしい。
 清は嬉しさのあまりに頬を緩ませてお礼を言った。
 

「どうやって撮る?」
「それが問題だね」
 

 全員で後ろを向くから、撮ることは不可能。第三者の存在が必要だ。それを硝子が問いかければ、夏油はふむ、と考え込む。
 

「呪骸に撮らせよ!」
 

 少女は床に散らばっていた人形の一つを手に取り、掲げた。


「「…………」」

 
 その発想は三人にはなかったのだろう。ただ黙って、彼女の手にある人形に目を向ける。
 

「あれ、ダメ?」
「いーんじゃね」

 
 反応がないことに不安を覚えたのか。眉を八の字にして聞くと五条が咳払いするとあっさり認めた。
 

「じゃあ、腕に書こうか」
「左だっけ?」
「うん」

 
 話がまとまったところで、どこから出したのか分からないマジックペンを夏油は構える。
 硝子は携帯を覗き込み、書く腕を確認すると清は頷いた。
 

「どーせなら外で撮ろうぜ」
「おっ、乗り気じゃん」
 

 もう準備がすんだのか。五条は左腕を捲くったまま、教室から出ていこうとする。その行動からやる気に満ちてるのが分かるからか、硝子は笑うと歩き出した。それに倣って夏油も後に続く。
 

「……何してんだよ、行くぞ」
「うん!」

 
 提案者はいまだ教室の中。足音が足りないことに気が付いたのか。五条はくるっと振り返り、呼びかける。
 三人が待ってくれている。
 その事実が嬉しいのか、元気よく返事をすると駆け寄った。



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